− その12 世は三連休の最終日、しかしさらに東進するTakema一行(笑) −

ページタイトルの通り、まだ「帰らない気満々」なのであります。まずは釧路まで特急で向かうわけでありますが、そうそうその前に別件バウアー(駄洒落の意味がわからず「?」気分のあなた、まだまだお若いですね)。ホテルの部屋の窓から下をのぞいてみたら真下にタンクが見えたのですよ(左上画像マウスオン)。細身ながら高さがあるタンクだったんですが、その換気口から湯気が立ち上っていましたから、もしかしてこれが源泉の貯湯槽だったのかも知れません。えぇ、ただそれだけのことであります。というわけで別件終了(何だったんだ)。

列車の発車時刻は9:21ということで、朝は比較的ゆっくりと過ごしました。朝風呂は当然の助動詞でしたが、このふく井ホテルの朝食はかなりお勧めです。朝食時間からやっている飲食店は少ないですし、宿の朝ごはんというと、時には「これはちょっと手ぇ抜きすぎじゃない?焼き鮭も冷え冷えだし」などと思わせられることもないわけではないのですが、こちらではバイキング形式ではなく、和・洋(おかゆ・コンチネンタルもあるのかも)のメニューから選ぶ方式です。そしてそれぞれ「作りたて」がサーブされるわけですからアツアツはもちろんですし、お味もヨロシイ!

観光とビジネス両方の利用があるホテルですし、朝ごはんを充実させることはこのホテルならではの方針でしょう。温泉だけでなく、帯広滞在の拠点として十分に満足できるふく井ホテルでありました(もちろんTakemaはふく井ホテルさんの回し者ではありませんので念のため(笑))。

さてそんなわけで帯広駅へ到着。札幌からの「スーパーおおぞら1号」は約10分遅れで到着です。

連休最終日ですから混んでいたらイカンというわけで指定席を予約していたのですが、帯広で多くのお客さんが下車したこともあり車内はかなり空いていました。考えてみれば今日混むのは上り列車ですよね(笑)。

この日は車の運転予定もありませんから午前中からビールをプシュっと。音別の手前からは海岸沿いを走る根室本線、よーしよし進行右側席で眺めがよくてヨカッタぞ。

それにしてもこの日の釧路地方の天気予報は「暴風雪」だというのに、あのー何だか太陽が出てるんですが?(笑)。今日も(天気について)「何かを持っている」Takema一行の霊力だか気力だか体力(いやこれは関係ないですな)のなせる業で

まぁそんな「低気圧 vs Takema&おしんこどんのせめぎ合い」の結果はこのあとわかるはずなのでお楽しみに(何のこっちゃ)。

というわけで、列車は数分遅れで釧路に到着したわけです。さてここで和商市場へ‥行っている暇はありません。そのまま10数分の乗り換え時間で釧網線の臨時列車が発車してしまうのですから。でもここで‥


(いつものことながら、不出来なオヤジギャグについてのツッコミは受け付けておりません)




(「鉄の人」は上画像にマウスオンするのも一興。昭和16年に山口県の笠戸工場で製造された車両です)

いや実はこの旅行の計画立案時にはこのSL乗車は考えていなかったんです。でも考えてみれば釧網線ってもともと運行本数も少ないわけで、そうなるとこの「絶妙のタイミングで乗り継げるこの列車しかない!」という結論に達したわけですね(釧路発着の特急が遅れても間違いなく接続しそうだし)。

ちなみに「案外両母も昔をふり返り懐かしんでくれるかな?」という後付けの理由もあったわけですが、おしんこどん母はともかくTakema母は全然興味がなかったようで、蒸気機関車を見に行くことすらありませんでした(笑)。ま、これは人それぞれということで。



何だかそれぞれ狭苦しいアングルでの撮影となったわけですが(おしんこどんは機関車後部を背景にしてるし)、



釧路駅発車前、機関車周辺はご覧の通りの大盛況でしたんでしょうがない。ちなみに運転席に入っての撮影はわれわれの2組前?で終了!

でも発車までにはまだしばらく時間がありますので、両母を席に放置して(失礼な物言い)もうちょっとうろうろしてみることにしました。この日のお客さんは中国系の人が比較的多かったのかな?でも「大陸の常識」で行動する人はいなかった‥ように思えました。ええ、この時はまだ(笑)。



前回も思ったのですが、西暦入りということは毎年作り替えてるんですよね。ちょっともモッタイナイような‥
(もしかして毎年の運行終了後オークションに出品しているとか??)



「阿房列車」ならぬ「阿呆列車」系ポーズのTakemaと、大人を気取るおしんこどん(いい大人は足も出しませんが)。

ホームにはSL湿原号の幟がずらずらーと並んでおりました。そういえば北海道では夏のツーリング中にも結構な頻度で交通安全系の幟を目にするんですが、この幟ってそんなに安いものでもないと思うのに結構目にするのはちょっと不思議です。滅多に車の通らない林道にもいきなり「林道交通安全」のライトグリーン幟があったりしますしね。あの幟代金はいったいどこが負担?

あ、ここではそんなことはどうでもいいのです。どう考えても左上画像の幟はJR北海道の拠出によるものと思われますので。それよりも「え?」と思ったのが編成最後尾。さりげなく(誰も見に来ていませんでした)ディーゼル機関車「DE15形」が連結されているではありませんか!あれー、牽引すべき先頭機関車のC11ではパワーが足らないのですか?
と思って調べてみたら、道内でいろいろな時期に走っているこのC11蒸気機関車に、このDE15はかなりの確率で同伴しているんですね。C11のパワー云々というよりは「いざというときのサポートカー」という位置づけなのでしょうか?

さてそんなわけで出発時刻となりました。駅員さんが「昔ながらの鐘」を鳴らして出発を告げていますが(左上画像)、そこまでノスタルジック風情をかもし出さなくてもというか、できれば昭和40-50年代の鉄道利用者のデフォルトであるあの「やたらに耳につくジリリ系の金属ベル」をけたたましく鳴らせた方が懐かしさという点ではいいような気がするんですが‥。

しかし、あのジリリ音って「ベル」と表現していいんでしょうか?昔から「発車のベルが止まるとドアが閉まります、はい閉まります!」と、絶妙なホーム係員さんと車掌さんの連携があったような気がしますが(昭和50年代に特に顕著だった記憶あり=あの時代、駆け込みねじり込むお客のことはあまり考慮していなかったような)、あの金属系発車ベル、何だかもう一度聞きたくなりました。というわけでネットにMP3か何かでアーカイブでもされていないかと思ったわけですが、あまりにシンプルすぎるネタなのか見つからずでした。

さぁて、C11が汽笛を鳴らし出発進行!‥と、7-8m走ったところで再停車(笑)。どうやら遅れてきた方がいたようで(右上画像)、確か外国の方じゃなかったかな?まぁ大勢には影響なかったからいいようなものの、「乗り物が大型化すればするほど迷惑な話」にもなりますのでご注意あれ。あー、思い出すなぁ小笠原(笑)。

さてそんなわけでSL列車は一路標茶を目指す‥わけなんですが、次の東釧路で停車したはいいもののなかなか発車しないんです?と、ここで車内アナウンス。

あちゃまー、大変なことになってますね。というかここ釧路界隈はともかくとして、この先弟子屈から小清水方面はかなり荒れた天気になっていることがこれで実証されたわけでもありますから、標茶から先のバスもどうなっていることやらとちょいと警戒モード発令です。

もっともこの日は時間だけはたっぷりあるので(予定通りに行くと川湯温泉には14:00に到着してしまいます)、われわれにとっては「まぁ今日中に着けばよし」なのです。そんなわけで先頭の機関車まで行ってきました。



反対ホームに入ってきたのは根室からの普通列車。ご覧の通りうっすらと日が射してます(すぐお隠れになりましたが)。



ホーム長が短くて、前方から機関車を撮るのはこれ(左上画像)が精一杯。動輪が小さいのは元々ローカル線仕様だからでしょうか。

「こりゃ当分動かないだろうな」と思っていたのですが、あにはからんや10分か15分の停車で「発車しまーす」とのこと。釧網線は全線単線ですからすれ違い可能な駅は限られており、この時は「おお、かの上り列車も頑張って向かってきているのか!」と思ったのですが、結局終点の標茶までその姿を見ることがなかったところを見ると、

という判断が下されたものと思われます(笑)。

そんなわけでこれぞ見切り発車で標茶へGo!ぎりぎりまでホーム先頭にいたので、発車後は車内をダラダラ歩いて戻ることにしました。発車しても席に戻ってこないTakemaをわが親族が心配‥していないことは承知の上です(笑)。

ご覧のように各車両にはストーブが設置されています。津軽鉄道のストーブ列車から始まったブームですがまぁ悪くはない?でも、スルメやらシシャモやらを焼くのはいいんですが(車内でも売られてるし)、そのニオイが車内に充満するのはどうなのかなぁ。二日酔いの人には「結構キビシイ」のではないかと思うのですが(Takemaだけ?)。あ、ちなみにこの日は全然問題なしのTakemaでしたが。

そんなニオイを嗅いで歩いてきたらいきなりお腹が空きました。同行の皆さんは「空いてないよー」というので、Takemaだけ売店に弁当を買いに行きます。確かに今日は何らの運動もしていないんですが、「どうしてお腹が減るのかなー?」。

左上画像の「乗車証明書」、2年前に逆方向で乗ったときはもらえたっけ?(記憶なし)。でも正直言って大したもんじゃないですね。せめて「C11 207」ならではの2灯にして欲しかった!

で、お弁当も「可もなく不可もなく」という感じではあったんですが(右上画像マウスオン)、ふと思うに‥。

駅の外のコンビニでは300円台のお弁当も普通に売られている中、いかに「地域の個性を出した」お弁当とはいえどもコンビニ弁当の2-3倍の値段で売られている「駅弁」。これはある種何だか不思議な世界でもあります。

ではなぜそれでも駅弁屋さんは潰れないのか?合理主義一辺倒であれば必ず立ちゆかなくなるはずなのに?まぁもちろん各駅弁会社さんも「副業」をなさっていることでしょうが(もしかしたらそちらが本業になっているのかも)、でも「駅弁から撤退しない理由」は必ずあるはずです。それは「赤字ぎりぎりではあっても、でも一定の収益があるから」に他なりません。

考えてみればTakemaもそこそこの長距離を列車で移動する時、「コンビニ弁当ではなくどうせなら駅弁」という発想に向かいます。それはもしかしたら「旅=非日常に身を置くことへのけじめというか禊ぎ」という思いに基づくものなのかも知れません。ただしもしそうだとしたら、リアルとバーチャルの区別をつけにくくなっている最近の世代各氏にはさらにピンとこないのかも。ということは、昭和世代の引退とともに駅弁も引退か?

あ、駅弁といえば台湾の国鉄(台鐵)構内で売られている駅弁は安くてしかも基本的に美味しいですよー。名前も「辨當(べんとう)」です。

いやー、ただの移動なのに1ページを使っちゃいました。でも、もうしばらくSLはいいかな(笑)。そんなわけでこのあと終点の標茶までは順調に運行。しかし予想通りここからは「暴風雪」のエリアだったのであります!
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