− その17 「ジーザス・クライスト」!この地に眠るイエスキリスト、そしてピ、ピラミッドまで?−
さて湯めぐりのあとはいきなり「世界の宗教情勢を一変させかねないホットスポット」へと向かいます。実はTakemaが中学生の頃から「いつかは行ってみたいぞ」と念願しつつもその後33-34年もの月日が流れ、今まさにこの日その思いを叶える日が来た‥嗚呼、今回は温泉聖地のみならずまさに「巡礼の旅」でもあったわけですね。まずは左下画像にマウスオンしてみてください!
日本全国黒鉄ヒロシといえど(意味のわからない人はいつも通りスルーでよろしく)、こんな道路標識が公金を使って建てられている場所はあり得ません(そりゃそうだ)。しかも「キリストの墓」が近年になって観光振興を目的に作られたモノでないことは、右上画像のお祭り絵からも明らかです。というか、30年以上前に中学生のTakemaが歴史伝承として知っていたくらいですからね。
まずは駐車場に車を止めて当地最大の目的地「キリストの墓」を目指します。駐車場が小ぶりであることにここの一般的知名度および村の力の入れ方がわかるような気もしますが、大々的に宣伝されて観光バスが来るようになっていたらかえってこの地には来なかったことでしょう。ずっと昔からの訪問願望をこういう形で叶えられたのはよかったのかな。
指導標に従って整備された坂道を登っていくつもりで右上画像にマウスオンすると‥おお、ものすごくドキドキしませんか?(笑)。
さてここで、ここ新郷村戸来地区にまつわる「キリストの墓」伝説について少し説明したいと思います。この地の「キリストの墓」伝説の発端は昭和10年に遡ります。が、ここで自分の言葉で書くと主観が入る(客観的な見方と異なる可能性大)ので、以下にwikipediaの内容を引用します。
1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間〜3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。
この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。
この後「古代史書研究会」が来村、戸来(へらい)村の村名は、ヘブライに由来するとした。 アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。
また日本において「桔梗紋」と言われるこの村の旧家に伝わる家紋は五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似しているとしイスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。 現在でも戸来小学校の校章はダビデの星と同じ形の籠目である。また、戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったという。
東京大学の余郷嘉明助教授による世界34カ国にわたるヒトポリオーマウイルス分布調査によれば、コーカソイドに見られるEUタイプウィルスが秋田県で見つかっている。 これはコーカソイドの集団が秋田周辺にやってきた可能性を示すものである。ヘブライ人もコーカソイドであることから、これら遺伝情報調査結果は日ユ同祖論の傍証となっている。ただし、全くの奇説であり、大多数の日本人はおろか、外国では全く認められておらず。また、その根拠としているものも、学術的な論拠にもならない。
まぁ奇説でも何でもいいのです。あと100m先にお墓があるのなら、もうここまで来たなら行くしかないのです!そこでキリストさまに「お会いする」ために!(あ、Takema家の菩提寺は真言宗ですが、感覚的に多神教信者の日本人はこういうところがフレキシブルですよね)。
こ、この上に聖者のお墓があるはず!ドキドキ。
しかしこのことをあまり主張しすぎると、「ゴルゴダの丘」を有する本家エルサレムから敵視されたりしないのかな?しかしその心配は全くないようです。なぜなら‥
真正面に位置する「身代わりで殺された」というイスキリの土まんじゅうとの間には、左上画像のように石碑が埋め込まれておりました(左上画像)。そこにはエルサレム市と新郷村が交わした友好のコメントが刻まれていました。よかった、イスラエルとの宗教戦争は今後ともなさそうだ(笑)。
同じ敷地の奥には「伝承館」なる建物があり(入館料200円)、Takemaのちっぽけな頭脳は「200円を払う価値があるのかどうか」一瞬悩みましたが(笑)、ここまで来たら勢いが大事なので?やっぱり入場しましょということに。
館内は入口付近にある伝統家屋復元エリアを除いて撮影禁止ということでしたが、そのエリアにある「カゴに入った子供」の画像を撮れただけでもう十分です(右上画像マウスオンで拡大(笑))。うーむインパクトありすぎ。
あとは「ちょっとどれも中途半端な印象」(Takemaの主観です)の館内をざっと見て(ちゃんとビデオも全部見ました)、さてキリストさまの約束の地を離れ次に目指すのは上の方にも書きましたが‥
(あらためてビックリ感を誇張しております)
ほーらちゃんと「大石神ピラミッド」って指導標もあるでしょ。でも‥うわ、最後はダートだぞ(笑)。
ダート路の最後の方は傾斜がきついだけでなく結構えぐれてましてTakemaのフォレスターでも一応ルート取りを(ちょっと)考えたくらいです。キリストの墓と合わせこのピラミッドを観光資源としてお考えならばそろそろ路面を再整備して下さいね新郷村担当各氏!
さて、でもピラミッドといえばエジプトですし、エジプトのピラミッドといえば言わずと知れた巨石を積み上げた四角錐の巨大遺跡ですよね。しかし日本では酒井勝軍という方が昭和初期に日本のピラミッドについてこう定義しているそうなのです。
その1つがこの大石神というわけですね。ちなみにこの定義に当てはまるいわゆる「日本ピラミッド」は全国各地に10数ヵ所あるようですが、この学説自体が提唱時から今に至るまで異端視されているため一般にはほとんど知られていないということのようです。ま、でも「キリストの墓」だって異端系なんだしイイじゃないですか行ってみましょ。
ここがピラミッドの入り口です。「これより神域」ということで鳥居が立てられていますが、その横に新郷村が建てた説明板があります。何と書いてあるのかというと‥
神秘の山 大石神ピラミッド
ピラミッドはエジプト・メキシコだけにあるとは限らない。したがって、茨城県磯原町にある武内家の文庫に秘蔵されている神代史によると、わが国にはエジプトのピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基あるとされた。昭和10年に戸来村を訪れた日本画家の鳥谷幡山も大石神を見て「これで4個目だ」と喜んだ。ピラミッドの権威酒井勝軍はさらに「鏡石」(下方四囲が12メートルの巨石)「方位石」(西方1メートル余りの割れ目が正しく東西を示す)また頂上の巨石が西側の稜に正しく北極星に向かい南北を指するなどピラミッドの条件に合うという。この鏡石はその場に直立し表面に文字が彫刻されてあったと伝えられているが、安政4年7月の強い地震で倒れ埋没している。酒井勝軍の説ではエジプト・メキシコのものと違って平面基礎から築き上げたものではなく三角形や神備型とした山の頂上にあり太陽石が置かれその周囲に「磐境」列石が配置されていること、昭和10年8月に戸来のキリストの墓発見の翌日戸来の十和利山のピラミッドを発見し、大石神のピラミッドは十和利山の二つを結ぶことで成り立ったものであるという。ここ大石神も神都として大いに栄えた所であるとされたが、長い年月の間の天地大異変により神都の面影はなく、無残な残骸となっている。
新郷村 新郷村観光協会
ふーむなるほど(わかったようなわかってないような‥)。ま、古代ロマンの産物であることは確かなようです。時代的には縄文時代となりますが、この近隣の秋田県大湯温泉には「大湯環状列石(ストーンサークル)」などもありますから、この界隈に古来から人々の一定の営みがあったことは確かなようです。
それぞれに看板がありますが、やはり素人にはただの巨石にしか見えないのが残念なところ。
さて見学を終えるとすでに13:00。そろそろ今日の泊まり場も決めなくちゃいけません。しかしその前に腹ごしらえもしたい‥しかしこの界隈には全然食堂の気配がないのでありましてどうしようと地図を見ていたら、村内には野沢温泉という温泉があるじゃありませんか。しかも道路沿いのあちこちに「新郷温泉館」という看板があり、その雰囲気からしてセンター系の大規模施設であると思われます。そこには食堂があるんじゃないか?
そんなわけでいざ向かってみると‥おお、まさにセンター系の立派な施設!これなら食事も出来そうだぞという「食重湯軽」の感覚で入館です。この時点でお湯は全然期待していませんでした。だってこの界隈は温泉不毛地帯の端っこでありまして、「たぶん低温の鉱泉沸かし湯+循環だろうな」と予想されましたんで‥。
同じような画像ですみません(特に意味なし)。
さてしかし、入口ドアに張られていた掲示を見てちょっと、そして館内にあった掲示を見て今度はだいぶ複雑な気持ちになりました。
左上画像を見ると「野沢温泉からの引き湯だから泉質は全く同じ」とあります。突っ込むようですが温泉は生き物です。引き湯の間に空気に触れると温泉成分は明らかに変化しますからもはや「全く同じ」ではないのです。運営側の方々、3行目だけは削除していただきたいなぁ(笑)。地図で確認すると野沢温泉からこの施設までは直線距離で約600mくらいのようですが。
で、館内の浴室へ向かうルート上には立派な置物がありましたが、そこに掲示されていた内容は右上画像をご覧いただければすぐにおわかりかと。ここにも原発関連のお金がじゃぼじゃぼと使われていたのですね。原発と温泉、全然関係がないように見えますが、そういえば青森の落合温泉も同じような感じだったような。どこかで書いたはず‥そうだこのページだ!
もうこんな事業費補助はそうそう出来ないんだろうなと、時代の流れをしみじみ感じた次第でありました。さてそんなわけで巨大更衣室で脱衣し、これまた広ーい浴室へ続くドアを開けると‥
先客さんも5-6人おられたのですが、ガラス窓ごしに外を見ると露天風呂はただいま無人!ということでかけ湯&身体洗いの儀式のあとすぐさま露天へ直行!
とりあえずオープンスペースなので塩素臭はほぼ気にならなくなりました。湯は無色透明で特別な浴感はありません。
さて続いては食事です。食堂自体はかなり地味な感じの造りで(失礼)、地元特産系のメニューもありませんでしたので、ざる蕎麦と冷やし蕎麦(だっけ?)を注文いたしました。
でもこれが案外美味しかったのでよしよしです。
ところでこのあとはそのまま新郷村をあとにしたわけですが、温泉館の上流にあるという野沢温泉とはどんなところなのかを今タイプしながら調べていてビックリ。あちらは何と源泉をかけ流し利用、カランも温泉だというのです!ただし営業は「土日月&祝日」のみ。なんだそれじゃやっぱりダメだったのねと一瞬安堵しましたが、この日が土曜日だったことを思い出してガックシ。あーしまった、こっちでは食事だけにして湯は本家の野沢温泉へ行くんだった!大後悔時代っ!(苦笑)。
さーてしかし、このあとはどこに行きましょ、そろそろ泊まり場を決めないと‥。
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