− その1 ご覧のとおり今年も快晴のTakemaオフキャンプ in バラギ!−

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かつて誰かがおっしゃいました。「バラギには何かがいる。だからこんなに晴れないんだ」。また別の誰か(同一人物かもしれませんし複数人物かも知れません(笑))は「あの人が雨を呼ぶんだ」と、経験則から導かれたにもかかわらず根拠の全くないバイアスばりばりの犯人説をまことしやかに語ることもありました(大笑)。


何も言いますまい、お天気はバッチリ。これでトータルでも6勝6敗1分けとタイブレークに持ち込み、そしてオフキャンプのベースをバラギに移動してからは3勝2敗と勝ち越したぁ!

そんなわけで参加者の皆さんの中には「わたし、晴れたバラギしか来たことないんですよ」とおっしゃる方もいたりして嬉しい限りです。ただしまぁいつかは雨に降られることもあると思うのですが(現実問題としてこればかりはね)、とにかく今年も晴れました!ではではオフキャンプレポート始まり始まりぃ!

Takema&おしんこどんが自宅を出発したのは6:40。間違いなくこれまでの中でもっとも早い出発です。三郷南ICから外環道に乗ったあたりでラジオの交通情報。うそ、関越道の本庄児玉だったかあたりで事故渋滞だって?

交通集中による渋滞と違って事故渋滞は始末が悪いんですよね(車線規制とかしちゃうから)。というわけでこの時点で「東北道−北関東道」経由で上信越道方面に向かうことにしました。そして川口JCTから東北道へ‥と、ここでまたラジオの交通情報が。




それなら関越道のほうが当然トータル距離も短いんでそのまま進んだのに!そんなわけで東北道を途中で降りてしばらくR122を行脚、北関東道の太田桐生ICから再び高速に乗った次第です。もしかしたら高速そのままのほうが早かったかも知れませんが、これがわたしの流儀です(笑)。



さて佐久平のPAというかハイウェイオアシスで遅めの朝ごはん&ランチはやっぱりお蕎麦。ここのお蕎麦屋さん、PA内にあるのに平日は11:00-16:00、土日祝日でも10:00-16:00の営業と「場所がどこだろうがわが道を行くもんね」系の営業時間なのですが、まぁ悪くない味なので近くまで行ったら試してみてください。

このあとは上信越道を東部湯の丸ICで降ります。首都圏から今回のキャンプ地であるバラギ湖まではもちろんいくつものルートがありますが、われわれは基本的にこのルートです。というのも「休日の軽井沢は経由したくないし、渋川からだとちょっと冗長すぎる」ことと、東部湯の丸ICのすぐ真ん前にベイシア(北関東を本拠とする大規模スーパーマーケット)とスーパーコメリ(ホームセンターのコメリは全国各地にありますが、ここは「スーパー」が付いている大規模店)が隣接しているからなのです。

ここで調味料や朝ごはんのパン、また板氷などを購入し(ベイシア)、持ってくるのを忘れたおたま及び今回の新規イベントのために必要だろうと考えてキャンプテーブルも購入(スーパーコメリ)。うん、ここなら全てが揃います!(自画自賛)。ちなみにここを利用することを前提に数年前コメリJCBカードを作ったというのはここだけのヒミツです(笑)。先だってのボルネオで使おうと思ったら(2014/3)「こちらではJCBカードは使えません」というオチもありましたが、まぁVISAもMASTERも持ってるので問題なしでした。

さて話を進めましょう。そんなわけで現地着は何と12:20と過去12年を含めもっとも早い到着となりました。というわけで‥





しかし、この日本当の意味で最初に到着したのはもちろん我々ではありません。なぜここにこれだけの材木が置かれているのか?それは!



群馬県内在住とはいえこれだけの材木をトラックで運んでくださりお1人で荷下ろし(完全乾燥済みの良質材)、そのあと再び自宅に戻ってからバイクで出直すという、とてつもない作業をなさってくださってます。ちなみに左上画像にマウスオンすると画像が変わりますが、よく見るとすでに点火場所にはすでに「すぐ点けられるように」薪がセットされ、また極細の薪がまとめられているなど心憎いばかりの気配りのあとが見受けられます。

今回ご参加くださった皆さま、あらためてkoh1さん(自作かがり火の方ですよ)に感謝してPCやスマホの前で拍手をお願いいたします!(ハイ今やって下さいね!)。

そんなわけでわれわれ2人で中央指揮テントと隣のタープを設置し、さて個人テントをと思ったあたりでTakemaのガラケーが高らかに「その昔の黒電話着信音」を響かせ始めました!電話に出ると‥




はいここでご説明です。Takemaオフキャンプでは毎年フリーふるまいとして「サッポロクラシックの樽生」を20Lほど提供してきました。しかしそれには飽きたらずというか何というか、今年は開催まで2週間を切ったところで突然「新たなフリーふるまい」を思いついてしまったのであります!それは‥



「海のものを山で振る舞う」というテッテー的な荒唐無稽ミスマッチなのですが、日本の流通は優秀ですから鮮度の点ではまったく問題ないはずです。しかも直送ですからスーパーなどで買うよりはるかに新鮮間違いなし!さらに、これまたひょんなことから「殻付き牡蠣の殻剥き出張サービス」があることも知っていたので、Takemaの中の断片的な情報が一気に繋がり、「一気に山が動き出した」のです。

しかしそもそも、なぜそんなことを思いついたのか?実はきっかけはといえばごくごく簡単なこと。



というよりほかはありません(突発性思いつきなんです)。でも一方で、そのベースとなるTakemaの「震災後の行動」があったことも間違いなく今回の企画実現の原動力となったのではないかと思います。

拙サイトを日ごろからご覧いただいている方々ならご存じかも知れませんが、あの東日本大震災以降のわたしはそこそこ東北の被災地におじゃましてきました。「ギックリ癖があるので泥すくいはできなくても、現地の状況を少しでも見てもらい、また少しでも現地産のものを買おう、そしてそれをこのサイトでアップして興味をもってもらえれば」というようなスタンスで訪問してきたつもりです。

2011年3月の最終日曜日(だったと思う)、いわき市内の海岸沿い県道を車で北上していくうちに「道路の両側に延々と並べられた家財道具や材木やその他さまざまなモノ」をを目にし、涙で前が見えなくなって車を止め悔し涙にくれたことは今も覚えています(拙サイトにはアップしていません)。当時のいわき市内にはとてつもない閉塞感が漂っていたことも覚えています。

そして震災の半年前に訪問した、宮古から気仙沼にかけての海岸沿い。2011年8月に再訪してみると道路もまだ仮復旧状態でしたし津波で破壊された建物もまだそのままのところが多く、鉄筋コンクリート製の建物の屋根に車が乗ったままだったり‥(その時の様子はこちら)。漁業や観光の復興など遠い先のように思えたことを覚えています。

豊饒たる海も姿を変えていました。瓦礫こそ浮いてはいませんでしたが本来ならそこは牡蠣棚がぎっしりと並んでいたはず。というわけでその旅行からの帰宅後ネットで支援サイトを探し「復興三陸牡蠣プロジェクト」に行き着きました。そこでいくばくかの支援をさせていただきました。

その後、その支援の主宰者である齋藤浩昭さん(の団体)が主催し2013年秋に石巻で開催された「三陸オイスターフェスティバル」にもこれまた協賛したわけなのです(当日は現地に赴きました。その時の様子はこちら)。

かの震災前、正直言って牡蠣には特別な思い入れはなかったように思いますが、震災からこっち、生産地から牡蠣が送られてくることもあり食べる機会はずいぶん増えましたし、牡蠣のニュースがとても気になるようになった自分です。そんなわけで「気がつけば牡蠣好き」になっていたのかなぁと(笑)。

ハイ長すぎる前置きでしたね以上で終了です(苦笑)。そんなわけで電話の話に戻ります。電話の相手は佐久間知彦さん。とはいっても今回の参加者以外ほぼ全ての方がご存じないと思いますのでここで紹介させていただきます。


という方なのです!(説明これでいいのかなー)。詳しくはオイスター職人公式サイトをご覧いただくとして、その経歴はTakemaなど足元にも及ばないほど過激で、「ヨーロッパのスキー場を放浪後、天山(テンシャン)山脈でのスキー滑降を行う」など、山スキーの経験たるや世界有数の腕前とお見受けしました!

そんな佐久間さんが牡蠣に出会ったのはフランスなのだそうで、その美味しさに心を打たれ現地で牡蠣ナイフを購入。ちなみにその時は「よし、これでいくらでも自分で牡蠣が食べられる!」というのが動機だったそうです(笑)。ちなみに西欧では「牡蠣は殻付きが基本」なのだそうですから、スーパーで買ってきても自分で剥けなければ蒸すか焼くかしかないわけですしね。

ちなみに出張お願いをした際も「あのぉ、場所は群馬県嬬恋村のキャンプ場なのですが‥」と申し上げると二つ返事で「あぁ、いいですよ」と快諾!(あとから聞いた話では電話が鳴った際に「知らない着信番号だし、誰だろう?」とお思いになったそうですが(笑))。このあと数日間でざざっと詳細を打ち合わせ、この日の待ち合わせとなったわけなのです。あ、もちろん交通費負担や宿泊の準備(われわれと同じくテント泊をご了承いただきましたのでゴアライトテント+寝袋を準備しました)は主催者として当然の助動詞。というわけで万座鹿沢口駅まですぐさまお迎えに伺った次第です。お互い人見知りには縁がないとみえて初対面なのにごく普通の「こんにちは、はじめまして!」という感じでありました。いやホントのTakemaは内向的で木訥なんですけれどね(たぶん閻魔大王に舌抜かれるな)。

さてここで話をオフキャンプに戻しましょう。Takemaオフキャンプをスタートさせたのは2002年が最初で、その時は場所も違うし(みなかみ町猿ヶ京@当時は新治村)参加者は17名足らずでありました。それから諸般の紆余曲折を経て、13回目の今年は‥



それでも何とかキャンプを維持できるというか何とかなっている(なった)のは、もちろん参加者の皆さんのジェントルなお気遣いが第一です。そして「乾杯前の全員集合を除き全てがフリータイム」というところにあるのかなと思います。

バラギキャンプはもともと「旧くまオフ」が前身でしたが、その何年か前からやっていた「おとう&ちんさんキャンプ」での「現地集合現地解散」というポリシーがその原点だったのかなと思います(ま、あの頃は共同夕食だったこともあり「おでん夕食の翌朝、はんぺんが出汁を吸いまくって地獄絵図化していた」というようなハプニングもありましたけれどね(詳しくはこちら))。

「みんなでひとつに」っていうのはやっぱり疲れちゃいますから、これからも拙オフキャンプはこのスタイルを貫きます。サッポロクラシック生にしろ殻付き牡蠣にしろその他にしろ、これからも現地での思いつきで提供時間を決めますからねーっ!

ちなみにゆんさんによると、「バラギキャンプ場の公式収容人数は250人」なのだそうです。嗚呼おそロシア!(まぁさすがにそこまでは増えないでしょうが)。


さて戻ってきてみると、続々とタープや自立式テント(運動会系)が立ち始めていました。となればこちらも「まずはアレ」!


そんなわけでさっそく起動!今回の「公式乾杯時間」は17:30とアナウンスしていましたが、個人的には何時から飲み始めたっていいのですしこの日は暑かったのですから!(去年は某氏が乾杯前に熟睡モードだったし)。


と、ここで佐久間さんがクラシック生を注ぎ始めました!キャンプ場に向かう車の中で「スキあらば飲みますよ」というコメントをいただいたので、これはまさにTakemaキャンプにぴったりの職人さんだと確信!Takemaの狙う目に間違いはなかった!(大笑)。そんなわけでまずは本日の宴会キャンプに東松島産の牡蠣が輝かしい印象を残すようにと乾杯したわけです。


そのあと本業本職モードに入った佐久間さん、リアカーを引いて「戦場」へと赴きます(笑)。鮮度が命の牡蠣ゆえ、しっかり冷やしております(生産地からの保冷剤がへたることを想定し、嬬恋のAコープで板氷をたっぷり買っておきました)。



そうしている間にもクラシックは皆さんの手によりずんずん注がれ(途中ヱビス様に変わりました)、おしんこどんの豚汁調理もスタート!







まだこの時間は樽生ビールしか「開店」していませんでしたが‥このあと!





すげー、何でもある!(笑)。日本酒に焼酎に洋酒にシャンパンまであるぞ!あ、でもワインがないですね。生牡蠣に白ワインはよく合うので、来年は自分も三岳だけじゃなくてワインも持参しようかな。

さてこのあとは、いよいよかきカキKaki牡蠣っ!「バラギ牡蠣BAR」の開店ですっ!

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