−その3 女川で「某ばくだん」との嬉しき出会い、もちろん海鮮丼もね −



女川町旧中心部を俯瞰するこの丘の上にも津波は容赦なく押し寄せたそうです。

(2014/7/27 その2)

さてこのあとは三陸道およびR398経由で一気に女川へと移動してきました。震災後石巻には少なくとも4回ほど足を踏み入れましたが、女川は2013のGWに通過しただけで、どこかをじっくり見たというわけではなかったのです。

で、まず目指したのは女川町地域医療センターのある高台にあるとあるお店‥その名も「おちゃっこクラブ」です。その名の通り、震災後地域の人々の集いスペースとして整備されたようで、建物の一番端っこ(一番景色がいい)にあります。


さてここでお昼ごはん前のおやつ‥なのですが、ちょっとその前に周辺を眺めてみましょう。
まずは遠景画像から。左上画像は旧市街中心部から女川町地域医療センターのある高台を眺めたもので、おちゃっこクラブのある施設は三角屋根の建物の右側に位置しています(ここからは見えていません=平屋建てなので)。かの震災で女川を襲った大津波はこの高台を平気で乗り越え、水は病院施設の1F天井付近まで上がったそうです(しかし非常電源その他が機能したということか、震災直後から2Fで診療を再開したのだそうです。地域の支えになってくれたわけですね)。

おちゃっこクラブの目の前には「東日本大震災 慰霊の碑」が建立されていましたのでおしんこどんとともに手を合わせました(このあたり実際のタイムラインとはズレがありますがまぁ気にしないでね(というか誰もわからないって)。
さてそんなわけでいざ店内へ。開店してまだ2年も経っていないはずなのに、何だかずっと前からここにあるような懐かしい感じのするお店です。テーブルは業務用の会議机、椅子はパイプ椅子ですが(中には学校の机や椅子とかもあった)、テラスにはリゾート系のテーブルセットも置かれており(右上画像マウスオン)、これらのちょっとした不統一性がかえっていい味を出しています。

ちなみにこちらのお店の一般的なイチオシは「ナポリタン」なのだそうです。何でも「日本ナポリタン学会」(そんなのあるのか?と思われた方はご参考までにこちらへ)から正式認定を受けたお店らしいので、三陸を旅していて海の幸系を食べ過ぎ食傷気味になった方は是非一度おためしあれ。

しかし一方でわれわれはまだじぇんじぇん食傷気味はおろか「早く海の幸をバリバリ摂取したいんだもんね」という生理学的及び精神衛生学的欲求の権化モード全開ですので、ここでナポちゃんに手を出すわけにはいきません。では何を注文するのかというと、それは‥
ほやばくだん!
そう、三陸の珍味といえばホヤ、そのホヤの中身をくり抜き、その中にホヤの身たっぷりの炊き込みごはんをぎっしり詰め込んだのがこちらのお店オリジナルの「ほやばくだん」(\300)なのでありますよ。今回の旅行出発の数日前にこの情報を聞きつけ、「これは何としてでも行って食べねばならぬ、しかし売り切れでは元も子もないので午前中のうちに!」と訪問計画を画策したというわけです。
すぐにホヤ塩ソフトクリームも到着したのであこがれの記念撮影(笑)。ちなみにホヤ殻のサイズそのものはそれほど大きくもありませんでしたが、その内部のホヤ炊き込みごはんはそれこそ「圧縮メシ」状態でビックリ。ちょこちょこっと大葉をのせていただくともうこりゃサイコー!そんなわけで、
「女川に来たら是非食べるべし、『ほやばくだん』っ!」
というわけで勝手に宣伝タイム終了です。あ、ばくだん絡みの説明が長すぎましたがホヤ塩ソフトも存分にいけますんでダブルで楽しんじゃって下さいませ。
ところで、同じ並びのお隣には別棟のプレハブが。こちらは何とFM局。「女川さいがいエフエム」という名の通り震災後設立された臨時災害放送局なんですね(右上画像マウスオン)。ちなみに周波数は79.3MHzですが、今やPCはもちろんのことスマホなどでも世界各地のFMを聴ける世の中なので、こちらのページを参考になさって下さい。ちなみにほやばくだんネタもこちらのFM局経由で情報を仕入れたというわけです。

プレハブの上部にはスピーカーがあり、そこからは「生音」が流されているのですが、おちゃっこクラブ内にあるラジオから流れる音声とは微妙にタイムラグがあります。このタイムラグこそがさまざまな機器を通り抜ける中での時間的ロスなのかなと。

さて、ふと気がつけば時刻は間もなく正午になりなんとしているではありませんか!いかん海の幸ランチに急いで行かねばTakemaの嫌いなごはん行列になってしまうっ!(笑)。
というわけでやってきました「おかせい」さん。鮮魚店も兼ねた海鮮料理屋さんですが、2013のGWにはあまりの激混み度に入店を断念せざるを得ませんでした(で、結局は石巻のお寿司屋さんで何とかお昼ごはんを食べられたわけです。詳しくはこちら)。

しかしこの日は先客待ちが1組だけだったので食べますよ(左上画像は食べ終わって店の外に出たときの画像です。10人くらい待ってました)。さーて何にしようか、でもさっきのほやばくだんからまだ20分も経ってないわけだし(少食だとこういうときに困る)‥よし、この手はどうだ!

そんなわけで登場しましたダブルどんぶり!もちろん美味しくいただきました!そうそう、やっぱり海を目の前にしてはこれっきゃないでしょう。ここでラーメンとかを頼む気にはなりません!(ま、もともとメニューにもないですが)。

さて食事後は北上開始ですが、その前に「目の前を何度か通っているくせにちゃんと見たことがなかった」震災遺構を見学です。


案内看板が設置されていました(知らなかった)。このエリアでは多くの方々が亡くなっており、祭壇もあります(右上画像マウスオン)
こちらは旧「江島(えのしま)共済会館」。沖合に浮かぶ江島住民の為の宿泊施設だったそうですが、RC(鉄筋コンクリート)4階建ての構造物があっけなく倒壊したということは、それだけ女川湾に押し寄せた津波が巨大であったことを意味するわけです。

高さ20m近い津波ということは、その最大高の瞬間にはこの建物がすっぽり水の中に沈んだことを意味します。実際、津波直後の女川地区画像を見ると、倒壊しなかった5階建ての建物の最上部まで水が入った形跡のものがありました。そんな津波っていったい‥。

なお、女川町内にはがれき除去後もRC造の倒壊物が3つ残され、この全てを震災遺構として保存しようとする動きもあったようですが、住民の多くが「見たくない」という意見を表明した結果、保存が決まったのはそのうち女川交番のみ。この江島共済会館も早晩解体される予定のようです。Takema個人としては「映像や写真では決して伝えられないリアリティ」の証拠として残してほしいと思うのですが‥。

実際のところ、震災後初めて福島沿岸を訪れたときのショックは計り知れないものがありました(2011年4月)。しかし津波の被災地では、ここ女川を含め「この場所で何が起こったのか」を視覚的に伝える遺構はもはやほとんど残されていません。しかしそのような遺構はいわば「東日本大震災を未来に伝える象徴」となり得るものだと思うのです。

部外者がとやかく言えることでもありませんが、これは三陸の観光資源としても活用できるはず。これまでの「リアス式の自然景観」に頼った観光客誘致が先細りだったことはいうまでもないことで、今回図らずも世界中の人たちが知ることとなった大震災&津波被害であるからこそ、そこで生じた「負の遺産」をプラスに生かさない手はないと思うのですが‥。
さて続いては山越えの道を通って雄勝エリアへと向かいます(今回は震災後これまでに訪問した以外の場所に重点的に立ち寄る予定だったので、石巻もそうですが気仙沼なども通過してしまいました。本当は寄りたかったんですが日程が‥)。2013のGW時、雄勝の中心部付近では学校等の解体工事が進められていましたが(左上画像マウスオンで2013GW時の画像に変わります)、今はもう全ての営みの痕跡が草に埋もれているような状況です。

右上画像には「雄勝町庁舎」と刻まれた石板がありますが、旧雄勝町は2005年に石巻市と合併しています。でもこの石板はあえて残したのでしょうね。そしてそのすぐ右脇には‥(右上画像マウスオン)。この碑がいつまでもここにあり続けるよう願うばかりです。

2013GW段階では奥に被災した町庁舎(というか石巻市の雄勝支所)がまだ残されていましたが、それもなくなっていました(跡地にプレハブの建物がありましたが何に利用されているのかは不明。実際のところ支所はここから数km東に移設されているようです。
ところでこのページを作成している中でいろいろと確認検証のためにネット検索をしているわけですが、グーグルマップ(画像)を見ていたら、ある一定サイズまでは旧庁舎が写っているのに(左上画像)、さらに拡大表示するとその庁舎が亡くなり現プレハブの建物が表示されている(右上画像)ことに気付きました。古い左上画像でも隣接する「復興店(たな)こ屋商店街」はすでに写っていますから、これは2013年前半の俯瞰画像なのかなと。

さてそんなわけで店こ屋商店街です(右上画像マウスオン)。こっちで昼食にしてもよかったかな感がありました。ここ雄勝にも飲食店があることは知っていましたが、雄勝まで足をのばす人の数は女川に比べて圧倒的に少ないみたい。やっぱり仙台からのアクセス差というのは大きいのかと。

とりあえず商店で飲み物を買い、雄勝名産のスレート石加工品を見学(買わなかったけれど)。ここ雄勝のスレートは東京駅丸の内口の屋根材としても使用されているグレード高きものなんですよね(丸の内側駅舎改築時にふんだんに使用)。ちなみに店番をしていたのは若い男性で、ただ今修行まっしぐらなのだとか(おそらく外からの移入者さんかと)。震災が不幸な事象であることはいうまでもありませんが、でも地域はこうして少しずつ前に進んでいるのかなと。

またこちらの商店街では2013年11月に台風30号により引き起こされた高潮被害(フィリピンレイテ島)への募金活動もいち早く行ったそうです。「被災地から被災地へ」というのがキャッチフレーズだったそうで、その時は存じませんでしたがさすがだなぁと。

しかしここ雄勝の復興計画に関してはやはりいろいろと紆余曲折があるようです。個人的には「山の向こうの石巻市と合併したことの弊害」なのかなと思いますが、まぁそれ以上は申し上げますまい。
このあとは旧大川小学校の脇を通過し北上大橋を渡って十三浜方面へ。震災後最初にこの道を通ったときはこの橋の北側が落橋した状態でしたがその後仮橋で開通。しかし、本格復旧をさせる予定はないのでしょうか?(もちろんあるのでしょうが優先順位が低いのかな?)。
さてやってきました十三浜大室地区。ここには作業用の大型仮設テントがあるばかりではありますが(この日は日曜日ゆえ作業もなし)、昨年2013年のGWにはここで‥



(この件に関して詳しくはこちらのページをご参照下さい)
しかしこの日は日曜日とはいえあまりに人がいなーい!人っ子一人歩いて‥いや、道路の港側で釣りをしている若者2人を発見!何が釣れるんですかと(おしんこどんが)聞いてみたら「メゴチとか‥」とのこと。結構寡黙な若者は、その後釣果バケツとともに去っていきました(別にわれわれが邪魔したわけではないと思いますが(苦笑))。
そのすぐ先に産直センターがありましたので「よし塩蔵ワカメでも」と思いつつ車を止めましたが、こちらも日曜日はお休みの様子。うーん、日曜日は一番売れると思いますよ特に夏の時期は!(苦笑)。

このあとは北上して南三陸町へ。国道沿いにぽつんと鎮座するモアイ像があったので車を止めましたが、ここは旧さわやか公園(駐車帯)だったのかなと。海側にはもう一体あったようなのですが流されたままなのかな?(右上画像マウスオン)。やはりこのエリアは復興途上であり、この二段上あたり、戸倉中学校敷地内に仮設住宅があるようですから。それにしてもよく津波に耐えたねキミ!

さて、ちょっと早めですがこの日のお宿にチェックインいたしましょう。実はこの数日前、「あの御方々も宿泊なさった」という?(うふふ)。

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