−その26 2014/8末で休業の日景温泉に惜別入浴、そして〆湯たる久吉たけのこ温泉経由で帰宅 −



はいこちら、温泉ファンを自認する方ならソッコーおわかりのはずの日景温泉。しかしこのあと営業終了となりました。

そんなわけで日景温泉に到着です。2014/8末日を以て閉館というニュースを知り、これまで夏冬2回宿泊してきたお宿に最後の別れを告げるべく、さよなら宿泊にやってまいりました。

玄関先はかなり広い造りです。というのも「この宿は総部屋数がいったい幾つあるのかわからない!」くらいの大規模宿なのです。旅館棟と湯治棟に分かれていますが、公式には「35室」とある宿なのに「56号室」とかありましたからね。ちなみに過去宿泊時のページはこちらです( 2005年 2007年 )。考えてみれば立ち寄り入浴したことはなかったんですね。

そんなわけでチェックイン後まずはお風呂へ。平日&宿泊の方々はそろそろ夕ごはんタイムということで、あまりにも嬉しき貸し切りモード満開バージョンでありました。

お湯はまさに適温という感じ、硫黄臭がふんわりと香っており、湯を口にしてみると苦くてあっさり塩味+αを感じます。うーん、この湯がなくなってしまうのは悲しい!現にすぐ北側の津軽湯の沢温泉郷は3軒もあったのにすべて廃業してしまったわけですし‥。


しかし露天の湯は前回訪問時同様やっぱりイマイチでした。ちょっと清掃が甘いような気がします。


館内には盛時をしのばせる卓球台やねぷたの屋台?と思われるものも展示されておりました。小さな屋台ですから、地域のお祭りに出た時のものでしょうか。そしてこの月末の営業終了時、かさばるこれらの物品はどうなっちゃうのかなとよけいな心配をしちゃいます。

このあとはもちろん湯治棟の湯にも浸かりましたが、暗くなったことで写真映りがイマイチゆえ翌朝画像にまとめます。


湯上がり後のおしんこどんは何やらお肌の手入れ作業に余念がないようでした(笑)。
さて明けて翌朝、当然の助動詞的にお風呂へと向かいます。最初はとりあえず大浴場へ向かいましたがここはあっさりと。

濃厚に狙ったのは湯治部の湯。おっとその前に宿猫くんとの戯れタイムをば。

この宿猫くん、旅行後に調べてみたら名前は茶々丸、御年19歳という老猫らしいのです。ネット上のネコ年齢換算サイトによると人間でいえば92歳だとか(驚)。しかし毛並みもいい大ネコで(普通に階段も上っていきます=右上画像マウスオン)、まだまだ頑張ってくれそうかなとは思ったのですが‥

人間でも‥いや、この話はやめましょう。このことは茶々丸くんだけの問題のみならず、現在進行形である福島第一周辺や津波被災地エリアとみごとに通じてしまうのですから。猫と同じ「生き物」たるわれわれだって所詮は同じです。「住むところがあればそれでいい」というほどの割り切りというか柔軟性は、われわれ人類のほとんどが持ち合わせていないのです。

さてそんなわけで湯治部の浴室へと向かいます。そういや、左上画像マウスオンで表示される「湯治部」の看板もいずれは外されちゃうんでしょうね。

ええっとふと思ったのですが「鉄関係の人=鉄人」の皆さまの世界では鉄道関係のさまざまなパーツ(表示板やらサボやら座席やらさまざまなものが)オークションに出ている、つまりは商売になっていますよね。それならば、「湯関係の人=湯人(ここは「とうじん」じゃなくて「ゆびと」と読みたい)」においても歴史ある温泉宿の各種アイテムは案外売れるのではないかと。

ま、鉄道に比べればまだまだ社会的認知度の低い世界なので、たとえば仮にここ日景温泉の大浴場湯口(丸太系)を手に入れたとして、それを自宅を訪れた来客に「ふふふ、これはあの日景温泉の湯口なんですよグフフ」とにやけたところで一二歩下がられるだけかもしれません。でも少し前までそれは鉄の方々の世界でも同じだったような‥。ま、いいや。


いいですねー、味がないところに味があるサトウハチロー的そっけなさ。でもこの「男湯」の看板は‥(しつこい)。
さてそんなわけで湯治部のお風呂です。温泉ファンの皆さんの多くがこちらの湯を絶賛してこられましたし、確かにこちらの湯の濃さはスバラシイのですから!



初めてこの湯治部浴槽に入ったのは冬場だったよなぁ、確かあの時湯治部側の部屋に泊まっていたのは自分たちだけだったよなぁとか、そういえばおしんこどん母とも一緒に来たよなぁとか、いろいろなことを思い出します。そうそう、不思議なことにここ日景温泉は今回を含めすべて宿泊で利用してきたんです。やっぱり湯および風情に惹かれたのかな。

そんなわけでこの浴槽での湯足写真もこれで最後でしょう。ご覧のように大浴場の湯よりもかなり白濁度が強いですが、投入量と浴槽サイズを考えれば十分な投入量です。

湯の硫黄成分はすぐに湯縁にこびりつこうとします。こりゃ清掃は大変だわと思ったところで‥そうだ、これならすぐに字が書ける!というわけで‥

ほーら字が書けちゃいました(笑)。ちなみに上画像の字はその前に書き方を失敗し(バランス悪し)で、浴槽でしばらく待った上で書き直したものです。つまりはそれだけ成分の付着が多いというわけで、何とかこの源泉だけでも‥と強く願う次第です。

ではでは、こちらのお風呂の動画もご覧下さいませ。





惜別朝風呂のあとは朝ごはん。シャケが小鉢に隠れちゃってますが基本的にシンプルです。廊下には奥羽本線の矢立峠付近を走るSL三重連写真が飾ってありましたが、手前に写っている看板には日景温泉の文字が。ということはこの写真は峠越え新線への付け替え前に撮られたものと思われます(そもそも古い写真ですし)。ある意味一番「このエリアが栄えていた」ころの画像ですね。

食堂には食堂メニューがあったので記念を兼ねてパチリ(右上画像マウスオン)。そういえばここに初めて泊まったときは列車で訪問しての連泊だったので、お昼ごはんはこの食堂で鍋焼きうどんか何かを食べた記憶がよみがえってきました。

出発時に宿の方と少しお話をする機会があったのですが、この温泉が「日景家の手を離れる」ことについて「実はいくつか引き合いがあるんですよ」とおっしゃっていました。しかし2014/10中旬現在、売却契約成立という話は聞こえてきません。できれば雪が降る前にいいニュースが伝えられると嬉しいですのですけれどね。ひと冬を放置するだけでとんでもないことになっちゃう豪雪地帯なのですから‥。

最後は宿の方のご厚意でVIPさながらに車寄せにTakema車を乗り入れさせていただきました。とりあえずサヨウナラ日景温泉、いつか再訪する日がくることを期待しています。というかこれは津軽湯の沢温泉郷についても同じこと、まだ未練たらたら系で期待しているんですが‥。

さて出発です。この日は一気に帰宅する予定ですから(!)あまり寄り道もできませんがまずはお隣の湯宿の現状を確認しに行ってみました。

というわけでやって来たのは赤湯の矢立温泉。こちらも休業中なんですが、2014/4段階におけるまんぞう温泉さんの直接コンタクトによると「(休業は)今月いっぱいくらいかな?」とおっしゃっていたようなので(2014/4/23の記事参照)ちょっとだけ期待していたわけです。しかし‥(右上画像マウスオン)だめですねやってませんね、一時的にせよ再開した気配もありませんね(残念)。

ちなみに上にも書いた奥羽本線の矢立峠区間旧線路ですが、現矢立温泉の真上を通っていたのですね(左上画像マウスオン)。創業は日景温泉よりずっと古く約400年前といいますから、かつては宿のほぼ真上をSL三重連が走っていたのかと推察。今なら鉄ちゃん必訪の宿になったことでしょう(ただし鉄橋直下なのでうるささもまた最強だったと思われますが(苦笑))。

それにしても、偶然見つけたこのページを見るにつけ、その1-2年後にどちらのお宿も営業を終了してしまうとは思いもかけませんでした(悲)。

さてホントに帰らねば!(最寄りの碇ヶ関ICからTakemaの住む千葉県市川市までは660kmほどありますから)と思いつつ、碇ヶ関の道の駅で最後のお買い物。5Lサイズただしキズあり品の地元産スイカ、さらにお米、モモ、ネマガリタケの水煮瓶詰めを購入。碇ヶ関のある平川市は地方自治的にいろいろ問題が噴出しているようですが、それがどうあれ少しでも地元経済に貢献というのがTakemaスタンス‥いや、単純に食べたかっただけです(苦笑)。

そしてこの旅行の〆湯は久吉たけのこ温泉。以前から共同湯はありましたが、老朽化によりここに移設新築された模様(それとも同じ場所?)。新築のことは前から知っていて、2014GWに古遠部温泉に宿泊した際宿のご主人に「あそこの共同湯は出来たばかりだし大丈夫ですよね?」と質問したところ「わからないよー、財政は火の車だからいつどうなるか」というお返事をいただいていて、今回は「いつまでも あると思うな 極上湯」という温泉至言にしたがっての初訪問というわけです。

さてしかし、旧共同湯時代からここの温泉については「キナくさい噂」がもっぱらでした。いやただし温泉臭に関することではありません。それは‥

という温泉先人の魂の叫びでありました(笑)。しかし新施設になってからの湯使いについては調べていなかったのでちょうどいい!というわけです。

もちろん無人の寸志湯であるはずもなく管理人さんがおられましたが(女性)、市内在住者150円、市民外にあたるわれわれでも250円という安さ。せめて300円-400円にしてもいいんじゃないかな?(場所柄やってくる非在住者の多くは温泉ファンの比率がかなり高いように思われますし)。

で、いざ脱衣場に進んでみると、これがまた何ということでしょう、先客の地元系ご老人がただ今脱衣の真っ最中!あちゃータイミングとしては最悪です。‥が、ご老人、かなり脱衣のペースがかなーりゆっくりモード。というわけで、


とりあえずガラス越しに浴槽撮影を敢行し、こちらもダッシュ脱衣!(笑)。
この脱衣チキチキマシン猛レースにはあっさりTakemaが逆転勝利いたしました(ご老人はホントにゆっくりだったので)。というわけでカメラ持参で浴室入りしかけ湯&大事なところ洗いの儀‥!

感覚的に45度くらいありそうです(温度計は持参しましたが計測する余裕なし=時間との勝負だったので)。というわけでとにかくとにかく急速入浴!(身体に悪そうだなぁ=右上画像マウスオン)。

この湯足画像を撮影した直後にご老人が浴室に登場というわけでこの後は撮影を自粛しました。というわけでえーっと浴感はといえば、湯温以外にはあまり特徴のない無色透明湯で、もちろん温泉臭はありますがそれよりも湯の熱さのインパクトが強すぎという感じです。

さて大きめの浴槽の方が「まだマシ系」なので、そこで身体を慣らした上でいよいよこちらの真骨頂たる「あつ湯」の方に移動‥

そんなわけでこちらの共同湯のDNAというか伝統は、新施設にもしっかり受け継がれていたことを身を以て理解しました(笑)。ちなみに地元のご老人とも話を交わしましたが、半分ちょいくらいしかわからなかったことはここだけのヒミツです。いや、もっとわかっていなかったかもしれん(汗)。

さてそんなわけでこの凶暴湯に長湯しているとこのあとの帰宅運転に差し支えそうなこと明白なので早めに上がります。で、身体を拭いて上がり、服を着ながらふと浴室をふり返ってみると‥

なんだぁ、加水OKの土地柄なんですね(その可否を聞けばヨカッタ)。どことはいいませんが地域によっては「加水をとことん好まない地元民と観光客との確執」が問題になったりするようですが、あまりに熱い湯は身体によろしくないのですから極めて正しい行為だと思います。でもですね、

熱いから加水したいのに、その蛇口にたどり着くには「熱い湯に特攻しなければならない」という大いなる矛盾がそこにはあります。ご老人やTakemaは45度ならOKでしたから問題はありませんでしたが、世の中の方々の多くは「45度の湯を数歩でも歩いて進む」ことすら困難なのではないかなと‥。いや、そんな一般客がここに来ることはほとんどないからいいのかな?

湯上がりには当然の助動詞的に汗が引かずキビシイキビシイ思いをしましたが、その汗を洗い流すべく次なる温泉を目指すとなるとどう考えても暗黒星雲入りしてしまいそうなので「心を鬼にして」東北道へ。碇ヶ関からとにかく南下、前沢SAまで一気に下り(昼食、ただし前沢牛関係の定食は食べていません)、宮城を越えて福島へ。と!福島といえば早生桃のシーズンがスタートしてるはず!

というわけで福島飯坂ICでいったんルートアウトしていつもの「あきば果樹園」さんへ。こちらの直売所には2011夏に初めておじゃましたのですが(その時のページはこちら)、それからは毎年取り寄せたりおじゃましたりして、とにかくわれわれにとって「福島のくだものはこちらから」というBIGな位置づけとなっているわけです。中でもやっぱり桃が一番いいかも?

というわけでやってきましたが、左上画像をよーくご覧いただければわかる通り「棚の上がほぼ空っぽ」です。聞けば「今日はほとんど売り切れちゃったんですよ」とのことで、それはまずまず何よりのことですがいっぽうで困っちゃうことでもあるわけです。がっ!


しっかりこれだけの量の桃を破格値でゲット!(早生品種なので小さめなのはしょうがないです)。しかもこれだけの桃のお値段が‥いやここでは書けません系です(ホントよ)。

まぁもちろんタイミングにもよると思いますし、一応直接間接を問わずこれまでやりとりがあったこともあるかもしれませんがこのお値段提示にはぶったまげた次第でありました(笑)。

さてこのあとは再び一気にひた走り、確か休憩1回で自宅までたどり着きました。ここからはその後日談、「5Lのスイカ」のお話です。

平川市碇ヶ関産のこのスイカ、とにかく大きかった!そして口開けぱっくりでうはぁベストな熟れ具合っ!このスイカはとてつもなく美味しかったです!参考までに‥

わが家の屋上プランターで育てた&完熟したスイカとのWショット。桁が違いますね(ま、そもそもプランターと地植えとでは地力から何からが違いすぎるんで比較になりませんが)。それでもまぁ美味しかったんです。

そんなわけで最後はスイカ自慢になっちゃいましたが(笑)、この旅行記をふり返ってみればやっぱり三陸の津波被災地が一番なんです。自分なりに現被災地の未来を考えるに津波遺構の貴重さをあちこちで書いてきたような気がしますが、今となってはやっぱり遅すぎたかなと。

まぁ拙サイトには世を動かす塵ほどの力もありませんが、人々を引きつける「三陸の魅力の今後」について現状においては悲観的にならざるをえません。本来の「ここならでは」がある種似たり寄ったりの三陸沿岸で、「世界有数の震災遺構」は復興という名の下にほとんどが消滅しました(もちろん地元の方々のご意向は尊重します。しかし自治体の長期ビジョンが一切示されないまま単純な住民投票だけで意を決したことはかえって未来に向けての独自財産を捨てたことにもなるわけであり残念です)。

復興においては「すべてを元通りにする」ことではなく、かの被災を未来に残しつつ(ここからは営業トークで)『ここでこんなとんでもないことが起きてこんなになったんだよと現物を見せて外部からのお客さんを呼ぶ』という未来志向的策略も考えられたのじゃないかと思います。また似たり寄ったりの再興地を造ろうとするのですか?

以上、三陸各自治体の行政に対する不満&「まだ間に合うなら(震災遺構の保存を少しでも)何とかしてください」という願いを込めてのコメントでした。

しかし震災とは基本的に関係がない津軽周辺エリアの山奥で、歴史ある湯が次々と旧廃業に追い込まれているという事実も忘れてはなりません。湯治滞在がすたれた今、全国各地で歴史ある湯治宿がなくなり始めています。いや始まるというよりはもうすでに残っている宿の方が少なくなってきているような気がします(わたしの場合東日本しか知りませんが)。

そんな中、われわれ温泉ファンに何が出来るかといえば「新たな需要を生み出すこと=都会人を湯治宿に送り込む&湯治宿もそれぞれの形に応じて多少やり方を変えてもらうようプッシュする」ことではないでしょうか。温泉有名人の方々はマスコミを通じて「現代湯治、イイネ」をアピールし(できれば一過性のTVではなく雑誌等の書籍で)、われわれのような素人は「こんな湯治宿があった!イイネ」を発信し、自前サイトがなくアピール出来ない宿への宿泊をプッシュすることが1つのやり方かと存じます。もちろん自前サイトをお持ちの宿についてはどんどんプッシュですよ(笑)。

たとえば鉄道ファンや観光業界が一時的ではあれ千葉の銚子電鉄を救ったように、温泉ファンはそのマニアックさ&情報発信の度合いに応じてさまざまなことができると思うのです、否、しなければならない。利用するばかりでいた温泉に恩返しをしなければならない時が来ていると思うのです。そうは思いませんか同好の各諸氏?そろそろ立ち上がりませんか?

と、最後は何だか啓蒙系になってしまいましたが(内容は本音です)、2014夏一連の旅行記、これにてオシマイです。

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