− 伝統の「合わせ網漁」見学ほか (その2) − 合わせ網漁もいよいよ佳境、合わせた網を皆で引いて岸に寄せます。 |
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そんなわけで再び表に出て木戸川のほとりへ。ここからは伝統の「合わせ網漁」の見学です。なお、この漁そのものは見学に予約が必要というわけではないようで(作業の邪魔にならないようにすればですが)、車で乗り付けた方も複数おられました。漁期(10月中旬−11月中旬)に現地を訪問して、運が良ければ漁の様子を見られるのではないかと思います。この日、午前中の網入れは10:00ということでしたが(実際にはマスコミの取材の関係で11:00になりましたが)、いつも10:00なのかどうかは未確認ですゴメンナサイ。 |
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まずは下流側に網を設置します。川の端から端まで網を広げていきます。 気づいていませんでしたが、川の中に固定された杭があり、そこに網を引っかけて下流側の準備完了です。 やや上流に置かれていた網、この網を広げて上流から鮭を下流の網に追い込みます。網と網を合わせるから「合わせ網」! やな場のすぐ下流からスタートし、先ほどの下流網まで漁師さんと網が下っていき、この区間にいた鮭は一網打尽! |
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はい、そんなわけで静止画よりも動画のほうがわかりやすいので(長めですが)ご覧下さい。ただ、バーチャルで見るのと「自分の目で見る」のとでは印象がまるで違うはずです。このページをご覧の皆さま、是非是非現地で生の漁作業をご覧下さいませ。この日は残念ながら曇りでしたが、青空のもとだと「川の中を走り回る鮭の姿」もよく見えるということですので! |
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なお震災前には1200-1500万匹もの稚魚を放流していたというここ木戸川ですが(ちなみに鮭の「故郷の川への回帰率」はおよそ0.5-1.0%ほどなのだとか。これはそもそも「稚魚のほとんどは成魚になる過程で死んで(食べられて)しまう」ということも含めての数字でしょう)、震災後4年間は稚魚の放流自体が行われなかったわけで、今年遡上してくる鮭の多くは「自然産卵による鮭が戻ってきた」ものなのだそうです。 |
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さて、捕獲された鮭たちのここからの扱いや如何に? 陸に上げられても、この時点の鮭はもちろんまだ生きています。今生け簀に入れれば問題ないのですが‥ 雄はどんどんと荷台に放り投げられていきます。 |
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ちなみに川を遡上する鮭は体力を使ってしまうので(遡上後は餌を食べないし)身が美味しくなくなるという話を聞いたこともありますが、ここ木戸川のやな場は海から近いところにあるので問題なく元気です。またずっと海にいた鮭が遡上すると表面にぬめりが出るということですが(浸透圧の関係か?)‥しまった、聞いておけばよかった。 |
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一部に上部の動画と同じ場面が出てきたりしますが笑って許してくださいませ(陳謝)。 |
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そんなわけで見学後は孵化作業場と道を隔てたところにある加工場兼直売所へ。生々しい=新鮮という以外にない鮭の切り身と白子とが販売されていました。お値段はここでは書きませんが(状況によって価格も変わるでしょうし今後更新もしない旅行記サイトなので)、「安かった!」ということだけははっきり記載しておきます! |
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だって、みるみるうちに売れていきましたからね。右上画像に見えているお客さん、かなり爆買いです!(笑)。 |
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さてそんなわけでしっかり購入し(発泡スチロール箱は持参していましたし氷はもらえるので問題なし)、このあとは富岡へと北上します。 |
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これだけの家々の皆さんが「楢葉に帰る」強い意志を見せているんだなぁと、正直びっくりすると同時に熱い思いを感じました。自分は恥ずかしながらかの震災前にいわき市より北の浜通りに来たことがなかった完全な門外漢なのですが(震災後はこの日も含めやたらに来てますけれど)、ここ1年くらいで「前に進む」スピードが少しずつ加速しているようにも感じます。右上画像などは、まるで三陸沿岸各地の高台に造成・建築されている新築住宅群そっくりという感じです。あとは(前のほうにも書きましたが)生活インフラの充実がどこまで進むかというところでしょう。 |
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続いて富岡町まで上がってきました。楢葉と富岡の大きな違いは避難指示が解除されたか否かという点にあります。2016/11現在、富岡町内は場所によって「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の3区域に分類されたままです(国は帰還困難区域以外の避難指示を2017/3までに解除したい意向ですが、その通りになるかはまだわかりません)。 |
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前に来たときもこの位置から撮影したんだよなぁ(その時の様子はこちら)。変わってないや‥(当然)。 |
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そして帰り道、逆光ながら桜並木の紅葉を撮ってきたというわけです。 |
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さて再びR6方面へと戻っていきますが、訪問したい場所はもう1箇所。実は前回来た時は下調べが甘くてロストしてしまったのです。それは‥ |
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震災発生後、住民の避難誘導にあたっていた福島県警のパトロールカー。町内の仏浜地区で誘導にあたるお2人の警察官の姿を見たという避難者も多くおられるということ、津波の被災後この車は泥まみれになった状態で発見されたが、いっぽうで殉職した警察官のうち1人は約ひと月後に海岸から30km沖合で発見されたが、もう1人はいまだに見つけられていないこと等々が、脇に設置された説明書きに記されていました。 |
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まだ5年半、されど5年半か‥。これまで被災地の訪問をそこそこしてきたつもりですが、さすがに最近はこういう「当時のまま」の姿を見ることはほとんどなくなりました(帰還困難区域内はその例外でしょうが)。それだけにこの車を見るとぐっときましたが、できれば「一命を賭したお2人のためにも」このパトカーは長く残してほしい、さらなる腐食を防ぐためにもカーポートの屋根だけでなく雨風を防ぐ保存方法を考えてもらえればと思う次第です。 |
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