知らない人に「ここが温泉である」と言っても信じてもらえないでしょうね。でも素晴らしき「湯」だったのです。

(2016年3月18日)

「星山温泉」。神奈川県は三浦半島葉山町の「秘湯」でありました。残念ながら2016/3/29をもって営業終了です。何とか廃業の直前にお別れ訪問することができてヨカッタ‥。

初めてこちらの湯に訪問したのは2004年ころですからもう12年も前のことになります(その時のページはこちら)。そのあと何度か訪問し、横須賀在住の「某おとう」を誘ってやって来たこともありますし(その時のページはこちら)、さらには「やって来たものの道がわからなくなり挙げ句の果てにはスピード違反でとっ捕まった」というような「悪夢」もあったりしたわけです(大笑)。

そんなこんなでいろいろな思い出のある星山温泉なのですが、営業終了(廃業)ということで何とか行きたいなとは思っていたのですが、「2016/2で終了」というわけで駄目かなと思っていたのです。そうしたら温泉同志の方が「ご主人がもう少しやろうかなとおっしゃっているようで、3月までやるみたい」という情報流してくれていました。

しかしそれも凡事多忙な中ですっかり忘れていた中、この前日(3/17)に同じ方が「星山温泉は3/29まで!」とつぶやいておられたわけです。



そんなわけでこの3/18、午前中勤務のあとに行ってきました!(なぜ午前中だけの勤務だったのかはヒミツね)。首都高湾岸線経由だと渋滞がなければ1時間とちょいで到着できるはずだったのですが、さすが年度末近くの平日ということで渋滞中。もうすぐ東京港トンネルのR357区間が開通するということで、そうなると西行きの渋滞はだいぶましになるのかな?(ただし東行きのトンネル開通は2018だそうな)。

結局2時間弱かかって現地着となりました。ちなみに最後の区間は道路も狭くまたダートは前回同様荒れておりまして、運転に自信のない方は進入しない方がいいかもしれません(かといってどこに駐められるわけでもないのですが)。

到着時ご主人はちょっと休憩なさっていたようですが、お客が来たということで薪をくべ始めたように見えました(笑)。そう、ここ星山温泉の湯はさすがに温度が足りないので加温とはいえ、その加温はなんです。

以前はボイラーと薪のダブル浴槽による運営だったのですが、ボイラーが壊れたことにより薪一筋での営業となりました。もっともダブルの時代からも「薪の方がお湯がやわらかいよね」ということで圧倒的な人気を誇っていたわけですが(笑)。自分はダブル時代を含めて薪の方にしか入ったことがなかったので、そうなると「しまったボイラーの方にも入って比較してみるんだった!」と思いますがAfter the Festival!(無理して英語にしなさんなって)。

ちなみに自分が訪問したときは先客後客ともにいっさいなしの完全貸し切りでした。さすが平日の午後!と言いたいところですが、あとでご主人と話をしていたところ「この前日はこの時間も7人とか4人のグループが来ちゃってねぇ、相当待ってもらったんだよ」とのことでした。いやぁよかったこの日で。





というわけで右上画像に見えている「歩道」を進んでいきます。青い壁が見えていますがあの小屋は確かボイラーの湯小屋です。薪の湯小屋はその右側というか山側です(並んでます)。ベニヤのようなものが吊られているのが「ご主人の仕事場」、あの下でご主人が薪をくべるわけで、雨対策であのベニヤを吊っているということのようです(でも実際にはかなり濡れそう)。



奥へ進むと手作り感&放置感満載のエリアです(失礼)。左上画像には洗い場があるのですが、洗われた食器はその後かなり放置されているような雰囲気でした。で、浴室入口は右上画像ですから初めて来た人はドキドキしそうですね(笑)。



灯りを点けて脱衣の儀、そして嗚呼禁断のあのカーテンの向こうにあるパラダイスとはどんな世界なのでしょうか!(知ってますが)。というわけで、あまり意味はないですがこのあたりまでをもう1度おさらいしてみましょう(笑)。







そんなわけでいざ湯へ‥いやちょっと待て、かけ&洗い湯も出来ないほどアッツイ!(笑)。そんなわけでまずは怒涛の加水です!ただ念のため申し上げるならば「ここ星山の湯は加水してナンボ」ですからね。浴槽湯はどんどん加温されてますから入浴者は源泉をどんどん入れて対応する必要があるのです!その結果「実質的に半かけ流しでの湯使い」というわけですよ。しかもその源泉はといえば‥



かつての宮城県中山平温泉の丸進別館(今はありません)を「ヌルヌル」の極致と仰ぐTakemaです。同じ中山平の星沼レストハウスやしんとろの湯もかなりヌルヌルですが(星沼は最近配湯が不安定とか)、ここ星山の湯も「相当なヌルヌル湯である」と判定しております!というか上記2湯よりよりこっちのほうがヌル感が強い気がします。



両サイドに描かれていた壁画も一部は剥がれ始めていました。でもあらためてじっくり見てみるとかなり作り込まれた「銭湯絵」だったんですね(両上画像マウスオン)。

さてそれではいざ「入浴の儀」へとまいりましょう。





撮影時には源泉を止めていましたが、かといっていつまでも止めておくわけにはいきません。こうしているうちにも外ではご主人がせっせと薪をくべておられ、その当然の帰結として右上画像の穴からはどんどんと熱い湯が供給されておりますので(笑)。



とはいえ、掲示物の通りむやみに源泉を出し過ぎるのもナニですので、最初の温度調整以外は出してもちょぼちょぼ程度でしたけれどね。「入浴について」の説明書きはいたって常識的な内容です。津軽の共同湯などだと、3つ目の項目に引っかかる事例が「しばしば散見」されますが、まぁそれは地域性もあるってことで(笑)。



いやはや温まったー!外の気配からすると「次のお客さんはまだ来ていない」と想像されたので(会話等の音はつつ抜けですから)、45分くらいかけてゆっくり「惜別の湯」をタンノーしました。それにしてもここの湯は動力で揚げているとのことですから、廃業後は完全に「幻の源泉」となってしまうわけですね。嗚呼残念至極。






(上画像マウスオンで入浴終了後の保温蓋をかぶせた画像に変わります)

湯上がりには、しばしご主人と歓談をば。40年くらい前にご主人のご両親が稲龍神山スポーツランドという名のフィールドアスレチック施設を開設(その名は今もチケットに印刷されています)。



しかしアスレチックブームも去ったころ、ご主人のお父上が「ここを掘って温泉にしよう」とおっしゃったらしく、掘っても出ないことを危惧した周囲の方々からの忠告もあったそうですが、お父上いわく「出る、必ず出る」との一念で掘削工事に着手。そして「出た」のが現在の源泉だったというわけだそうです。

「温泉を始めたのは平成元年の終わり頃だから、結局27年と少しやっていたことになるね」とはご主人の弁。そうかぁ、四半世紀+αの歴史があったわけなのですね。

最初に来たころは業者さんから建築廃材をもらって燃やしていたと聞いていましたが、産業廃棄物扱いなので(釘とかもあるし)その灰を勝手に捨てるのもまかりならんという当局からのお達しにより、近年は薪を燃やしてきたということです。

最後にご主人がおっしゃいました。「保健所などもいろいろな『警告』こそ出してはきたものの、結局は個人がやっているところだからということなのか目こぼししてくれたんだろうね。自分としてもあと5年くらいはやろうかと思ってきたけれど、これからは年金で細々のんびりとやっていきますよ」

「ありがとうございました。こちらをやめてもお元気でいて下さいね」と申し上げ、この場をあとにしました。もうお目にかかることもないのではと存じますが‥。



三浦半島の山の中とは思えぬほど「荒れたダート」を下り、フォレスターでほぼ道幅一杯なほどの狭い舗装路を上がり、広場に上がったところで車を止めて一服。もうここに来ることもないでしょうからのんびりとね。

しかしこのあと首都高名物の大渋滞に巻き込まれ、千葉(市川)の自宅まで2時間半以上かかったのはここだけのヒミツです(笑)。はぁ、また名湯がなくなっちゃうんだなぁ。

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