− その8 南三陸町「食事処 松原」さんで夕ごはん、翌日は女川ランチのあと一気に帰宅 −



ウミネコたちは何をそんなに訴えているのでしょうか。われわれに向かって鳴いているわけではないようです。



【2018年3月25-29日、8ページ目/全8ページ】

志津川では民宿下道荘さん(訓読み「したみちそう」)に宿泊します。この宿名のとおり、震災以前はもっと海に近い(低い)ところで営業なさっていたようで、津波被災で宿が流されたあと縁あってこちらの高台で営業を再開したようです(詳しくは下道荘さんのウェブサイトに書かれています)。営業再開が2012/2と早かったのは資金や地縁は当然としてもこの集落ならではのメリット(山が迫り高台が近い)こともあったのかなと。



部屋に入ってほどなく、タクシーをお願いして志津川エリアへと向かいます。歩くには少し距離があるのと時間的な問題です。で、やってきたのは‥







2017/12に戸建て店舗を新築して再開した松原さん。仮設時代に初めておじゃましたのはそれほど早い時期でもなく2014夏でした。この時は「とにかくさんさん商店街のどこかのお店で飲み夕食!」というあまりに下らないコンセプト、その割には「どのお店がいいか」という肝心要の下調べをしないまま現地に訪問したのでありました(このパターンが結構多いんです)。

で、外から見て「お座敷で宴会中の人がいるからこの時間(夕方)で閉店ということはないだろう」という、ただこれだけの理由により夫婦で暖簾をくぐったのが松原食堂さんでありました(その時(2014)のページはこちら)。

その後何度もお店を訪問しましたが、仮設時代最後の訪問(2016/10)では「再開は2017/9月か10月ころになっちゃうかも」と伺っておりました。よって2017秋口からは南三陸町在住の方々のブログを日々チェックし、再開の気配をうかがっておりました。

そして2017/12も中旬にさしかかったある日「『食事処 松原』の外看板が掛かりました!」との記事を見て(こちらです)、「やった!」というわけで地元の花屋さんにお花を注文(この時、さんさん商店街ウェブサイト管理人さんに花屋さんの連絡先をご教授いただきました。ありがとうございました)。

しかし花屋さんに電話したところ「松原さんは数日前に開店しましたよ」とのお言葉(びっくり)。数日遅れでお送りするのも間抜けな話なので、花屋さんと相談の上「生花がしおれてくる年明けに(お花を)贈ることにした」わけなのです。しかしその後なぜか年内にわれわれの方が先にお店に到着してしまい、ご夫妻に「開店おめでとうございます、なおお花はあとから届きます」という実に間抜けなご挨拶をせざるを得なかったというわけです(この時の様子はこちら)。ちなみに右上画像は贈ったお花のうちの造花なのですが、よく見ると「Takema&おしんこどん」というネームプレートが見えていると思います。

で、前回訪問時に、「次に来るときは夕ごはんで、こちらでお酒をいただきつつゆっくりさせていただきます!」と申し上げていたわけで、



で、お店に入ってみてびっくり!ずらりと並べられたテーブルには豪華なおつまみが並んでいます!奥さんがおっしゃることには、この日は地域団体の「送迎会」が入っているのだそうで、3月末という時期柄、ここしばらく夜は連日こういう会合というか宴会予約が入っているのだとか。というわけで、われわれは予期せぬ「個室お座敷」へと案内されたのでした。



二方向に設けられた窓からは、山の向こうに沈もうとする夕陽、そしてもう一方向には志津川の港と湾の向こうにホテル観洋が見えています。初めて松原さんのお店に来た2014夏は、あそこに泊まってタクシーでさんさん商店街に向かったんだよなぁ。ふと気づけば今回もタクシーでここまで来てますが(笑)。







そんなわけでいただきます。ちなみに暗くなった窓の外にはホテル観洋の夜景も望めます(右上画像マウスオン)。




いやいや、まずはお刺身に、志津川といえば欠かせないのがタコですから唐揚げも、そして三陸といえば当然牡蠣ですよね、で、何とタコのピザもあるらしいので当然注文、さらには〆でラーメンという、何とも華麗な展開でありました!

途中から奥さんがお座敷に来て下さり、3人であぁだよねこうだよね系の世間話に興じることに。そうそう、こういう時間を過ごしにこちらのお店にやってきたのですから、奥さんのこうしたお心遣いがとっても嬉しかったです。大感謝。

ここからは自分の勝手な想像ですが、松原食堂さんが本設のさんさん商店街に入居しなかったのは、こういった「地元の人たちの社交場」たるお店を開きたかったからなのかなぁと。震災前の松原食堂さんがおそらくそうであったように。震災および津波によってそれまでの生活から大きく変わってしまった激動の約7年だったのでしょうが、再び「おさまるべきところにおさまった」ということなのでしょうか。そして、その輪の端っこにへばりつくかのようになぜかわれわれ夫婦がいるわけで(笑)。

前回に引き続き夜の部も大盛況のお店を見ることができ、こころなしかふっくらしたご主人(ご本人いわく「しばらくお店をやっていなかった(動いていなかった)ですからね」ということでした)と奥さんとお話しすることができ、いい時間を過ごさせていただきました。楽しかったぁ。だから‥



で、このあとはおみやげをいただいたばかりか、あろうことか下道荘まで送っていただいちゃったのはここだけのヒミツです(苦笑)。あ、でも初めての時もホテル観洋まで送っていただいたんだっけ。何だかちょっと図々しくてスミマセン。



明けて翌朝、下道荘さん前の広場から。何だかぼんやりした天気で、それもそのはず、ここ数日の季節外れのポカポカというか暑いくらいの陽気も本日まで、午後は雨が降る予報にもなっていました。雨が降るということは気団も入れ替わるというわけで、再び3月末らしい季節に戻るということなのでしょう。というかここ数日の気温、おかしすぎたし。ちなみにおしんこどんはこんなときにもストレッチを欠かしません(右上画像マウスオン)。

ちなみに右上画像に見えているのは袖浜港と荒島です。この場所から港を見下ろしたときに思い出したのが2014夏のこと。観洋さんに宿泊し、翌朝「語り部バス」に乗車、そのあと再びここ袖浜港まで移動してきて、ここから観光船に乗ったことを思い出しました。今でもここから船が出ているのかな?



玄関ロビーには「一期一縁」と記された立派な揮毫が掲示されておりました。本当にこの言葉の通りです。そしてその縁により新しい何かが生まれ、そのことがまた次の展開のきっかけとなっていく‥。不思議なものです。

それにしてもこちらは漁師民宿なので夕ごはんが豪華海幸との情報は得ていましたが、松原さんで夕食前提なので朝ごはんのみ。ということは今後南三陸宿泊の場合はずっと‥



以前東鳴子の阿部旅館の女将さんがおっしゃっていたことを思い出します。「うちの旅館を選んで下さることは本当に有り難いんですよ。でもいつも鳴子に来て下さるからこそ、かえってほかの宿にも泊まっていただき、鳴子の宿のさまざまな雰囲気とか奥深さを知ってもらいたいとも思うんです」というようなお言葉だったかと。

その後の自分たちは確かに鳴子のいろいろなお宿に泊まるようにしています(今回は川渡でしたし)。ま、2018のGWは阿部旅館の予約を完了しておりますが(笑)。こういうのもご縁ですし、松原さんもご縁、そしてもちろん駒の湯さんもご縁なのですねぇ‥。そしてそのそれぞれのきっかけはまさに「一期」のほんの小さな偶然の出会いに過ぎなかったわけで‥。

さてそれでは出発です。本日の目的地は「千葉の自宅」!約430kmくらいありますからあまり寄り道はしていられ‥いや、せっかくなので宿から見えていた「荒島」に行ってみましょう!(帰る気あるのか?)。



袖浜のすぐ沖合にある荒島は、南三陸町サイトの記録によると「昭和12年には防波堤が整備されて歩いて渡れる島となった」ということです。島の頂上には荒島(嶋)神社があることからその登り口には鳥居があったようです。しかし(右上画像マウスオン)、



確かにあらためて見てみると、島の下半分の植生があまりにも貧弱なのがわかります。2014の観光船乗船時の記憶でも、この島の中腹より少し下にプラスチックのブイとか漁具がぶら下がっていたのを覚えています。島に登るコンクリート階段も、見えているあたりは新たに再構築されたもののようです(そこから上は明らかに古くなる)。



階段を登っていくと「魚つき保安林」の標識が。三陸の魚介類が豊富なのは、海もさることながら山から豊富な栄養分が流れ込むためだといいます。震災前のことですが、山に針葉樹の植林が増えたことにより魚や貝の身が細っているのではないかという提言に基づき、山に広葉樹を植える活動が始まったと記憶しています。

ただここは海沿いの島ですからそうする必要もないというか、この場所ならではの植生、すなわち「常緑照葉樹林」が維持されています。椿が早くもいくつか花を咲かせていましたよ。それにしてもこのほぼ同じ時期まで伊豆大島で毎年椿まつりが開催されているというのに‥やっぱり今年は花が早すぎでしたね(右上画像マウスオン)。ちなみに途中からは山道になりますんでハイヒールだと泣きの涙かと(左上画像マウスオン)。



予想通り島の頂上からの展望はなし。お社で手を合わせました。志津川の皆さんのために。



山というか島から下ってきたあとはさんさん商店街方面へと戻ります。ということは松原食堂さん、いや違った食事処松原さん方面に進むともいうのですがこの日は定休日です(というか、まだ朝9時過ぎなので)。

さんさん商店街から見る防災庁舎はもうこんな感じで屋上部しか見えません。でも震災当日、あの屋上を越えて水が来たというはっきりとした悲しき記憶を呼び起こしてくれます。そしてあそこで多くの方々が命を落としたということも(合掌)。



ちなみにこの日の午後、志津川市街地のR45新ルートが開通予定でありました。当然すでに工事は完了し、あとは開通式を待つばかり‥え、ええ?(右上画像マウスオン)、



もちろん当局の許可は得ていたようですが(あとで観洋サイトにて確認しました)、この日の語り部バス乗車のお客さん、うらやましいなぁ。で、このあとはさんさん商店街へ。



コカコーラ社が椅子机を提供のようです。で、とりあえず無愛想な記念写真ね。

こちらでおしんこどんがおみやげ等を購入し、さ、いよいよ帰りますかここからは内陸に向かう三陸道!‥え?違うの?(笑)。



はい、本日限りで撤去されるであろう道路標識に従い、R45を石巻方面へと南下します。



やって来たのはまだ来たことのなかった神割崎。駐車場に車を止めて、崎=岬だし先っぽの方かなと思い込み駐車場上方の踏み分け道を進んでいくと上画像のような場所に到着。こ、ここはここで展望も悪くないんですが、「神さまが割った」という岩は全く見えませんね。こっちじゃありませんでしたああ勘違い。ちなみにこのあたりの松林はかなり枯れ木が多くなっています。キャンプ場の方もそうだったし、松食い虫とかの被害なのかな?(新たな松の苗を植樹しているところもありました)。

というわけで駐車場に戻ってみると、何と到着時に駐まっていた車がいなくなったその向こう側には「名勝 神割崎↓」の案内板&下りの階段がが。車の陰だったので見えていませんでした。でも考えてみれば南三陸町の景勝地とされている場所に向かう道が「踏み分け道」っていうのはあり得ませんね。お馬鹿でございました(苦笑)。ちなみに階段を下ってすぐの場所にありましたよ。



ん?石巻市?南三陸町じゃないの?

というわけで調べてみたら、ここ神割崎が市町の境になっているのは確かなのですが、神割崎の展望地は微妙に石巻市のようなのです。ちなみにさっき行った岬は南三陸町エリアのようです。現地に行ったことのある人しかわからないネタですが、駐車場付近のトイレ、そのすぐ北側が自治体境界となっているようです。まぁもともと神割崎自体が「神様による所有区分判定」という伝説(詳しくはこちら)を持っているわけですし、せっかくなら神割崎の裂け目をそのまま境界にしてほしかったなぁ。(なぜかこの割れ目を横断する形の境界になっているみたい?)。



で、おしんこどんの後ろに見えている裂け目が神割崎なのですが(手前が石巻市、割れ目の奥は南三陸町)、この日は海が穏やかで「波がドーンとくりゃ♪」的な豪快さはありませんでした。まぁ荒れた日にはこの場所まで下りられないでしょうが。

いっぽうで、その脇の窪みからあがる潮吹きの方は多少インパクトがありました。これとて荒れている日にはこんなレベルではないのでしょうが。たいしたことのない動画でご覧下さい。






さて三陸道は内陸に入ってしまいましたので、ここは素直に?雄勝、女川方面へと下っていきます。この日のうちに千葉まで帰らなきゃいけないんだけれどねぇ(翌日は出勤なので早めに帰りたい)。北上川放水路沿いの道はさらにきれいになっていましたが、あれだけ何度もルートの付け替えをする必要はあったのかな?旧大川小学校は今回も通過しまして雄勝へ。ちなみに雄勝から女川へのくねくね道路、雄勝側からの登りが新ルートになっていて、その上には新たな住宅街ができていました。ここもまた新しくなってる‥その先は以前のままでしたが。

ちなみにワインディング路&道幅も狭い(一応二車線路ですが)ゆえ、行き交うダンプは対向するダンプを安全地帯で待ったりするので案外時間がかかります。まぁしょうがないですよね安全第一です(後ろが渋滞するとその安全地帯で譲ってくれたりもします=たぶんドライバーによるんでしょうが)。



女川側に下りてくると、以前は見なかった看板発見。なるほどここからトンネルで雄勝側にショートカットルートを構築するというわけですね。すごい工事になりそうです。ま、地盤は安定しているエリアだと思いますがその分地質が固そうだし(笑)。北上山地はそもそも古い地層なので叶わぬ夢とは思いますが、掘っていくうちに高温湯が湧出したりして女川温泉ゆぽっぽが源泉かけ流しになったりしないかな?(勝手な願望=地下水が湧出したらトンネル工事費も予想よりかかるでしょうに)。



そして女川で早めのお昼ごはん。このあとは石巻界隈から高速に乗っちゃいますからここで三陸最後のご飯というわけです。この日は木曜日、以前温泉師匠から「おかせいもいいけれどニューこのりもいいよ」というアドバイスをいただいていたこともあり(おかせいさんばかり3-4回利用していたこともあり)、今回はニューこのりさんへ。しかし‥



ナンデスカコレハ!平日ど真ん中の木曜日ですよ!女川バブルですかと思わんばかりの大盛況!ちなみにお客さんは観光客とおぼしき人がメインでしたが、そこそこ目に付いたのが「デイパックを背にデジカメを手にしてうろうろしているグループ」の方々。各自治体からの視察でしょうかね。

女川町にせよ南三陸町にせよ、復興に際して「商業施設の再開」を優先して行ったという印象があります。「住むところは整備されたが仕事はない」「財布は空だがとりあえず生かされてはいる」ということでは駄目だという発想に基づいた施策でしょう。これは本当にそうだろうなと思います。コミュニティの中の自分の立ち位置というか役割があってこそ「生きがいやり甲斐」が生まれるものだと思うのです。

日本はいつどこで災害が起きてもおかしくない国ですが、その苦難を乗り越えるための試行錯誤を通して復興スキルもレベルアップさせていかなければなりませんが、何だかすごいよ女川、ここまで商店街を整備し、そこで働く町民の生きがいやり甲斐モーションを喚起させるとは‥。




というわけでおしんこどんは「欲張りこのり丼 海鮮(ミニ海鮮丼+ミニアナゴ丼)」、Takemaは「特選海鮮丼」を注文(ちなみに「特選海鮮丼」の上位メニューとして「特上海鮮丼」がありましたがさすがにねぇ)。おしんこどんはミニ海鮮丼が具材が「特上」とほとんど変わらないことに「アナゴ丼まで付くんだからこれいいよねぇ」とのたまいましたが、Takemaには無理ですその総量、そんなに食べたら食べ過ぎで眠くなって千葉まで運転できない(居眠り運転事故を起こす)こと必定です。



このあとは商店街を少々お散歩。いいですねぇお魚の森(おかせいさん)。ちなみに「一列売り」です。



商店街の通りも開業当初に比べてずいぶん長くなりました。もうすぐBBQコーナーもオープンするようです。

すでに13時を回りましたんでそろそろ千葉に戻りましょう。ということで石巻界隈から三陸道に乗り一気に千葉方面へと向かいます。あ、でも予定では南相馬の若松味噌醤油店に立ち寄って「青バタ味噌」と「甘酒」を買うつもりだったんだ‥。

しかし時間的にちょっとキビシイなということで今回は断念し、南相馬鹿島SAの売店で売られているうちの「特上」(オレンジのラベル)を購入しました。南相馬界隈にはまたいろいろ見て回りたいところがあるし、またお店に買いに行きますよ。うちのお味噌汁は若松さんのお味噌がデフォルトなので。ご主人や奥さん、そして若旦那さんにも久々にお目にかかりたいですし。



南相馬鹿島SAでもヤマザクラが咲き始めていました。って、まだ3月なのに?今年の桜は早すぎです。



常磐道は沿道で火災発生ということでなかなか大変なことになっていたようですが下り線側でよかった‥(家屋ではなく山林火災、すでに鎮火済み)。このあと三郷JCTで高速を下りて市川方面へ。外環道千葉区間および並行して開通する片側2車線路のR296は6月上旬に開通予定。もう看板は開通後供用の看板に掛け替えられていました。いよいよだなということで自宅帰着となりました。

久々の泊まりがけお出かけでした。そんなわけで次回のお出かけはGWです!

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