− その1 まずは常磐道北上、閖上赤貝丼から南三陸のタコへとリレー(笑) −



まーた来ちゃいましたよ、閖上の絶品赤貝丼を食べに♪

(2017年12月24日−28日+おまけ)

というわけでこの年末もおしんこどん実家の奈良に帰省したわけですが、拙サイトの読者さんであればもはやご存じの通り、ここ数年というものまっとうに「奈良に直行」したことがありません(帰宅時は常に直行なのですが)。だいたい奈良に向かうのに東北道とか関越道、ましてや常磐道を使うというところからしてナメた話です。そういえば1年前の2016帰省は「成田−バンコク−マンダレー(ミャンマー)−バンコク−関空経由で奈良帰省」でありましたっけ(大笑)。

しかしそんなのに比べれば今回はかわいいものでして、宮城の南三陸町、鳴子温泉、そして駒の湯温泉に立ち寄るだけという大人しさでありました(いばってどうする)。そんなわけで帰省旅行記スタートとまいりましょう。

さて12/24、出発は朝6:30ころと早くもありません。というのも、上画像の「閖上赤貝丼」の予約をしているので、名取にあまり早く着いちゃってもリンダ困っちゃうからなのです。この日は日曜日ですが、年末ですから皆さんお出かけというよりは家の掃除とか年賀状書きとか、またお出かけの人もスキーシーズンですからそっちの方に行っちゃうんじゃないかと読んでいましたが、案の定常磐道はガラガラでした。

いつものように日立中央ICで軽くコロッケ程度の軽食をいただきさらに北上。あ、でも四倉の下りPAに軽食売店ができたんだから今度はそっちでもいいなぁと思いつつさらに北上です。



いわきJCTを直進。思い起こせば震災による原発事故直後は(常磐道は震災当時常磐富岡ICまで開通していました)いわき中央ICまでしか行かれず、それが数ヶ月後に広野ICまで北上できるようにはなりましたが、その当時の自分は「常磐道の全通なんてもうないんだろうな」と思っていたんです。しかしそれが今や!たった6年半でここまで変わるのかとびっくりです。

2017/3に出来た名取中央ICで高速を下ります。「漁亭 浜や」さんのある仮設「閖上さいかい市場」まではこのICからだとかなり近くて便利です。とはいえこの日は日曜日。ということで‥





さいかい市場はイオンの少し先なんです。片側2車線でヨカッタ。そんなわけで到着は計ったのようにジャスト12:00でありました。



以前来た時には行列が出来ていた浜やさんでしたがこの日はガラガラ(商店街自体)。やっぱり年末だからかな?それと、お隣の魚屋さんが定休日なのかお休みだったので、てんぷら(さつま揚げ)が買えませんでした。美味しかったので今回も買う気満々だったんですがということで残念。



そんなわけで無事着席。予約をしていたので品切れという不安はありません(海が荒れて入荷がない場合は電話が来ることになっていましたがもちろん連絡無しだったので)。ん?生しらす?そういえば!



というわけで生しらすのお刺身も注文。あ、おしんこどんはもちろんお酒もね!





ただ、2年前の初赤貝丼に比べて赤貝の量が少し少ない?あの時はご飯が見えていなかったしとはおしんこどんの弁。そうだったっけというわけで前回の画像を確認してみると‥



こちらが2016/3の本玉赤貝丼。確かに‥ご飯が見えないです。ページトップの画像と見比べると確かに。

いっぽうで黒く見えている肝の数は4つで同じですから使用されている赤貝の数は同じはずです。今年は少し身が小さいものが多かったということでしょうか。閖上赤貝は不漁が続いているらしく、地元名取漁協がしらす漁を始めたのもその絡みなのかもしれません。もしかしたら震災後しばらく漁がなかったことによる「赤貝ボーナス」を使い果たしてしまったのかもしれません。だとしたら‥少し獲るのを控えないと。



そんなことを考えつつ(いや考えたのはこのページをタイプしている今ですが)、でもとにかくそれぞれ美味しくいただいたことはいうまでもありません。閖上赤貝がいつまでも美味しく(できれば少しでもお安く)食べられますように!

そんなわけでさいかい市場をあとにしたわけですが、被災地各地の仮設商店街がその役目を終えて無くなっていく中で、こちらの商店街もどうやら平成30年いっぱいで「終了」のようです。「漁亭 浜や」さんは周辺にもいくつか店舗をお持ちなのですが、この商店街がなくなるまではこちらのお店に食べに来たいなぁ。また来ますよ必ず!

さてしかし、車を走らせ始めたあとポカをやらかしたTakemaです。このあと閖上に行き日和山(閖上湊神社)に立ち寄るつもりでいたのに、そのことを思い出したのは再び高速に乗ったあとでした。あーあ(お馬鹿)。まぁしょうがないというわけでさらに北上していくわけですが、実はこの時、うっかりそれを忘れてしまうに足る「新たな可能性」に気を取られていたのです。それは‥



ということでありました。今回の計画立案時には考えてもいなかったのですが、常磐道を北上中「そういえば三陸道も先日歌津まで開通したんだっけ。ん?ということは??」と思いついてしまったわけですよ(笑)。

実は、地元発のブログを拝見していて「食事処 松原」さんの営業再開がそろそろだということはわかっておりました(そもそも仮設商店街時代の最後のほう(2016/10)におじゃました際、奥さまから「再開店は2017/9-10頃になりそうです」と伺っておりましたんでアンテナは張り続けていたのです。その時のページはこちら)。

というわけで今回、南三陸町関係者のとある方経由で志津川の花屋さんの電話番号をお聞きすることができました。そう、自分も「お花をすこしだけ」お送りすることで新装再開店をお祝い申し上げようと考えたわけです。

ちなみにお花屋さんに電話したのは12月中旬で、「松原さんはもう10日に開店してますよ」ということでびっくり(その時点ではネットにも情報が上がっていなくて知らなかったんです)。で、「すでにかなりのお花が贈られている」ということなので、「それでは、それらのお花(のうち生花)が終わりとなる1月中旬頃に送ってください」とお願いいたしました。

で、この電話の時には「われわれの気持ちなのだから、あえてご夫妻にお知らせしなくてもいいかな」という思いでお花を注文したわけです(送り主が誰だかわかってもらえないとしても自分としては問題ないかなと)。でもお昼ごはん終了後さいかい市場駐車場にてあらためて調べてみると、さすが高速路全通ということか、


(Takema車ナビは三陸道の追加開通区間に対応していないのでスマホで確認)

そんなわけでよし行くぞ南三陸!のやる気満々アドレナリン大量出動のため、結果として閖上地区再訪を失念してしまったわけでありました(残念、閖上地区の様子の変化を是非この目で確認したかったのに)。

そしてTakema車はこのあと一気に北上し‥



うわー、「南三陸海岸IC」って!三陸道の開通ペースもすごいです(ここだけでなく)。ただ、かの震災がもしなかったとしたら(そうあってほしいですが)こんな勢いは間違いなくなかった、でも地元の皆さんは今までどおりの暮らしをなさっていたはず、そして自分も(温泉めぐりとして)このエリアにこれほど通うこともなかったのも間違いないことです。

太平洋岸を襲った津波被害は今さらいうまでもなく悲しいことですが、そのことは地域、そこにお住まいの皆さん、そして自分の行動志向までも変えたのだなぁとあらためて思います。恥ずかしながら震災前、志津川(南三陸町中心部)はたぶん一度、それも通過したことしかなかったのですから。

でも今は「目的地」としての南三陸町志津川があります。自分が勝手に思っているだけですがそれでいいですよね?



うわここにウジエスーパーが出来てるんだ、薬王堂も!と思えば旧志津川町中心部はもうすぐそこです。盛り土がなされた旧中心部にもこれから建物が少しずつ増えていくことでしょう。まだまだ工事中の場所だらけですが。

南三陸町といえば「さんさん商店街」!でもそちらの訪問はちょっとあとまわしにします。今回のメインは「松原食堂」改め、「食事処 松原」さんなのですから!





「食事処 松原」さん経営者ご夫妻との出会いは実はそれほど古いものではありません。2014/7、仙台港から八戸蕪島まで時間をかけて北上したときの初日、「南三陸ホテル観洋に素泊まり宿泊し、夕食兼飲みを(仮設)さんさん商店街で!」と考えたはいいものの、どのお店が夜まで営業するのか全然わからず「宴会中の先客さんがいるからこの店はまだ閉店しないだろう」という理由だけでふらりと入ったのがきっかけだったのです(いま考えると本当に偶然だなと。なおその時のページはこちら)。

その後何度か南三陸町を訪問し、そのたびごとに松原食堂さんを訪問(こちらとかこちらとかこちらとかこちらとか。なお一度だけ「浮気」してお蕎麦屋さんに入ったことはここだけの秘密です)。

で、最後の訪問(2016/10)に「自前店舗にて再建します」というお言葉を伺ったときの嬉しさといったら!いや、完全に部外者(ただの旅行者)である自分が勝手に喜ぶのも変な話かもしれませんが本当に嬉しかったんです!

というわけで再開店のお祝いの言葉を申し上げつつ、「いちおうお花の注文してあります。来月中旬に届きます」とご報告するためにおじゃましたわけです。お店に入ると、奥さまが気づいてくださった様子ですが一応名乗ります(「千葉から来た、これまで何度かおじゃましてきたTakemaと申します」的に)。もちろん覚えていて下さったようで一安心。



お店はテーブル席を中心にお座敷、そしてカウンターもありかなりの席数があるようです(数えはしませんでしたが少なくとも仮設商店街時代の比ではありません@両上画像マウスオン)。

それにしてもびっくりしたのが新店舗の立地。かさ上げされたとはいえ漁港の目の前なんです!「海が見えること」へのこだわりを感じましたよ。お店はかの津波で流されても、ご夫妻には「志津川人の心意気」がありました!(勝手な推測で申しわけありません)。



店内の窓際席からは左上画像のように港の画像が見渡せます(画像中央に見えているのが南三陸ホテル観洋です)。そして海側には何とテラスも!この時期は寒いのでテーブル等は置かれていませんでしたが、いい季節になるとこのテラスでも飲食できるようになるんだろうなと思われます(奥さまは、「今はまだ平日にはダンプが往来するのでホコリだらけですけれど」とおっしゃっていましたが)。

とにかく店内は「ここ、カフェだよね、そうだよね?」と見まごうばかり。おしゃれ感満載の雰囲気で、仮設時代のお店しか知らない自分たちにとっては「何だか魔法にかけられているみたい?」でありましたよ(実感)。

でもそのいっぽうで、先客さんが召し上がっているのは案外ラーメンとかふだん系の外食メニューが多く、やっぱり地元の方々に愛されてきたお店なんだなと。われわれの滞在中にも「来たよ、開店おめでとう!」というお客さんがいらっしゃいました。「もしかしたらご夫妻はこういう地元密着系のお店をやりたくて、あえて商店街には入らなかったのかな?」と勝手に想像してしまいました(大間違いだったらごめんなさい)。



しかし2時間弱前に赤貝丼を食べたばかりということでまだあまりお腹は減っておらず、定食や丼もの、麺類を注文するお腹の余裕はありません(そのことは最初に奥さまに伝えました)。というわけで単品ものだけでご勘弁願うことに。となれば!



最初に訪問した際に「これ頼もうか」と話していたらいきなりお酒のお通しで出てきて、そのプリプリ感にたまげた「タコの唐揚げ」。松原さんに来たらこれだけは外せないのです!(これからも頼み続けます)。そしてさらに三陸特産の牡蠣を「蒸し」でいただきます。

拙サイト常連さんならご存じでしょうが、毎年5月下旬にやっている「Takemaオフキャンプ」(ここまで16年連続でやっています)では「三陸直送の生牡蠣を寸志で食べ放題」イベントが。2014年に始めたときは「三陸復興の一助になれば‥」という思いからだったのですが、旨いのはもちろんとはいえボランティア系持ち出しイベントだったので注文しただけ赤字(笑)。ゆえに昨年2017年開催前に「やめようかな」とちらりと呟いたら、熱烈な参加者さんたちから「来年以降も続けましょう!自分たちもサポートします」というありがたい声をいただきました。もちろん今年(2018)も佐久間さんをお呼びしてやりますよ!

話がそれましたが、そのキャンプでいただく三陸牡蠣がとにかく絶品なんです!よって、



しかし、このような絶妙おつまみなのにお酒が飲めないっていうのは「痛い」ですねぇ(無念)。ちなみにおしんこどんもTakemaに付き合ってノンアルコールカクテルを注文していました(ただし彼女は赤貝丼の時に日本酒を摂取していますが(笑))。

と、「飲めない現実に追い打ちを掛けるように(大笑)」、『お花のお礼』として(実際に届くのは数週間後、年明けの1月中旬ですが)‥





うっはぁ申し訳ないです!(大感謝)。と同時に「なのになぜ飲めないんだ!」という葛藤が(大苦笑)。

それはともかくとして、少し店内が落ち着いたようで奥さまが右上画像のピッチャーを持ってテーブルまで来て下さいました。かつての仮設商店街で使っていたものに地元の少年たちが寄せ書きをしてくれたものなのだそうです。「これはわたしたちの宝物なんです」と。

そして「あの(仮設)さんさん商店街の時は今となっては夢のような気がします」とのお言葉が。その意味について深く伺うことはできませんでしたが(お店もまだお客さんが出たり入ったりだったので)、その過程において「この仮設商店街がなくなるときが店を畳むときでしょうね(2014/7)」から「本設商店街には入らず、その代わり自前のお店を建てます(2016/10)」に至るまで、さまざまな思いを交錯させつつお考えになり、そして今この新たなお店があるということ。ご夫妻にとっての「夢」が「ありえない非現実」から「現実」、そして「未来への展望」へと花開いていったことは想像に難くありません。

自分はかの震災で何も失いませんでしたし生活もそれまでと何も変わらぬままでした。でもあの震災を境に自分の中のどこかの「スイッチ」が入ったのでしょうね。「自分に出来ることは何か」ということを模索し、それが「現地の事業や文化のお手伝いを(お金で)すること」(ギックリ持ちなので直後の復興作業は出来ないと思ったからなんですが)、つまり「現地を訪問してその光景や自分の思いをこのサイトに記し、少しでも現地で買い物をしてその品を紹介し、現地の経済に多少なりとも直接間接に貢献すること」でした。

いまこのページを見てくださっている皆さんがいるということは、少しだけはその効果があるということなのかなと(自己満足ですが)。

なお、これまでインターネットにほとんど接続してこなかったご夫婦(というか奥さま)ですが、旧商店街撤収後(かな?)拙サイトをご覧いただいたようで「バンジージャンプもやってるんですね」と、意外な方面からジャブをかましてくださいました(笑)。

ただそうなると2014以降の拙サイト松原食堂関連の記事を当然お読みになっておられるわけで、マスコミの記事じゃないですが「失礼な書き方や内容」もあったかもと不安になりましたが(被災当事者の皆さんの思いを念頭にしたつもりではありますが、いかんせん自分が当事者でない以上その「念頭」とは想像に過ぎないわけです)、何とか許容範囲であったのかなと内心安堵した次第です。

ところで約1年にも及ぶ休業ゆえ、仮設時代に雇っていた従業員さんには辞めてもらわずを得ず、もちろんその方々は別の仕事に就かれたわけですが、各方面から「松原さんから来た○○さん、いいね」と評判が上々なのだとか。さすがご夫妻の教育の賜物!

しかしそのいっぽうで、新規開店に臨みその方々を引き抜くことなど当然できませんから(笑)、新しい従業員さんを募集することとなりました。そして「一からの従業員教育」も。この訪問時は開店約2週間後でしたから、その意味ではまだまだ新従業員さんも慣れぬことも多かったのかもしれません。でも、


(もう十分そうなっておられたのかもしれません)

さてそろそろおいとませねばならぬ時間となりました(この時点で歌津の新商店街訪問は断念。佐藤さんのところでお酒も買いたかったんですが、そもそもこの南三陸訪問自体が最初の計画に入っていない思いつきだったのでしょうがないです)。

で、お会計の時にはご夫妻からありがたい頂き物が!われわれこそ何かをお持ちすべきだったんですがお許しください。で、最後にTakemaが申し上げたのは次のようなことでした。



これはもう間違いないです。万難を排して「飲みに来ます!」。自分にとって震災前には全く縁のなかった南三陸町ですが、今こうしてつながっている(と勝手に思っている)ということ。この翌々日に訪問する駒の湯温泉もそうですが、縁(えにし)、そのきっかけって本当に不思議なものだと思います。

この界隈の訪問はもう少し続きますが、とりあえずこのページはこれくらいにて。

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