− その1 まずは駒の湯へと北上‥あのぉ、そうとう遠回りなんですが(苦笑) −




(2016/8月12日-16日)

【はじめに】

宮城県栗原市、栗駒山の中腹にある「駒の湯温泉」。2008年6月14日に現地を襲った岩手・宮城内陸地震が引き起こした土石流により現地は壊滅状態となり、多くの尊い人命も失われました。

しかしその悲惨な状況を乗り越え、経営者の菅原さんご夫妻は駒の湯の再興に向けて一歩ずつ前に向かって進んでこられました。現地に足湯を設置したことからスタートし、2015年10月には小さいながらも男女別の湯小屋を設けて日帰り営業を開始。そしてこの夏からは母屋を建てて休憩室の設置、また軽食の提供を始めるに至っておられます。

わたしは数年前、こちらのブログのオーナーだった「ぽちさん」とのご縁で現地を訪問し足湯などをいただいたことをきっかけに菅原さんご夫妻とお付き合いさせていただくようになりました。わずかながらも復興のお手伝いをさせていただいています。

この夏、休憩&軽食のサービス提供開始にあたり、「お盆時期にはご夫婦だけでは手が足らなくなるかもしれん、もしよろしければネコの手ならぬTakemaの手でも多少は役に立つのではないか?」と考えてお手伝いを申し出たわけです。

大した役には立てなかったと思いますが、ここではその顛末記と駒の湯訪問前後のミニ旅行を合わせた旅行記仕立てでご覧いただきたいと思います。どっちがメインかわからなくなっていますが、ツッコミなしの広い心にて御覧いただければ幸いです(笑)。




というわけで8/12、午前3時を回ったころ、まだ真っ暗な千葉県市川市を出発です(今回はTakema単独行)。というのもお盆時期ですから渋滞に巻き込まれたくなかったのと、4時前までに三郷の料金所を通過すれば深夜割引適用ですからね、長距離の利用になりますからこの割引を利用しない手はないってぇわけで(似非江戸っ子風)。

最初の休憩は夜が明けた頃の日立中央PAにて。アドレナリンが出ているのか眠気は全くなく、休憩中のトラック積み荷にある種の芸術性というか自由度を感じたりしつつ再び北上です。



常磐道の放射線量掲示板、この切り通しのところがいつも一番高いんですが今回は3.9μSv/h、初めて通ったときは5.4でしたから自然減衰だけでもずいぶん下がったんだなぁとしみじみ(ちなみに帰路は最大値4.0でした)。ちなみに渋滞に巻き込まれることは一切なくて、はいはーいもう宮城県♪

そのまま仙台東部道路を進み、利府JCTから北部道路に入ればもう鳴子や栗駒山まではすぐ、なんですが‥



出ましたいつもの悪いクセ!「せっかくだからちょっと寄り道していく」というのは比較的よくあるパターンで、過去には奈良県のおしんこどん実家に帰省するのになぜだか東北道を北上し、福島や山形、そして宮城の湯に浸かった上で仙台から太平洋フェリーで名古屋へ向かうという「本末転倒の帰省行動」を取ったこともあるわけです(こちらとかこちらとか)。

でもこの日はさすがに夕方までに駒の湯さんに到着しなければなりません。でもやはりここまで来たら三陸方面にご挨拶だけでもしておきたいもの。というわけで‥



はい、まずは女川までやって来ました。震災後初めて来た頃にはまだいくつものコンクリート製の建物が、あるものはそのままそびえ立ち、あるものは横たわったまま残されていましたし、2014夏段階でも、ちょうど正面の水たまりのあたりには(それまで震災遺構として残すべきか否かで議論を呼んでいた)江島会館が倒壊したままの姿を見せていました(詳しくはこちら)。それが今や‥各所がどんどんかさ上げされていて、もう「以前はどんなふうに道路が通っていたっけ?」というのもTakemaにはすっかりわからなくなっています(右上画像マウスオン)。



高台にある地域医療センター。この1Fまで津波が押し寄せたそうですが2F以上は無事で、被災後も診療は続けられたそうです。そしてその後まさに左上画像の場所に「おながわさいがいFM」のコンテナハウスが建てられ、ここから長らくFM放送が発信されていたわけです(左上画像マウスオンで2014/7当時の撮影画像に変わります)。

自分たち夫婦がその放送を聞きながら「ほやばくだん」に舌鼓を打っていた「おちゃっこクラブ」さんは、この日まだ時間が早すぎて営業前でした(右上画像マウスオン)。また食べたいなぁ、女川ならではの軽食でしたんで‥。



この石碑はこれまで見た記憶がありませんでしたが、いつの間に?自分が見逃していただけかな?



女川シーパルピア商店街は、一方は駅に、一方は海に繋がっているというコンセプト(両上画像マウスオン)。



こちらも開店前でしたがダンボルギーニもしっかり窓越しに再見学しました。何でも2台目を製作するという話もありましたがどうなったんでしょうね。先日ネットでは「ダンボールワットもいいかもしれん」とかいう自由度満載の発言を見たような気も(笑)。

それはともかくとして、商店街では新たな建物も建築中です。新たに8軒のテナントが入居する予定だとか?2016/3には天皇皇后両陛下もご訪問になり、南三陸のさんさん商店街と並んである意味「復興の先頭を走っている」ように思えますが、こちら女川の商店街はすでに恒久施設ですからさらにすごいかも(なおさんさん商店街も2017/3に恒久施設に移転予定です)。天皇皇后両陛下をはじめ、安倍首相も、ももクロも、そしてサザンの桑田佳祐も来てしまう女川‥。あ、シーパルピア周辺にもがんがんお店が開店し始めたようです!

さてこのあとは北上して雄勝地区(石巻市)を目指します。が、あれれ?



おがつ店(たな)こ屋街。場所についてはもう勝手知ったる系なので旧雄勝町役場まで来てみると‥プレハブはそのままありますが人の気配がない?どうやら県道の付け替え工事のため2016/6に移転したようです(右上画像が新商店街)。あれま知ったかブッダで通過してきちゃいました(苦笑)。というわけで数百m手前まで戻ったところで確かに発見。

でもせっかくならあともう少し内陸の「国道分岐部」あたりで再開業できなかったのかなぁ?以前から思っていましたが女川から北上してくる車で、国道の交差点から雄勝の旧中心部側に右折する車は少ないんですよね。あと、国道分岐の交差点部分にはじぇったい「大きな看板」が必要だと思います!(南三陸の伊里前商店街にも同じことを思いますが)。



ただし商店街前の駐車場に車の数が少ないのは上記の問題とは別で、この時点でまだ10時前なんです。お店の開店前とあれば来る人も少ないのは理の当然、それにお盆時期ゆえそもそも臨時休業のお店もあったかも知れません。結局ここでは自販機で飲み物を買っただけでした。店こ屋街ポロシャツ」とかがあったらすぐ買いたいTakemaだったのですが‥(ちなみにTシャツだったら買わないです)。



新北上大橋の北側、長らく仮設橋で対応していた部分も無事修復が完了していました。北上川河口の快走路を走り(左上画像マウスオン)、大室地区の作業テント(ここでお神楽を見学したことは忘れません。詳しくはこちら)を横目にしながらさらに北上します。



相川地区の橋はまだ復旧していないようで旧道へ。一方通行路を逆走してきた他県ナンバーの車にはびっくりしましたが(ちゃんと標識を見ていれば逆走はしないはずですが‥)、おお、工事はだいぶ進んでいるようです!R398北部では一番の隘路がおそらくここなので、一刻も早い橋の完成を願うばかりです。



震災復興工事の初期には「いたる所で重機が唸っているが、何をどうしたいのかがわからない」ように思ってきましたが、徐々にその「完成系」が見えてくるようになりました。高台移転の土地造成をしていたところにも実際に家が建ち始めてみると「ああ、こういう最終形を目指した工事だったのね」ということがわかってきますし、いまはまだ造成土が露わになっているところも、今後表面整備(および草木の繁茂)が進むにつれ、やがては「まるでずっと以前からこんな感じの場所だった」ように見えてくることでしょう。

ただしそのこと(外形的整備)と、お住まいになっている方々のお心整理の問題とは全く別のことだろうとは拝察してはいますが‥。



さて南三陸ホテル観洋さんを通過すれば南三陸町の旧志津川地区はすぐです。盛り土エリアを通り分岐を左折してしばしで‥





最初にこの商店街を訪れたのは2014/7とそう早い時期からでもありません。でもその時に「飲みメシ」に松原食堂さんに入店したこともあり、「さんさんでご飯」となれば自分としては松原食堂さん以外の選択肢はあり得ないのです!(最初の訪問時の詳細はこちら)。ちなみに今回で4回目の松原さん詣でです。

さて到着は10:40ころ。各食堂の営業開始は11:00からというわけですからこりゃいいタイミングだと思いつつお店の前へ。





ぐっはぁびっくり!どうやらお盆のハイシーズンということゆえ開店を早めたということのようです(どこのお店もそのようでした)。やば、のんびりしている場合じゃない!

幸い1人ということもありカウンター席に何とかすべり込みましたが、恐るべしお盆、あぶなかったぁ!

この時期のさんさん商店街の食事は「南三陸キラキラうに丼」で勝負しています(8月末まで)。春夏秋冬のキラキラ丼、複数の飲食店、そして大人数グループもOKの共用スペースを設けたことがさんさん商店街の活況につながっているのかなと。やっぱり食事は必ずお客さんを呼びますからね。

さてカウンターの中に目をやると(この日のご主人と奥さんはてんてこ舞いの忙しさゆえ最後まで声はかけられませんでした)





茹でたタコが吊られています。が、これはただのお湯ではなく秘伝のダシや醤油ほかを配合して煮ているんだろうなという濃い色合いになっています!うーんやっぱりもう一度「飲みに」来てみたいなと思っているうちに、やってきましたよわたしのお昼ごはん!(出発してからほとんど食べていないので実質的には朝ごはんかも)。







ええっと、お店前のイメージ画像よりもウニの列が0.5列多く、しかも実が太いような?(正しくは「実」じゃなくて生殖巣ですが)。まぁそれはともかくとして、この少し前に釧路でちょろりと食べたウニよりもやっぱり味わいが深かった!(いや、釧路のもよかったんですが、もっと実がしっかりしていたのでやっぱり新鮮さの違いなのかも)。

そしてタコ!「ウニを食っているからうまい」とどこかで聞きましたが確かに!(右上画像マウスオン)。でも刺身もいいですが、やっぱり志津川ではあの柔らか唐揚げも味わいたかったなぁと(お酒必須なのでこの日は不可ね)。



そんなわけでお店を出た頃には各店ともしっかり行列、共有フードコートも当然満員御礼でそもそもフードコートの席が空くのを待っている方々も(注文は席確保のあと)。いやぁやっぱりお昼ごはんは早く入店するに越したことはありません。

ちなみにお会計時、アルバイトのお姉さんに「一番気になること」を聞いてみました。




何とか現さんさん商店街の営業終了(2016/12)までにもう一度訪問してお話を伺いたいところですが、とりあえずいい話を聞きましたんでかなーりいい気分に。



結婚式場だった高野会館(このほぼ向かいには5階建ての公立志津川病院がありましたが患者の避難作業が間に合わず多くの入院患者が被災し亡くなったそうです=詳しくはこちら)。一方でこの高野会館にいた&避難した約330人は全員無事だったそうで(こちら)、そう、この建物のほぼ向かいには志津川病院があったわけですし、そもそも左上画像の道路は国道だったわけですが、もう随分変わりましたね。初めて来る人にはもう「巨大な工事現場」としか思えないでしょう(ちなみに2011/8の当地訪問ページはこちら)。

そんなわけでかの「防災庁舎」(右上画像)も今は直接の立ち入りはできず、国道を挟んだ向かい側に慰霊の祭壇が設置されているようです。そして今はまるで「谷あいを行く」ように見えているR45(右上画像マウスオン)も、やがてはこの数m〜10mくらい上を通ることになるのでしょう。気仙沼線の橋梁もいつまで残されることでしょうか(もしかして震災遺構に?まさか?左上画像マウスオン)。

このあと流れとして伊里前商店街にもおじゃましました。



酒屋さんの体格のいい若店長さんはこの日も大きな声で笑っておられましたね。前々回訪問した際にはご自宅の設計図を業者さんと打ち合わせておられましたが、ご自宅も再建成ったのかなぁ。軽食営業も始めたようですが、うーむまだウニ丼でお腹がいっぱいです(残念)。

一方で衣料品店には「建前 上棟一式あります!」との、この地域の今を示す貼り紙もありました。確かに国道沿いの高台にもどんどん新しい家が建っており、津波後何度かこの地域を訪問している自分からすれば本当にびっくりする限りです。でもあくまでそれは見える限りの変化であってで‥(以下略します)。



気仙沼の市街地に向かう分岐を起点に渋滞していました(ここはいつもみたい)。よって無念ながら今回も気仙沼は通過。ま、もう「ゑびす振舞」の建物も跡形もなくなっているとは思うのですが‥。そして陸前高田へ。



市街地入口にあるGSは、被災後からほぼ変わらぬ感じで営業中でした(左上画像マウスオンで2011/8当時の画像に変わります)。一方で、2014訪問時にはとてつもない勢いでかさ上げ用土砂を運搬していたベルトコンベアは姿を消し、気仙川に架かっていた「希望のかけ橋」(右上画像)も、この時はまだワイヤーが残っていましたが、9月中には全て撤去される予定なのだとか。あの壮大なベルトコンベア群を見ておくことが出来て自分としてはよかったなと(当時のページはこちら)。

さてここから内陸に向かうべきか、それとももう少しだけ「色気」を出すべきか?時計を見るとまだ13:45頃‥というわけで、もう1箇所だけお願い許して!(誰に?)というわけで、同じ陸前高田市内ではありますがぐっと遠い場所にある「黒崎仙峡温泉」へ。



いやぁ、いい天気だし場所も太平洋を一望できるいいところです。震災以前からあった施設のはずですが、そもそも高台なのと入江の奥という立地でもないので津波も高くはなかったのでしょう、何よりです。



入浴料500円をカウンターでお支払いすると、係員の女性がカウンター奥にある券売機にお金を入れて入浴券を発券した上で「ではどうぞ」とのこと。「珍しいシステムですね」と申し上げると、一瞬の間があって「ここはお年を召した方が多いので‥」とおっしゃっていました。なるほど‥。

で、いざお風呂へと進んだわけですが、常に先客さんが居られたので浴室画像はありません。確かに浴室の海側には広い窓が取られていてかなり展望はいいです。でも塩素臭がきつい‥。詳しくはオフィシャルページを見てもらえればと思いますが、やっぱり陸前高田市の温泉施設は何だかわかっていないよなぁと。以前同市内内陸の「霊泉 玉の湯」に宿泊したときも(その時のページはこちら)ある意味「目に来る塩素臭」に辟易したことを思い出しました。ここはそこまでのモノではなかったにしろ、そして「利用者の年齢層が高い」とはいえそこまで予防的に塩素投入量を云々‥と思いました。



さてここからは一気に内陸に向かい、駒の湯温泉到着は17:30頃(遅すぎだって)。この日はすぐ上の新湯温泉くりこま荘でイワナ丼の夕食をいただきました(右上画像マウスオン)。

さてこれから3日間は菅原さん所有の小屋に泊めていただき「居候ボランティア」の日々が始まります!なぁに、こういうのは若い頃NZで何ヶ月もやってたことだし(この時代ですね=大昔)、大丈夫‥かなぁ?というわけでこの翌日から「駒の湯温泉助っ人ボランティア」として頑張りますよ!(ようやく本題に進みます)。

[戻る] [次へ]