− 2015/10 その2 一気に北上、お昼ごはんはいつもの海鮮丼 −



もう何度も来てますなぁ、南三陸さんさん商店街。

(2015年10月10-12日)

世間ではシルバーウィークとやらで皆さんあちこちお出かけになっておられたようですが、わたくしTakemaはかの4連休中「家から一歩も出ず」の引きこもり生活を満喫しておりました。いや正しくはTakema家の財政事情からお出かけを自粛しただけなのですが。実は諸事情により9月の手取り額が13万円ちょいしかなかったもので(笑)。Takemaが大学卒業後の初任給は税引き前で14万3900円でしたから、まさに「初心に返る」思いでしたよ(苦笑)。あの当時世の中はバブル真っ盛りだったのに、いま考えれば就活失敗組だったのか?(でもそこだったからこそ学べたことも多くありました)。

まぁそんなことはどうでもいいとして、Takemaが最初からターゲットとしていたのはシルバーのほうではなく10月の三連休の方でした。マスコミ等々が「今回のシルバーを逃すと次は11年後まで並びが悪いですよ」と煽りを入れるものだから、皆さんそちらの方に旅行資金を集中投入するに違いなく、ならば10月の3連休は相対的に案外空いているのかも?というのが表向きの理由ですが、実は裏の理由というか明らかにメインとなる理由がありました。それは‥





そんなわけで10/10、早朝の東京駅からストーリーは始まります。「あれ、車じゃないの?」と思われるかもしれませんが、ちょっと根性がなくなってきただけです(笑)。資金に余裕があるわけでもないはずなのに、なぜか新幹線を予約してしまったTakema、発言と行動との間に明らかな乖離が見られるわけですがあまり気にしないでください。貯金を取り崩しただけです(笑)。



車内でお弁当朝ごはん。それにしても駅弁と(ちゃんとした)お蕎麦屋の「高値安定」ぶりは長年続いたデフレ環境をも耐え抜いたようですね。左上画像のお弁当も「お重」であるとはいえお値段も1300円と突出していますわな(ここにも発言&行動の乖離が如実にみられます)。

で、どなたかがツイッター上で「世界に誇る新幹線の車内で、今月もまた怪しい商品を売るJR東日本www」とつぶやいておられた土方歳三ベストをチェックして何だか嬉しくなりました。で、別ページを見ていたらこんなの(左上画像マウスオン)もありましたが、それぞれどのくらい売れている(売れていない)のかが気になるところです(笑)。



そんなわけで朝ビールなどに手出しもせずケンコー的なまま古川駅に到着。いや、ここからレンタカーを借り出すのでそもそもアルコールは御法度なのです。タイムズレンタカーの営業所はちょっとわかりにくい場所にありましたがまぁ何とか。そんなわけでいざ出発です。



ここから鳴子温泉までは一投足という距離なのですが、ここではあえて交差点を右折し石巻方面へと向かいます。ただし石巻&女川を経由すると時間がかかってしまうので、(新)北上川沿いに進んで太平洋側に出ることに。と言うわけで最初の休憩地は「道の駅上品の郷」といたしました。牧草ロールならぬ稲のロールもいい感じでしたよ。



隣に止まっていた車は石ノ森萬画館のもの。おしんこどんも行きたいと言っていたし、次回石巻訪問時には必ず!



で、ここでおしんこどんが「高級ソフトクリーム」を購入(確か500円だった)。あ、おしんこどんの自腹ですのでTakemaの財政状況を逼迫させることはありませんでしたよ。で、Takemaは普通の飲み物だけを購入し、道の駅併設の東日本大震災関連掲示物を眺めていたわけです(両上画像マウスオンで別画像に変わります)。

やがて自然の摂理というか「タバコ吸いたいなー」という欲求のなせるままに喫煙所へ。そこで突如として最初のイベントがスタートしたわけです。タバコを吸っていたら‥



何ですかいきなりのこの急展開!施設内のテーブル席に座っていたおしんこどんを急遽呼び寄せ(まだソフトを食べていた)、鍼治療中のTakema画像を撮ってくれと頼んだ次第です(おかげで高級ソフトを慌ただしく食べざるを得なかったおしんこどんよすまぬ)。





過去何度もギックリ腰の地獄絵図を経験しているTakemaですが(これとかこれとかこれとか)、基本的には「日常的に痛いんです」。特に座っている状態から立ち上がるときとかはキンチョーするわけです。そんな話をすると「腰痛持ちの人は見てわかるんですよ」とのこと(どうやって見分けるのか聞くのを忘れましたが、身体の歪みとかかなぁ)。

いや、これ効きましたよ。「ちょっと強めに打っておきました」ということですが、施術中は数回「腰から足方面に流れる」感覚がありました。で、立ち上がってみると「あ、痛くない」。



無事改善の状況を見たからか、おしんこどんも肩に打ってもらい、文字通り「首が回る」ようになったそうです。ちなみにこちらの方はいわきに本拠があるそうです。施術そのものは無料ですが、要はとある治療用品の販売が主要目的のようで、さてTakema夫婦は買ったのか買わなかったのか?(ご想像にお任せします)。



さて新北上大橋のたもとまでやって来ました。橋を渡らずこのまま直進したすぐ先にはあの「大川小学校」があるわけですが、今回は寄らずに橋を渡ります。この新北上大橋、かの震災&津波で北側の橋梁部が崩落し早急に仮設橋を接続したことで石巻市と南三陸町方面をつなげたわけですが、その本復旧工事が行われている気配を今回も感じませんでした(右上画像の対岸側)。

仮橋とはいえ十分な強度があるから当分大丈夫ということで後回しになっているのかもしれませんが、何だか不思議な気もします。もっともこの北の南三陸町内にも「自衛隊が設営した仮設橋がいまだに現役」である場所もありますが‥(橋の幅が狭くて大型車同士のすれ違いが困難なボトルネック橋となっています)。



この新北上川沿いの道路は震災後何度も道路の付け替えが行われている区間でもあります。来るたびに車線が替わっているような気もしますが、橋とは逆に「もう少し効率的にできないモノなのかなぁ」と思ったりもします。右上画像なんぞは見事に4車線モードになってますし(ただし左側2車線は運用していません)。



やがて十三浜エリアへ。ここが一番のボトルネック区間だと思いますが、不思議なことにこの隘路でダンプ等に出くわしたことがありません。おそらくは「この区間を通らない工事計画」が練られているのだと思いますが、ここもコンクリ造りの橋脚は完成していますが橋梁工事の気配は感じられず。頼むよ早くやろうよ!



右上画像のあの家も、山を切り崩した場所に建てられたんだろうなぁ‥。

いっぽうで、かさ上げのほうは前回訪問時(2014夏)よりも随分進んでいるように思えました。だから以前の広がりを見ることができず、自分がどのあたりにいるのかもわかりにくくなっています。もちろんやがてはこの国道もかさ上げされた上を走ることになるのでしょう。

前回訪問時、陸前高田の震災語り部さんに「自分が住んでおられた家のあった場所がやがては地下10mもの深さに埋まってしまうことについてはどうお考えですか?」とまことに不躾な質問をさせていただいた際、そのお答えは「私たちの中の時計は、あの日のまま止まっているんですよ」というものでした。

震災直後からしばらく、最初はがれきの山、そのあとそれらが撤去されて旧集落には家の基礎部分のコンクリート部分ばかりが残され(福島県いわき市ではそのコンクリート部分にデコレーションを施していたこともありましたっけ=こちら)、そしてやがてはそれらも剥がされた上で今の盛り土工事に至る‥。

でもお住まいだった皆さんにとってみれば、震災後の復興過程がどうであろうとも「あの家、あの町、あの暮らし」が元に戻ることはないという意味で、確かに「時は止まっている」のだろうなぁと思います。いや別の意味で「時は止めておかねばならない」のだとも。

なぜなら、そのタイマーだか何だかを動かし現在に同期させようとした瞬間、その方々のかつての暮らしは現在の自分につながらない「完全に切り離された過去」になってしまうと思うのです。ストップウォッチの一時停止ボタンを押すことはできてもリセットはできないということ、この喩えが的を射ているかどうかはわかりませんが、少なくともはっきりしていることは「復興がどんなに進んだとしても、それが比例的に現地で出会う地域の皆さんの心を癒やすことにはならない」ということです。

自分は三陸地域のためにほとんど何も出来ていない(せいぜい現地のものを買い、現地の状況を伝えてきただけです)わけですが‥



われわれは「外からの刺激」に対応しながら生きています。その刺激が経験となり次なる対応につながっていくわけです。そしてそれはたとえばネット経由の間接的な励ましよりも直接「おいしかったですよ」「ありがとうございます」のほうがはるかに嬉しいわけで、そこにわれわれ人間の「自分としての存在自覚」があるのではないでしょうか?

だからこそ直接現地三陸エリアに行って下さればと願うTakemaなのでありました。いやエラソなことはどうでもいいや、海鮮メシうまなのは間違いないですから旨いもんを食べにお出かけ下さいませ!



さらに進んでいくと再び海岸沿いまで降りていく道路構造ですが、たぶんここも10年後にはかさ上げ区間を通るようになるのでしょう。震災前まで三陸の魅力に気づかずほとんど訪問していなかったTakemaですが(かろうじて震災直前の2010/10に訪問していましたが=詳しくはこちら)、震災後はそこそこ頻繁に訪問してきたこともあり、外部の目ではありますがいろいろと考えさせられることが多いです。震災被災後4年半が経とうとしている今ですが、首都圏に住む自分の周りでは予想通り「震災の風化」が進みまくっているわけですし。

震災直後、ホテル自身も被害を受けながらも被災者の受け入れ、一次復興の拠点として役場の代わりレベルで機能した「南三陸ホテル観洋」の前を通過しました。前回(2014夏)は宿泊したわけですが今回は通過です。



そして志津川へ。町の手前にあった「さかなのみうら」仮店舗(左上画像)は不慮の火災で撤収を余儀なくされたということですが、建物自体は残っているのですね。その後お店はどうなっちゃったんだろう?(左上画像マウスオンで2014/7の撮影画像に替わります)。津波被災後かなり早いうちから被災店舗に「よみがえれ故郷 ふんばれ 南三陸町」という看板を掲示していたので、ご覧になった方も多いのではないかと思います(見ていない方は右上画像マウスオンで2011/8の撮影画像に替わります。ちなみにその当時の様子を記したページは前にリンクしたので、2011夏の気仙沼方面訪問ページはこちらです)。

ところで旧志津川地区はもうほとんど当時の面影を残していません。今も残る震災遺構は旧高野会館((株)阿部長の所有で保存されるらしい)とあの防災庁舎だけでしょう。その防災庁舎も、その周囲をかさ上げされた土砂が囲みつつある状態です。保存管理は宮城県が行うようですが、低地になってしまう旧庁舎をどう維持していくのかが気になるところでもあります。



さてそんなわけで、こちらもまた「通い慣れた」感がある南三陸さんさん商店街へ。実はちょうどお昼前にここに到着するように走ってきたのです(だから今回は石巻や女川をパスしたわけで)。以前は夕食宴会も楽しんだ松原食堂さんへいざ!





と、よくわかるような、いっぽうで全然わからないような気もするコメントですが、要するにわれわれ夫婦のお出かけご飯は「海沿い=海鮮丼、内陸=お蕎麦」という比率が圧倒的に高いのであります(その一方で「ラーメン」という選択肢はほぼ皆無)。今回も当然それを踏襲したというわけです。

ちなみに以前、ここ松原食堂で「タコの唐揚げ」の絶大なる美味しさに感動したわれわれでありましたが、秋旨丼(左上画像)にはしっかりとお目当てのタコ唐がのっていて、再びあの感動を味わうことができました(笑)。単品でも頼みたいところですがお腹いっぱいになっちゃうので‥。

ところでわれわれは特に何も名乗らなかったのですが、何と女将さんが「あれ、お客さんたち、前にも来たことがあるよねぇ。確か千葉のほうでブログとかやってる人じゃなかったっけ?」と気づいてくださいました!いやぁ嬉しかったなぁもう!

というわけで「美味しかったです、またおじゃまします!」とご挨拶した上でお店をあとにしました。気がつけば満席の盛況で、目の前のフードコートで料理を待つ人も多数。さすが連休初日であると同時に、震災後4年半が経過してもこの盛況が続いていることに意を強くしました。



隣接する南三陸ポータルセンター周辺には商店街の各店舗を紹介する切り子細工があるのですが、松原食堂さんのものを見ていたら「毎日が土日のような忙しさ」とありました。この日もまさに激忙だったことでしょう。以前「この復興商店街がなくなる時点で店をたたみます」とおっしゃっていた記憶がありますが、そんなこと言わず、ずーっとずーっと食堂を続けていただきたいものです。

さて上の切り子細工を見ていたら、ふとその裏の建物に立てかけられた掲示物に目がいきました。え、えええっ!







「再復活」って‥。もちろん文字通りそうなのですが、経営者の意気込み、すごいですね。「負けるか」「後ろ見ない」‥。残念ながらお昼ごはん直後だったのと、帰宅が2日後ということもあり冷やかし見学もしませんでしたが、そのうちに‥あ、通販もあるのか、ミステリーパック系ですがこちらで注文できます。ヤマウチさん共々近いうちに注文したいなぁ。なお両上画像ともマウスオンで別画像に替わります。



ライダーも多数、商店街のどこかのお店でランチ中と思われます。で、掲示チラシをふと見たら「翌日が秋まつり」だったんですね。たぶん盛り上がったんだろうなぁ。まぁイベント開催日は混雑必須なのであまり近寄らないTakemaなのですが(笑)。



商店街の隣にあるBRT志津川駅。待合室にはけっこう多くのお客さんがBRTバスを待っていました。気仙沼線の鉄道時代に比べ運行本数は1.5-3倍に増えたとのことで、「所要時分は増えたが利便性は増加した」ということなのでしょうか。今後鉄路の復活があり得るのか否かについては言及を避けますが、復興過程における1つのあり方としては「大いにあり」でしたね。

さてこのあとはもう少し北上した上で内陸へと向かいます。

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