- 2019/6 黒部立山 (3)いよいよ関電専用軌道区間&展望台へ -



うっひょー、黒部第四ダムへと続く鉄路ここにあり!(ダムまで行きたいなぁ)。

(2019年6月14日-16日 その3)

さて欅平へ到着です。このツアーの参加者は同じ車両に乗っており、受付時点で説明されたとおり「改札方面には行かないでね」と指示されていたのでそのまま集合です(実は下車してから集合までには数分のタイムラグがあり「トイレに行く人は駅のトイレへ今のうち行って下さい」とのこと。その隙にタバコを吸いたかったのですが、欅平駅の喫煙所は改札の外なんですよね。ツアー中は一切禁煙、無念ながら諦めました(みみっちいけれど気持ちはわかってほしい)



まずはこの後の行程のあらましを説明していただきます。説明及びガイドは全て関西電力職員の方々です。ここ欅平駅から「欅平下部駅」までは、黒部峡谷鉄道の電化設備をそのまま使う架線集電の電気機関車で向かうことになります。何と希望者には記念写真を順番に撮って下さるというサービスも(随所で)おこなって下さいました。



うわーパンタグラフ近いなー。そしてこの車両は「関電」の車両です!(右上画像マウスオン)。



さて欅平駅を出発し「関西電力専用軌道」へと進みます。すぐにトンネルに入るのですが、トンネル内には「列車が走行中です、ご注意下さい」とのアナウンスが響き渡っていました。ちなみに動画撮影は不可という情報もありましたが、どうやら「歩行移動時のそれは危険防止のため不可」ということのようでした。そりゃそうだ歩くのは地下や山道ですから)。というわけで車内動画を帰り道に撮りました。

関電区間の最初の駅は「欅平下部」駅なのですが、トンネル内にてまさかまさかのスイッチバックで到着となりました。これは全然知らなかったのでオドロキでした(画像はありませんが)。で、地下駅で下車してほんの少し歩いた先には‥


(これは事前学習で知ってました)。

そう、ここはボトルネック区間で、機関車や車両はここで1台ずつの上げ下ろしをやむなくされます。「竪坑エレベーター」、何と上部駅との標高差は200mもあります。ええっと、何と「昭和14年竣工」です!(その後相当に改修されてはいるようですが)。いずれにせよ‥



だって、戦艦やロケットなどの軍事技術はともかくとして(終戦前にロケット技術も軍用に実用化されていた=桜花@残念ながら特攻用でしたが)、こんな、今でもとてつもない山奥に標高差200mものエレベーターを設置するって、そんなプロジェクトが戦前に立案&完工し運用されていたわけで‥これはすごいわ。



右上画像の看板が白トビしてしまうので看板だけ撮った左上画像。同じ場所です。

そしてエレベーターの扉が開き始めてますね。これより上部の区間に車両を持ち込む(機関車メンテナンス等での入れ替えを含む)わけで、このエレベーターの耐荷重は何と「4.5t」。とてつもない荷重設定値にびっくりします。でも「カゴ」はそんなに大きくありません。今回のツアー参加者は12名でしたが、乗り込むと「そこそこ混んでるな」というサイズでした。機関車や客車だってもともと大きくありませんからこれで事足りるというか、そもそも「このカゴのサイズに合わせた車両設計」をしているわけですから問題が生じるはずなどないわけで。



というわけで全員乗り込みました。ね、そこそこの「乗車率」でしょ。天井は高いな。



はい、200mすいすいっと上がりましたよ!案外耳ツンはなかったかと(個人差あり)。

ちなみにこれだけの長大エレベーターゆえ、何らかのトラブルが起きて移動途中でカゴにとじ込められてしまったら‥そのご本人はもちろんのこと、黒四発電所の機能が阻害されてしまいます。ゆえに‥(たぶん戦後の改修工事で設けられたと思うのですが)、





というわけでジャスト200m上がってきた、ここは「欅平上部」駅構内です。でもさまざまな無骨系機器の真ん中にさりげなく流し台が設置してあるのがほほえましい♪

この上部駅にはしっかり男女別お手洗いも設置されていました(利用しませんでしたが)。ここから外に出ていきます(なおツアー行動中はすべて関電のガイドおよび案内人と同一行動必須です。自由行動は不可)。



欅平から少し入った上部から見えているとすれば‥あれは白馬鑓から杓子岳、左奥が白馬かな?

ところでこの旅行、天気予報は初日の午後からどんどん悪くなりその後はずっと悪いということだったんですが、確かに雲は出てきましたが天候の変化が遅くなっているようでラッキー!確かにねー、もう6月中旬梅雨真っ盛りの時期なのでこれは嬉しい!(ま、6月中旬くらいだと本州日本海側は案外晴れることも多いと予想して計画したわけなのですが)。

この後は再びトンネルに戻ります。とはいえ200m上がって来ているここは‥





実際に比べて明るすぎる画像なので背景画像は多少明度を下げましたが、ここが欅平上部駅。もちろんホームなどという小洒落た施設はありません。ふだんは施設維持関係者しか使用しないのですから当たり前、そういえばかつて訪問した仙人谷駅にもホームはありませんでした(その時のページはこちら)。

そしてこちらの駅構内には‥





ただ、もしかしたらこのツアー見学者用に置かれていた車両なのかも(車両内部には丁寧な説明書きがありましたんで)。ただそのためだけに貴重な車線を塞ぎ続けるというのもおかしな話ですから、たぶん全編成の一部車両に同じ説明書きの掲示をしているのかなと。詳しくはここから先に行き、戻ってきたところで書きましょう。



さて地下トンネルを進んでいきます(前を行くのはおしんこどん)。地下区間での動画撮影はダメということですが静止画はOKです。ただやっぱり歩きながらの撮影となるとスマホのカメラは全然ダメで、デジカメの出番となります。ただし実際はこんなに明るくありません。



途中からは支線トンネルを進みます。線路は敷かれていますが、やがてその先はとんでもない感じに!




(横の階段の段差も登るにつれて大きくなります)。

もちろんここを車両が「自走」することは無理で、線路を使っていた頃はウィンチ?で貨車を引き上げていたそうです。しかしなぜにこんな傾斜が「必要」だったのかについては聞くのを忘れました(肝心なところが抜け作)。

坂を上がればそこは外界です。この支線通路は欅平上部駅からの緊急用出口通路でもあるのでしょう。



何だか「小動物がバンバンに入り込みそうな格子状の扉」ですが、これで大丈夫なんでしょうかと心配になります。仙人ダム付近の作業用トンネル(兼登山道)はもう少し格子の幅が密でしたが(その時のページはこちら)。

さてここまで来た頃には少し高い雲が出てきていましたが、後立山連峰の山々は見えています。右上画像では見づらいので、ちゃんと山をメインに撮ってみると‥



なるほど、確かに白馬鑓から天狗の頭、そして不帰嶮(かえらずのけん)付近がしっかり見えています。北アルプスは何十回も歩いた自分ですが、そういや天狗の頭~唐松岳の間は大学生時代に1回しか歩いたことがありません。しかもその時はお天気大荒れでキレット小屋に退避宿泊。その時の記憶として今でも覚えていることが2つあります(30数年前の話ですので現在の状況とは大きく異なっていると思います)。

その1。二段の就寝スペースごとに名が付けられており、われわれにあてがわれたスペースには「(アブドーラ・ザ・)ブッチャーの間」と名付けられていたこと。確か各スペースのほとんどがプロレスラーの名じゃなかったかな。まぁこれについては特に問題なし、「なかなか濃いキャラの小屋だな」と。

その2。小屋のトイレは屋外の絶壁上にあって当時は崖に向けて垂れ流し(今はもちろん違うはずです)。宿泊時は大荒れ天気であるがゆえ(山では谷から風が吹き上げます)、「大」はその重量ゆえに何とか落下しますが、「小」は放出するやいなや谷からの強風に巻き上げられシャワーとなり(以下略)、また「大」の後に用いるティッシュに至っては、便器下の横方向に投げるにもかかわらず吹き上げられてハラヒラハラヒと個室内で華麗な舞いを披露し、逃げ惑おうにもあらやだスペース極狭小!あれはなかなかに禁断の地獄絵図でしたわ(大笑)。

なお現在の北アルプスキレット小屋は建て替えられてすっかり立派になっているようで、もちろん「当時黒部側に建てられていたトイレ」も跡形すらありませんので念のため。でもやっぱり場所柄「水」には苦労しているみたいですね(公式サイトはこちら)。

回想の話が長くなりましたがもうちょっと。右上画像、南側の谷沿いには鹿島槍の南峰と爺ヶ岳が見えています。これまたその昔(上の話より何年か経った時の話です)、正月の鹿島槍行きで(4人パーティ)赤岩尾根を上がり、高千穂平でテントを張ったはいいものの、翌日午後から天気大荒れということで未明から鹿島槍南峰往復敢行。とりあえず右上画像に見えている頂上までは登ったんですが‥

頂上からの下りはもうホワイトアウトでどうしようもなく、ルートを外れて黒部側へずんずんずんと(やばやば)。「これ、おかしくないですか?」と最初に声を上げたのは自分でした(自慢)。あのまま下っていたら欅平まで、いや違うその手前で必ず死んでいたはずです。

この時は山の原点=「迷ったら上に登る」を実行したことでこと無きを得ましたが、帰りの赤岩尾根では4人中3人(自分も含む)が表層雪崩に巻き込まれたということもあり、最後尾のリーダーは「お前たちに何かあったら俺しかいないと考えた、だから云々」と言っていたことを思い出します(でもその夜のテント内宴会ではブーイング出まくり)。ただ、その後そのリーダー氏はもっととんでもない規模の雪崩に巻き込まれ「死を覚悟した」ようですが(今も元気です)。



まだまだ書き足りないことはくさるほどあるのですが自粛します(笑)。で、ここからパノラマ展望台とやらに歩いていくのですが、当然関電の管理エリアを離れるので、「巡視員」さんにバトンタッチ。後をついて歩いて行きます(自由に歩けるわけではありません)。水平歩道をホーフツとさせる場所もあれば、



ツアー客用に整備がなされているとはいえそこそこ急な階段路もあります。まぁそれでも片道15分ちょいなので無理して息を切らせる必要もありません(というか、先頭を「巡視員」さんが後ろを見ながら進むので、さっさと先に登るわけにもいきません)。





この景色(というか尾根の雰囲気)って何だかデジャブー感があるような?いやこの場所そのものは全然覚えていないんですが‥



左上画像は、2019/6、右上画像は2012/8(この時撮影しました)。もとより同じ指導標ではありませんが、「欅平 0.7km」は共通しています。ということは、やっぱり自分たち夫婦は7年前にここに(へとへとモードで)来ていたんだなと。

なお当時の登山ルートはもう少し尾根を北上してから蜆(シジミ)坂を一気に350m下った記憶があります。この送電線鉄塔はたぶん次の鉄塔の手前のものだったのかなと思いますが、記憶違いかも知れません。というか、この界隈が整備されすぎていて7年前との比較ができないのです(苦笑)。



でもたぶんここは当時の欅平への降り口ではなかったはず(勘)。まぁそんなことはどうでもいいや、おしんこどんはいつものY字バランスポーズで喜びを表しています。だって、天気予報ではこの日の午後からは雨の予報(黒部市)が出ていたのに、やって来てみれば雨どころかご覧のようないい天気に何とか間に合ったのですから!(ちなみにこのポーズは他の参加者さん等に大受けでした。よかったねおしんこどん)。



右上画像の北アルプス北方支稜(毛勝三山方面)も立派な山容をみせていますが、結構ハードなコースのようです(もちろん黒部側からの登山道はなく魚津側からしかありません)。稜線付近は森林限界より上のようですが、行くことはあるのかなぁ?(それほど行きたいとは思わない)。

さて帰り道に気づいたのが右上画像のAED‥ではなくて「通行止め」のトラロープ。そこには「注意 ここから先は上級者向けの登山道です」とな!



でもまぁハイキング気分で水平歩道に突入するのもキビシイなと思うと、この記載は間違いないのかなとも思います。阿曽原小屋までも遠いというか、メンタル的に疲れる道ですからねぇ。

なお、場所柄雪解けが遅いということか、展望台付近にはワラビがいい感じの伸び具合でしたが、巡視員さんいわく、「だからといって茂みには近づかないで下さいね、マムシがいますから」ということでした。実際にこの付近で目撃しているそうです。でも自分は登山中や山菜採り中に蛇を見かけたことってほとんどなかったような気もします。何でかな?

さて、このツアーで行かれるのはここまで。「たったこれだけ?」と思う人もいるかと思いますが、ここまででも現状このツアー以外に来る方法はありませんのでね(関電主催のツアーではトンネルの外に出ることはないだろうし)。というわけで十分に満足でございますよ。

このあとは再び歩道を下ってトンネル入口へ戻りましたが、この続きは次のページにて。

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