2020/3 早春の南東北お出かけ編

- その5 気仙沼から大島に渡り最高峰の亀山へ -



ドラゴンツリー(龍の松)がしっかりお出迎えの気仙沼市岩井崎。

歌津からさらに北上し(三陸道新規開通区間を走ってみました。まぁ特に「走って楽しい」わけでもないですね、そういう目的で建造されたわけでもありませんし)、やってきたのは岩井崎園地

ここに来るのは初めてなのですが、何だか以前似たような特徴的な松をこの似たような立地で見たような気が?というわけでサイト内を検索してみたら‥



まぁ確かにシチュエーションは似ていました。鹿の角かな。神割崎の突端でした(こちら)。

このあとは2019/3にオープンした気仙沼津波伝承館(旧気仙沼向陽高校)へ。ええっとここに来る途中、ナビに騙されて現在の気仙沼向陽高校に入りかけちゃったのはヒミツです(苦笑)。



というわけで伝承館へ。なお伝承館内は撮影禁止とあったので当然撮影を自粛したわけですが、どうやらメインの震災遺構(旧校舎)エリアは問題なく撮影OKのようでした(公式サイトに記載あり)。訪問者からすれば震災遺構と伝承館の区分を意識しておらず、「施設全体が撮影禁止」と考えてしまうことも多いと思うので、掲示や口頭説明にもう一工夫欲しいところかなと。

震災前年の2010年10月、われわれは気仙沼市内(魚市場近く)の旅館に宿泊し、併設の居酒屋兼夕食会場で「モウカの星ウマー、フカヒレも言うまでもなくウマウマー!」とやっていたわけです(その時のページはこちら)。

それから半年も経たぬうちにかの津波が全てを押し流し、われわれが泊まった宿も復活することなく今に至ります。この高校では人的被害がなかったということですが、とんでもない高さの「海水の壁」が押し寄せたのは他地域と同様です。備えることの大切さをひしひしと感じました。



さてどこかでお昼ごはんというところで食事処を見つけたので入店。うーん、お蕎麦はおいしかったのですがうどんはイマイチでした(おしんこどん談)。でも旅先ではとにかく個人経営のお店で食べるというのが第一ですからこれはこれで構いません。

さてこのあと目指すは「気仙沼大島」。ご存じの通り気仙沼市内の対岸に浮かぶ気仙沼大島、一定の年齢以上の方であればTV番組「欽ドン」に出演していた「けせんぬまちゃん」をご存じかも。彼女は現在も大島在住&民宿経営だそうです。

震災による津波被災時には津波が島の東西から押し寄せて島を二分。さらに火の点いた瓦礫が北岸に流れ着き大規模な火災発生、さらには特に対岸から供給されていた上水道パイプラインが破断・損壊したことにより水道の供給も止まりました。当時、震災から10日ほど経っているにもかかわらず、自家発電機でプールの水を濾過して供給している状況がTVで放映されたのを記憶している方もおられるのではないでしょうか。無論港湾機能も失われたため島は被災後しばらく孤立状態にあったのです(無論大島だけでなく、女川や石巻の沖合に浮かぶ島々は同じような状況だったのではないでしょうか)。

いっぽうで、アメリカ統合軍による「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」の一環で、海兵隊所属の上陸用舟艇を積載した揚陸艦エセックスが(自衛隊や海保の艦船よりも先に)大島沖合に到着し、島内インフラ復旧の原動力となってくれたということも記憶にあります。今調べてみたら海兵隊の大島到着は3/27、被災から2週間以上が経っていたのですね。

その後、三陸沿岸の復興作業が各方面で進められましたが、その中でも交通インフラ系で大きなものは「三陸道関連の整備」とこの「気仙沼大島大橋」の架橋だったのじゃないかと思います。あの大地震がなかったら、特に三陸道はこんなスピードでの整備などなかったのでは。

もちろん一部には「費用対効果」の面から現状の復興事業に疑念を示す方々もおられます。そのご意見は蓋しもっともかと存じます。ただ別の捉え方もできるのではないでしょうか?自分は、



三陸道にせよ釜石道にせよ、とにかく外部地域から三陸沿岸部へのアクセス利便性が向上したことは間違いありません。これは「大きな障壁」がなくなったことを意味するわけですし、地域の宿泊インフラも一時期の逼迫からは脱しているようです(というか、工事の方々は長期戦ゆえ専用の宿舎や内陸の安い宿泊施設を利用しているみたい?)。

となれば、2020/5現在は新型コロナ禍で日本中がまだのっぴきならない状況ではありますが、



まずは市区町村とか県単位とかいう行政の縛りを越えて、「オール三陸チーム(宮城から青森まで)」でタッグを組んでキャンペーンを組み、各施設が別地域の観光地や施設について「勉強」し、たとえば宮城の観光案内所で岩手のイベント情報をも説明できるようにすること。モデルコースの提案も大事です。

また車のみならず鉄道やバス、タクシー等公共交通の利用を促進するためには、たとえば3-5日間有効の「三陸パス(周遊券)」を販売し、エリア内では全ての公共交通機関を格安で(10%引きとかのメタセコイアレベルではなく、できれば50%引きくらいのインパクト、または乗り放題で、ただし利用条件として「エリア内の宿泊施設を2泊、または地域資本の指定飲食店を3回以上利用すること」とかにして)という感じでいかがでしょう?販売時にそれらの利用券とセットで販売すればいいわけですし。

もちろんこのような条件設定他の取り組みが簡単でないことはわかっていますが、とにかく被災からの復興で疲弊した地域にふりかかったコロナ禍ですから、もうこれは地域全体として取り組まなければならない、いわば



「いつかはコロナの夜も明ける」はずであり、その夜が明けてから「さて夜も明けたしどうしようかなぁ」ではなく、夜明け前に次の一手を準備&手配しておかなければと思います。もし三陸沿岸に関わる人々がこのページをご覧になっていたら是非ともよろしくお願いいたします。だって‥



ハイまた話がイスカンダル14万8000光年先の壮大系になりましたね(いつものこと)。でも、今後の三陸の浮沈は「今(2020)の舵さばきにかかっていると思うので、ついつい申し上げた次第です。何もしなければ「浮」に持っていかれないのは確かなことなので。

というわけで、長くなりましたがようやく気仙沼大島大橋を渡ります(笑)。



気仙沼大島大橋。橋の全長は356m、その大部分を占めるアーチ橋部分は297mと国内最大級ということです。瀬戸大橋のような吊り橋にしなかったのは架橋後のメンテナンス費用を考慮したとのことで、なるほど細かな部材が多いとそれだけ維持管理補修に手が掛かるというわけですね。



これは大島の架橋工事の様子です(気仙沼大島 ウェルカム・ターミナル内で上映されていた映像を撮影)。このアーチ橋をクレーン船で移動というのはすごいですね、もちろん要所以外は早送りになっていますがしばし見入ってしまいました。

なおそのウェルカムタームナルはまだ正式オープン前でしたし、隣接するミニ飲食店群(5店)も一部を除き休業でした。何でだろう?午後の中途半端な時間だったからかな?(まだ新型コロナによる営業自粛はしていなかったはずです)。

お腹も空いていなかったので、このあとは大島の最高峰たる「亀山」(235m)へと向かいます(高いところ好きですなぁ、まぁナントカ系なので仕方ありません)。そんなわけで進んでいくと駐車場が。ん?でも有料駐車場の支払機設置工事中?でもそこから先へも上がれるようなので普通に車で上がりました。



というわけで上部駐車場(仮称)へ。先客さんの車は2台のみでした。ここから先、最上部へ続く道はレストハウス関係者以外の車両進入禁止ということで歩いていきます。左上画像、手前の木が枯れているのはもしかして津波火災の?(津波被災後気仙沼湾周辺で起こった火災、その火の手の一部がこの亀山周辺にも到達)。

さて大橋が開通するまでは、この島を車で訪問する観光客の数は(カーフェリーがあったとはいえ)それほど多くはなかったでしょうが、今後は大橋を通って観光客が多く訪れるはず。その対策として島内各地の整備が行われています。下部有料駐車場の整備もその一環のはずで、おそらく2020/5現在、一般車は有料駐車場までしか上がれなくなっているのではないでしょうか。

そう思って調べてみたら、2020/4からすでにそうなっているようで、土日祝日は有料駐車場からシャトルバスが運行されているということです。われわれの訪問は上部駐車場まで一般車で上がれた最後の時期だったわけですね(ラッキー)。

やや古ぼけた感のあるレストハウスからは遊歩道を登っていきますが、上りとはいえ5分くらいだったかな。ちょうど先客さんと入れ替わりで貸し切り状態となりました。







うーむ確かに絶景です。大島大橋もはるか下に見渡せますし、島の中心部もご覧のとおり(津波発生時にはあの低い部分に両側から津波が押し寄せたのでしょう)。



頂上稜線の少し先に神社(愛宕神社)があるようなのでお詣りをいたしました。その先にも東屋がありましたがそこまでは行かず戻りましょ。

レストハウス内では地元の方とおぼしき方々が音楽の練習中。レストハウスそのものは営業していなかったのですが(シーズンオフだから?)休憩室自体は開放されていますから、なるほどここなら心置きなく音を出せるということなのでしょう。

この後は上部駐車場まで下っていきましたが、そこから下部有料駐車場に下る歩道がありまして、おしんこどんは「せっかくなので歩いてみるわ」ということに。



手すりが単管パイプというところに味がありますね(笑)。さてちょっと一服していると、すぐ脇に綺麗な椿の花が。というわけでパチリ、そのうちの1枚がこの旅行記ページの背景になっているわけです。



この後は再び大橋を渡って気仙沼市内へと戻りますが、渡った先あたりでおしんこどんが「このへんだったかなぁ」とそわそわ。何かと聞くと、下に降りる道がないかとのこと。よくわからないながら、確かこの先左側に分岐があったことを思いだして海沿いに下りる道へ。そして下りたところは‥







全体風景はこんな感じで、まさに気仙沼湾を横断する形で三陸道の橋脚工事が進んでおり、両側からの延伸工事が間もなく繋がるというタイミングでありました。この光景は今でしか見られなかったはずで、これはこれはなかなかでした。

この場所は小さな港になっていましたが漁船の姿はほとんどなし。この周辺に住む人が少なくなったからでしょうかね。というわけでこの界隈のうろうろもこれにて終了。この日のお宿のある栗駒山中腹まで一気に移動しました!

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