でも大都市やお祭りなどの人ごみにはほぼ近寄らずでした。

その14 ウシと戯れ、哀愁のトーチカ、そして襟裳岬へ



太平洋岸に放置されている構造物、これは「トーチカ(防御陣地)」なのです。

さて歴舟川を渡ったすぐの交差点を左折します。この先の海岸線沿いにトーチカがあるという情報ですが、ここでたぶん間違いないでしょう。しかし、海岸線に辿りつくその手前でついつい車を停めてしまったTakemaでありました。だってさ、



くつろいでいたウシくんたちが‥





めったに車も通らないこの道で(自分たちがいる間、ただの1台も通りませんでした)わざわざ車が停まり人間が出てきた(彼らからすれば「大きな生き物の中から内臓が出てきたぜ」という感じでしょう)となれば、興味津々火事親父というわけなのでしょう。これがメイン国道沿いの牧場であれば「へ、また車が止まったぜ」と慣れっこ&完全無視なのでしょうが。



別に何かをあげ(られ)るわけでもないのですが‥



というわけでついつい記念撮影にいそしむアラ還夫婦です。




そんなわけで何だか無意味に気をよくして海岸沿いへと進みます。ただし最後の区間は未舗装&穴ぼこだらけで荒れています。



おまけによほど晴天が続かないと乾かないと思われる水たまりが多数あり、オンロードバイクの場合は気を遣うかも知れません(もしブラックバードに乗っていた時代だったら「躊躇せず水たまりど真ん中を特攻」したと思います。そのほうが安全なので)。そんな人の場合(笑)、海岸沿いの広場は小石だらけなので必ずスタンドの下に噛ませるかまぼこ板系のものを持っていきましょう。そうしないと駐車中にスタンドがめり込んでバイクがコケますんで。

で、車を停めてしばし海岸沿いを歩いていくと‥





ここ大樹町旭山周辺の海岸沿いには、現在確認されているもので15基のトーチカ(防御陣地とも特殊陣地とも訳されています。ちなみにロシア語由来)があるようです。

太平洋戦争末期、ここ十勝や日高の海岸からアメリカ軍が上陸することが想定されたことから「本土防衛」の一環として結構あちこちで築造されたようで、事が事ならこのトーチカに立てこもった兵士は艦砲射撃や榴弾砲に耐えながらアメリカ軍の上陸を阻止しようとしたことでしょうが‥



戦後80年近くになりますが(今年は終戦から78年)、戦争末期に貴重だったはずのコンクリートを厚く使用して造られたこのトーチカです。それでは中に入ってみましょう(立ち入り禁止というわけではありません。というか完全に自然に任せているというか)。





何が何だかわかりませんね。この開口部は所謂「銃口」のようです。外から見てみると‥



こんなふうに、内部に向けてどんどん開口部が狭くなっていることがわかります。これは外部からの攻撃を受けた際に少しでも内部への爆風を防ぐ&内部からの銃口の自由度を確保するためだったのでしょう。しつこいですが戦後80年近く経って、このような戦跡がごく普通に(ほぼ放置される形で)残されているとはすごいことです。



さてこのあたりの動画です。気持ちいいなぁ(しみじみ)。




続いては、別のトーチカ群にもう少し南側からアクセスできる林道があるようなので進んで‥ええいきましたよ。ちなみに「ピピ」云々の音は、わがフォレスターの誇る「アイサイト様」が発する「衝突警告」のメッセージだったりします。ホントにヤバイ場合は勝手にブレーキが掛かるのですが(津軽で子どもが飛び出したときは確かに自動ブレーキが作動しましたし)、これくらい(徐行)だと警告だけですむようです(笑)。



ちなみにこれは帰り道動画ですので念のため(往復ですが)。

ええっと、もちろんお車(の表面塗装)を大切にしたい方にはまったく以てお勧めできない道です。車体側面をいろんな草がほぼ常時擦り擦りしていきますよ。そういえば確か先代フォレスターを「新古車(実走行9km)」で買ったときも、納車後最初の長距離お出かけで「前がほとんど見えない林道」に突入していたんだっけ。

さて進んだ先にはまたもトーチカが(当然です)。しかも今度は近隣にいくつも‥なのですが、その手前には‥




(うそつけ、トンビは餌となる何かを探しているだけ。)



しばらくの間この場所に留まっていましたが(望遠ってすごいね)、







さてこちらのトーチカは開口部が広く、こちらも中に‥とも思ったのですが、奥には砂がうずたかく溜まっておりエントランス付近に入ることだけしかできませんでした。

それにしても上画像の左側にはかなり最近に設置されたと思われる防波壁およびコンクリの消波ブロックが設置されているのに、この遺物が特に保存(または撤去)作業をなされることなくそのままというのはちょっと不思議です。遺構としても貴重ですし、またきちんと整備すれば「奇特な訪問客」の増加も見込めると思うのですが。

ただもっとも場所が場所だけに、荒天時に観光客が入り込んで事故などが起きるリスクもあります。このトーチカエリアへのアクセス路は非常に限られていますから、入域路を限定した上で要事前入域予約(荒天時は当局による許可取り消しもあり得ることを承諾の上許可)という形にして一般にアピールしてみるのもいいのではと思います。

少なくともこれらのトーチカでは「誰も死んでいない」のですから、変な心霊スポットになることも考えにくいですし(笑)。



付近の海岸には全部で8基のトーチカが確認されているようです(その他に防霜林内に1基)。興味のある方は是非行ってみて下さい。ただし2022夏現在では車が汚れたり(北側アクセス路)植物が車のボディをキーキーと擦っても気にしない(南側アクセス路)方限定でしたが。

さてここを訪問中に晴れてきまして、海岸沿いではありますが風もさして強くなく気持ちよかったからか、おしんこどんは篠笛を吹き始めました。



海岸から一段上がった段丘上には神社もありました。ちゃんとお詣りしましたよ。



周辺には、もはや本来の役目を完全に終えた消波ブロックのなれの果てが転がっていましたが、これってもしかしてトーチカ構築当時のものでしょうか?(たぶん違うと思いますが)。一方でおしんこどんが笛を吹いていたあたりにはしっかり植物が根を張り花を咲かせていました。ハマエンドウかな?



このあとは通称黄金道路経由で襟裳岬を目指します。それにしてもかつて「黄金を敷き詰めるがごとくの巨費を費やして」1934年に開通したこのR336ですが、さすがに開通当時の道はともかくとしても、自分が初めてバイクで走った1990年台前半と比べてもはるかに手が加えられており(海岸沿いだった道がいつの間にか長大トンネルで抜けられるようになっていたりとか)、やっぱり今も「黄金」の面目躍如という感じです。

でも「現在この道があるからこそ地元の皆さんの日々の暮らしが成り立っている」わけで、自分はこの道及び費用対効果などの面から批判するつもりはありません。それよりも自分にとっては‥



国道を進んでしまったことが失敗の原因で、脇道(集落内のメインストリート)沿いには2軒ほどあったのかな。「でもまぁ、襟裳岬のお土産屋さんに行けばあるはずだし」と高をくくって進んでいくも、なぜか缶ビールは販売していない様子(生ビールはあったのかも知れませんが、まだ車を運転しなきゃいけませんのでムリ無理)。

宿に着いたらプシュッとやりたかったのですが、まぁ仕方ない夕ごはんまで我慢しましょう(芋焼酎はあるわけだし)。ではではお宿へと向かいます(すぐですが)。




(前回=2018夏のページはこちら)。

守人さんのオーナーご夫妻は短角牛を育てる畜産農家であるのみならず、襟裳昆布の漁業者でもあり、なおかつこの民宿までも営んでおられる多角経営‥いやはや、その3つの事業が繁忙期となる夏は大変‥のはずですが、その忙しさの片鱗だけはこの翌朝に見学することができました(前回は天候不良のため見られなかったのです)。



お隣には夕食会場の焼肉ハウス「短々」が以前の通りに。完全別棟になっているのは「母屋に焼肉臭を染み込ませない」ためには大正解ですね。

そしてお宿の正面に見えるのは自衛隊のレーダー施設。同様の施設は奥尻でも佐渡でも下北でも見ましたが、北朝鮮のミサイル云々ではこれらの施設内で常に解析が行われているのでしょうね。隊員の皆さんありがとうございます。



部屋はロフト風の8畳間で、部屋からの展望はご覧のとおり抜群です。なおそもそも2部屋しかないのですが、コロナ禍ゆえ2022現在は1日1組(2名以上)しか受け入れていません。さらにオーナーさんご家族は別の場所に住んでいることから、



さてチェックイン後夕食時間までにはまだ間があったので、夕刻の襟裳岬に行ってみることにしました(確か前回も同じパターンだったかと)。お天気は実によくなったものの風が強いのはこの界隈のデフォルトですな。



芝生に影が映り込む時間だったのでポーズ。



さすがにお客さんは少なく、そこそこ撮り放題でした。



前回はシーカヤックであの辺りまで行ったんだよなぁ。



岬の灯台もこちらからだとまた違った趣があります。

このあとは宿へと戻り、周辺を散策することに。ま、行こうと思えばどこまでも行けてしまうので程々に、でしたが。



牛舎を外からちらりと見学。睨まれました(笑)。



色合いが全然違うのはご愛敬ということで。



戻ってきた頃には随分影が長くなってきていました。

さてこのあとは焼肉夕食です。短角牛の生産者さんならではのバラエティに富んだ部位をいただけるのが実に嬉しいし美味しいし有り難いのです!











ちなみに旦那さんがそれぞれの部位を説明して下さったのは前回の通りですが、前回は聞いたそばから忘却の彼方へだったので、今回は動画で記録しておきました。



さて翌朝は昆布干しの見学です。前回は漁がなくて残念だったのですが、今回は大丈夫でしたよ。というわけで次ページへと続きます。


[2022夏北海道のトップページへ] [次へ]