- その19 襟裳岬で短角牛をタンノー&昆布番屋で朝ごはん -



襟裳岬。灯台まで来たのはたぶん四半世紀ぶりの2回目です。

(2018年7-8月 その19)

このあとは一気に襟裳岬方面を目指し、やってきたのは‥今宵の宿「短角王国 ファームインまぶりっと(守人)」さん。



左側の小屋が夕食棟、右側が宿泊棟です。焼肉は別棟で!大切なことです(笑)。



こちらは短角牛の牧畜&昆布漁師&ファームインと、ある意味「3本の矢」経営をなさっているお宅なのです。民宿ではなく宿泊はお客のみ、ご夫婦は別の場所にお住まいです。あ、焼肉の食事だけでもOKのようなので「4本」というべきかもしれません。

まずは部屋に案内していただきます。屋根裏チックな部屋に見えますが居ずまいはまったく問題なし、そして1Fでコーヒーをいただきます。



でもこちらで食事をすることはありませんでしたよ。何というゼータクな空間!(両上画像マウスオン)。

夕食タイムまでにはまだ間があるので、とりあえずお散歩に。この時間になると結構涼しくなってきました。



短角牛ではなく馬がいましたんでまずはこんにちはと給餌するおしんこどん。



と、その奥にはこちらをじっと凝視する短角牛の皆さんが。何だかにらんでる?



近くには自衛隊のレーダー基地があります。北朝鮮ミサイルの時はさぞかし緊張したことでしょう。



しかし周辺は(牛にとっては)美味しそうな草場しかないんですけれどね。



そこそこズームして撮りましたが、放牧中の短角牛がのんびり草を食んでおりました。ほのぼの。

で、お散歩から戻ってきてもまだ日没までには余裕がありそうだったんで、ここはいざ襟裳岬まで足を延ばしてみることに。ほんの数キロだし、われわれにとってもたぶん初訪からそれぞれ20年以上経っているはずなので久々にね。



日没近くゆえ観光客の姿はほとんどなく好き勝手に写真撮り放題。

ただ、実はこの時のTakemaは座骨神経痛なのかそこそこ歩くのがしんどくて、おしんこどんの「岬の先まで行こうよ」という誘いに乗ることはできませんでした。こうやって着々とジジイ化しつつあるわけですね。ま、このあとの10月には八丈島で三原山ハイクとかをしていたわけなので要は身体の状況次第なのですけれど。







夕陽に照らされるTakema、実は結構寒がってます(半袖で来たのが失敗)。



おしんこどんはあの先端まで行きたかったようですが、スマンね歩くのがきつかったのよ。







宿に戻ると、最後の残照が建物を照らしておりました。身体も冷えましたが(気団が暖かいのから冷たいのに入れ替わったみたい)、宿の中はぬくぬくだったのでしばしまったり。やがて「夕食の準備が出来ました!」とのことで隣接の食堂棟へ。








食べる前にいろいろと肉の部位についての説明を受けましたがもはや全て失念!(笑)。いやそれはどうでもいいのです、とにかくわしわしいただきました!ウマーイ!最近お肉は「結構すぐ飽きてしまう」Takemaなのですが、ここは最後まで高いモチベーションでもちろん完食!すごいぞ短角牛!

そんなわけでこの日の夜は案外疲れたのかそこそこの時間に眠りにつきました。あ、おしんこどんはソッコーでしたけれどね。



明けて翌朝、外の気温はこんな感じでした(8月上旬ですからね念のため)。やっぱり気団が入れ替わったなぁと思いつつ宿の裏側に回ってみると‥





紐で結ばれてはいるようですが何だかまったりしております。毛並みもいい感じですしすっかりくつろいでいる様子であります。たぶんお客さん慣れしているんでしょう。



そうこうしているうちに皆さん「ご出勤」。あ、おしんこどんは早速お馬さんに朝ごはんをあげておりました。

こちらのお宿、天気のいい夏の朝食は宿から移動して「海を見ながら野外朝食」なのです。しかしこの日の朝はご覧のとおりの曇り空で(今までで一番天気が悪い)、ほんのわずかながら時折雨もパラリという状況。気温も低いので海辺ブレックファストは中止。でも、昆布漁師の一面をも見せていただけるということで昆布干し場の番屋で朝ごはんということに。やっほほーい!



やってきたのはかなりの高台に位置する干し場。獲った昆布はクレーンでこの干し場まで上げるのだそうです。それにしてもそこそこの標高差だよなぁ(両上画像マウスオンで別画像に変わります)。

話は変わりますが、ここ襟裳岬周辺の海域はかつて入植者たちが海浜樹林を薪炭目的で伐採してしまったこともあり砂漠化し、陸からもたらされる栄養が途絶したことから昆布の生息も壊滅状態に陥ったそうなのです。その後苦労して現在のような植林を成し遂げ、昆布も戻ってきたというわけで、このあたり(特に岬を挟んだ東側)を車で走るときは周辺の林を見てください。至るところに人工林の看板を見ることが出来るはずです。なおその過程を綴ったビデオはまぶりっと内の観賞用DVDで見せてもらえます(チェックイン時に説明がない場合はリクエストしてみてください)。

さて右上画像の番屋内にてご飯ですよ。



宿泊しているのに出先で朝ごはんといえば思い出すのがケニアやナミビアでの「早朝バルーン&着地点に椅子テーブルと朝ごはんを積み込んだサファリカーがやってきてそこで野外朝食」という企画でした。あれは楽しかったなぁ(ちなみにケニア(1995)の当該ページはこちら、ナミビア(2001)はこちら)。

ただ、当時から「高かった」という記憶はありまして、いま改めてナミビアのバルーン会社の料金を調べてみたら、2018/11現在ナミビアドルで(N$1=約8円)約7000ドル、つまり日本円にしたら56000円/P.P.もすることがわかって驚愕してます。ここ20年でいかに日本円の価値が下がったか(各国がインフレで物の値段が上がる中、日本ではデフレだったので、海外通貨/円の為替レートがさして変わらなくても全てが高くなってる)を実感します。20年前後の昔は確かもっとぐっと安かった‥。ナミビアでも30000円しなかったくらいだったんじゃないかな?

話は大きくそれましたが、でもそんなゼータクな朝ごはんでなくとも「普段と違う」「めったに来られない場所」での朝ごはんは何だかドキドキするし、そして美味しいものなのです。よく言いますよね、同じお弁当でも旅先で食べると美味しく感じるって。この朝ごはんボックスがまさにそれでした(というか味付け的にも美味しかったはずですが)。

さて食事後はこの番屋内に保存されている‥





とはいえ昆布は昨日も見てはいますけれどね(笑)。でも当然ながらやっぱり長いなぁ。以前利尻島で(あちらも昆布の名産地)、ちぎれた昆布を拾っている地元の方がいて、「そうかその手が!」と一瞬時めきましたが、その方はともかく自分は一切漁業権のアウターだし、そもそも干してその場でどうするというわけでもないことから「やっぱりやめた」ことを思い出しました。

それはともかく、かつて壊滅的な状態にまでなっていた襟裳の海を復活させたというのは凄いことだなぁ。そして獲り過ぎず管理することの大切さ。間違いであればいいのですが、三陸界隈では震災直後に獲れ(採れ)なかったことによる海幸のボーナスを使いきってしまったという話もあります。もうとにかく資源は管理していかなきゃ。「大漁旗」はあくまで地域文化の1つとして保持しつつも、「大漁ばかりをよしとする」やり方からは脱却するべきだと思います。その意味で最悪なのが漁業資源行政を統括する水産庁なんですけれどね(大不満)。

さてまたもや話を戻してと(すぐそれる)。番屋からの帰り道にはちょっと遠回りして放牧場方面に寄り道です。ただ、そちら側には自衛隊のレーダー基地があります。



ただ、あくまでレーダー基地なので航空機の離発着はなく(ま、ヘリポートはあるのでしょうが)、いたって静かな感じです。ただ、北朝鮮の弾道ミサイル発射時などはたぶんものすごく緊張した現場だろうと思います。ひそかにここにも迎撃装備とかが配備されているのかな?(たぶんない)。



さて短角牛の放牧エリアにやってきました。確かにのんびりしてますね。冬場を除いては完全放牧のようで、町営牧場も含めて「ある区画の草をほぼ食べきったら次の区画へ」という感じでやっているそうです。

でも一方でやはりエゾシカも多く繁殖してしまっており、写真には撮れませんでしたが「あれはエゾシカ‥だよね」という集団も目撃しました。このあと訪れた某所では「シカが多いからね、もしかしたら守人さんの放牧エリアの1/3-1/4くらいの牧草はシカが食べてるんじゃないかい?」というお言葉もありました。シカは主に日の出&日の入り前後の薄暗い時間帯に活動するということですから、実際の生息数は相当にいるはず。とはいえ牛の放牧エリアで猟銃を用いた駆除など出来ませんから‥悩ましいところなんでしょう。



さてお宿に戻ってきたあとはコーヒーをいただき、お宿犬と戯れたあといよいよ出発です。お天気は何とか雨も止んでいますが東からの風が強いのでどうなのか?というのも、



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