でも大都市やお祭りなどの人ごみにはほぼ近寄らずでした。 その22 八幡平越えで久々の大深温泉、そのあと松川温泉*2。 こちらもまた久々の大深温泉。八戸からの湯治ご夫妻、お元気かなぁ。 |
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東北自動車道は全線2車線以上のはずですが、一部区間は長期工事に伴い下り線が閉鎖されていて対面通行になっていました。もっともこのあたりはいつもガラガラなので特に問題はありません。というわけで鹿角八幡平ICで下ります。 |
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とりあえず3ルート共通のR282区間を南下していきますが、このあたりでもご覧のとおりの車外計測温度です(33度)。まぁとにかくあっつい!もっとも夏があっついからこそ米その作物もよく育つんですけれどね。 |
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あ、誤解なきように申し上げればステーキ云々由来の食あたりでは決してありません!(大切)。自分は一定量以上の食事を一気に食べると「お腹の急降下」に至ることが多いのです。若い頃はともかくとして(そもそも中高生時代も「大盛り」や「おかわり」とはほぼ無縁でしたが)、30代の後半から今の傾向が出始めて(老化ですね)、今はその確率がかなり上がっています(それでも「必ず」ではないところが悩ましいのですが)。 |
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(左上画像です。確か公的施設があったはずだという記憶正解!) |
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感謝感激火事親父で1Fの公衆トイレに意気揚々‥ではなく「慎重に歩行しつつ」向かった次第でありました。最後まで油断は禁物です(以下略、過去事例は妻おしんこどんのみ知る)。 |
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というわけで喜び勇んで左折してみたわけですが、その先にあった希望の「ゆらら」は、左上画像マウスオーバーの通り「定休日」ということで唖然。で、この時にあーあと思ってこの第5選択肢をさくっと切り捨てたわけですが、これは今考えればまさに迂闊でありました。だってまだ「八幡平高原ホテル」の日帰り入浴という選択肢だって残されていたのに!(なお500円で日帰り入浴OK)。 |
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大深温泉。思えば2002年、2003年とそれぞれ夏の終わりにオンドル小屋宿泊をしたのですが、02年にお隣に「居(生活スペース)」を構えていたご夫婦(八戸在住で、毎年農業の仕事が一段落する8月下旬にしばらく湯治でここに来るとのこと)がおられて、翌03年に再訪したらやっぱりおられて嬉しかったということがありました(この時です@2003年)。 |
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びっくりしたことに、ほぼ何も変わっていません。いや、ここ数年ならともかくですが20年前と比べてですよ!冬場は完全閉鎖される施設ですが、オンドル小屋は地熱の関係もあり積雪による小屋の傷みも軽減されることでしょうが(されど20年!)、冬場に雪下ろしがされているとも思えない炊事棟までも昔のままのように思われます。 |
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(この日は透明度がかなり高かったですね) 湯上がりにはこの地の天然水をゴクゴク。当然冷たくて美味しい! |
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さてここからは八幡平頂上と樹海ラインを経由して松川温泉へと向かいます。が‥ |
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とはいえ下りるとガスも取れ、一部に青空も。 |
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時間的に余裕があったので、晴れていたら久々に頂上付近を散策とも思っていたわけですが、まぁこればかりは仕方がないですね。というわけで松川温泉へ。松川温泉、その昔に今はなき温泉付きキャンプ場に1泊したことはありますが(この時です)、お宿に泊まるのは初めてです。で、今回のお宿は、 |
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こちらの松楓荘さんでありました。こちらは上記キャンプ場宿泊時に、松川荘さんはこの時にそれぞれ日帰り入浴していますのでお風呂自体は再訪ということになります。しかしですね‥ |
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まぁ仕方がないことですし、もちろん到着前から聞かされていましたし。あ、でも前回訪問時は洞窟風呂がちょうど男女の入れ替えタイムということで、自分は入れずに入浴おしんこどん写真を撮っただけだったみたい。自分は前回に引き続き今回もお預けということになってしまいました(苦笑)。 |
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というわけでお部屋へ。あれま、二間続きのVIPルームではありませんか!この日は奢って前沢牛プランを予約したことで、部屋グレードもアップされたのだと思われます(感謝)。ま、テーブル席には一度も座らぬままでしたが(笑)。 |
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窓の外を見ると、対岸の洞窟風呂が見えています。あちらはこれまでもしばしば落石等の事情により閉鎖されることが多かったようですが(上武に落石防止用のネットが張られているのもその対策でしょう)、今回はまさかの吊り橋流出ということです。右上画像は少し拡大したものですが、木製階段の先が完全になくなり、わずかに橋の痕跡として2本のワイヤーだけが残されているのがわかります。 |
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温泉設備破損のため、臨時休業のお知らせ |
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ええっと、われわれは8/8チェックイン&8/9アウトでしたから、まさにそのアウトした日の夜から降り出した雨!うわぁすんでのところで難を逃れていたことになります! |
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玄関脇には湯温調整の設備が。このあたりの微妙な調整が湯守の職人芸になっていると思われます。ところで部屋まで案内してもらった時に「こちらの水道は山の水を引いていますから美味しいですよ」と伺っていたんだっけ。車には水汲み用の2Lペットボトルを12本積んでいましたので、この翌朝チェックアウト前にたっぷりと汲ませていただきました。 |
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まずは大浴場へ。しめしめ、先客さんなしです。 お湯は普通とぬるめの湯を選べます。 |
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ただ、日帰り利用の方がホースで加水したまま上がってしまったのか、「普通」のほうも「ぬるめ」とほぼ同じ湯温にまで下がってしまっていました(もちろん水を止めてホースを片付けたことはいうまでもありません)。 |
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もちろんそれでもちゃんと浸かりましたけれどね。 |
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ならばと露天風呂へと思いましたが、先客さんがちらりと脱衣場方面に入っていくのが見えたので方針転換、もう1つの「内湯岩風呂」へと向かいました。すると‥ |
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これまた浴室床はバリ乾きで「しばらく誰も入ってないゾ感」ありありです。で、いつもの検温度チアー‥ |
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1つ前のページで「心穏やかに浸かれるのは46度台前半まで」と書いたとおり、これはもう何ちゅうか本中華(知らない人はスルーね)、まさにその湯温をピンポイントで体現しているわけでした。 |
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最後に露天風呂で仕上げました。こちらは混浴なのですが(たまたまおしんこどんも入ってた)、この日はお客さんも多くはなく、滞在中はどの湯でもほとんど他のお客さんといっしょになることはありませんでした(お互い何より)。 |
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湯上がり後もまだ夕食までには間があったので、お茶請け代わりに?部屋に用意されていた温泉たまご(固茹で)をビールとともにいただきます。それにしても、サッポロクラシックは北海道で買ったやつの残りだったと思いますし、黒ラベルの東北バージョンは前日鰺ヶ沢のスーパーで購入したものだと思うわけですが、オリオンはどこで?たぶん又兵衛の茶屋に上がる前に青森市内のスーパーで買ったものと思われますが。 |
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座り机は横にぐっと長い一枚板の立派なもの。ただし2人が正対するのに必要な(料理を置ける)ほどの幅はないことから互い違いに座りますが、これってまさにコロナ対応机ですね(笑)。 |
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というかこれだけ食べるとホントにお腹いっぱいというか、ごはんまでたどり着けなくなるわけですが、昔の「飯の一粒血の一滴」のような呪縛から解き放たれ、「無理をせず、残すことを憚るなかれ」という神の声が聞こえるようになってからはずいぶん楽になりました(笑)。前沢牛のすき焼きも美味しかった。なおメロンだけは部屋に持ち帰りました(お腹が少しこなれてから食べたいので=宿夕食いつものパターン)。 |
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はいはーい翌朝でーす!露天湯に続いて内湯岩風呂できっちり身体を目覚めさせます(しゃっきり)。前日の日中はここ松川温泉でさえ30度近くありましたが、 |
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しかし、朝方のニュース第一報はそんな呑気な気分を打ち砕くに十分なインパクトを持っていました。だって‥ |
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ということでしたから、もうとにかくびっくりでした。幸い熊の湯温泉さんには大きな被害は出なかったようですが(赤石川水系は何とか持ちこたえたようです)。それでも田んぼはずいぶんやられたんじゃないかなぁ。 |
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朝ごはんは適量でした(というかこれでも多いですがお宿のごはんとしてはという意味で)。この日は宮城の駒の湯温泉に向かうので(お手伝いです)時間的余裕はたっぷりあります。そこで新たなミッション♪ |
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朝食を早めに終えたこともあり、峡雲荘到着はまだ8時半前。立派なお宿で、おしんこどん「こういう宿もいいよね」とのたまっていました。確かに造りのグレードは松楓荘よりも上ですが、たぶん次回もこちらを選ばないような自分です(笑)。 |
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一般車駐車場に車を駐めて、ここからは歩きです。 (冷却作業はしていないようでした) |
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ただ、「格好よかった」のはここまでかな。どうやらこの地熱発電所も豪雨の影響を受けていたようです。 |
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地熱水力火力原子力を問わず、発電所の敷地内は常に整然と管理されているイメージがありますし実際そうでしたが、こちらにはあちこちに土砂の集積も見受けられました。道路にも「土砂を片付けた痕」がありましたし、やはり結構ダメージを受けたようでした。この日の夜半から翌日の豪雨ではどのくらい被害があったのだろうと思われます。 |
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1966年に運転開始ということですから確かに半世紀以上の歴史を誇ると同時にそれだけヘタリもきているわけです。でも火発や原発のように一旦完全に止めるわけにもいかないわけですからメンテナンスにも制約があるということなのでしょう。 |
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敷地内にある「松川地熱館」はコロナ絡みで閉館していましたし、場内のお社にはお賽銭投入を阻むかのような蜘蛛の巣が(笑)。というわけで何だか「勢いがない」松川地熱でしたが、これも「数年後に羽ばたくための繭」だったと思えばね。また来ますから! |
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