その5 マインパーク見学と駒の湯お手伝い



キミだキミ、マイン坊やに会いに来たのさ(そうでもない)。

(2023年3月23-27日 その5)

さてさて、「一度は寄って(見学して)みたかった」という場所とは「細倉マインパーク」でありました。

1200年もの歴史があるという細倉鉱山、自分も確か「亜鉛鉱山」として学んだ記憶があります。小学生の頃「鉄っちゃん」だった自分は、東北の鉄道地図を見ながら「何でこんなところに私鉄があるんだろう。どうしてやっていかれるのかな」と思ったことを覚えていますが、その1つが「栗原電鉄」でした。

だいたいの場合、その敷設理由は貨物輸送、しかも鉱山系の輸送であることが多かったようです。栗原電鉄の場合、改軌(762mm-1067mm)や電化、さらには国鉄線への直通線の設置など、かつてはイケイケ系の設備投資が行われていたようです。貨物がメインで旅客輸送はあくまでおまけ、されどその余裕があったのですからある意味いい時代ではありました。

しかし鉱山稼業が下り坂となり、細倉鉱山も1987年に閉山。「くりはら田園鉄道」と名前を変えた鉄路も、過疎化のなか旅客営業だけではやっていくことができず、途中コストカットのため電化路線維持を諦めてディーゼル車両による運行にしましたが、結局2007年に廃線となったわけです(なお、途中駅だった若柳駅の前後は「くりでんミュージアム」として車両の動態保存を含めて維持管理されています)。その運行終了に近い時期に自分も訪問しましたっけ(その時のページはこちら)。

で、そのそもそもの「大御所」たる細倉鉱山はその一部が「マインパーク」として展示公開されていたわけですが、ずーっといつも施設前を通過していたばかりだったのです。さらに数年前、マインパーク施設がリニューアルしたということで是非訪問したくなっていたというわけです。よし行くぞ。



マスコットキャラクターであるマイン坊や(マイン=鉱山)と記念写真。旨のHは当然細倉を意味しているはず。この日は土曜日でしたがたぶんまだ時間が早いからでしょう、駐車場はガラガラでした。ええ、たぶん時間が早いから‥。

500円の入場料をお支払いし、いざ坑道入口へと向かいます。







いよいよ坑道を進んでいきます。ボタン方式ではなくセンサー感知でいきなり説明が始まるので最初はちょっとびっくりします(すぐ慣れます)。で、最初に坑内事務所が出てくるのですが、この人形がとってもリアルだという話を聞いていました。でもまさか動くとは(笑)。

以下順序が前後したりしていますがお気になさらず。





どちらの隙間も穴も、掘ったんですよねぇ。鉱脈があるところはどこでも。



帯状に延びる鉱脈を求めて江戸時代から掘り進められたそうです。



ここは坑道内休憩所。お弁当とかもここで食べたのでしょう。



「山神社」に「古酒蔵」。このあたり、坑道内の中心部ですね。

なお、現在公開されている坑道は777mだということですが、全坑道の総延長は600kmだとのこと。各地の鉱山や炭山にも言えることですが「掘りも掘ったり」という感じですね。今や栗原市のローカルな一地域に過ぎない細倉マインパーク周辺にも、最盛期には1万人あまりが暮らしていたそうで、往時はとてつもなく賑わっていたのでしょう。自分はこの地域では信号角のだるま屋さん@ラーメンしか利用したことがないのですが)。

ちなみにこのエリアには唯一の有人エリア「砂金採り体験コーナー」(500円)があり、2組の家族連れが格闘中でした。われわれはトライしませんでしたが、そういえば坑内で人に出会ったのはここだけだったなぁ。

そしてさらに進んでいくと‥





というか、パーク側も「ここは絵になる」と考えての整備展示だったのだと思いますが、やはりこのあたりは坑道内においてもかなりの「中心部」だったのでしょう。ちなみにこの細倉鉱山、閉山の理由はコスト上昇の問題であり、資源そのものの枯渇ではなかったようです。

ちなみにGoogleマップ(画像)でパーク周辺を見てみると、パーク周辺の地表に黄色く広がる裸地がいくつか見られます。でも火山活動によるもの(硫黄)ではなさそうですし、あれは何なのだろう?今度行ったら聞いてみます(秘密というわけでもないでしょうし)。たぶん間違いなく温泉ではないですが(各温泉ファンに告げます)。

で、このあとは‥







地元の子どもたちが作ったものだとか。いいですね。



こちらは「鍾乳石」なのだそうです。鉄分が多いのでこの色になるのだとか。



さてこのあとは「たっぷり下ってきた分を登り返す」という荒行です(笑)。おっとこの手前にかつてのシャワー室があったのですが、あそこで使われた水(湯)はいったいどうやって外部に排出していたのでしょう?そもそもボイラーの排気も?説明はなかったよなぁ。まぁ動力があったわけですからポンプで汲み上げたり強制排気したりしていたのでしょうが。



というわけでエントランスに戻ってきました。この日は土曜日だったのですが、お昼前にもかかわらずお客さんが少ない‥。平日の学校団体の利用はそこそこありそうというかあるはずですが、それだけではねぇ。そこそこ見ごたえのある施設なので皆さんも行ってみてはいかがでしょう。

このあとはお昼ごはんを目指して栗駒岩ヶ崎へ。とりあえずネットで検索したお店はこちら!





旧栗駒町の中心部たる岩ヶ崎地区ですが、こんなお洒落なお店があるとは思いもよりませんでした。新築ではなく、たぶんかつての整備工場とかをリフォームしたのではないかと思いますが、それにしてもかなりイイ感じです。



お昼時ということで駐車場も混んでいましたがまぁ何とか(駐車スペースがわかりにくかったのでお店の方に聞きました)。店内もそこそこ席が埋まっているように見えましたが何と2階席があるとのことでよしよし。



この時期限定だったのか常設なのかはわかりませんが、店内は雛飾りや和装がこれでもか系で展示されていました。なおすぐ上で「整備工場とかをリフォーム」云々と書いたのはこの吹き抜け部の広さゆえです。かつてはクレーンとかがぶら下がっていたのかも(想像)。



さしてお腹は減っていなかったのでTakemaはチーズトーストとアイスコーヒー、おしんこどんはウインナーコーヒーのみのセレクトとなりました。それぞれ美味しかったのですが、ウインナーコーヒーは上に載せられたクリームの量が「メニュー画像を遥かに凌ぐ」量であったことをここに報告する次第です。「白薔薇かよ!」って感じで(笑)。

さて、結果論からいえばランチ後そのまま駒の湯に上がるのが「手伝い人として大吉」だったのです。この日は曇りで屋外作業も気にせずやれましたが、翌日の午前中は雨だったのでねぇ。まぁ合羽を着て(=借りて)やったわけではありますが。
でもこの日はそのまま上がることはなく、このあとは「栗駒山麓ジオパーク」を見学しました。





ええっと、上画像を見る限りではそれほど大きくもない建物に見えると思います。でもこちらはかつての小学校(小中学校)の校舎を最大限利用したものなのだそうです。まぁ建物前のテラス屋根はさすがに後付けだとは思いますが。



エントランスはともかく(新築)として、旧体育館(右上画像)は相当にお金をかけて改築しているのかなと思っていたところ、「もともとの施設に最低限の手を入れて」ということでした(センターの方が説明して下さいました)。まぁ栗原市も財政的に苦しいはずなのでそれはわかりますが、ということは‥



この旧体育館には大規模なビジュアルセットが設置されていました。ここにはお金をかけたんですね(それはそれで悪くもないです)。



両上画像、下1/3は旧体育館の床面です(もちろん動画上映のため白く整備されていましたが)。右上画像は荒砥沢ダムですかね。これがかの震災により崩れ落ちるシミュレーションもありました(右上画像マウスオーバー)。

このビジュアルセットはなかなかですので是非皆さんにもご覧いただきたいなぁと思いますが、もう少しアピールしてはいかがでしょう?看板だってそれほど目立ちませんので。あ、経験的に申し上げれば「山から下ってくる人々」をターゲットにすべきで、そちら方向側には看板も大きいのを複数設置してほしいのです(なお前回駒の湯からの下山時には場所が全くわからずあえなくスルーしてしまいました)。

その理由はといえば、「これから山に上がる」登山客や観光客は「行くぞ」系のアドレナリン分泌たっぷりで、その道中に立ち寄るなどまずないですから(特に登山者はいうまでもありません)。下ってきたときの満足&達成感があってこそ展示や映像をじっくり見ようとする心の余裕が生じているはずなので。

で、この後は駒の湯のお手伝いへと向かいます。栗駒の里はすっかり雪もなくなっていましたが‥







とはいえ過去の同時期訪問に比べれば圧倒的に雪は少なく、母屋や湯小屋界隈の雪はほぼなくなりつつありました(なお2018/3同時期に訪問した時のページはこちらです)。

で、まずはお約束というか、たぶん湯守によるご厚意だと思われる(笑)お風呂掃除です。まだ営業前のこの時期ですから、配管の定期清掃こそ必須ではありますが(湯花が詰まっては困るので)、お風呂掃除はねぇ(どうせまた湯花だらけになっちゃうし)。





湯守の掃除スタイルは存じませんが、自分はマッパーになって掃除します。パンツくらい履いてというのもわかるんですが、どうしても清掃中には湯跳ねとかもありますから。となるとまずは清掃前についつい‥











しかしちゃんとお掃除をすれば、いつもの透明湯が戻ってきます。ん?一番湯満喫中だろとか言わないでね(ある意味真実ではありますが)。

さて、このあとは来シーズンに向けての薪作り作業です。一冬を越すのにもそれこそ大量の薪が必要になるので、乾燥させるという手間を考えればこの時期に作業を完了しておかなければならないわけで、湯守ご夫妻も常に気に掛けています。となれば、「手数が倍」になったこのタイミングでやらないという選択肢などあり得ないわけです(ただし素人のわれわれゆえ作業ペースが倍になったわけではなかったと思いますが)。



予め長さを揃えていた丸太を、電動油圧の薪割り機で割っていきます。



以前は割った薪を一輪車で乾燥棚まで移動していましたが、今回は薪割り機の横に軽トラを横付けし、割った薪はそのまま軽トラの荷台へ、たまったところで軽トラごと乾燥棚まで移動するという効率的な運用でした。確かに疲れなくてイイデスネこれ。



移動後、みんなで乾燥棚に並べていきます。



荷台の薪はどんどん減っていき、かなり短い時間でご覧のように積み終えることができました。この薪はここで秋までじっくりと乾かされることとなります。剥き出しゆえ雨に当たって濡れちゃうじゃないかと思う人もいるかと思いますが、特に生木の場合はこの風通しの良さがないとカビが生えてしまったりするのだそうです。できれば1年以上乾かすのが理想的なのですが、そうも言っていられない以上「急速乾燥」が必要なので、かえってこのような場所で乾かす方が乾きが早いのだということでした。

はるか昔に思いを致すと、1989-1990のNZワーホリ時代、バンクス半島の農場で居候していた初期の仕事はといえば同じ薪作りでありました。薪を作って袋に詰め、クライストチャーチ市内のガソリンスタンドに卸していたんだっけ(つまりGSで薪を販売していたわけです)。

あの薪、そういえばどれだけ乾かしていたのかなぁ?Ronの家の敷地内に完全乾燥をさせるだけのストックヤードがあった記憶はありませんし、もしかして半乾き‥

いや違うぞ、確か山で伐採しておいた木々を放置乾燥させていたんだった!それを小さい倉庫内のストックが減ってくると伐採現場までトラクター牽引のトレーラーで取りに行っていたんだった!そもそも自分もトラクターで取りに行ったし、何よりその薪を倉庫に入れる作業の時は「嗚呼、明日はまた腰痛だな」と気が重かったのでありました。以上、30数年ぶりにこのことを思い出しましたわ(大笑)。

さて本日の作業はここまで。われわれはこの日のお宿へと向かいます(無雪期は湯守所有の小屋に泊めてもらえるのですが、この時期は寒くて無理!)。





あ、駒の湯直近の「くりこま荘」さんはこの日満室だったのでこちらだったんですけれどね。こちらには2度目の宿泊です。前回は年末手前のオフシーズンだったので「泊まりは全館貸し切り!(だったと思う)」のですが、さすがに今回はそこそこのお客さんが泊まっていました(至極当然)。

2度目だしまだ露天風呂は冬期休業中だしということで、全然がっつく必要もありません(笑)。この日の早い時間のうちに「チェックインは遅めになるが、すでに駒の湯の現場にいるので必ず行きます」と連絡してありましたので、暗くなり始めた頃にチェックイン、そこそこすぐに夕食となりました。

というわけで食事処に行く途中でこんなポスター発見。



「くりこま高原温泉郷」のポスターですが、名を連ねた宿は、かつての「栗駒五湯の会」とは別で入れ替わりがありました。地震により崩落した斜面によりできた堰止湖によって水没してしまった「湯ノ倉温泉 湯栄館」の名がないのは残念ながらやむを得ませんが、花山温泉は復活した佐藤旅館ではなく温湯山荘が名を連ねていました。そして湯ノ倉温泉の代わりにはこのハイルザーム栗駒が。

まぁ佐藤旅館も休業が長かったですから致し方ない部分もあるのだとは思いますが、やっぱり何だかなぁ。くりこま荘と駒の湯温泉がいっしょに入っているのですから(別源泉ではありますが距離は至近)、ラインナップには佐藤旅館も是非加えていただきたいところです。加盟宿の数に限りがあるわけじゃないんだからさ。(これ以上は何も言いますまい)。




注文したお酒は「温湯山荘」オリジナルラベル。うーむ(あまり期待できないかな)と思いつつ醸造元をよく見ると「金の井酒造」。おお、「綿屋」の蔵ではありませんか。しっかり純米酒で美味しくいただきました。なお夕ごはんはまぁお宿ご飯として普通レベルで、量は自分にとっては丁度いいくらいだったので、大食の人には物足りないのかもしれません。でも、ゴージャスな夕食を期待しているわけではないのでこれでいいのです。くりこま荘に泊まるときだって、最後に出てくる「弁慶」((岩魚のアツアツ塩焼きを藁つとに挿して出される、くりこま荘の名物)はすみません不要ですとリクエストするくらいですし。

で、この日はのんびりお宿で過ごしまして、明けて翌朝です。



もう湯画像は過去に撮影済みなんですが、ついついね(業)



朝ごはんはこんな感じのシンプルな感じで、自分としては十分です(何せ普段の朝食は「半飯一菜汁なし」ですから)。ただ、ハイルザームさんの食事は年間を通して案外固定的で、宿泊プランも「どのプランにしようかな♪」的な選択のトキメキ感がないのはどうなのかなぁ?イワナ養殖発祥の地ともいわれる耕英地区にあるのに、まったくそれ(イワナ料理)もアピールしていないですし。

食事後、少し館内を回ってみたら、こんな場所もあったのですね。コンベンションセンターという感じです。山の上にあるので一般の集客には向かないでしょうが、逆に、栗駒山関係の企画や展示などには向いているのかもしれませんね。あ、岩ヶ沢のミュージアムとかぶるから無理か‥。農業委員会の委員さんたちはお風呂に入って帰ったのでしょうか?(是非そうであってほしい)。



この日は雨降りだったので、ガレージ内で前日に引き続きの薪作り作業でした。上でも書きましたが、やはり軽トラ荷台に割った薪を直接投げ入れる&荷台から直接棚に積み上げるというのは実に効率的でよしよしです。

とりあえず棚ひとつに積み上げるほどにはなりました。でも湯守ご夫妻だけでこれをやるというのは大変です。というかこの日は湯守奥さまとおしんこどんは別のいろいろがあり、この作業は湯守と二人で行ったわけですが、となれば湯守だけだとこの半分(強)。うん、微々たるものですがお手伝いが出来てヨカッタですわ。

お昼ごはんの牛丼をいただき(右上画像マウスオーバー)、しばしのあと出発です。あ、われわれは「復興応援団」の一員でもありますので団費(年会費)ほかもお支払いしております。でも、こういうことってお金を払っても普通はやらせてもらえないですしね。作業を楽しみつつ多少なりとも一助となればということで、これからもよろしくお願いいたします!

さて、午後の出発ゆえこの日の目的地(宿泊地)はさほど遠くもありません。駒の湯とともにわれわれの定番訪問地でもあるあちらです!

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