その6 南三陸でごちそうさまのあとは「双葉郡のさくらめぐり」



「食事処 松原」さんの威容。しかしこの日はちょっと事情が違いました(笑)。
(ちなみに翌朝の画像です。当日は雨が降っていたので)

(2023年3月23-27日 その6)

さて駒の湯からは南三陸町へと向かいます。2時間もかからないので少し遅めに出たわけですが、道中はずっと雨だったので結局どこにも立ち寄らずでありました。石ノ森章太郎ふるさと記念館を通過してしまったのは今思えば残念(生家は以前訪問しましたが)。今度通るときには立ち寄りたいところであります。



というわけでこちらも再訪(3回目)の民宿「下道荘」さんへ。ご主人の本業は漁師だそうで、夕食は海鮮メインのゴージャスバージョンなのだそうですが、実はまだいただいたことがありません。なぜなら‥



事前に電話で連絡しておりましたし、松原さんの夜の部は17:00開店というわけで、その時間にタクシーを予約していざ向かったわけです。そして数分後お店に到着。しかしその時の運転手さんのお言葉‥



いや、でも事前に連絡しているしなぁ?でも確かに店内に人の気配もないし‥。

ええっと、細かい話はどうでもいいでしょう、この数十分後、われわれは「お店ではない別の場所」にて、




(お刺身が食べ散らかし画像しかなくてゴメンナサイ)



蟹も美味しくいただきましたし、



有頭海老フライほか沢山のおつまみをタンノーしまくりました♪

いただいた場所はお店ではありませんでしたが、お店グレードの美味しさをタンノーしましたよん。というか、お店よりもゆったりしちゃったかもなぁ。とことんご馳走様でした!奥様にはまたも下道荘までお送りいただいて(2014の初訪時からいつもなのですが)、ありがとうございます。楽しかったなぁ。



さて翌朝はすっかりいい天気となりました。上にも書きましたがこちらの下道荘は夕食の海鮮豪華さが売りなのです。しかし上記の事情により夕食をお願いしたことがないわけです。いっぽうで朝ごはんは案外質素なのですよね。ただ自分としてはこの量で十分なので嬉しいくらいですが。これにジュージュー系の焼き物が付いてきたりすると「あぁ、困ったなぁ」と思ってしまう自分です。ふだんの朝は「一飯一菜」なので。



湾の向こうに見えるのは南三陸のホテル観洋さん。津波被災で志津川が壊滅的な被害を被った時に、ある意味復興のベースとなった施設でもあります。2014年には現上皇及び上皇后陛下が滞在し、われわれもその数日後に宿泊したことで、松原さんと知り合うきっかけとなりました(そのあともう一度宿泊しました)。



荒島に続く歩道、実に穏やかな袖島海水浴場です(上画像マウスオーバー)‥



ただ、東日本大震災では、コンクリート造の鳥居までへし折られてしまいました。
(鳥居再建前訪問時のページは
こちら

このあとはさんさん商店街へ。とはいえまだ時間的に早かったので‥



さんさん商店街もコンビニ以外のほとんどのお店が準備中でしたし、中橋も、新造された南三陸311メモリアルも人影はちらりほらりとだけでした(開館前ゆえ仕方がありません)。

ただ、あくまで個人的な思いではありますが、隈健吾氏のデザインする建物がそろそろ食傷気味というか金太郎飴的で飽きてきました。統一感はあるのかもしれませんが「またこれ系かぁ」と思ってしまいます。あくまで個人的な意見です。木材を前面に出しているので、ある時期一気に外装メンテナンスに入りそうな気もしますし。

この日は一気に千葉まで帰りますが、あくまで寄り道しながらなので早め出発としたわけです。で、まずは‥




(上画像マウスオーバーで画像が変わります)

以前にも立ち寄っていますが、まぁせっかく通るのだからというわけで。階段を下りていくと先客さんがひと組。その方々も帰ったあとはしばらく貸し切りでタンノーしました。



それにしても、海に飛び出た地形に付けられる「岬・崎・埼」などの字の違いはどういうことで生じたのでしょうかね。犬吠埼とか、どうして「岬」にならなかったのか?ま、そのあたりは詳しい方がどこかで説明なさっているんだろうとは思いますが。




このあと旧雄勝町に設置された「雄勝硯伝統産業会館」でトイレを借り、ついでに見学しました。以前の仮設商店街時代にもこのような施設(プレハブでした)がありましたっけ。たださすがに運営的に経費はペイしないだろうなぁと思われ(われわれしかいなかった)、石巻市や宮城県の財政も大変だよなぁと(今後国からの補助は減ることはあっても増えることはないはず)。



さらに女川方面へと南下。女川町市街地外れにどんと出てくるトンネルはいつ頃開通するのでしょうね。東日本大震災前にR45やR398を走った時の記憶は「まぁとにかく山道で峠を越えて谷あいの平地に出たと思ったらまたも山越えかい!」というワインディング路でしたが、女川の北側のR398は今もその頃の雰囲気を残しています(トンネルが開通したらローカルロードになってしまうわけですが)。

で、女川の道の駅「シーパルピア女川」へ。まだお昼には全然早いのでコーヒーブレイク的な休憩でした。コーヒーとアイスね。



女川のこちらは長屋形式ではないので少しゆったり感がありますね(こちらは隈さんデザインではありません)。ただ雨の日はちょっと移動がしんどそう。ま、それも旅の一興なのでこれはこれでいいのです。海に続くストリート!



鮮魚店&食堂を運営するおかせいさんの「おさかなコンビニ自販機」もいいですね。最近はこういう冷凍もの自販機も増えてきていて、一定の需要を取り込んでいるようにも思えます。

で、海近くまで来てみると、旧女川交番(震災遺構)あたりに植えられたヤマザクラはすでに開花し始めていました。まだ3月下旬の東北なのに!この年はとにかく桜ほかの開花が早いというか早すぎました!

というわけでここから石巻方面に進み、市街地には入らないルートで高速に入り、三陸道-仙台東部道路-常磐道へと進み、浪江ICで下りました。



201921と、双葉郡(浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町)の桜を見に来ていました(残念ながら2020と22はタイミングが合わず断念)。今年は例年にも増して開花が早まっているわけで、ならばもう咲き始めているはず、行くべし!と考えたわけです。計画時には予定していなかったこともあり、ゆえにお宿を早出したのです。



浪江ICから市街地中心部に向かうR459沿いはかつて帰還困難区域指定されており、家々の入口にバリケードが設置されていて重苦しい雰囲気が漂っていましたが、現在は指定が解除されています。しだれ桜も綺麗に咲いていますね。

ただまぁ、現在浪江町に住民基本台帳登録がある15750人のうち(ちなみに震災時の登録数は21500人)、2023/3現在居住しているのはわずか1900人、そして住民登録者の50.0%は「戻る意志はない」ということで、やはり12年の月日の壁はあまりにも大きかったことがわかります(浪江町公式サイトの情報です)。避難指示解除時期が早かった楢葉町だと、2023/4現在同登録6579人のうち町内居住者は4322人。大きな違いがあります。

でも徐々に人の流れは戻ってきているように思います。特に外部からの流れが。その中心となるのが「道の駅なみえ」ですが、そちらに言及する前にまずは請戸川の桜並木に行ってみましょう。





とはいえまだまだ満開に至るほどではありませんでした。当時のツイッターでは「4-5分咲きかな」と呟いておりました。しかしまさか3月に請戸川でこんなに咲いているとは思いませんでしたからね(どうやらこの日になって一気に開花したのではないかと思われます=理由は後述)。

そ、それにしてもとにかく誰もいません。桜堤滞在中、トータルでもほんの数組、5-6人しか見かけませんでした。道の駅からだとほんの150mくらい歩けばこの絶景なのに!(われわれは車で移動し砂利の駐車場に駐めましたが)。

浪江町、明らかにアナウンス不足ですよ。そもそも「近隣に川沿いの桜並木がある」という情報すら道の駅には掲示されていません。せっかくのお宝観光スポットを生かせていません。来年以降はオンオフライン両面で是非アピールを!(ま、そうなるとこんな画像も撮れなくなってしまうので痛し痒しではありますが、そりゃわがままというものです)。





さてこのあとは道の駅に移動してお昼ごはんです。実はわれわれ、これまで浪江焼きそばなるものを食べたことがなかったのです(以前ランチで訪問したのは町内のうどん屋さんでしたし@この時です)。ゆえに今回はきちんと地元でと思ったわけなのですが‥



フードコート内も混んでいて、まずは席の確保をしないと椅子なし難民になりそうな感じでした(たぶん一番混んでいた時間だったようで、食事を終えた頃にはもう席も空いていました)。

お客さんは地元の人や工事関係の方々というよりは「これって皆さん、外からやってきた方々ですよね」とみられる雰囲気の方々が圧倒的に多く、お子さん連れの家族もたくさんいましたっけ。数年前には「地元関係者および復興工事の人以外ほとんど姿を見なかったはずの」ここ浪江町が大きく変化しています。特に道の駅のあるメインストリート沿いは再整備が進み大きく変わったと思います。



というわけで、1枚はなみえ焼きそば並+肉増量、もう1枚はしらす丼を付けた定食を注文しました。ええ、おしんこどんが定食ですよ(Takemaは量的に無理です。まぁ一部はいただきましたが)。

太麺なので食べ応えがあります。たぶん道の駅のレストランなので「並」の盛りは常識レベルに抑えられているようで、普通に食べられました。以前、最初の再開時にオープンしたお店(R6沿い)はデフォルトの量=大盛りだったようで、立ち寄って食べたかったけれど「それを食べたら絶対眠くなる」(食べたあと運転するし)というわけであえて立ち寄らなかったのです。ようやく食べられまして、ご馳走様でした。

なおお皿には「何事も馬九行久」とあって、これは相馬野馬追のエリアだし何か故事にちなんだ語なのかなと思いましたがさにあらず、「何事もうまくいく」をもじったものでした(笑)。ただ、お皿は地元の大堀相馬焼のものであり、きちんと完食するとお皿の底から駒(馬)が9頭姿を現すという凝りようです。皆さんもちゃんと完食を!(左上画像マウスオーバーで完食後画像に変わります)。



道の駅なみえ、大きな施設ですし多くの人々が訪れています。町内には今や多くの飲食店も開業(再開)していますが、下調べをしていない通過者のお客はまず道の駅を目指しますからね。だからこそ、この桜の時期にそのお客さんたちを「請戸川の桜」に誘導しないというのはあまりにも勿体ないことです。原発云々とはまったく関係のない浪江の桜、それも自発的に地元各氏それぞれが植えたという桜がこれほどまでに立派に花を咲かせている、その姿を見てもらうというのは浪江のイメージアップ、ひいては浪江ここにありのアピールに大きく寄与するのではないかと思うのです。観光協会さん、よろしくお願い致します。なお参考までに、このあとNHKの「小さな旅」でこの浪江の桜並木が特集されていました。

ただ今回、1軒の飲食店さんが「売店舗」となっていました。もとより現在の浪江町は観光でやっていかれる(orやってきた)地域ではありません。何年も前の拙ページに「何十年も廃炉作業が続く上で、その作業に携わる方々は日々地元でお金を使う方々でもある、ゆえにアパート等の整備を」と書いた記憶があります。

ただ、それを行うには浪江町の避難指示解除は遅すぎたようですね。この後南下する富岡町の市街地には多くのアパートが建ち並んでおりそこそこの入居があるようですし、また「さくらモールとみおか」のような複合施設も整備されました。タイ料理のお店もありますし(何とか行きたいのですがいまだ未訪問)、調べてはいませんが居酒屋さんなどもあるのだと思います。

いっぽうで浪江町中心部にはそういう生活密着系の施設がまだ圧倒的に少ないわけで、それはある意味「他地域に復興需要を先食いされてしまった」といえるのかもしれません。とはいえそれとて如何ともしがたいことなんですけれどねぇ。

ハイ、話を戻してR6を南下します。もちろん現在の帰還困難区域を通過していくわけですが‥




(負けやしません!)



つらい思いを抱かざるを得ない国道沿いではありますが‥






さて続いての訪問地はいつもの夜ノ森駅周辺です。夜ノ森といえば桜並木が有名ですが、自分たちは最初に訪問したのが駅の西側だったので、今回もそちらへと向かいました。何と駐車場が整備されていてびっくりしました。



お天気イマイチですが、浪江よりも開花が進んでいましたね。

駅もすっかり立派に新造され(無人駅ですが)、かつて荒れ放題だった駅構内(そもそも線路の東側にあった駅舎は帰還困難区域内にあり立ち入れませんでした)の面影はまったくありません。



当時の駅ホームはこんな感じでした。椅子が綺麗なのが不思議(2014秋)

夜ノ森駅東口は避難指示解除が遅れましたが、現在は普通に出入りすることができます。この駅前にも大きな桜の木がありますね。ソメイヨシノではないようです(桜並木のソメイヨシノより明らかに花の色が濃いのでたぶん)。



そして桜並木へと進みます。以前より入れるエリアが北側にぐっと広がったと聞きましたが、何の考えもなくいつもの南側へと進みまして‥。





ちなみにこの画像をツイッターに上げたところ、いわき市在住の方から「前日(お天気は雨)いってみたらまだ全然という感じだったのに、今日になって一気に開花したんですね!」とのコメントをいただきました。桜の開花は北に行けば行くほど「一気に開花」するようで、以前岩手県遠野市付近に宿泊したときも、宿の方から「昨日までは全然咲いていなかったのに、今日一日で満開になっちゃった」というお言葉を伺ったこともありましたっけ。



というわけで絶妙なラッキータイミングだったことに感謝です。



いよいよ旅行中の寄り道も最後の方になりましたが、楢葉町天神岬温泉のしおかぜ荘に立ち寄り入浴です。ずいぶん前(震災前)から立ち寄っていたと思いますが。
当然先客さんありだし湯画像はありませんが(そもそも撮禁)、あれ、源泉井再掘削後に訪問した時よりツル感がぐっと増しているような気がするんですが?当時の湯ざわりを明確に記憶している肌でもありませんので明確な比較はできませんが(笑)、何だかいい感じでありました。



このあとは天神岬公園訪問でクールダウン。すぐ南側には広野火力発電所が見えています。何度も書いていますが、この火発も津波で大きく被害を受けました。津波被災当時2・4号機が稼働していましたが、電力需要がさほど多くないこともあり停止していた1・3・5号機を含めた全機が津波により被災しました。

しかし懸命の復旧活動が功を奏し、2011/6月から7月にかけて全機復旧できたのです。1-5号機の発電最大総量は380万kWあり、「広野火力の再稼働が2011夏の首都圏を救った」といえるのではないでしょうか。

その後2013年には5号機と同様の超々臨界圧(Ultra Super Critical)による石炭火力6号機も運転を開始しました。いっぽうでその後1-4号機は長期計画停止となり、現在は5・6号機のみによる運用がなされているようです(発電総量は2機合わせて120万kW)。

話は変わりますが、「脱炭素」とやらの流れの中で「石炭火力は地球温暖化に拍車をかけるので新設禁止」という欧米流の意識高い系の独りよがり事案が進行してしまいました。そのため日本のエネルギー変換率の高い石炭火力(USC)すらも海外で建設できなくなってしまったわけです。ヨーロッパの一部の国々などは、CO2を多く発生させる鉄鋼などの工場を途上国に移転した上で「ほら、ウチの国は脱炭素、進んでるでしょ」と鼻高々に放言して憚らないわけですが(腹立つ)。

しかし、途上国において「安価で入手しやすい」石炭による火力発電設備は、その設計の古さや老朽化ゆえ熱変換効率も低く故障も多い、それでも他のエネルギーに頼るわけにもいかず使い続けなければなりません。日本が輸出しようとしていた石炭火力プラントは最新式の上記USC(あるいはさらなる次世代機)だったわけで、その輸出は現地の発電によるCO2削減及び電力の安定供給に間違いなく寄与したはずです。

しかしその計画は「きれいごと(理想)を声高に叫ぶ」上記の国々や国際機関により潰されました。あまつさえ日本でも「意識高い系の学生」により「バングラデシュに石炭火発輸出反対!」などとメッセージが発信されたりしました。バングラデシュの人々の生活の利便性向上と現地でのCO2削減よりも、「石炭は駄目といったら駄目!」と盲目的に追従するほうが大切なのですかそうですか(唖然)。

CO2削減については国単位ではなく世界単位で考えなければ意味がありません。どこをどうすれば「世界全体でどれくらい減らせるのか」を考えるべきなのです。半乾きのタオルより、じっとりと濡れたタオルのほうが同じ労力でたっぷり水を絞り出せるはず。まずは「濡れたタオル」から始めるべきなのだと考えます。


(EV礼賛やSDGsを声高に叫ぶマスコミや団体、個人は信用していません)

ハイ、すんごく長くなった愚痴というか個人的見解、失礼しました。いよいよこの旅行記も最終盤なので話を続けましょう、天神岬公園でしたね。



公園として整備されているがゆえに桜の木々も整然と並んでいます。ただソメイヨシノだけではなくヤマザクラ系もきっちり植えられているのがいいですね。そうすることにより見た目の変化&開花時期の違いにより長く桜を楽しめるというのもありますし。

確か公園端のほうの桜の木は、震災後、まだ楢葉町に避難指示が出ていた頃に植えられたものでした(植樹年度の記載あり)。あの頃その植樹作業に携わった方々は、地元の再生を信じて作業なさったのでしょう。いまや子どもたちの声が響くいい公園に戻りましたよ。ありがとうございました。



ツバキは早咲きだったのかもう終わり。右のヤマザクラはこれからです。



展望台からはいろいろな花の色が。おしんこどん、撮ってますね。







というわけで、寄り道が長くなり帰着がそこそこ遅くなりそう&帰宅後の夕食の手間を省くべく東海PAで早めの夕ごはん。一部(複数)の御仁からは「Takemaは蕎麦か海鮮しか食べない」との指摘を受けていますが、実はふだんの昼食におけるトンカツ率はそこそこ高いのです(ラーメンより高いと思う)。今はどうだろうとも思いますが、20代のころ「『最後の晩餐』には何を食べるか」という問いかけには躊躇なく「トンカツ(ロース)定食!」と返答していたくらいですからね(笑)。

というわけで、約1300km弱(1286km)のお出かけとなりました。次の長距離はGWとなりましたよ(このページをタイプしているのは6月初旬。あ、千葉のミニお出かけが間に挟まりますが)。ではでは。

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