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【その9 福島浜通りのさくらめぐり2021のあと谷地温泉へ】



今年(2021)は福島浜通りの桜開花も早かった!3/26、夜ノ森の桜並木。

【2021年3月22日~27日 その9】

さて常磐道をひた走り、南相馬鹿島SAのETCインターを出て、ここからは一般道を走ります。上画像にもあるように、2021は桜の開花が随分と早かったため(鳴子や川渡ではさすがにまだでしたが)、温暖な浜通り界隈ではそこそこ咲き始めているのではないかと考えたわけです。


(2019にも巡っています。その時のページはこちら。)

おっと、その前にお昼ごはんを食べておきましょうか。南相馬(鹿島区)界隈でのお昼ごはんというと、いつものこちらかな。



R6沿いにある「木音(きね)」さんです。もう5回目くらいの訪問だったかな(ご存じの方も多いと思いますが、われわれのお出かけ先ランチにおけるラーメン比率は限りなく低く、いっぽうで蕎麦と海鮮系率はかなり高いのです。なおたまにイタリアンとかに流れます)。

Takemaは盛り蕎麦を注文。ただ時期柄セリの天ぷらが単品で注文できたのでよしよしと。おしんこどんは「蕎麦&うどんWセット天ぷら付き」を注文しましたが(左上画像マウスオーバーで別画像に変わります)、それぞれミニとはいえそこそこの量ですから自分は注文しないかなと(少食人種)。



このあとは近隣にある若松味噌醤油店さんへ。あれ、壁の色を塗り替えましたね(前は茶色でした)。先客さんがおられましたが、お客さんというよりは何かの打ち合わせ関係だったのかもしれません。その関係かご主人と若旦那お2人がおられたのでご挨拶。初めは思い出していただけなかったようですが、ブログの話をすると若旦那さんが「あ、ちょっと待っていて下さい!」とおっしゃるが早いか速攻でどこかに走って行かれ、戻ってきて「これどうぞ」と、オリジナルのタオルを下さいました。ありがたや。

わが家のお味噌は基本的にここ若松さんのものなのですが(できれば青バタ味噌)、コロナ禍のご時世ゆえお出かけが減ったこともありなかなかお店までは買いに来られず(いやネット販売もあるのですが)、南相馬鹿島SAで「吟醸味噌」を買うくらいでした(この時点ではそのお味噌も切れていて別の味噌を使っていました)。

で、お2人に「道の駅の売店には『青バタ』が置かれていないんですよね」と申し上げると、若旦那から「なるほど、ではあそこにも青バタを卸すよう検討しましょうかね」と実に前向きなご発言をいただいたわけですが‥



ま、今度またおじゃました時にその旨を申し上げましょうかね。というわけでわが家の味噌はしばらく「安定の青バタ」というわけです。

なお「みそつき」とは、「持ち込み大豆による味噌造りを請け負う」システムだということです。さすがにわが家も(屋上で)大豆は栽培していないから無理だなぁ(笑)。しかし落花生は栽培していたぞ(昨年収穫実績あり)。

お味噌と甘酒を購入したあとはR6を南下していきます。小高エリアにもまた行きたいなぁと思いつつも(特に浦島鮨ランチ)今回は通過して浪江へ。そう、請戸川沿いの桜です!





もちろん満開までにはまだ間がありそうですが、3月下旬だというのにこの咲き始めっぷりは実に嬉しいじゃないですか!(「暑く長い夏」が想定されるという点ではつらいですが)。さて堤防の上に上がってみると‥





まぁ2年前はほぼ満開だったわけですが、データによると訪問日は「4/12」。今回はそもそも「時期的に早すぎるし」というわけで最初から諦めていたわけで、でもここ1週間ほどの暖かさで「もしや?」と思って計画を変更したことが功を奏しました。平日なので他に人の姿もほとんどなし。すぐ近くに道の駅がオープンしたのに、ここはまだ全然知られていないということなのでしょう。




(コブシだよなぁ)



お、前日にオリンピック聖火リレーが行われたようですね。まぁどのような形で「やる」のか、それとも「やらない」のか、それを含めて3ヶ月前にもかかわらず全然見通しが見えてこないオリンピックというのもすごいことです。自分はそもそもどちらでもいい派ですので(チケットを申し込んだりもしませんでしたし)。

続いてやって来たのは道の駅なみえ。2020/8に仮オープンしていたようですが、実はこの日の約一週間前、2021/3/20にグランドオープンを迎えていたようです。というわけで中に入ってみると‥。



入館してみると、あれま某有名華道家の方によるフラワーアレンジメントが。浪江に縁のある方ではないようですが、花材そのものを通しての交流だったのかも知れませんね。ちなみにフリージア等、ものすごく大きくて立派な花々が販売されていました。



お花は地元産!たまたまこの日のTVでこれらのお花の栽培者さん(女性)が紹介されていました。原発事故後に花卉栽培を始めたとおっしゃっていたかな。いずれにせよどんどん前に進んでいますね!

物販エリアにはあまり地元(浪江町に限らず浜通りエリア全体)の産品が多くなかったのが少々残念でした。しかしまぁ少しでも何かをということでたまごを買いましたよ。わたくしTakemaの平日朝ごはんは「たまごかけご飯」が定番ですので。

このあとはR6を南下していきます。帰還困難区域に入るので大した寄り道は出来ないのですが、双葉町内に2020/9に開館した「原子力災害伝承館」に行くことに。ここはまだ訪問したことがなかったので‥(富岡町の東電廃炉資料館には2回訪問し、2度目の訪問時にいただいた英文資料はウクライナのチェルノブイリツアーガイド氏に差し上げました)。



東電による運営ではないので有料です。でもそこそこ多くの訪問客が。



津波被災と原発事故後、浜通りには何度も足を運んできた自分です。津波で壁をぶち抜かれたまま放置されている住宅群やねじ曲げられたガードレールや橋の欄干などはそれこそ数限りなく目にしてきました。そしてそれらのほぼ全て(見える範囲で)は震災後10年で完全に撤去されるか、新しいものに付け替えられました(もちろん帰還困難区域内は除きます)。

そのこと自体は当然のこととはいえ、それは同時にいわゆるリアルな「歴史の証人」たるものが失われたことをも意味します。今(2021/3)、東北太平洋側を訪問しても津波被災の痛ましさを「実感」出来る場所はほとんどありません。その意味で南三陸町や陸前高田市が震災遺構を残したのは英断だったと思います。

ただ、原発事故被災については「そもそも現物を残しにくい(放射線量の関係で)」という問題があるのでなかなか難しい部分があると思います。展示についてはその不足分を映像で何とか補おうとしているのだと思います。でも、





もっとも被災直後当時のホワイトボードなどは「よく残っていたなぁ」と思ったりもしました。もしかして大熊町のセンターにあったやつだったのかな?それはともかく、ん?右上画像のあの黄色いやつ(ガイガーカウンター)には見覚えがあるぞ!



やはり同じものでした。この線量計は事故後にウクライナの団体から寄贈されたものだという記載がありましたが、確かに自分がチェルノブイリ現地で使用していたのと同じものでした(右上画像では58.87マイクロシーベルト/hを表示しています。その時のページはこちら)。

一通り見学を終え、屋上に上がれるみたいなので行ってみることに。



屋上からは防潮堤の向こうに太平洋を見ることができました。この建物のある場所は津波で手ひどくやられたようで、なぜか今も残されている施設は1階部分の壁がありません。つまりはそれだけの水が押し寄せたというわけなのですが、手前の廃車といい建物といい、なぜ撤去されずに残されているのでしょうか?もしややがては屋外展示施設として?(どうもそうとは思えないのですが)。

エレベーターで1Fに降り、奥の側をちらりと見て‥と思ったら、何とそのすぐ外側に「あれ」が鎮座していたので行ってみることに。まさかここに置かれているとは思わなかった!(奥側に出入口がないのでぐるっと回って=不便)。





このパネルは震災前双葉町内にアーチとして掲示されていた現物です(たぶん外された後に再整備されたと思いますが)。保存を求める側と、大物であるがゆえに保管場所が云々という側とのやりとりがあったということは承知していましたが、まさかここにあるとは。

しかし、双方のやりとりを象徴するかのように、実に中途半端な設置場所です。屋根の下であるとはいえ屋外ですし、雨や潮風の影響を受けないということはないでしょう。自分としては「入館後最初の部屋(映像見学)に設置してもいい」くらいのインパクトがあるパネルだと思うのですが、まぁ、いろいろと「事情」があるのでしょう。



何とも中途半端な場所に置かれております。

そこそこ時間をかけての見学となり、夕方も近づいてきたので少し駆け足で進みます。



いつもながら帰還困難区域内では切ない気持ちにさせられます。



夜ノ森地区まで南下してきました。ここはまだ帰還困難区域内なのでバリケードがありますが、その手前側には‥





浪江町請戸と同様三分~五分咲きというところでしょうか、でも十分に綺麗です。というか、満開よりもこの「いくよ、咲くよ!」のオーラを発しているようにも思えるこの時期のサクラ、個人的には満開より好きかもしれません。





このあとは夜ノ森駅方面へと移動します。というか、震災後しばらくは駅の西側が入域の境界だったこともあり(「居住制限区域」とかいろんな名称があったのも今は昔)、夜ノ森駅の西側はわれわれが立ち入ることのできるぎりぎりのエリアだったことが長かったのです(その頃の訪問ページはこちら)。



駅の西側にやってきました。旧駅時代は東側にしか出入口がなかったのですが、駅舎を新築した際に東西自由通路が設置されました。実は震災前には一度も来たことがなかったのに、その後は妙に詳しくなっちゃってます(笑)。



夜のライトアップ用照明セットアップも準備完了モードでしたが、まだ少し先なのでした。でも花はしっかり咲き始めている中、電車はごくあたりまえに発着しているのでありました。乗降客数名あり、でももっと増えるといいなぁ。





このあとはいわき市北部の常宿である谷地温泉田村屋さんへ。加温循環とはいえ高アルカリ泉ゆえのツルヌル感は捨てがたいです。そういえばいつの間にか「あぁ、どうもぉ」という関係になりましたっけ。



新館部分はピカピカ。部屋は二間+広縁なのですが、夕朝食は別の部屋でいただくという贅沢です。なお屋内(外)喫煙所もしっかり設置されています。



お湯はツル感バリバリで、そこに源泉コックを捻ると「間違いなくヌル」の湯感が。これが好きなんですよ。この日はもう1組、小さいお子さん連れのご家族が泊まっていましたが、あちらの部屋には陶器風呂がある関係かこちらは利用しなかったようで、浴場の洗い場はいつも乾いておりました。

さてさて、夕ごはんです。田村屋さんはわれわれのわがまま(量は控えめで)を聞いてくださるので感謝感謝。そして前回同様「飲み比べセット」を2つ注文すると‥











何だか前回よりも総量が増えている気もしますが(笑)、もちろんおいしく完食させていただきました(フルーツだけお部屋持ち帰り)。何年か前、こちらのお宿が宿泊受付を再開して程ないころ、その時のTakema宿泊レポートを見たTakem従姉妹さんが興味を持ってくれて伯父伯母と3人で宿泊したそうです。伯母はチェックアウト時、C/Pの高さにびっくりしたそうで、たいそう喜んでくれたということでした。従姉妹からその話を聞いて自分も嬉しくなったことを思い出します。



朝ごはんはオーソドックスですが必要にして十二分すぎるほど。もうひとっ風呂をいただいた上でチェックアウトです。で、表に出てみると‥








(別に宴会をしたいわけではありませんので『沈黙独酌』でOK)。

というわけで今回のお出かけもいよいよ最終日。もうちょこっと寄り道をしながら帰路につきましょうかね。

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