- その2 浜通りの常磐線再開通各駅をめぐるの巻 - 坂下ダムの桜がまだなのはわかっていましたが再訪問。あれま、タムシバの木もあったのね。 |
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というわけで千葉を出発。とはいえこの日の泊まりはいわき市内なので極端に早い出発ではありません。普段の出勤より少し遅い8時くらいだったかなと。で、いつもの通り常磐道を一気に北上し、いわき四倉PA到着は11:30ころでした。ちょっと休憩してさらに北上‥ |
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常磐道を北上し、浪江ICから浪江駅へ。浪江駅には去年(2019)の春も来ていますが(この時です)、この駅に初めて降り立ったのはたしか1977年だったんですよ。福島駅から国鉄バスに乗ってこの駅までやってきて、ここから常磐線で仙台まで抜けたはずです。わたしの人生初めての長期お出かけでしたので(当時中1)、もう45年近く前のことなのに今でもかなり覚えています。この駅舎が横長の平屋で、駅舎前に階段が数段あったことも‥。 |
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めずらしく事前調査してきたわけで、ただ、ラーメンとかトンカツならばある意味どこでも食べられるので今回は除外するとして‥ん?1軒だけ妙に離れた場所でポツンと営業しているお店があるぞ。 |
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ほほーう。まず間違いなく手打ちうどんだろうしこれは期待できるかも。というわけでいざそちらへと向かってみることに。途中ちょっとわかりにくい分岐もありますが、幟が目印となり無事到着。 |
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もちろん嬉しい系の言葉です!このキャッチコピーも、この雰囲気も一瞬で気に入りました! |
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東京の大学を卒業後、飲食業界へ就職。‥1本の映画の影響を受け、1年間休職すると同時にアメリカへと飛んだ。「どうせなら」と、そこから世界一周の旅へと舵を切った。‥ |
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上記内容を引用させていただいた、西内食堂について詳しいページはこちらです。それにしても、普段使いの帽子が「レイキャビクのハードロックカフェキャップ」って渋すぎで、もうそれだけでこのご主人がタダモノではないと拝察されます。ピークタイムは過ぎていて厨房にも多少余裕があったようだったし、このページを読んでいたら少しお話を伺えたかも‥ま、次回があるさということで。 |
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おしんこどんは左上画像の「究極のぶっかけ(全部のせ)」780円、Takemaは右上の「特製ぶっかけ」580円を注文。讃岐うどん系ということですが、残念ながら讃岐でうどんを食べたことがない&実は讃岐うどんではないという丸亀製麺のうどんすらも食べたことがないTakemaゆえ(笑)比較の対象が存在せず、ただ「美味しかった」としか申し上げられないのが残念です。でも次回の浪江訪問時にもここに食べに来たいゾ! |
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さて、まずは請戸川沿いの桜並木に来てみました。が、当然ながら桜はまだですね、そりゃそうだ、前年(2019年)は4月12日に訪問してようやく満開より少し前だったんだから、それより3週間も前なら咲いているはずがありません。あ、その時の画像も載せておきましょう。 |
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逆サイドからの撮影なのでちょっと比較しにくいですが‥。しかもこの日が曇りだったのは残念。 |
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しかしあらためて見てみると、去年は河川敷の枯れ草が綺麗に刈られていたんですね。今年はどうだったんだろう?(確かこの請戸川河川敷の刈り払いを首都圏の方(神奈川?)が自発的&定期的にやっていたというニュース記事を読んだ記憶があるのですが、地元新聞の過去記事を検索した限りでは見つからないなぁ)。 |
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このあとは町内にあるGSでガソリンを補給し(R6沿いではなくややわかりにくい場所にあるので、震災前からたぶんほぼ100%地域在住の方がお客かと)、昨年ここで教えてもらった丈六公園へ。 |
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昨年もそうでしたが、やるべきことありまくりと思われる浪江町としてはこの公園の整備が重点優先とはなっていないようで(そりゃそうです当然です)、草刈りを行った形跡は一部だけでした(ごく一部だったので、行政としての作業ではなく地元の方がボランティアで行ったのかも)。 |
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展望台自体はコンクリート造りなのでまだ全然へたっていません。手すりも見た感じでは錆が目立っていないのは、震災の前にメンテナンスが入っていたのかなぁ。 |
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いや、でも「怒涛系」ではないと自覚していたので焦ることはありませんでしたよ。そもそもお昼ごはんを「きっちり一人前」食べるとやってくる流れなのです(だから平日ランチは量少なめ)。でもね、いずれ「来るものは来る」わけですよ!でもねー(余裕派)。 |
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ただし一抹の不安はありました。この時期の市井においてはいろんなペーパー類が品薄というか店頭から消えていたわけです。あちゃまーどうかな?と思いつつ個室に入ってみると‥ |
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感謝しつつ用を足させていただきました。それにしても、昨年同時期この向かいにあった家屋はすっかり解体され更地になっていました。少しずつ「現状に即した姿」になっていくのですね。でも、少し下ったところにある「黄色いハンカチ群を飾ったお宅」は旗もそのままですっかり日常生活を取り戻しているようでした。 |
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駅前はピカピカに整備され駅舎も新築されていますが、いっぽうで駅前の民家は震災当時のまま放置で、全体として荒涼感が漂います。双葉町はこれまで全域が帰還困難区域でしたから「全てはこれから」なのですが、早めに規制が解除された楢葉町などと比べれば圧倒的な出遅れ感は否めません。これからどのような歩みを進めていくのでしょうか。 |
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ホームの側を向いて設置されている「復興祈願ダルマ」はすでに両目が入れられていました(左上画像マウスオン)。駅ダルマとしては「運行再開、駅機能も再開」というわけでの目入れだったのでしょうが、町としての復興はまだようやくスタート地点に立ったところ。先は長そうです。 |
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続いて大熊町の大野駅へ。こちらも新築の駅舎なのですが、立ち入りが許されているのは駅前広場とそこに続く道路だけで、周辺の建物や道路は今も帰還困難区域となっています。 |
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残念な風景ではありますが、いつかこのゲートが開く日を待ちましょう。 |
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ちなみに大熊町なのにどうして駅名が大野なのかについてですが、そもそも大熊という町名は1954年に「旧大野村と旧熊町村」が合併して付けられたものであり、常磐線はそれよりも50年も昔に開通していますから、駅名だけ旧村名のままなんですね。「大熊駅」に改名しなかったのは、少なくともその頃には「わが村」意識が残っていたからでしょうか。 |
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6両編成の列車が入線してきました。まだ開通して1週間ほどなのと、この日が日曜日だったこともあってそこそこのお客さんが乗っていました(ざっくりで50%の着席率)。ここ大野駅でも数名の乗降客がありましたが、皆さん地元の方ではなさそうな雰囲気でした(まだ仕方がないですね)。 |
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しかも、昨年はダム湖沿いに一番奥まで行かれたのですが、「大雨災害により通行止め」ですとぉーっ!しかもダムカードは新型コロナ対策で配布休止中だとか。まぁしゃぁないですので周辺をうろうろしていたところ、このページトップ画像のタムシバの花を見つけたわけですわ(ちょっとほのぼのした)。 |
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駅の再開業に合わせて夜ノ森地区東側の駅周辺道路だけは規制が解除され、そして何と自由通路設置により新たに西口が設置されていました!そしてまぁ何とも立派な駅に。夜ノ森駅に初めて足を運んだのは2014/3でしたが(この訪問直前に駅西側が居住制限地域に規制が緩和されたのでした。その時のページはこちら)、 |
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それから何度となく西側の桜並木から駅を見てきましたから(この時とかこの時とかこの時とか)、自分としては間違いなく周辺の駅では一番愛着がある駅でもあります。無人駅とはいえ、今やエレベーターまで設置された立派な造りに‥。 |
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とはいえ、画像を見てもらえばわかるとおりその奥の家々に立ち入ることはできません。いまだ帰還困難地域指定されているからですが、ここ夜ノ森駅東口周辺の規制解除については2023年春が目標となっているようです。この時点でも「あと3年かぁ‥」と思わざるを得ないと同時に、 |
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2019/8に訪問したウクライナではチェルノブイリ原発事故当時南西向きの風が吹いており、そのため放射能を含む風がまともに吹き付けた松の木の森は枯死してしまい埋設処分されました(Red Forest)。しかし原発からほぼ同距離にあった人口5万人のプリピャチ市は「北西」に位置していたため、少なくとも直撃の被害だけは免れたわけです。 |
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すっかり整備された富岡駅も、6年前(2014/3)にはまだ右上画像のような感じでした。 |
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というわけで、駅のお隣にあるコンビニ的店舗の「KINONE」さんへ。こちらでは川内村にある「Cafe AMAZON(アメィゾン)」のコーヒーも飲めるのですが本日の目的はそちらではなく「スパークリングSAKE 萌(きざし)」の購入です。 |
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