- その2 まずは「2泊3日の船旅」から -



関東と山陰、地続きなのにフェリーで移動♪

(2024年7月26日-8月2日 その2)

さて山口や島根を目的地とするにあたり、最初に気になったのが往復をどうするかでした。もちろん往復とも自走というのがもっとも無難なところですが、そうなるとあまりにも単調になるので途中で寄り道もしたくなる、でも寄り道をすればいろいろ色気を出しちゃいそうで、そうなるとどこがメインなのかもわからなくなりそう‥?というわけで「心の揺らぐことがないよう、いっそのこと往路はフェリーでパスしちゃえ!」ということにしたわけです。

さて首都圏から新門司港までは、2つのフェリー会社が運航しています。その下り便における乗船日の概要はといえば‥(日曜日着ですので平日とはダイヤが多少異なります)、


横須賀23:45発-新門司(翌日)21:00着

東京19:00発-徳島13:20/14:20-新門司(翌々日)6:30着

ご覧のように所要時間には大きな差があります。オーシャン東九は徳島港を経由しますから当然時間もかかりますし、日祝は新門司到着も1時間ほど遅くなります。そして船内設備も、レストランなしのオーシャンとありの東京九州、さらには最安の2等運賃も東京九州が2000円ほど安いわけですが‥。



いや東京九州のほうも確かに魅力的なんですけれど、一番のネックは到着時間でありまして、新門司21:00着だとさすがに宿に入らざるを得ず、しかもかなり慌ただしい滞在になりそう。いっぽうでオーシャンのほうは朝の絶妙な時間の到着で、到着後はすぐに行動を開始できるという大きなメリットがあります。急がば回れ的な発想からオーシャンを選んだというわけです。



徳島行きの乗用車レーンはそこそこ。新門司行きは数台だけでした。

それにしても東京港の有明FTに来たのは久々です。どのくらい久々かといえば四半世紀ぶりってところでしょうか。かつて近海郵船フェリーが東京-釧路便を運航していた時代、ここからワクワクしながらバイクで乗り込んでいたんでしたっけ。あの航路も「東京23:58発(23:59だったかも)-釧路に翌々日7:30着」という絶妙ダイヤだったことを覚えています。走り出してそのまま和商市場に直行朝ごはんができましたから効率よすぎでした。99年に航路廃止となり、それ以降は大洗-苫小牧の一択となってしまったのは残念無念のひと言であります。

ターミナルの近隣には買い出しをするお店もないので、地元のスーパーで夕食と翌日の朝食については買い込んでおきました。昼食は残ったおつまみやパンでバンバンし、夕食はさすがに船内自販機の冷食に頼ろうかなという算段です。



この航路には4隻のフェリーが就航しているようですが、今回乗船したのはフェリーどうご(道後)。愛媛県に寄港するわけでもないのになぁと一瞬考えましたが、そういえば海上自衛隊の艦船にも「ちょうかい」とか「みょうこう」など山名を冠した艦はありますし、中には内陸湖である「ましゅう」を名乗る艦まであるわけで、まぁ気にかけることもないのでしょう。

こちらのフェリーは自動車乗下船時にも同乗者の同一行動OKでして、法律でどう定められているのかはわかりませんが、フェリー会社によって運用の仕方がいろいろ異なっていますよね。同乗者の扱いについても「乗船時は×だが下船時はだいたい○」の商船三井「上下船時とも×」の太平洋フェリー、あとバイクの荷物については「そのままでOK(固縛)」の商船三井「リアシートの荷物は全部外させた上で固縛」の新日本海とかの違いがあったりするわけです。このオーシャン東九フェリーの場合乗用車搬送はおまけみたいなものでしょうから多少緩いのかもしれません(明らかに貨物輸送がメイン)。



乗船チェックイン時には右上画像のようなミニBOXティッシュをいただきました。あくまで「ミニ」ですが(長辺10cm程度)ちゃんとお金かけてますね(好感)。

部屋は2人部屋なのですが、ちょっと懐かしい感じの格納式二段ベッドです。さてどちらが上段に?というところでおしんこどんがしっかりチェックして提案。いわく、



そう、この部屋は定員が3人のようで、寝具も3人分用意されていたのです。確かに圧迫感もなくなるしそりゃいいやということでそそくさとお布団を敷いて、2泊分の就寝準備を完了しました。



このあとは船内お散歩。左上画像の座席空間、何だか中途半端な気が。



まだ出航していませんでしたが、もうお腹が減ってきていたので始めちゃえ。考えてみればこの日は早上がりだったとはいえ出勤もしていたTakemaでありました。はいおつかれさまということで。案の定食べきれず(左上画像で2人前ですが)、一部は翌日のおかずにシフトさせた次第です。

出航は定刻の19:30。すでに日没後で暗くなっていましたが、すぐに東京ゲートブリッジをくぐるので甲板へ。



おおー、綺麗なブリッジ。それにしてもこの光の交錯は何?



ブリッジをくぐり抜けてイベント終了。あとは飲んで寝るだけです。



そして翌朝。いいお天気ですので(=暑いので)デッキには出ずに最前方のくつろぎスペースへ。しかしここ、ちょっともったいないよなぁ、ほとんど誰も利用していなかったし。いっそのこと2部屋に区切ってスイート特等室とかにしちゃえばいいような気がしますが?あ、レストランもない船にスイートルームというのもおかしいのか?それと、水回り(トイレとお風呂)の配管を新たに設置するのも厄介なのかもしれませんが。



さて朝ごはんは前日地元スーパーで購入しておいたものをチンして、そしてもちろん「朝(から)ビール」の贅沢です!(右上画像は朝ごはん後2本目をプシュする瞬間の画像)。とにかくこの日は24時間ひたすら海の上なのでのんべんだらりがOKなのですよ。実はこれもまたこの「オーシャン東九フェリー」を選んだ理由だと言えるかもしれません。



朝食ビール後は冷酒に移行し、拙サイトの更新ページ作成にいそしみます。



あれは潮岬の灯台かな。だいぶ西に来ましたがまだまだ先は長いぞ。



このあとお仲間僚船の「フェリーしまんと」とすれ違いましたが、太平洋フェリーのように船同士があえて近づき汽笛でお互い合図をするというようなサービスはなく、単純にすれ違うだけでした(だからかなり望遠で撮影しています)。このあたりのサービスは真似してもいいと思うんですけれどね(せめて多客期だけでも)。



さてそうこうしているうちに船は徳島港に入港しつつありましたが、Takemaは左上画像の通りしっかり焼酎順調摂取モードでありました(笑)。新門司まではまだまだ長い(翌朝6:30着)ので当然の助動詞的ではあるのですが、何だか夏休みの冒頭から自堕落一直線であるような気がしないでもありません(自虐笑)。



多くのお客さんがここ徳島で下船し、船内はかなりガラ空きになりました。そうだよなぁ、東京港でも新門司行きの車列に並んだのはほんの数台で、その数倍(10倍近かったかも)の車が徳島行きの列に並んでいたわけで。いっぽうで、徳島から乗り込んだお客さんは‥いなかった?船員さんと話したところ「徳島からの車の乗船はない」とおっしゃっていたような?いや、この日がたまたまだったのだと思いますが(ちゃんと公式サイトに料金設定はあるので)、まぁ確かにあまり需要のある区間ではなさそうです。



寝台ブースも、使われた形跡のないベッドが目立ちます。



さて、このあとは部屋でまったりとパリ五輪なんぞを眺めたりしなから寛ぎます。考えてみればオリンピックの開催時期は決まってお出かけしていることから、旅先でTV中継を見るのが普通です。




(両上画像をクリックするとそれぞれ当該ページが開きます)

阿曽原小屋ではたしか福原愛さんの卓球の試合を、そして森山荘では野球の日本対アメリカの決勝戦を見ていたと思います。考えてみればそれぞれビッグゲームだったわけです。で、今回2024は‥バレーボール男子の予選リーグでした。ベスト8止まりのバレー男子ですが、よく頑張ってきていると思うので今後に期待です。

それにしても、「やっぱり記録として残しておく」というのは大切ですね。拙サイトは今年で開設25年となりましたが、「情報の公開」のみならず「自らの記憶維持」に大いに役立っています(というか今はこっちの方がメインかも)。旅行当時の記録を画像と文章とで残しておくことで、付随する記憶も甦ってきます。たとえば左上画像の阿曽原小屋では、「食後のTV視聴中、小屋主さんが余ったスイカを差し入れてくれたよなぁ」ということも思い出したりしたのです。

「記録は残るが記憶は消える」わけで、もはや最新情報の媒体としては役に立っていないはずの拙サイトですが(アーカイブとしてはともかく)、
自分の役には大いに立っているというわけです。



さて徐々に太陽も傾き始めたので夕陽を眺めにデッキに上がりました。右上画像、おっしゃることはわかりますし確かにフェンスも高くて鉄格子系なのですが、ほかのフェリー会社はここまでやっていないよなあ。「当局の指導」に関してそれぞれの会社が判断しているわけで、国交省が無理に圧力を掛けているわけではなさそうです。







夕ごはんはさすがに船内の冷凍食自販機に頼りました。だって乗船後4食目ですからさすがに持ち込みは無理ですし。「フェリー飯」と名付けられているようで、冷凍とはいえ品揃えも豊富です。

自販機ごとに加熱する電子レンジが分けられていて、しかも各品ごとに加熱時間が掲示されています。混乱を避けるためなのでしょうし、各マシンごとにマイクロウェーブのパワー設定も変えているのでしょうか。なお持ち込み品専用のレンジもありました。



味はまあまあ。というかちゃんと美味しいです。近年の冷凍食品はしっかりすごいです。メーカーの開発担当者は相当に探究を続けているんだろうなと思います。ここ数年海外には行っていませんが、欧米系のメーカー製品はどうなっているんでしょうね(案外期待薄)。



そんなわけで翌朝、いよいよ新門司港に間もなく着岸です。天気はまあまあで、関西航路のフェリーが停泊していますが、新門司-関西便ってそもそもトラックとの競合も激しいでしょうし瀬戸内海経由だと速度も出せないだろうに‥と思っていたところでふとある考えに至りました。



重厚長大系の荷物はもちろんフェリーとして、生鮮品はもちろんトラック、あとはその速達性や要望(含料金)に応じて顧客も使い分けているというわけですね。中距離フェリーならではのあり方かなと思いますが、ロジスティックスの素人なので詳しいことはわかりません。

考えてみれば横須賀-新門司の東京九州フェリーも2021年からの運航開始ですが)、それだけ(貨物)需要は大きいのでしょう。あちらが横須賀発着なのはもちろん「速度制限があり時間のかかる東京湾に入らない」ことによるスピードアップが狙いでしょうし。



いずれにせよ、無事朝6時半過ぎに九州に上陸しました。いや、九州滞在はこのあとほんの数時間しかないのですが(笑)。なお「このフェリー乗船ページ、無駄に長くない?」とお考えのあなた、正解です(笑)。ではありますが、「いちおう『船中の2泊3日』を1ページにまとめた」ということでお許し下さいませ。

というわけで、いよいよ次ページから陸路が始まります!

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