- その3 ポケふた、赤間神宮、朝ごはん、お風呂! -



樹木(クスノキ)なのに羽ばたいて飛んでいきそう♪

(2024年7月26日-8月2日 その3)

そんなわけで新門司港から九州上陸です。とはいえ今回九州を回る予定はなくそのまま関門海峡を‥おっとここで、おしんこどんのリクエストにより門司の「ポケふた」めぐりをすることとなりました。まずは門司港駅へ。ここにポケふた(ポケモンしつらえのマンホールふた)があるわけではないのですが、歴史ある駅なのでおしんこどんに撮影タイムを進呈。Takemaは路上停車で待機でした(ま、日曜日の朝早い時間でしたから通行量は極少だったんですが)。



隙を突いて自分もパチリ。ん?これは北九州市オリジナルの「ふた」!



バナナ色の郵便ポストのあとは最初のポケふたポイントへ。

駐車場に車を止めて歩くことしばし、ポイントはすぐに見つかったのですが、それよりもこの場所が実にヨロシイ観光スポットであることにびっくりしました。朝も早い時間だったので釣り人を除けばガラガラでしたし。



ポケふたはこの場所にあったのですが‥ここって!





いやぁびっくり玉手箱!ポケふた、おしんこどんのお付き合いながらそこそこ巡ってはいますが案外地味な場所にあることも多くて、こんなポイントに隣接しているとはびっくりしました。

それと、関門海峡の「狭さ」もあらためて実感しました。上部の橋を通ったことはありますが(出張だったのでレポはなし)、やっぱりこうして定点から眺めると距離感覚が全然違います。それにしてもここで源平の合戦が行われたのか。ここでの戦いでは潮流をいかに利用できたかが否かが合戦の行方を左右したのでしょう。



ただしこの時の海は穏やかでした。流れのないタイミングだったのかな。



このあとは関門トンネルを初めて通り抜けていざ本州、中国地方の西端下関市へ!(本州の千葉から来たんですけれどね)。

さてしかし、中国地方は山口から兵庫まで山陽山陰とも「自分で運転するのは初めて」なのでちょっくらキンチョーします。ご当地ならではのマナーもあったりしますんで。先に結論を書いてしまうと「それほどの違和感はなかった」んですけれどね。ただ道路の整備状況は、たとえばこの関門トンネルから脇道に抜ける取り付け道路などは「かなりお懐かしい」狭さで、大型車は苦労しそうです。下関といえば故安倍総理のお膝元エリアですが、元総理が地元に対して妙な利益供与をしていなかったことはよくわかります。でもここはしてもよかったと思うのですが(苦笑)。



というわけで何ちゃらパークだったかにあったポケふた撮影を完了し、もう1つあるポイントへと移動します。でもせっかくなのでふと目に入った寺社に立ち寄ってみることに。ちなみに下調べはゼロで偶然というか思いつきでの立ち寄りでした。その寺社というか神社とは‥





安徳天皇。おそらく誰もが一度はその名を学んだ天皇のはずで、平安時代最末期の源平合戦、その最後の壇ノ浦の戦いにおいて平家とともに海に沈んだ(天皇の祖母にあたる二位尼が「波の下にも都がございますから」と言った上でともに入水したとかどうだとか)、あの不遇の天皇なのであります。

この時、天皇を天皇たらしめる存在である(「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」)三種の神器も流され、そのうちの一つである「草薙剣」は結局見つからず。現在もこの壇ノ浦のどこかに沈んでいるのでしょうか。

いっぽうで貴種流離譚的な伝説として、安徳天皇はここ壇ノ浦での合戦を前に現地を脱出し(死去したのは身代わりの代役)、薩摩硫黄島(鹿児島県三島村)に落ち延び、66歳まで生きたという話もあったりします。それこそ薩摩硫黄島には「安徳天皇の墓所」もありましたからねぇ(その時のページはこちら)。まぁこの話は旅の本筋から離れてしまうのでここまでとして参詣いたしましょう。

正面の門は水天門と名付けられており、「玉体を水底に鎮め給ひしも、御霊は天上にお在しまさば、此の神門を『水天門』と申し奉る所以なり」という由来があるそうです。それにしてもやや中国式というか異国的な佇まいです。西日本では時々見ますね(こちらとか)。



安徳天皇を祀る神社ゆえ、菊の御紋が。



拝殿に向かってご挨拶申し上げました。

実はこの時、左上画像のさらに左にあったはずの「安徳天皇阿弥陀寺御陵」には参詣しなかったのですが(そもそもこの神社の訪問自体が思いつきだったので下調べゼロ)、それでも境内をうろうろしていると「発見」がありました。





もちろん実際にここに埋葬されたのではなく、平家一門の霊を慰める(鎮める)ために建之(けんのう)されたものでしょう。当時は不遇の死を遂げた人物が怨霊となって祟りをなすということがあるとされており(古くは菅原道真や早良親王)、この地で滅んだ平家一門が祟りを為すということは十二分に考えられたはずです。碑には後列の端に「(従)二位尼 平時子」の名も見えています。もちろんこちらにも手を合わせました。

と、このお隣の小さなお堂を目にしてこれまたびっくり。





小さなお堂ですが、芳一堂と名付けられています。やはり芳一の耳は平家一門の怨霊によって取り去られたということですね(自分が小さい頃に聞いた話では「平家の怨霊」ではなくただの「悪霊」になっていた気がしますが。琵琶法師の一人であった芳一、そしてそのお堂の隣に平家一門の墓所。かの世界では今も芳一が琵琶を手にして平家一門に語り続けているのでしょうか。

で、これまた気になったのがその周辺に並んでいたこの提灯です。





壇ノ浦からすればはるか東国の湯西川温泉(栃木県)から寄進された提灯がずらりです。そもそも湯西川温泉の由来が「平家の落人が住みついた場所」であることは以前から知っていましたが、現在に至るまでその縁が続いているとは思いませんでした。

ちなみに「平家の落人」を由来に持つ「隠れ里」は、東北から四国・九州まで各地に存在しています。福島県の檜枝岐村なども有名で、村人の姓は「平野・星・橘」の3姓に集約されているというのを聞いた時には「そりゃすごいや」と思ったものでしたが(確か自分が中学1年生の時に知った)、平家方の人々は追っ手から逃れるために各地に逃げたんだなぁとしみじみ。



そんんこんなで赤間神社参拝を終えて通り(国道9号線)まで下りてくるとポスト‥え、何ですかこのご地域アレンジされた青ポストは!先ほど門司で見た「バナナのたたき売り黄色ポスト」に続いて今度は「フグのふくちゃん青ポスト」ですか!



このあとはおしんこどんリクエストのポケふた行脚の続きですが、場所が良くわからず車で移動したため、有料(500円)の駐車場に車を駐め直すという失敗行動の果てにようやく見つけた次第です。何だ、赤間神社駐車場から歩いてすぐだったのね。

さて朝からいろいろと巡ってきましたが、実はまだ朝ごはんを食べていません!というわけで「これだけは調べておいた」喫茶店でモーニングをいただきましょう!



国道9号沿いにある「コーヒーハウス ブリッジ」がそのターゲットポイントでありました。この日は日曜日だったので朝8時から営業しているという情報を得ていましたが、そうなると混んでいるのかな?という一抹の不安が。しかし空席もありすんなりと入店できました。エアコンがしっかりと効いておりありがたやの海苔です(意味不明の人はスルーね)

さて注文ですが、こちらのモーニングは「A、Bセット」の他に「スペシャル」というのがあります。自分はAセット(ホットドッグ)、おしんこどんは‥予想通りスペシャル(トースト+α)を注文しました(ほほぅ)。



さてそれぞれ出てきました。Aセットのホットドッグ、ソーセージの下にはカレー味のキャベツが仕込まれておりなかなかのお味。あ、スペシャルには付いているハムやポテサラがないのはその分安いからでしょう(全然問題なし)。

さて問題なのは「スペシャル」です(笑)。右上画像ですが、何か違和感を感じませんか?





というわけでおしんこどんも朝ごはんをタンノーしたようでした。さすがに苦しいほどの量ではないですし(この容積のご飯だったら無理)。なおおしんこどんには何らの事前情報をも伝えていなかったTakemaです、ごめんなさい(笑)。

さてお腹も満ちたあとは下関界隈から日本海方面へと北上していきます。この界隈は萩市だけ仕事で行ったことがありますが自車で運転したわけでもないので今回がお初なのです(わくわく)。



まずは川棚温泉へ。由来には竜が関係しているようですね。



温泉地ゆえお宿の湯にも入れたのかも知れませんが、相変わらずの下調べなしでしたし、そもそも初訪問のエリアなので「基本を押さえる」のが大吉だと考えて共同湯の青竜泉へ。家族湯もあるということでしたが公式サイトによると「身障者対応」ということなので遠慮して大浴場へ。ただ湯上がりの入れ代わりにはとても健康そうなカップルが「上(の家族湯)、空いてますか?ではお願いします」と実にスムーズにチェックインしていたので、あまり遠慮する必要はなかったように思います(笑)。

大浴場は先客さんたくさんでしたのでもちろん湯画像はありませんが、泉質はカルシウム・ナトリウム-塩化物温泉でややアルカリ度高め、されどツル感はさほどでもなくさらりとした浴感でした。塩素臭はなくかけ流しかと。背中に絵を描いた方が露天脇で寛いでいましたが、別にどうということもないのでこちらもその隣でじんわり寛ぎました。



湯上がりにはこちらの「飲む黒酢」をいただきました。味は想定ど真ん中というところでしょうか(要はあんまりインパクトなし)。退出後は外のお社にご挨拶し、しばし日陰でクールダウン&喫煙行動のあと川棚温泉をあとにしました。

このあとはあまり(いや全然)調べていなかったのですが、道路脇看板に惹かれるままにまずは「川棚の大クスノキ」へ。



樹齢1000年を越える等いろいろ書かれてはいましたし、確かに根元近くで枝分かれする幹それぞれの太さは立派なものでしたが、樹齢ゆえ丁寧に手が入れられていることもあり(切り取られた支幹も多い)、うーん何だかなと思いつつ周回路(直近には近づけません)を進んでいくと‥





「今まさに飛び立たんとする巨鳥の背中」に見えませんか?完全に裏側からの撮影ですが、これはこの場所からでよかったかと。しっかしこの時も暑かったよなぁ。実はここからの数日間というもの、中国地方の山陰側は公式にはそこそこ涼しい日が続いていたのですが(広島や岡山は35度超えだったのが、浜田や米子は31度程度)、これって体感的には誤差の範囲ですよね。というか日差しの強さというか痛さはほとんど変わりません。要は、夏の日なたはとにかく暑いのです、もはや北海道を含めた全国どこでも。

このあとは、もう1つ気になっていた「小野小町の墓」を訪問します。ご存じの通り小野小町は平安宮廷において「美人」と評され、(日本では)世界三大美女の一人とされていたりもします(なお、かの三大美女ですが、クレオパトラと楊貴妃は定番で、三人目には「ご当地の美女」を充てる傾向があるような気がします)。

しかしその出自や没した場所については謎が多く、出羽国の豪族の娘だという説、また磐城国小野の出身だという説、さらには都の小野氏(遣隋使で有名な小野妹子)の一族であるという説など多数あります。しかし没した場所についてはさらに数多くの説というか主張があり、Wikiほかによる情報だけでも「東北5、関東3、中部1、京都を含む関西4、中国3」の没地説があります。いわゆる「小町伝説譚」で、「身の程を超えて栄えた者はやがてその報いを受ける(晩年は零落する)」というやつです。清少納言なども同じような伝説が残されています(事実か否かはともかくとして)。

さてそれでは「小町のお墓」へと行ってみましょう。



左上画像、コンクリ舗装&横溝が切られてはいますが、とてつもない傾斜路です。メンテナンスのことを考えての施工だったのでしょうが、これは階段よりもかえって難易度が高い急坂になっています。いやこの2ヶ月半前に左足を骨折し、この時まだ万全ではなかったTakemaにとってはこの坂はビビリましたよ(でもまぁ何とか。特に下りが危なっかしかったですが)。

距離的にはわずかなものでありすぐに到着しましたが、看板の目の前に折れた枝がそのまま放置されているなど、あまり整備の手が及んでいるようには思えませんでした(右上画像マウスオーバーで拡大画像に変わります)。で、その現在の様子と重ね合わさるような説明書きがありました。いわく、

「絶世の美女であった小町は、小野氏一族の文才の血筋を受け、若いころから和歌の世界で活躍しました。しかし、男たちの視線を一心に集めた麗しの歌人も、歳月とともに色あせてきました。もともと自尊心の強かった小町には耐えられないことでした。老いさらばえた姿を京の都にさらせまいと、小町は全国を転々と流浪しました。流浪を重ねた末の小町は、川棚に着きました。村人たちは、親切で温かでした。小町は愛用の銅鏡を片時も離さず、日ごと失われていく美貌に無常を感じながら、晩年をひっそりと暮らしこの地に果てたと伝えられています。」

うーん、こちらの伝説では自尊心、自らの美貌に対するこだわりがかなり強く出ている気がします。有名な「わが身よにふるながめせしまに」の和歌では確かに自らの容色の衰えを嘆いてはいるのですが、そのことが都から身を引くきっかけとなったというのはいささか強引な気もします。でもこの地ではそう伝わっているということであればあえて反論もしません。そういうことだったのでしょう。

ところで急坂の往路から気になっていたことなのですが、この墓所に至るすぐ下を流れる川、いや川じゃなくて湧水が溢れ流れ出す場所、これって人の手が加えられているとはいえ鉱泉ではないですかね?すぐ隣には家屋があり、この家の方なら当然由来をご存じではないかと思うのですが、この時進み出なかったのは‥暑かったからですね(苦笑)。ただ、現住家屋っぽく見えなかったというのもあるのですが。



気になりますよねぇ。金気系の鉱泉でしょう。

というわけで「地域の観光名所」を2つ訪問した上で(こういうのは大好きです)、次に進むは再びの温泉♪というわけで大河内(おおかわち)温泉です。ごく小さい温泉街?にはもともと3軒の温泉宿があり、その後今回おじゃまする日帰り施設の「いのゆ」さんが出来たそうなのですが(2003年)、近年(2020年)までには他のお宿は廃業してしまったらしく、今はこの「いのゆ」さんのみとなっているようです。



こぢんまりながらいい感じの施設外観です。

こちらのご主人はもともと旅行代理店に長く勤務した上でUターンしてこちらの施設を建設開業なさったということで、いろいろなトークも出来るかなと思っていたのですが、珍しくTakemaのほうから話しかけなかったこともあり、お話をしなかったのは残念でした。旅行社勤務経験のある方で木訥な方はまずいないはずなので‥。

で、浴室に入ると先客さんが湯上がりの着衣中。「今は誰もいないからゆっくりお入りなさい」と声を掛けられたのでいやが上にも温泉アドレナリンがわくわくドキドキ分泌、撮禁掲示がないことを確認した上でいざ浴室へ。





メインの加温湯浴槽の奥には小さいけれどしっかり自己主張のある源泉浴槽がしつらえられています。そして窓の外に目をやれば‥「これ、明らかに露天風呂予定地でしょ(出入口のドアもありました=封鎖中)」というスペースも。

全身(特に下半身)を流したあと、まずは加温湯へ。公式には41度加温とありましたし実際そんな感じだったのでしょうが、この日も30度をぐんと超える暑い日だったのでもう少し高い湯温に感じた次第です。でもって源泉浴槽へ。





成分分析上は「単純温泉」の分類なのですが、炭酸水素イオンの成分量が多い様子で、それがツルツルの由来かと思います。そして33度という「冷たくはなく、ひんやりレベル」の源泉がこの日は最高でありまして、結局最初に1分ほど浸かった加温湯浴槽以外はずっとこの源泉浴槽に浸かっておりました。こちらはかなり気に入りました。



「さてそろそろ上がろうかな」と思い始めた頃に次のお客さんがやってきたので(お互い絶妙タイミング)湯を上がりました。おしんこどんは自分よりも早く上がっていたようで、Takemaのお気に入り度がわかると思います。

ところで新門司上陸後いろいろと寄り道してきましたが、これでもまだお昼前なのであります(やはり早朝着のフェリーは神)。とはいえそろそろどこかでお昼ごはん?うーんやっぱり「食事はローカルに限る!」。

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