- その6 ど快晴の八方池お散歩のあとは当然渋滞にハマるの巻 -



ええっと、もう11月なのに軽装でこの展望を楽しめたとは!

(2024年11月1日-4日 その6)

前ページでも書いた通り連休最終日のこの日は、朝から快晴で風もない絶好の行楽日和だったわけです。そこでちょっとお山の上に行ってみることにしました。栂池自然園と八方尾根のどちらにしようかと思っていましたが、宿の方によると栂池は全面大展望でもないということなので八方尾根にすることに。自分は八方尾根のゴンドラはGWの唐松岳登山などで利用したこともありますがそれも今は昔、またおしんこどんは初めてのはずですし。



ほらほら、間違いなく気持ちいい1日になりそうですよ。

というわけで八方尾根ゴンドラ駅近くまでやってきました。駅直近の駐車場はさすがにいっぱいでしたが、さして遠くない駐車場が空いていたので駐車できました。駅までは上り坂なので、遠いと負荷がきついのよね。

ちなみに10月頃から腰痛というか尾てい骨サイドのあたりがかなり痛くて、このひと月半後(12月半ば)には「脊柱管狭窄症 by 加齢による身体劣化」と診断されてしまいました。ただこの日は奇跡的に?あまり痛みもなく普通に動けたんですよねぇ。



ゴンドラ駅ではチケットオフィスも乗り場もほんの数人の並びだけでした。ゴンドラ搬器は基本白いペイントなのですが、たまたまやってきた我々の乗るべき搬器はレアなブラック塗装でした。というわけで‥




(とはいえやや茶色化してますけれど)







というわけでゴンドラ終点の兎平に到着です。ここからはリフトに乗り換えてさらに上に向かいますが、ここでも懐かし系の昔話に少しおつきあい下さい。

上のほうで八方尾根ゴンドラの利用は初めてではないと書きましたが、正しくは今回が3回目です。そして初めて利用したのは1989年1月7日でありました。なぜ日時を鮮明に覚えているかというと‥

実はこの日の早朝、Takemaは姉と従兄弟との3人で、東京からスキーバスで八方尾根山麓のお宿に到着しました。お宿も慣れたもので、最初こそ大部屋で待機でしたがやがて本来の部屋(数泊予定)に案内され、しばしのんびりすることに。まだスキー場営業時間には早かったのでTVをつけると‥



この時のNHK(だったと思う)ニュース、アナウンサーが、





当時のことをリアルタイムで覚えている方ならご存じでしょうが、崩御前のTVではテロップで「陛下のご容体情報(血圧と体温)」が流されていました(個人情報保護法のない時代ですからね)。そしてこのご崩御以降、TVはNHK民放問わず「陛下&昭和追悼番組」に切り替わり、みな最初こそ見てはいたもののそのうち食傷気味になり、まだインターネットがなかった頃ゆえ、これまた今や滅んでしまったレンタルビデオ屋の棚からビデオがほぼ消えたということもありましたね。

話を当時の八方尾根に戻しましょう。「怒濤の自粛モード」が吹き荒れるにはまだ数日が必要でしたが、それでも自分たちは「どうしよう?」という気にもなりました。でも、「せっかく来ているんだし、まぁ普通にスキーしようよ」ということに。

で、ゴンドラやリフトが動き始めたタイミングでスキー場に到着すると、何だか混んでいます(もう年始のシーズンは終わっていたのに)。後で知ったところによると、陛下の崩御に際して各スキー場(の親会社)もいろいろ考えたようなのですが、ざっくりいえば‥


(間違っていたらごめんなさい)

まぁそれぞれの判断ですし、たとえば当日のTDLは開園はしたものの音楽はなくパレードも中止だったようです。スキー場もディズニーも、そこを目的にして遠くからやってきている人々が多いわけで「むやみに自粛」すべきではなかった気がします。

ちなみに何本も滑っていたどこかのタイミングでしたが、リフトで上がっていくと‥ん?上部の降り場係員さんが何かを持って立っていました。その手には‥



うわー、まさかスキー場のリフトに乗りながら新元号を知ることになろうとは思いませんでした。その後再びリフトの列に並ぶと「平成だって?」「平成だよ」と、皆さん新元号の話題で持ちきりだったことを覚えています。

なお、日本でスキーをしたのはこの時が最後で、同じ年のNZワーホリ中に2回滑りましたが(最後はコロネットピークスキー場)、結局はこの年以降スキーをしたことがありません。もう35年前かぁ‥もうろくすっぽ滑れないだろうな(というか当時もそんなにうまいわけではなかった)。はい、以上で昔話編終了です(長くてすみません)。



ここからはリフトに乗ってさらに上を目指します。たぶん昭和最後&平成最初の日(1/8)にも乗っていたことでしょう。そうそう全く関係ありませんが、平成から令和に変わる日は寝台列車で過ごしましたよこの時です)。

話を戻して、この上の黒菱平まで上がってきたところで。





右上画像、池の映り込みに何だか記憶があるなぁと思い出したのですが、そうそう2012、室堂から剱岳、さらに阿曽原経由で欅平まで歩いた時のその前に、北側の黒菱リフト経由でここ黒菱平まで上がってきていたのでありました(八方池山荘までリフトで上がりすぐ下った=そもそもその翌日から本格登山だったので)。




(その時のページはこちら)。



すでにここ黒菱平でも標高1680m、しかも11月なのにこの軽装です。実に山をなめた観光客モードなのですが、まさにこの日は「これでちょうどいい」感じだったわけで、驚くほどの好天でした。というわけでさらにリフトで上に上がります。

このページをタイプしながらふと思い出したのが、その昔(当時23歳だったから37年前)同じ時期(10月末)に夜行日帰りで北アルプスの徳本峠を越えたときの顛末でした。島々宿から歩き始め、峠に向かうにつれて雪道となり、峠の直前は吹きだまりだと1mもの積雪。もちろんその手前で雨具だったかダブルヤッケだったかを着用しようとしたのですが、なぜか上着ばかりが出てきて下(パンツ)を忘れていました。この時下に履いていたのはなめていたのか秋山気分の綿パンで、ええ、そのままラッセルしましたよ。徳本峠小屋でいただいたお茶だったかコーヒーだったかが美味しかったなぁ。

なおそのあと上高地側に下りたはいいものの県道は通行止めで(何でも自衛隊先導のもと前日の宿泊客をバスで下ろしたそうな)、まさかのドカ雪だったわけです。ゆえに西糸屋に宿泊し、職場にも「明日お休みします」の連絡を入れました。ちなみにこの時が人生で初のクレジットカード利用でした(数ヶ月前に勧誘されて作ったばかりだったのですが、この頃はお財布の中身も乏しくて手持ちの現金では泊まれなかったので大活躍!)。翌日は快晴で、観光客なしの上高地や大正池を実にのんびりとお散歩した上で、運行を再開したバスで新島々まで下りたんだっけ。ハイ、以上で昔話終了です(今回は昔話だらけですな)。



五竜岳を横目にしながら、息も切らすことなく標高1830mのリフト終点へ。ここに八方池山荘があるのですが、山荘も含めて以前訪問時の記憶がなく、初めて来た感が強いです。

実はここまで来たところで「まぁここで展望を楽しんで下ればいいかな」と思っていたのが、何となく「八方池まで上がろうか」という気持ちになってきました。この頃から尾てい骨のあたりが痛くて普通に歩くのもややきつくなっていたのですが、この日は不思議と状態がよかったこともあるのかも。ちなみにこのページをタイプしている2025/1中旬は、ロキソニンくんと毎日仲良し状態です。

そんなわけで八方池まで上がります。





普通なら紅葉エリアを上部から「軽装で眺める」なんてことはあり得ない話ですが、この日はそれが出来てしまったという僥倖です。ホントにいいお天気でした。



とりあえず足を上げたり休めの姿勢だったり。



自分はもう全然山登りからは離れていますが、山登りならではの景色の変化は何だか懐かしいです。それと、登山の現役時代から思い続けていた「自分は今何でわざわざこんな行動(苦しい思い)をしているんだろう?」という思いも少しだけ思い出しました(笑)。この日は空身でしたが、40年ほど前には、この道を35kgほどの荷を背負って「上高地まで行くぞ」とクソ雨のなか登っていたはずなのです。あ?新穂高温泉に下ったような気もしますが。





八方池そのものをしっかり目にしたのはたぶん初めてです。35kgの荷云々の学生時代(夏)は雨とガスで見えていたのか見えなかったのか見なかったのか記憶不明ですし、その後社会人になりGWには凍結しその上にたっぷり降雪を載せた八方池の、おそらくど真ん中あたりにテントを張って唐松岳を往復しましたが、池そのものは見ていませんでしたのでね(笑)。ちなみに2012夏にはここまで上がってきていません。







そしてすぐ上の唐松ケルンまでやってきました。ここから先は本格的な登山道ですし、そもそも今日中に千葉まで帰らなければならないので。というか、ここまで上がってきちゃったということは、帰りの高速道は渋滞必至だな、でも中央道はじぇったい使わないぞと思いつつ下り始めます。



仲良しマジ還暦夫婦を見せつけつつ、五竜よさらばぢゃ。



それにしてもいい展望だなぁ。下るのが勿体ないくらい。




最終リフトから八方池の往復は休憩を含めて1時間50分ほどでした(結構早足かな)。そしてリフトとゴンドラで再び紅葉エリアの山麓駅まで戻ってきて、なぜか画像はありませんが駅近くの洋食屋さんでビーフシチューなどを食べ、さて帰る‥いやその前に!





このあたり、特に白馬界隈の温泉にはあまり入っていないので(白馬鑓や今は無き小日向の野湯には入っていますが)、かけ流しの公衆浴場があると聞けばそりゃ入っておかなくちゃね。撮禁ゆえ湯画像はありませんが、露天風呂からは白馬連山がしっかり眺められましたし、頭や身体も洗って完璧ペカペカになりました。これで帰宅後のお風呂は不要!(帰着が遅くなりそうなので大切です)。





ただしこの時点ですでに14:30。もう渋滞が始まりつつある時間です。しかもこの上天気でしたから各地とも相当な人出だっただろうし‥覚悟しなきゃ。



というわけで急ぐ必要もありません。山羊さんを見学したり、道の駅というか直売所があればついつい立ち寄ります。そして‥









なおこの数日後、Takema家のベランダがオレンジ色の満艦飾となったことはいうまでもありません。

さて最初は県道31号からR19に出て長野ICから高速へと考えていたのですが、混雑を避けるべく県道の旧道を進んでいきました。しかし、R19との合流が近くなってきたところで‥





しかもおそらくこちら(県道側)の信号が短いのと、R19の本線自体が渋滞しているようなので、これは長野ICまで「長い旅(時間的)」になりそうです。おそらく信号1回につき2-3台しか進めていない様子。そこで‥





というわけで、山越えの前に道の駅で小休止。ちなみに駐車場脇に周辺の案内地図がありましたが(右上画像マウスオーバーで拡大画像に変わります)、これでいいのか撤去はしないのか?予算の関係でしょうが、何だか「日本の資金力」が着実になくなりつつあるような気もします。

山越えの70号線は空いていて(というか通行量極少)、更埴ICまではすいすいでした。高速に乗りすぐの更埴JCTで上信越道へ。しばらくはスイスイでしたが、広域情報によると松井田妙義ICから先は藤岡JCTまで絶賛断続渋滞中だとか。





断続渋滞30kmですかそうですか。となると‥下道くんで行きますか!

松井田妙義ICで下り、藤岡方面に向かうR18はそう混んではいませんでしたが、この時点で18:30を回っていましたし、遅ければ遅いほど渋滞も解消に向かうはずということで‥









このあとは結局高崎市内中心部を通り抜け、高崎ICから関越道に乗りました。結局千葉のわが家に到着したのは22:45ころ。今回の走行距離は1,115kmでありました。最終日はもちろん疲れましたが、若い頃はこういうのも結構普通だったよなと思うとジジイ化しつつあるわが身をしみじみと感じたりは‥あまりしませんね。でもお疲れ自分&おしんこどんというわけで、このお出かけ記、終了です。

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