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パプアニューギニアってどんな国? 〜 一般情報&旅行情報 〜



一般情報
お国もろもろ パプアニューギニア(略称PNG。以下はPNGと表記します)。人口はパプアはマレー語で「縮れ毛」を意味し、「ニューギニア」は、島を訪れたスペイン人が「まるでギニア人を見ているようだ」ということから「新しいギニア」という意味で付けられたという。そういや西洋方面の方々は、新しい地名を作る時に「NEW+自分の知っている地名」とやるのが大好きですな。ニューヨークしかり、ニュージーランドしかり。

1975年にオーストラリアから独立。さらに以前はドイツの植民地だったこともあったようです。ナミビアと同じですね。ちなみに、今でも元首は「エリザベスU世」。立憲君主国家、かつ英連邦(旧英国関係植民地グループ。日本では知られていませんが、英連邦のオリンピックのような大会も開催されています)の一国です。しかし現地の人を見ていると、全然イギリスっぽくは感じないんだけれどなぁ。(笑)。
面積 46.2万km2(日本の約1.25倍)。ニューギニア島の東半分と、ニューブリテン島ほか多くの島からなっている。本島内は標高4000mを超える山脈が島を東西に縦断していることから、たとえば首都ポートモレスビーと第二の都市ラエ(レイ)とは陸路で移動することができないんです。旧日本軍を悩ませた急峻な地形が特徴。ちなみに「さぁ〜らばラバウルよぉ〜♪」のラバウル小唄で有名な(え、知らない?)ラバウルはニューブリテン島にあります。
人口 519万人(00年)。ちょうどわれらが千葉県くらいの人口ですな(笑)。しかし古くから地域間の交流があった日本とは違い、もともと各地域で自給自足の生活を送っていた集合体のPNGゆえ、文化の根幹たる言語は700もあるそうです!(一説には800とも)。われわれから見れば皆同じ人種(メラネシア系民族)に見えますが、地域ごとの独自性はかなり強いようです。
首都 ポートモレスビー(Port Moresby。あ、上の地図に書いてありましたね)。かつて旧日本軍は山越えでこの都市を攻略しようとしましたが、連合軍の堅い守り‥ではなく、あまりにもハードな山中横断&マラリアを代表とする病気&食糧不足により、空港の灯りが見えるところまで進みながら撤退したそうです。悲しいなぁ。この国にはまだ多くの日本人兵士の遺骨が眠っているのです。

余談ですが、首都ポートモレスビーの交差点は基本的に全て英国式のラウンドアバウト(RA)です。その理由を聞いてみると、最初から英国方式を見習ったわけではなくかつては信号方式をとっていたそうなのですが、あまりにも事故が多い(信号無視や酔っぱらい運転)のに業を煮やした政府が、「それなら物理的に『突破しにくい』RAに変えよう!」と決め、全ての主要交差点をRAに作りかえたのだと聞きました。そりゃぁすごいことだなぁ。ちなみに、ポートモレスビーの住人いわく「ここが世界最大のRA!」という巨大RAもあります。グラスゴーのも大きかったけれどなあ、どうなんだろう。
人々 上にも書いたように、見た感じは同じでも各地域の文化はそれぞれ違っています。地域間の対抗意識というようなところまでは感じませんでしたが、それでも「自分はタリの出身だから、次はタリに来てくれ!」というような「お国自慢」は感じましたね。

ちなみに何度か他国に対する印象を聞く機会があったのですが、日本に対する好感度は高いです。老若男女を問わず「日本はいい国だ、この国(PNG)のことを考えてくれている」とおっしゃって下さいました。戦前戦中の支配姿勢だけでなく、戦後のODAなどもこの国では一定の評価を得ていると考えていいでしょう。旅行者として、この国で肩身の狭い思いをすることは一切ありませんでした。

ただそこには隣国&約30年前までの宗主国であるオーストラリアとの比較があることを忘れてはいけないでしょうね。いわゆるプランテーションによる搾取(インフラ整備よりも目の前の利益を重視していたことは今でもたやすく想像できます。だってそれが「時代」だったんだもの)、そして今でも経済の根本を支配するオーストラリアに対して反感を持つというのはわからないでもないところです。

でも、「PNGは独立するのではなく日本の植民地になればよかった」という発言には驚かされました。
通貨と物価 単位はキナ(Kina)。1キナは、うちら夫婦が旅行していた時は40円で計算していました(補助通貨としてトイヤあり。1キナ=100トイヤ)。最新の為替情報はこちらで見ていただくとして、基本的に「現地で生産されているもの(食料品)は大変安く、輸入品や工業製品は高い」というのが現実です。となると、旅行者は「高いものばかり」を利用しなければならないわけですから、必然的にそれなりの費用がかかってしまうことにもなります。安宿というものも、特に地方に行けばほとんどないですからね。

ちなみに、紙幣は2K、5K、10K、20K、50Kの5種類ありますが、現地の人達にとって20Kや50Kの紙幣は日常的なものでは決してなく、おつりがない場合もほとんどです。市場などでは10K紙幣だってきびしいかもしれません(たぶん相当きびしい)。両替する時には出来るだけ小額紙幣を多く混ぜてもらう方が使いよいです。紙幣にはすかし代わりにプラスチックが使われている部分もあります。

貨幣は1、2、5、10、20、50トイヤ、1キナがあり、市場では20トイヤのコインあたりが大活躍しています。逆に、宿でビールどんどん注文!となると、10キナ以上の紙幣がどんどん活躍することになります。ハイ、思う存分活躍させてました(笑)。ワインは高いので注意!
言語 上で書いたとおりローカル言語は700〜800もあります。ただそれではやはり何かと不便があるということで、共通語として一番使われているのが「ピジン語」です。英語を中心に、ドイツ語、そしてローカルの言語を合成して作った新言語(アフリカーンスのようなものですね)で、たとえば「おはよう」「モニン」「こんにちは」「アピヌーン」という感じです。ちなみに「こんばんは」「イブニン」とくるかと思ったら「グッナイ」でした。うーむ、微妙に一ひねりされてます(苦笑)。「ありがとう」「タンキュー」なのですが、より丁寧な言い方になると「タンキュートゥルゥ(たぶん Thank you true = 真にありがとう)」となるようです。でも覚えやすいので現地では是非使ってみて下さいね。

ちなみに、本来の英語もそれなりに通用するようです。田舎のハナタレ小僧くん(失礼)が立派な英語を使っていましたし、学校でも英語を習っているようでしたし。ただ、いわゆるニューギニなまりがある人も多く、慣れるまではちょっと聞き取りにくいかもしれません。
産業 基本的に農業国です。ハイランド地方ではコーヒーやお茶のプランテーション農園も数多く見られ、このニューギニアコーヒー、かなり美味しいです。日本にはほとんど入ってきていないこともあって、お土産に買っている人も多かったなぁ。真空パックの他にインスタント(それも「100%ニューギニア産原料使用」と銘うってありました)もあったし、お手軽なお土産としては一番でしょう。

いかん、お土産紹介コーナーじゃなかったですね(笑)。しかし、農業以外の産業はこれというものがないのが現実でしょう。インフラ整備の遅れもあって、工場らしい工場といえばビールや製糖関係くらいでしょう。マダン近くにある製糖(サトウキビ)工場はかなり大きいようでした。行かなかったのになぜ知っているかといえば、はるか離れたMt. Wilhelmの夜の稜線4000mで「あれはマダンの工場の灯りだ」と教えてもらったからです(笑)。
通信状況 今回は自分たちで電話をかけることもネットに接続することも一切なかったので、実際の所は全然わかりませ〜ん。え、だったらこの項目を削除すればいいじゃないかって?だってブータン編をお手本にしてるんで、お許しを。
時差 日本より1h早い(通年)。
気候 地域によって大きく異なりますし、標高差も大きいので一緒くたに説明することは出来ませんが、一般的に7〜9月くらいはどこでも雨が少なめで、旅行するにはオススメといえるかもしれません。また、8・9月にはマウントハーゲンやゴロカで大きなお祭りがあるので、それを狙ってくる人もかなり多いようです。

しかし今回(8月)は、ハイランド、セピック流域、ラバウルのどこでも夕方(4時以降)にはほとんど毎日雨が降りました。特にラバウルのスコールはスゴかったぁ。乾期とはいっても雨具の準備は怠りなく!

道路関係の整備状況からすると、雨季の旅行はそれなりに余裕を持たないときびしいかもしれません。地域間の移動に飛行機を使わざるを得ない国ですからなおさらです。

なお、マウントハーゲンあたりになると、朝夕はそれなりに冷え込みました。長袖は必携、今回はラグジャとフリース(山に登りましたからね)があったので重宝しました。
治安 これについては出発前にかなりビビっていました。いわく、「現地ではラスカルと呼ばれる強盗団が出没する。主要道路に石や木材をおいて車の通行を妨害し、車が徐行、停止したところで金品を強奪する」ということでしたし、旅行者のみでの車の移動(レンタカー)は決して勧められないということもあって、前回のブータン旅行同様ガイドや車を手配した(事情はブータンと全然違いますが)のですが、実際は「ホントにここにラスカルが出るの?石や木材を悠長に道に転がす暇があるのかなぁ」と思える雰囲気がありました。

ただ、やはり旅行者単独でのレンタカーなどによる移動は避けた方がいいでしょう。ローカルバスで旅行している白人旅行者はいましたが(ちなみにいろいろな意味で楽しめるようです。トラブルが多かったんだって)、現地の事情に精通していない我々が個人でうかつに動くと危険です。だって「そんな気配の微塵もない」ようなところで、実際に旅行者が被害に遭っているんだもの。

ちなみに、特に山岳エリアに行くと、中学生くらいの子供からおじいさんまで、刃渡り50cmくらいの山刀を常に持っているのが常態です。山仕事のために持っているわけですが、やっぱり最初はどきっとします。ラスカルなどもこの山刀で脅したりするのでしょうか。

なお主要都市では夜の外出はあまりに危険という雰囲気です。だって、地元の人ですらほとんど出歩いていません(暗いから、という現実もありますが)。ゴロカでは道を挟んだ向こう側にスーパーがあったのですが、閉店後、朝になるまでガードマンが夜通し店の前を警備していました(小声で歌を唄ってましたけどね)。ま、夕方以降は宿の中でで日記でも付けながら飲んだくれているのがいいでしょう(笑)。
旅行情報
PNG特殊事情 「遠い国」との印象がありますが、2002年からエアニューギニ航空が成田から直行便を飛ばしています。所要6.5時間くらいですので、時間的にはシンガポールに行くよりも近いんです。ただし週1便ですけどね(笑)。そのため、ツアー旅行はそのほとんどが7泊8日の日程で組まれています。今回、うちらは「せっかく行くなら1週間じゃ短いしなぁ」ということで2週間の予定で回りました。長いかなぁと思っていましたが、せめてもう数日欲しかったというのが実感です。しかし、さすがに3週間の休みは取れないぞ(爆)。

ただタイトルにある「特殊事情」というのは、PNGの往復関連ではなくて現地に着いてからのこと。上にも書きましたが、現地の主要都市、たとえばマウントハーゲンやラエ(レイ)、マダンなどの各都市は首都ポートモレスビーから陸路で行くことは出来ません。道路がつながっていないのです。ということは、どうしても空路を選ばざるを得ません。しかしその空路ですが、まず国営エアニューギニは首都と各都市間を結ぶ路線を持ってはいますが、ローカル都市間の運行はしていません(経由便はのぞく:たとえばポートモレスビー発、マダン経由、ウェワク行きなど)。たとえば、マウントハーゲンから北へ250kmほどのところにあるウェワクまでは別のローカル航空会社を使うしかないというわけです。さらにマウントハーゲン〜ラバウルなどというような地方中距離線ダイレクト便などは一切ないわけです。機体数の問題だけではなく、需要の問題が大きいのでしょう(=そんな路線を使うのは旅行者しかいない→定期航路を持つほどの需要はない)。ただの実態把握不足かもしれませんが(笑)。

そして、各地方を結ぶローカル路線会社の機体はセスナ及びそれに毛の生えたものがほとんどであり、有視界飛行が原則のようです。となると、ちょっと天気が悪ければすぐ欠航ということになるわけです。実際うちらがマウントハーゲン及びウェワクに滞在していた時、その両地点を結ぶ便はほぼ全て欠航していたようです。両地点の間には3000-4000mの山脈があるわけで、たとえ出発地と到着地それぞれの空港周辺が天気良好視界OKであっても、飛んでくれるとは限りません。ネパールのポカラ〜ジョムソン線と同じような感じだったわけです。

という不安の種を少しでも減らすためにうちら夫婦が取ったルートは、「道路のつながっていないウェワクへは、いったんポートモレスビーに戻り、そこからジェット機で行く!」というものでした。マウントハーゲン〜ウェワクの移動を、セスナくんさえ飛べば250kmの片道で済むものを、450kmかけて首都まで戻り、さらに600km先のウェワクに向かうという、あまりにも非効率的と思えるルート取りだったのですが、「急がば回れ」のことわざ通り、このルートを取っていなかったら、実際のところたぶんウェワク方面には行かれなかったのです。

確かに空路は高くつきます(今回、国内線搭乗は6区間にも達しました。別の島にも行ったからなんですが。ただ、日本からエアニューギニで往復する場合、国内線は半額です)。でも、その甲斐はあったかなぁと思ったのも事実です。

「移動には日程的余裕を持ち、ローカル路線のプロペラ機利用は必要最小限に」というのが、期間の定められた短距離旅行者にはある程度必要なポイントなのかもしれません(参考までに、今回の国内線は全て主要路線のジェット機利用でしたが、それでも「全てが遅延なく運行されたのは奇跡に近いですね!」というのがある旅行会社筋の方からのコメントでした)。ただし日程に余裕があれば、かなり奥地の村まで飛行機で入れるのがPNGの良い点でもありますし、そして何よりも田舎は楽しい(&都市は面白くない、特にポートモレスビー)のがPNG!う〜む、悩むところです。

ちなみに、この国を訪れる日本人の数は年間約5000人ほどとか。JICAなど援助関係の人達を除くと、戦争慰霊団の人達の比率が高いそうです。大戦の激戦地だったことがしのばれます。最近はダイビングスポットとしても徐々に有名になりつつあるのだとか。
ビザは? 日本でも取得できますが、ポートモレスビーのイミグレでアライバルビザを取得できます。しかし、入国審査時(=まだPNGキナの現金を持っているはずもない)において「はい、キナで払ってくださいね」、というのは笑えます(ちょっと考えればわかるでしょうに)。さらにキナがないと(しつこいようですがそれが普通)、「では、このゲートの先にある銀行で両替してきて、んでもって戻ってきてくださいね」と言われ、いってみれば「入国係官の指示による不法入国」を勧められるのがまたPNGらしいというところでしょうか。下手したらわからんぞ、これ。

ちなみに、入国審査の列の進みはかなり遅いです。んでもって、銀行にも長蛇の列が出来るのが普通です。それぞれ、PNGペースでお仕事を進めている部分が大きいからとも思いますが(一応時折キーボードは叩いてるんだけれどなぁ)、特に成田発の便で未明に到着し、そのまますぐに朝一番の国内便に乗り換えたりするような場合、時間的余裕がなくなってしまうことも大いにあり得ます。ただ、イミグレでビザ取得の場合はUS$払いも出来ます(日本円は不可)。割高ですが、イミグレでさんざん待たされたあげく、さらに銀行両替の列に並ぶ時間の余裕もなし!やばい!という方は、開き直ってUS$払いのほうがいいでしょうね。

確か写真が必要だったはずです(準備したけれど使ったか否か覚えていない)。詳しくは(この国を目指そうという人でしたら)自分で調べてくださいね。

ビザそのものは、丸々1ページに貼り付けるシールタイプのものです。パスポートのスペース、余ってますかぁ?(笑)。
ガイドブック 「地球の歩き方」は、随分以前にフロンティアシリーズで発刊されていたようですが(そんな本が出ていた時代が懐かしいなぁ)、現在(2003年)は発行されていません。

わたしゃかつてひょんな衝動買いから、(株)ゼンリン社2000年発行の「ニューツアーガイド NO.53 Papua New Guinea」というガイドブックを持っていたのですが、帰国後調べてみたら、どうやら1版1刷で廃刊になっていたようです(シリーズごと廃刊?)。今や中古市場でもほとんど出回っていません。

しかし、結構この本はかなり役に立ちました。実は読者対象設定はものすごくアバウトな感があり、「成田空港への行き方」を濃厚に説明していると思ったら、「上手なワニの出会いかた」などというものすごくマニアックなコラムまであったりしたわけですが、とにかくこの国に行く予定のない人でもかなり楽しめます。ちなみに、発行部数が少なかった(だろう)こともあり、現地の旅行ガイドや宿の経営者とおぼしき方もこの本はほとんど見たことがなかったようで、「ああっ、ウチの宿の写真が載ってるっ!こんな本初めて見た!」というように感動してくれたりしていましたし。ちなみに、一緒に持参したロンプラは数回開いた程度でほとんど使いませんでした。現在のPNG下調べにおいては結構「使える」ガイドブックだったのになぁ、残念です。

しかし、Takemaのような場合を除いて、今のところはロンプラに頼るしかない国ではないかと思われます。
お宿 外国人旅行者が圧倒的に少ない国ゆえ、それ系の宿&質となるとほとんどきびしいです。バックパッカーのノリで「安宿つなげてバスで移動」の安宿がなかなかナイ!民家泊系では「灯もない水ない電気もない」は素直に覚悟し、「そういう流れ」をいかに楽しむかが勝負だと思います。お湯が出なくたって文句言っちゃ駄目よ、だって、替えてもらった先の部屋がよりいいとは限らない!
人々の視線 モノの本(単純に上の本)によると、「現地の人達の土地所有に関する意識は日本よりも高く、従ってちょっとした土地を通る時にも、遠くに人影が見えたら『通らせてもらってまっせぇ』とような意味で手を挙げて挨拶するような配慮が必要、かつてはそれで日本人立ち入り禁止になった場所もあった」、ということでした。なるほど、こういう微妙な感覚がロンプラにはないんです、ハイ。

まぁそれだけ読むと、現地で妙に萎縮しすぎてしまう可能性もあるので(ちょっと極端過ぎる部分=上の例は日本の遺骨収集団@旅行慣れしていない遺族を例にしたものです)、もう少し「フツーの旅行者」が気を遣うべき所をあげるならば、それは「すれ違う人達への対応」でしょう。たとえば車に乗った我々が田舎道を車なりのスピードで通り過ぎる時も、道沿いにいる人はほとんど間違いなく車(我々)の方を見ています。そんな彼らにこちらが「こんにちわぁ!」の意味を込めて手を挙げると、相当の確率で向こうも手を挙げてくれますし(老若男女問わず)、時には大きな声で「Good Morning !」と集団で挨拶をしてくれたり(中学生くらいが多い)、意味はわからないながら「ヤ゛〜っ!(意味不明)」系のかけ声をかけてくれます(これはもっと年少の子供達)。

このやりとりになれてくると、いやぁなんとも楽しい!うちらは通り過ぎていくだけなんですが、それでも何だか現地の人とのコミュニケーションが取れているような気がして嬉しくなってきます。こんな気分、他の国ではあまり感じたことがありません。おしんこどんは「何だか雅子様(皇太子妃)になった気分!」と喜んでいました。
興味津々? やはりなかなか外国人が珍しい場所も多いですし、日本人に対する好印象もあるかもしれません。でもそれよりも何よりも外国人旅行者に対する興味は相当なものがあるのでしょう、ちょっと変わったところを歩いていると(ローカルガイド付きでしたが)人々、特にやっぱり子どもが寄ってきます。んでもって「写真撮っていいですか?」などと声をかけると、さらに集まってきた皆さんが嬉しそうにポーズを取ってくれます。これは大人も子供も変わりません。市場などで「すいません、写真を‥」などというと、周りの売り子の人達もどんどん集まってきてくれます(いい大人が、です)。特に田舎の村などではその傾向が顕著で、このPNG編の壁紙になっている画像も、「知らず知らずのうち、うちら二人の周りにこんなにたくさんの子ども達(大人も)が集まった時」に「よぉ〜し、写真を撮りますよぉ」と言って撮ったものなんです。

撮ったものを送るのは礼儀ではあるのですが、思ったよりも「送ってくれ」と言われることは少なかったです(現地ガイドさん経由で送れるものは送りますが)。ただ、デジカメで撮った画像をその場で見てもらうというのは現地の人達にとって初めての体験であることが多く、見せると大変喜んでくれました。動画などを見てもらおうものなら、押すな押すなの大騒ぎ。みんながほぼ見終わったあたりで村の古老とおぼしき人が「ワシにも見せてくれんかの」的に近寄って来て下さった時は何だか無性に嬉しかったですわ。
これらの情報では納得いかない、もっと知りたい、という場合はこちらのサイトへ(国際協力事業団のパプアニューギニア生活情報サイト)
さてさて、そんなわけで次ページからいよいよPNG旅行記が始まります。

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