− 2009 タイ北部湯めぐり(15) 寄り道しながらムアンパーン(Muang Pang)温泉へ −



さーて朝の日差しを浴びながら、バイクライフ最終日の過ごし方を考えましょ。

気がつけばタイ滞在もだいたい半ばにさしかかり、今日の夕方にはバイクを返さなければなりません。レンタル料金は51時間契約で1500B=4500円(端数分は契約で値切ったので)。となれば、前日同様めいっぱい楽しんで返さなければ!



でもその前に、宿の設備をめいっぱい楽しんでみたりしました。

さて朝食です。ごく普通のコンチネンタルなんですが、朝日を浴びながらの朝食はやはりいいものです。と、この日も「定時」にゾウさん一家が出勤してきました。



テラスの椅子に座りながらこんな「観光」ができちゃうんだから嬉しいじゃありませんか。



さ、本日も「営業活動」頑張ってね。お客さんがたくさん来るといいねー。




「ゾウさん一行の出勤風景」

朝の静かな時間がゆーったりと流れているということ、おわかりでしょうか?

Wmv形式、2.57MB、1分9秒



ちなみにレストランのマネージャーとおぼしき方に

と確認してみると「大丈夫、問題ない」とのこと。ここはインドじゃないんだからその言葉、今度こそ信じることにしましょう(笑)。ちなみに川の向かい側にある建物は民家ではなく、かといって宿でもなく、とある会社の保養所のようなものらしいです。「田舎暮らしの体験施設」とか何だとか。

本日の予定は、午前中にMuang Pang Hot Spring(ムアンパーン温泉)を訪問し、戻ってきたらパイの町でお昼ご飯、午後は宿のすぐ近くにあるTha Pai National Park内にある源泉(ターパイ温泉)へ、その後バイクを返しに行って、帰ってきてから夕ご飯という目論見なのであります。

ムアンパーン温泉まではたぶん片道35kmくらい、しかも昨日と違って峠越えの山道ではなく比較的なだらかな道のようなのでだいぶ気楽なものです。というわけでいざ出発!でも数百m進んだところでいきなり最初の休憩ポイントとなりました。

メインストリートに出る直前ふと道の脇を見ると、藪のすぐ先に見えたもの、それは「ゾウのお尻」でありました。実はこの近くに4ヶ所の「Elephant Camp」(観光用ゾウ乗り場)があることは知っていて、それこそ今朝も「出勤」するゾウを見たばかりでもあるのですが、ゾウ乗りにはもはやあまり興味のないわれわれゆえ(トナカイとかまで乗ってますからね(笑))、あまり気にかけていなかったのです。

道理でこのあたりを通ると何となくいろんなにおいがしていたわけだ‥」と思いつつ、宿からの道は裏通りのため一旦表通りに出てキャンプの正面側にてバイクを止めたというわけです。ここまでの走行距離約300m、早すぎる休憩ですね(笑)。

バイクを降りて左上のような写真を撮っていると、「お客かな?」と思ったゾウ使いの方が出てこられました。当然「乗りますか?」と尋ねられたわけですが、「いやすみません、写真だけ撮らせて下さい」というと、何と近くにデポしてあった象の餌用とおぼしきバナナの青い幹を鉈でカットしてくれ、「これをゾウの前に行ってから左手から右手に後ろから持ち替えてごらんなさい」とおっしゃって下さいました(ちょっと記憶曖昧)。で、いわれたとおりにやってみると‥。



ちょいとおっかなびっくり系のTakemaですが‥成功!ゾウの鼻がぐるりとTakemaを巻き込んでくれました!



おしんこどんに至っては、見よこの悦楽の表情!確かその昔大蛇を巻いた時と同じ表情です。そういえばあれもタイでしたね。

何のもうけにもならないのはわかっていてのこのサービス精神、さすがです!しかし今思い起こせばせめてチップくらいお渡しするんだった‥(ちょっと後悔)。あとで調べたところによると、こちらは「Tom's Elephant Camp」だったようです。拙サイトを見て現地で行かれることを決めたあなた、是非ともTom'sさんへ!(ちなみにTakemaは過去3回ゾウに乗りましたが、こんなにフレンドリーなゾウ使いさんは初めてでした。ただしここの料金は存じませんので念のため)。

のっけからお楽しみ系イベントでいい気分になったところでR1095号線との交差点まで出てきて、そこから少し行ったところにあるパイ川に架かる橋(Ta Pai Bridge)で再びバイクを止めます。橋のたもとにはミニ博物館ともいえる屋外ブースがありまして、ここに架かる橋の歴史が記されています。

じつはこのターパイ橋ですが、太平洋戦争中には日本軍が軍用道路工事の一環としてここに木製橋を架けていたのだそうです(前のページでも書きましたが、この現R1095号線自体がそもそも日本軍の軍用道路として拓かれたわけですから)。しかし戦争末期、ビルマ戦線においていよいよイギリス軍が攻勢を強めてくると、日本軍は撤退に次ぐ撤退(当時の言葉で言えば「転進に次ぐ転進」となりますが)を余儀なくされます。

で、このブースに書かれていた記載内容によれば、1946年に(旧)日本軍の残留部隊がこの橋を破壊してしまったのだそうです。戦争も終わっていたのに、しかもいかにタイ国内の駐留部隊であったとしても、終戦から半年も経てば武装解除されていただろうになぜ?「イギリス軍にこの橋を利用されないように」という思いがあったのかも知れませんが、破壊工作を行う権限及び装備はまだ保持していた?これが「1945年」であればわかるのですが‥。

しかし結果として不自由を強いられたのは「せっかく橋が架かって便利になったのに、橋が壊されて不便になった」地元住民にほかなりません。しかも日本軍が残した道路により、まがりなりともチェンマイとパイ、メーホンソンをつなぐ物資や人の移動が可能になったというのに唯一この橋部分だけが「渡し船」という、いわば「ボトルネック」状態に陥ってしまったそうなのです。

やがて住民らの手により再び木製橋が架けられ、長きにわたってこの橋が使われてきました(右上画像のことでしょうか?ちょっとわかりません。もしかして違うかも)。しかし、1973年の大洪水により橋は流されてしまいます。そこで恒久的な橋として左上画像にある旧橋「Nawarat Steel Bridge」が建設されることになり、1976年に供用が開始されたというわけです。

しかし強度及び耐荷重の問題からか、現在ではそのすぐ隣に現代風の(悪くいえば素っ気もない)新橋が架けられ、車両は全てそちらを通るようになっています。

これは現代日本にも直接つながってくる問題でもあります。現在この橋に車両を乗り入れることは物理的にできません。「新橋が壊れてしまった時の予備橋」というのもまずあり得ない発想でしょう。つまりこの地域、Districtであるメーホンソン県は「この橋を歴史的なものとして長く保存することを望んだ」ということに他なりません。

この橋が直接日本軍によって建設されたものでないのは明らかです。しかしこの橋のルーツをたぐればそこには太平洋戦争がある、ならばそのことを未来に伝えていくのが現在のわれわれに求められた責務である、おそらく地域政府のトップの方はそうお考えになったのでしょう(まぁその他にもいろいろあるとは思いますが)。少なくとも残しておくとすれば今後維持費その他が長年にわたる出費としてのしかかってくることは容易に想像できます。壊してしまえばその時の費用はかかってもあとの負担はゼロ。でもそれなのにあえて「残す道」を選択した地域政府の選択はまさに英断といって差し支えないものと思うのです。

そして、決して多くはないと思われるこの橋の訪問者に「必要最低限にして十分の歴史を伝える」このインフォメーション。上の方に書いたこの橋の歴史は、すべて橋のたもとにあったブースに書かれていたものをTakemaなりに要約したものなのです。

翻ってわが日本‥。自虐的になるつもりはありませんがこの姿勢を見習うべき面があるのではないでしょうか。管理人常駐の大規模施設を造り、時には「小を大として」伝えようとする感のある行政の所作、もうそろそろやめてほしいのですが‥。

さて愚痴になってきたのでこの辺でやめることにして次の話にいきましょう。この橋でバイクを止めたのは、なにもHistorical Bridgeにだけ興味があったわけではありません。もっと現実的な問題、すなわち現世入浴利益に基づく「入浴望」もあったのです。いや本音を言えば「入浴望>知的好奇心」であったことは疑う余地もありませんでした(苦笑)。というのも、情報によれば

ということなのです。しかしその一方で最新情報として「今は湯が溜められておらず放置状態」という話も聞きました。朝食時に従業員さんに聞いてみたところ「えぇあそこにはそんなのがありますよ」と言っていましたが、おそらく風光明媚、いや違った結構丸見えの場所にあるらしいその半野湯にそうそう入浴しに行くことはないでしょうからあまり信用しないことにしました。そもそもこの界隈の家々の多くには温泉が引かれている(たぶん自家泉)というのですから‥(ちなみにこの界隈のパイ川沿いでは「ちゃんと掘ればどこでも湯が湧く」という状況らしいです。

で、旧橋の上から河原を見てみたら‥あまりにもわかりやすいとしか言いようのない場所にコンクリ管が並んでいるではありませんか!さて肝心の湯は‥上からしっかり見えちゃいましたがまぁとにかく現場まで行ってみましょう。



うーん、これはしばらく前から使われていない感じです。それにしては植物の繁茂が少ないのは「彼らによる整備」の賜物でしょうかね(笑)。

しかし今初めて気づいたことがありまして、自分が得ていた現地情報の写真とこの画像との場所が何だか違うような?植生の違いはまぁあり得るとしても、手持ち写真の場合もっと山裾が近いんですが?‥もしかしてここではなかったのか?でもここもどう見ても源泉施設跡であることは間違いなさそうですし、「源泉付きで売りに出されているため現在湯は出ていない」というのが最新情報だったので、「当たらずとも遠からじ」系なのかも知れません。ま、ここはいいとしてさっさと本命くんを目指しましょ。このページ、やたらに文字が多くなっていることだし(笑)。

さて本日午前中のメイン目的地は表題にもあるようにMuang Pang(ムアンパーン)温泉なのであります。大まかな地図&ネット情報によりアバウトな方角はわかっていましたが、問題はR1095との分岐点。Kmポストをたぐるしかないなーと思っていたら、何と近年(たぶんごく最近)になって建てられた青看板表示により分岐点はあっさり判別できました。

ちゃんとタイ語の下に英語の表記も書かれているのでこれならすぐにわかります。そういやTakemaの地元駅にも「日英中韓」の4ヶ国語による案内板が掲示されています。惜しむらくは「中」が簡体字のみで、台湾からの旅行者(決して少なくない=多い)用の繁体字が示されていないのが納得いかなかったりするのですが、まぁここで書くべきことでもないので(書いてるけど)やめておきます(笑)。

ちなみにここからMuang Pang温泉までは青看板表示&実測ともほぼ26kmなんですが、この青看板のすぐ先にある白看板(右上画像マウスオン)によると35kmとか。おそらく旧道経由の距離表示なんでしょうが、その旧道もどこなんだかわからぬ今となってはもう撤去してもいいのではないでしょうかね。

さてそんなわけでR1095との分岐から走り始めます。全線がコンクリート舗装であることからバイクの乗り心地はイマイチで、またコンクリゆえブロックごとに施工しているためかその境目に結構段差やすき間があるんですね。日本の高速道路でもたとえば常磐道の北部(いわき勿来ICから北側)などはコンクリート舗装ですが乗り心地は正直言って良くないし走行音もうるさい。なのになぜわざわざコンクリで?

調べてみるとなるほどそういうことかと納得。わからない方はこちらでお勉強しましょー。偶然見つけたこちらのサイトですが、なかなか奥が深いです。サイト管理者氏のウィットに富んだ説明は、特に「舗装現場用語」に顕著です。Takemaは思わずブックマーキングしちゃいました。‥あ、でも思い切り話がそれてますね(苦笑)。



「ということでR1095分岐から走り出したわけで」

バイクから撮った走行風景。センター部分のみならず継ぎ目部分はギャップがきついところあり。

Wmv形式、2.09MB、54秒


家が点在する農村エリアを抜けると小さな峠を越えるわけですが、これも1095号線とは比べものにならないほど小さなものです。そこから先は景色が多少なりとも雄大になり、変なたとえかも知れませんが何だか「ミニ北海道」を髣髴とさせるようないい感じになってきます。路面の関係でそれほどスピードは出せませんが(初めて通る道ゆえ慎重第一ですしね)、なーんだか昨日とは違うアドレナリンが出てきたゾー!



峠エリアを越えると、時々右上画像のような直線路も出てきます。

やがてこの道路はまるで「北海道は美瑛や上富良野周辺の丘を幾つも越えていく」という感じの爽快ツーリングロードになっていきます。と、ある丘を越えた先で「なんともいい風景」に出くわしました。



ここがその場所なんです。「何が?」とおっしゃる方は右上画像と下の拡大画像*2をご覧下さいませ。



まさに人海戦術!村人総出で刈り取っているのは「ニンニク」なのでありました。ざっと数えたところ総勢約60人!

この村における横のつながりが濃密でなければあり得ないこの人海戦術!この村ではある種の「小国寡民」系システムが機能してるんでしょうか。ちなみにおしんこどんが手を振ってみたらあちらの方も手を振りカエしてくれたみたいです。根性があれば畑まで降りていって「収穫作業を手伝わせて下さい!」と申し出ることになるんですが、どうも「行こうか?」とおしんこどんに言い出せなかったのはTakemaも年を取った証拠?(笑)。今考えれば是非ともあそこまで降りていくんでした。

さてしかしこの時点では「まだ見ぬ湯、Muang Paeng温泉」の誘惑に心を奪われておりましたのでしばしの休憩のあと再び直進。情報によるとそろそろ分岐点が‥というところで、うむ!期待通りに分岐点が!Takemaはランドマークを目印にしながら進んでいたんですが、この青看板はとっても親切です。



分岐の看板の一番上に「Muangpang Hotspring 2km」と書かれています。

ここからはさらに細くなった舗装路(せいぜい1.5車線幅)、しかも相変わらずのコンクリ舗装+浮き砂というか土だまりがあってスピードは出せません。でもこの道を「ぶっとばすゼイっ!」と気合い一番で駆け抜けるライダーはいないと思われるのでまぁいいか(ちなみに完全な農道なので農耕車を優先しましょうね。めったに通らないけれど)。

さてトリップメーターが1.5kmを超えたあたりですでに周辺は畑もなくなり「ふむふむ、まもなくか?」という期待がどんどんふくらみます。と、ここでいきなり分岐が出てきました。看板はありませんが「お湯勘」で右折を選択です(ちなみにここで舗装路がオシマイとなるのですが、車の轍は明らかに右折側の方が太かったし、右折路の先にはあずまやも見えていたので‥なんだ全然お湯勘じゃないですね)。で、そのまま進んでいった先に‥






「ムアンパーン温泉到着まで」

最後の最後、温泉到着までの道のり動画です。この温泉を目指そうとする方は必見!でもパイの市内からなら往復60km超、そうまでしてここを訪ねる人はほとんどいないだろうなー(苦笑)。

Wmv形式、2.62MB、1分10秒


ちなみに到着後ヘルメットを外したりの作業をするだけでも出る出る玉の汗!この日はまた特別暑かったのか地形的なものも影響しているのか、とにかくこれから行くべき湯処を目の前にしてすでに湯あたりモードに入りつつある感じのTakemaでありました。

しかし、このあと源泉地帯を目の当たりにするやビックリ仰天シャボン玉ホリデー!(意味なし芳一)。温泉の造形にびっくらこきまくったTakema&おしんこどんでありました。だってさ、ここって火山帯からも相当離れているタイですよタイ!
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