- 2015/8 キューバ旅行記(27) マタンサスからキューバ国鉄唯一の「電車」でまずはハーシー方面へ -



鉄道博物館じゃないですよ。現役の、そしてキューバ唯一の「電車」が走るハーシー鉄道マタンサス駅です!

そんなわけでやってきましたキューバ国鉄マタンサス駅。タクシー料金を払って駅の構内に入ったのが11:37。その時、「何とも有難き僥倖」に感謝したTakemaでありました!



何が僥倖かといえば、われわれが持っていた情報(いつもの「旅行人」です)によると、マタンサス発カサブランカ(ハバナ)行きは1日3本の運行、そのうち一番利用しやすい昼発の列車は「12:39発」と書かれていたのです。

しかし「さすがに(6年前の情報だし)これは鵜呑みにできないよな」というわけで、バラデロ市内の旅行代理店に「ハーシー鉄道の発車時刻はわかりますか?」と聞きに立ち寄ったわけです(しかも2箇所)。でも、前のページでも書いたように「バラデロはVaraderoだけで完結している」わけで、古い時刻表すらも持っておらず「すみませんがわかりません」とおっしゃるばかり。いや、旅行代理店を責めるわけではありませんが。で、実際に来てみたらマタンサスは「12:09発」って‥30分早まってるじゃないですか!



いやぁよかった&アブナカッタ!(苦笑)。



まだ改札は始まっていないようで、お客さんは待合室にそこそこ(左上画像マウスオン)。というわけでまずは切符の購入。しっかしまぁ、これが安いんですよ!ここマタンサスからカサブランカ(ハバナ)までは約90km、約3時間半(遅いなー)の道のりなのですが、何と2.80CUC!日本円で約350円といったところでしょうか。

ただしこれはあくまで外国人料金でありまして、地元の人は2.80CUPです!ええっとその場合、1CUC=25CUPなんですから350円÷25≒14円ということになります(物価が違うので比較することに意味はありませんが)。なお古い情報では「外国人でもCUP払いで乗れることもある」とあったりしますが、少なくともここマタンサスでは外国人と地元民用両方の掲示がなされていましたから、東洋人たるわれわれがCUPで乗れることはないでしょう。一応払うときに「ペソクバーノ?」と確認してみましたが、しっかり「セーウーセー。」と言下のもとに却下されました(笑)。



さてまだ出札が始まりそうにないので、おしんこどんに荷物番をしてもらいつつ買い出し行動です。途中にある大きめの町といえば、2002年まで製糖工場のあったカミロ・シエンフエゴスくらいしかありませんが(ちなみに駅名はかつての通り「ハーシー」(Hershey)です。地元のスペイン語だと「エルチェイ」と発音するようです)、いずれにせよ日本じゃないので駅弁等の販売を期待するには無理があります。そこで「パンと飲み物(できればビール)」を手に入れたかったわけです。しかし‥



というわけで失意のもと駅に戻ってきてびっくり。待合室を出たすぐ左側に売店があった!(待合室出口から右側に進んだので気づかなかったわけです。なおキューバの地元民御用達のお店は看板も出ていないことも多いので、「あってもその存在に気づけない」ことも多々あります。ここも看板はありませんでした)。

とりあえずジュース2本とビールを1本購入(なぜか水は売っていなかった)。棚に置かれていた品をそのまま出してくるわけですから完全常温ですが、ないよりあったほうがいいですよね。ちなみに今思い起こせば待合室の入口でパンの立ち売りをしているおじさんがいたよなぁ(上の方の画像、駅名板とともに写っているおじさんです)。何で買わなかったんだっけ?



出発の約15分前に案内があり皆さん電車へと移動します。いったん待合室を出て車両に乗り込むこともあり、入口付近に荷物を置いていたわれわれはかなり先行隊になれました。電車は2両編成なので、あとに来る人のことも考えつつ(前方車両から前の景色を見たいとの思いも踏まえつつ、まずはしっかり席を確保。右上画像のように網棚は設置されていないので、ドア脇にザックを置いてまずは安心です。



さてこのキューバ国鉄ハーシー線について簡単に説明しておきましょう。そもそもスペインの植民地だったここキューバの鉄道の歴史は古く、まだスペインに鉄道そのものが存在していなかった1830年代に敷設・運行が開始されています。それはもちろん当時の住民の利便性を考え云々とは一切関係なく、宗主国が植民地からブツを吸い上げ輸出するために作られたわけです。キューバの場合はもちろんサトウキビを原料とする砂糖です。

やがてその鉄路はキューバ国内の隅々にまで張り巡らされたようです。前の方のページでレールバスに偶然出会ったことをご紹介しましたが(グアロ(Guaro)編はこちら)、あの線路もそもそもの発端はサトウキビでしょうし、国道・地方道を問わずやたらと不意打ちのように踏切が出てくるのもキューバの鉄道網の緻密さを物語っています。まぁメンテナンスのレベルや実際のオペレーションはかなりひどい感じではありますが、それでも「今も動いている」というのはすごいことです。

で、このハーシー線もやはり「砂糖が敷いた鉄道」であることに変わりはありません。ただし時代は下って1918年の開業です。すでにスペインは宗主国の座を降りキューバは建前上独立していましたが、その経済的実質=新たな疑似宗主国として君臨していたのはアメリカでした。そしてつまり鉄道名のハーシーとは‥




(わたしは甘いお菓子はあまり好きじゃないので酔ったとき以外あまり食べませんが)

そう、上画像にも書かれている「over 100 yeays」の言葉通り、当時のハーシー社はここキューバに砂糖製造工場の拠点を置き、その工場から原料を「出荷」するための利便を考えてハバナ~マタンサス間に電化路線を敷設したというわけです。そしてキューバ革命および国交断絶によりハーシー社の工場もこの鉄道も国有化されました。



上記画像の記載時刻は2005年現在のものなので信用しないでほしいのですが(ダイヤは変わっていますので)、これを見ると本線以外に支線が5本もあることに驚きます。ただしHabana(La Coubre駅)方面は2015年現在ほとんど運行実績がないそうです。というのもLa Coubre駅はキューバの鉄道本線駅であり未電化。よってこちらの電車はディーゼル機関車に牽かれて入線するようなのです。でもそれって意味ないよなぁ。

でもかつてサトウキビを集荷するために建設された路線が、今もほぼ廃止されずに旅客線として使われていることには「多少なりとも鉄の人」である自分としても感銘を受ける次第です



最前列にはソロ旅行の女性がおられましたのでツーショット。ええっともちろん話をしたんですがどこの国から来られたのかを失念(オランダだったような)。このあとカナダ人の別のソロ女性と合わせた4人ほかで「放置プレイ」に遭うことをこの時はまだ知るよしもありません(笑)。

さてまだ運転士も来ていないので運転席は撮り放題(左上画像マウスオン)。年季が入った車両であることはわかっていましたが、実はいろいろなスイッチボタンの多くが無くなっていたりして結構たまげます(笑)。ちなみにこの車両自体も骨董品で、1945年前後にスペインで製造された車両らしいのです。それらを1979年にリニューアルした上でキューバに輸出したのだとか。

近年の日本の鉄道車両はそのどんどん逆を進んでいるようですが(笑)、たとえばインドネシアやミャンマーなどには日本の中古車両がどんどん輸出されています。中国製の車両は今のところ「長保(も)ち」を考えた造りではないようですが(ボルネオ島で見た中国車両は耐久性自体の基準が甘いようだったので=こちら)、日本だっていまだに国鉄時代に製造された車両が走っています。そのメンテナンス技術がJICA等を通して現地に伝授されているわけなのですが‥



もちろんこの車両もそうですし、クラシックカーだってそうですよね。アメリカによる経済封鎖を通じて、ある意味日本以上に「モッタイナイ」の概念を理解&実践してきたのがキューバだかなと思うのです。







出発&道中の動画はこのページ末尾でまとめて載せることにして、出発直後の車内はこんな感じでした。右上画像は車内検札、ちゃんとチェックはされますので念のため。ただ、もし無札で乗ったらどうなるのかは定かではありません(そもそも道中駅のほとんどは無人駅だし)。



ちなみに駅でない場所でも大荷物等のアピールがあれば停まるようでした(笑)。



マタンサス駅出発時には立ち客もいた列車ですが、駅ごとに徐々に下車するお客が増えていき車内は閑散としていきます。左上画像の家族連れはなぜか運転席方面へ。実はホームのない場所で降りる際、もちろん列車ドアからだと段差がとてつもないわけですが、運転席脇には乗務員が乗り込むためのステップがあるわけです。そのステップを利用して下車していくわけで、いやぁ何だかすごいわ(この人たちが下車する際、運転士さんはどきますからね)。



そんなわけでガラガラになったボックス席です。クッションもないプラ椅子ですし列車の揺れもなかなかのものですが(笑)、進行途中にうろうろしていたこともありお尻は痛くなりませんでした。



左上画像は車掌さんがドア開閉作業に携わっておられる画像ですが。ドアは両開きながら妙に半自動なんですよね。結局よくわからない操作でした。なお右上画像では降りていった人が見えてますよね。しかし「なかなか発車しないなぁ?」と思っていたらかの人(実は車掌さん)が戻ってきました(右上画像マウスオン)。手にしていた荷物がないってことは‥





列車はさらに進み、中間基地というか「そもそもここから始まった」旧ハーシーの製糖工場エリアに入っていきます。キューバ革命後(強制的に)国有化されたこの工場も、2002年(別情報によると2005年とも)に操業を停止してしまったわけですが、



かつての従業員およびその係累がただちにこの地を離れたわけでもなく。今もここはハーシー線の中での最大の町=カミーロ シェンフエゴス(Camilo Cienfuegos)になっています。工場の廃墟だけしか撮りませんでしたが、実際の市内は結構アメリカンだというネット情報もあります。見なかったからわかりませんが。





ということで最後に「マタンサス~ハーシー」区間の連続動画をご覧いただいたうえで次のハプニング編へと進みましょう!(大笑)。



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