− その4 朝湯のあと西山温泉中の湯経由でいわき湯本立ち寄り湯、そして帰宅 −



宿泊客専用内風呂は朝5時からOKでーす!新鮮湯に朝イチで大満足♪

そんなわけで朝一番ちょい過ぎに行ってみました宿泊客専用のお風呂!(外来入浴は受け付けていません)。早戸温泉の源泉は動力供給なのでポンプを止めてしまう(と思われる)夜間の入浴はできませんが、9:00スタートの日帰り棟はともかくこちらは朝早く(5:00)から湯を回していただけるので有り難いです(だからここに泊まろうと思ったわけですが)。というか、そもそも動力で湯をポンプアップしている宿は少なくとも真夜中の2時3時あたりの供給を止めてしまうべきだと思うのです。源泉という大切な資源を必要以上に汲み出さず大切に使えばいいと思うのですがどうなのでしょう?



お湯が新鮮なのでしょう、日帰りの内風呂に比べて劣化による茶濁り色が薄く、緑系が色濃く出ています。もちろん朝一番でゴクゴク。

朝一番でシャッキリしたあとはしばし宿周辺をお散歩です。実は同じエリアを2回お散歩したので太陽が出ていたりいなかったりの違いがありますが無理矢理ご納得下さいませ。



さすがに営業開始数時間前なので「オープン前の行列」は皆無です。周辺はまだガスってますね。



湯治棟の入口にはこんな掲示も(左上画像マウスオン)。そして源泉地へと下っていきます。雪スゴイ。



湯治棟の湯小屋は新しく増改築されたもので外見も新しめですね。温泉神社にて二礼二拍手一礼。



神社のすぐ奥に源泉地が。結構な勢いで余り湯が流れています。温泉の先人はかつてこの余り湯を‥ウラヤマシイ。



とりあえず手湯で満足。今は船着き場が造成されたので余り湯利用の野湯体験は不可能です(落ち口近くに廃湯も流れこみますし)。

そんなこんなでお散歩も終了。まだ出発には早いのでいったん部屋に戻りましょう。と、その頃になるとガスが取れて朝の日射しが射し込んできました。



ちなみにこの日は東日本全域でいい日和になったのでありました。温泉神社の奉納用幟、お持ち帰り用で個人的に欲しいなぁ(笑)。



自販機の脇に貼られたこの紙に何だか温泉施設としての自信を感じます。自炊室の備品は至れり尽くせり、でも買い出しが問題です(笑)。

とまぁ脳天お気楽に画像を並べてきましたが、やはりここは福島県、そんなお気楽なことばかり言ってはいられない「災害後背地」なのでもあります。湯治宿にしてはちょっと珍しい「雑記帳」があったので開いてみると‥やっぱり。

この書き込みをなさった方はいわきから自主避難なさったようですが(それにしても達筆な方ですね)、今は戻られたということなので避難地域外にお住まいの方なのでしょう(いわき市は原発から30kmの園内にごく一部がかかるだけ&いわき市はものすごく広い=「平成の大合併」の前までは日本で一番広かった市)。

お仕事の関係でいわきに戻ると書かれています。復興のために再び会社が動き始めようとしているわけですね。ただしその会社は「ゼロからの再出発」なのかも知れませんし、そうでなくとも様々なトラブルをかかえつつの小さな復旧からスタートしようという状況かも知れません。いずれにせよこれまでとは違ったご苦労を強いられていることでしょうが、是非何としてでも復興を成し遂げていただきたい、そのためにTakemaはこれからもできるだけ東北を訪問してせめて多少のお金だけでも現地で遣っていきたいと思います。もちろん福島だけではなく各県に、そして今年のみならず長年にわたって‥。

しみじみしたところでそろそろ出発です。この日は昨日とは変わって雲一つない快晴の上天気。これで雪解けも一気に進むのでしょうね、会津の遅い春も駆け足でやって来そうです。

いつ来ても「すんごい立派だなー」と思ってしまう道の駅みしま、バイクでR252を走っていると「立ち寄り処」が少ない路線ゆえいつも「ふぅっ‥」と休憩する場所でありましたが、最近はここまでバイクで走りに来てないなぁ。ちなみに昨晩の地鶏蕎麦はここ三島町の鶏肉を使っているそうです。右上画像の地鶏カレーも食べてはみたかったんですが(「ヒーハー」がいい感じです)、いかんせんまだお腹が空いていなかったので断念。ちなみに建物の2Fには特産の桐箪笥(常設展示)とともに、多摩美大の学生がデザインし地元の職人さんが作りあげた「作品」が展示されておりました。こういうタイアップっていいなぁ。

さて会津を離れるにあたりせめてもう1湯くらいは入っておきたいところです。となれば「宮下か西山でしょ」という感じになるわけですが、風情からすればやっぱり西山派のTakema。そんなわけで最初に目指したのは老沢温泉旅館‥あーでも2台くらいお客さんっぽい車が止まってるなぁ、しかもこれから出発というよりは「今さっき来ましたー」系の雰囲気で何だかうろうろしてますね。

というわけでその上、前に宿泊したこともある新湯旅館さんにお声をかけてみると‥あっちゃー清掃中で湯がないとのこと。ま、確かにそういう時間帯なのでこれはしょうがありません。ではそうなればやはりあそこでしょ!



そんなわけで橋を渡っていくと‥何かが干してある?大根の皮?(右上画像マウスオンで拡大)。

しかしこちらの下の湯さんはいつもながらの難関!玄関の引き戸をカラカラと開けて「こんにちはー!」と何度声をかけてもどなたもおられない様子。天気もいいし、畑の準備に行かれてるのかなぁ。入浴料400円*2を玄関先に置いて勝手入浴というのも一瞬考えましたが(以前常連さんから聞いたことあり)、わたしらの場合常連でもないので不審者になっちゃうかということで断念。4回目の訪問ですがこれで2勝2敗の五分となりました(笑)。

残るは滝の湯か中の湯のどちらかです(この際日帰り専用のせいざん荘は除外)。というわけで中の湯へ。こちらは別棟の檜風呂には入っていますが(こちら)本館の湯には浸かったことがないというのが理由です。そんなわけで玄関の引き戸をカラカラと‥あれ、アレレ?

あちゃーオフシーズンだからなぁ、しかも声をかけてもこれまたどなたも出てこられないし‥ということで(西山温泉ではこのパターンがデフォルトだということがよくわかりますね)どうしようかな、雪解け水の多いこの時期は野湯も無理だし、だとしたら柳津かちょっと戻って宮下か‥と思いながら車まで戻ったあたりで女将さんが玄関から出てきて下さいました!



西山温泉郷の中でも一番立派な造りの?中の湯旅館さん。その横には雪解けで増水した川、水量が少なければなー(謎)。

本館での入浴をお願いすると、「本館のお風呂は小さな女湯の方しか入れませんがよろしいですか?男湯は湯温が上がらなくてぬるいんですが‥」とのこと。こちらは2人なので全く問題ないのですが、ここでちょっとした疑問。「男湯の湯温が上がらないって、男女の浴室で源泉が違うのか?」。本館と別館、それに別館付属の露天風呂それぞれが別源泉だという記憶はありましたが‥。しかしこの件についてはさらに質問するのをうっかり忘れたので、これ以上この謎が明確に解き明かされることはないのであります(笑)。

そんなわけで女湯の浴室へ。確かにこぢんまりとした湯船ではありますがしっかりかけ流されているので湯は新鮮です。しかし気になるのが投入湯の温度。湯口の手前で加水しているのかガツンという熱さがありません。表示には源泉温度が75.0度とあるのにこのぬるさ(推定41度台)というのは一体?他のウェブサイトには「ホースで加水している画像」がありましたから、湯口手前で加水しているというのは考えにくいのも事実です。案外、かの地震の影響で源泉温度がぐぐっと下がってしまっているのかも知れません(推論に過ぎませんが)。

湯上がりに駐車場界隈で火照った身体をさましていたら、さすがに奥会津とは違ってこのあたりの残雪はぐっと少なかったことからフキノトウが顔をのぞかせている場所もあったりしました。着実に春に向かっていますね。

このあとは柳津の道の駅隣のコメリで「何かないか」と店内を物色し(なぜかハンドモップを購入)、ついでなのでさらに隣のスーパーをのぞいてみることに。驚いたことに、この時点で東京周辺では品切れに近い品薄状態であった納豆がごく普通に品数豊富モードで販売されていました。また同様な状態のヨーグルトも販売中。おしんこどんの好物というわけで1個購入。それにしても、牛乳1つとっても福島の農産品はまだまだ大変そうです。でも今はもう大丈夫になったのかな?

さてこれでミニ買い出し終了と思いきや、スーパーの外の陳列台を改めて見たおしんこどんが次のようにのたまいました。

あれれ、わが家には確か手つかずの水(2リットル*6本)があるはずだけれど?何だか買い占めみたいにも思えるんですが?と思っておしんこどんに聞いてみると、実はもう全て賞味期限切れの品なのだとか。なるほど、これを買って今ある水と入れ替えようというわけね(古いのだってもちろん飲用として使いますよ)。それなら問題ありまっせーんというわけで追加購入。

さて、ここで困ったのがお昼ご飯。このあと会津坂下ICから高速に乗って一気にいわき湯本ICまで走り抜けるつもりなのですが、やはり高速に乗る前に昼食は済ませておきたいところです。でも坂下から西側の奥会津にはあまりいい食事処がないのですね(そもそも食堂の絶対数が少ないというのもありますが)。特にわれわれの場合旅先の昼食は圧倒的に蕎麦であることが多いのですが、蕎麦屋がこれまた泣きたくなるほど少ない。需要のなさの裏返しだとは思うのですが‥。

そんなわけで柳津とICとの間にあった数少ないお店に入店しました。粟(アワ)を練り込んだ「あわそば」と、ノーマルの盛りそばを注文しましたが特筆すべきレベルでもなく‥次回はまた別の店を探すことになるのかも(「別の店があれば」の話ですが)。

そんなわけで磐越道へ。猪苗代ICあたりまでは特に普段と変化はありませんでしたが、郡山JCTが近づくにつれて路面に段差が見られるようになり(もちろん応急の補修はなされています)、JCT手前では1車線規制区間もありました。

そして、JCTから郡山東ICあたりの盛り土区間が一番路面の悪い区間でありました。補修はなされているのですが、それでも路面の割れや段差はかなり多く、50km/h規制というのも宜なるかなという感じでした(あくまで4/10段階の状況ですので、現在(4/18)も同じ状況だとは限りません)。そこから先も、路面のうねりや段差などは数え切れないほどで、「こりゃ最終的には舗装し直さなければ根本的な解決には至らないだろうな」と思いつつ走っていましたが、助手席のおしんこどんにはそんな車体の躍動も「気持ちいいゆりかご」のようなものだったようです(要は爆睡まっただ中)。

阿武隈高原SAでちょいと休憩。やっぱり緊急車両が多いです。左上画像の消防車や救急車は茨城県南部の稲敷エリアの所属車両ということで、ここが上り線であることを考えると被災地での作業を終えて帰任するところなのでしょう。一方の自衛隊はぱっと見ただけではどこからの派遣車両なのかわかりませんが、この時はこの1台だけでした。

SA内の食堂やおみやげ物売り場あたりの賑わいは通常通りでしたが(いつもよりお客の数は少なめ)、左上画像のような看板がやはり「普段とは根本的に違うんだ」という現実を如実に表しています。また、ラーメンや丼ものを食べているお客さんのうち「制服組諸氏」の比率が高かったのが印象的でした。でも考えてみれば「ようやく緊張状態から解き放たれ、自分の食べたいものを自由に選んで食べておられる」わけですから、そのお味は格別美味しかったのではないかと。任務遂行、ご苦労さまでした!

さて、いわきJCTまで来たところで上の自衛隊車両に追いつきました。‥と!

いわきJCTから北へ‥。まぁ3.5kmほど先のいわき中央ICで下りればいわき市の中心部へと向かうわけですが、その場合の作業といえば給水その他の人員交代?でももしその先のいわき四倉方面へと向かうのであれば(右上画像マウスオン)、まず間違いなく制限区域云々絡みの任務になるわけで‥本当にありがとうございます。

ちなみにこのいわきJCTから福島第1までは直線距離で46.7km、高濃度放射線物質拡散の方角には当たっていませんし、日々の放射線量も高くはないのでいわき市民の皆さんも何とか普通に暮らしておられるわけです(参考:4/18時点でいわき市役所周辺の放射線量=0.1マイクロシーベルト、同日の千葉県市原市は0.05マイクロシーベルト)。

それでもやはり「大物に近い」ことによる不安が、かなりの量の精神的圧迫として住民の皆さんにフラストレーションを与えていることは想像に難くありません。願わくはこれ以上の突発的事態が生じませんように願うばかりです。

さてそんなわけでJCTからすぐ南側のいわき湯本ICで高速を降り、湯本温泉へと進んでいきます。湯本温泉についてはさして詳しくなく、これまで入浴したところも「旅館こいと」と「スパホテルスミレ館」しかないTakemaなのでありますが、こいとさんの方は地震直後から若おかみがブログで現地情報を発信しておられ、それによって現地情報も把握しやすかったんですね。そんなわけで旅館こいとへ行くことにしたわけです。

ただその前に、3ヶ月前の前回(2011年1月)昼食時に訪問してウマウマだったあのお店はどうなんだろうと思い、「海幸」のお店の前まで行ってみることにしました。見ると‥お店の建物そのものには外見上大きな被害はないようです。が!隣接する鉄筋コンクリート造の建物(1Fに観光案内所があります)は道路との間に大きく段差ができていました。「基礎が浮き上がった=周辺地盤が沈降した」ということなのでしょうか。

でも肝心の「海幸」、もちろん営業はなさっていなかったのですが何と店の扉が開けられており、そしてお店の前には軽のワンボックス、スライドドアが開いていましたがそこには発泡スチロールの箱がいくつも載せられておりました!福島や茨城の港からは魚が揚がっていない現状ですが、あのご主人(「大将」という表現が適当かも)、築地ほかの市場から仕入れてでも店を開ける気満々のようです。よぉっし、その時はまた来ますよ!(というかこの日も「営業していたら食べる気満々」だったのですが)。

そんなわけで再び旅館こいとへ。宿の前の駐車場には多くの軽トラ等の作業用車両が止まっていました。普段の休日なら各県ナンバーの乗用車が止められていますからだいぶ様相が異なります。でも「閑古鳥が鳴いている」のではないかという危惧は杞憂だったことに一安心。いいんです、わたしらはせめて小金を落とせればいいのですからというわけで日帰り入浴料800円*2をお支払いしてお風呂へと向かいます。若おかみさんの姿はありませんでしたが、従業員の女性陣が「何事もなかったかのような普通の応対」をなさっていたことにかえってビックリした次第です。

浴室へ向かう手前にある靴箱、そして脱衣場に入ってかなり驚きました。かなりの盛況というかはっきり言って「混んでます」。浴室に15人くらいはいたでしょうか。でもパッと見で「純粋な湯浴み」にいそしんでおられたのは自分以外にたった1人であったように思えました。

また、前回訪問時にはなかった「子供用お風呂」が置かれていたことも気になりました。やはりこちらにも避難されている方がおられるのでしょう。そして今この時間に入浴されている人が「まだ水が出ない地元の方々」「復旧工事関係者の方々」であろうことは、駐車場の車両を見れば想像に難くありません。ガンバレ湯本温泉!
ちなみにこの訪問の後、四倉ダム(田人集落)周辺を震源とする内陸地震が頻発し、その揺れはしばしば千葉にも震度3レベルで到達していました。大きな地震があればその余震は本心の規模に比例して多発するはずですが、頼むから今回は早めに静かになってほしいです。少なくとも大津波を伴うものだけは勘弁を‥。皆で祈りましょう、科学という名の神話が崩壊した現在、われわれには「祈り」しか残されていないのですから。無宗教の人も含めて。
今考えればおみやげの一つも買うべきだったかとは思いますがついつい忘れてゴメンナサイ(後悔)。もう供給が十分あって誰も並んでいないGSで「レギュラー満タン!」とお願いするのがせいぜいでした。大した地元貢献はできませんでしたがゼロではありません。でもそれって詭弁だよなーというわけで、次回は浜通りに泊まる行程を考えようと思う次第です。でも久之浜とか谷地の鉱泉宿は営業していないと思われますが‥(原発から25-28km)。

80km規制のかかる常磐道、こちらもやはりいろいろな場所で応急補修がなされておりました。その中でも那珂IC−水戸IC区間の上り線では道路が大きく崩れた場所もあったようですが地震後たった6日で復旧作業終了、このことは一部のネット上で「驚きの早さ」として世界の人々の度肝を抜いたようです。まぁ一部区間ですけれどね。詳しくはこちら、日本語版はこちらです。

そんなわけで、エリア内リフォームが半ばまで完成し納豆を買い求める人々でごった返す友部SAにちょいと寄り道した上で千葉まで戻ってきました。家に戻ってもすぐに食べられるご飯もおかずもないので(いや、作ればありますが)、それならば以前住んでいた家の近くにある中華料理屋(台湾系の方々が運営)でウマい中華でもと思って立ち寄ってみたら‥

たぶんそうなのでしょう。いや、その行動を批判するほどわたしは絶対的な立場にいるわけでもありませんし、目に見えない放射線の恐怖、また本国におられる従業員各氏の家族親族からの「頼むから一時帰国してくれ」という要請があったとしたら、それを拒んでまで日本に居続けることをわたしは美徳とはしません。自分の美徳観念はあくまで自分だけのものなのですから。願わくは従業員各氏が1日も早くいつもの美味しい中華を作ってくれる日が来ますように。

そんなわけでその近くのトンカツ屋さんへ。平日休日を問わず夕方17:00までコーヒー付きの「ランチ」を提供してくれる「一色亭」、職場から近いこともあって結構利用しています。店員の方もTakemaの顔を覚えて下さっており、具沢山の豚汁も含めC/Pはかなり高いお店です。なお、ご飯の量が妙に少なく見えるのは真実です。いつも「ご飯少なめで」とお願いしてますし、これまでもレジで「もうちょっと少なくてもいいですよ」と遠回しに懇願し続けた上での盛りですので念のため(笑)。もちろん通常の盛りで足らなければおかわりは追加料金なしでOKです。ただしわたしはすることもないでしょう(笑)。



今回は東日本大震災後最初の湯めぐりでした。直接の被災地に入ったわけでもなく(入るのであればボランティアとして入るべきでしょう)、また福島県内で大したお金を使ったわけでもありません。

でもわたしは今回「福島と名の付くところ」に行きたかったのです。その地の現状を見たかったことはもちろんのこと、現地で何もできなくても福島に行くことにより福島とつながっていたいと思ったのです。それはもちろん宮城や岩手や青森についても同じ気持ちではあります。しかし日程的な問題もありましたし、何よりも福島が今後世界中でこれまでの「チェルノブイリ」と同等のイメージを持つ「Fukushima」になってしまうことが明白である以上(これはもう避けられない流れです)、多少なりともこのウェブサイトで「それでもわたしは福島に行くし、そして東北へ行きたいのだ」という姿勢を示したいと思うのです。これが拙旅行記サイトのマスターとしてしっかり語るべき自己主張なのだと思います。

最後に、これら数ページを作っている過程で時々聞いてはうるうるしてしまった動画をご覧下さい。現地の人々が頑張っておられるのにTakemaがおろおろしちゃいけないんですけれどね(苦笑)。
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