− その7 復興かき小屋仙台港経由で向かった先は?−

そんなわけで一気に走り出しました!といっても画像からではわからないと思いますが、左上画像はR47を東北道古川ICへと向かう道中、そして右上画像はちゃんと東北道に乗って南下を開始、とりあえず鶴巣PAでトイレ休憩をしたときの画像なんです。まだ車には雪が乗ってますし、足回りから茶色い雪が落ちたばかりなのも見えてますよね。

さてそんなわけで高速に乗っちゃったんだからあとは一路奈良県を目指すばかりなのです。ええ、これまでとは違って間違いなく奈良への距離を詰めていきますよ、はいホントに(謎笑)。

しかしここで「いつもの悪いクセ」がまたも発症し富谷JCTで東北道から脱走!(笑)。仙台北部道路に進みます。石巻、それとも相馬?いや、もうページタイトルに仙台港とありますからとりあえずの目的地は明らかですね。



ナビが古くて表示されてませんでしたが、仙台港ICで高速から流出。

ここからは実際の時系列をちょっといじくってご説明いたしましょう。何だかんだで向かった先はといえば‥そう、ここです!



「かき小屋」。3.11以前から牡蠣の販売を手がけていた(株)アイリンクの斎藤社長さんが、津波災害後産地の復興を手助けすべくいちはやく立ち上げたのが「復興支援 牡蠣オーナー制度」でありました。不肖Takemaも牡蠣オーナーに登録し、また拙サイトからもリンクバナーを貼り付けていた時期がありましたのでご記憶の方もおられるかも知れません。それが下のバナーでした。


(バナーをクリックすると当時のプロジェクトページが開きます。ただし募集は終了しています)

このプロジェクトのページには「三陸の牡蠣生産者が、被災前の状況に戻ること」という目標が掲げられていました。しかしその後「単に以前の状態に戻すのではなく新たな展開が必要なのではないか」と考えたこちらの社長さん、新たに「かき小屋」をオープンさせることにより新需要の開拓という「次のステップ」へと歩を進めたわけです。

地震から1年も経っていなかった2012年2月、石巻に「かき小屋渡波」、そして同年4月には「かき小屋仙台港」を相次いでオープンさせるというそのバイタリティには頭が下がります。今回の旅行、いや違った帰省では(いやそんなことはもうどうでもいいですが)石巻に足を延ばす余裕はありませんでした(「うそつけ余裕ありすぎだったろ」というツッコミは甘んじて受けざるを得ませんが(大笑))。それでも仙台港なら十分に(十二分にともいう)立ち寄れるはず。ならばというわけで万難を排して(ナニを排したんだナニを)こちらにおじゃますることにしたわけです。以上、やたらに自己ツッコミが入って読みにくくなってますが勘弁してください(笑)。


(同じくクリックするとかき小屋のサイトが開きます。なお、秋の一時期のみ休業するようです)。

実は昨年11月、職場の上司に11月の3連休の旅行プラン例を上梓したところ「海の幸も食べたいなー」というのでここを紹介し、連休終了後「どうでした?」と聞いてみたら「いやーあそこはよかった!手作り感満載だしワイルドな感じだしで、妻も楽しんでくれたよ」というようなコメントを聞いていました(ただ「はやる気持ちのままかぶせ蓋を開けたら、ちょうどはじけた殻の中の沸騰水が靴下を直撃して火傷しちゃったけれどね」というようなお言葉は聞かなかったことにしておきますんでここだけのヒミツね=全世界一斉公開中)。

そんなわけでオープン後随分遅めの訪問にはなりましたがわれわれもかき小屋へと向かいました。

そんなわけで到着!してみたら駐車場入り口には三角コーンが等間隔で置かれており諸車進入を拒否!あれれ今日は定休日なのか、それともメインロード側じゃなくて裏側の道が正規エントランスなのか?と思いつつぐるりと回ってみましたが裏側にはそもそも出入口なし。あれーと思いつつ1周してきたら、店員の方がちょうどコーンを移動しているところでした。何だ早く来すぎてまだ開店前だったのね(笑)。

さて、お店のシステムがわからなかったので最初に説明を受けます(というか必ず説明してくれますので初めてでも大丈夫)。牡蠣やホタテ、その他の海産物やおにぎり等の軽食を選び、席に着く前にお支払い完了、そのあと席に案内されますが、追加したい場合は再びレジで追加購入が可能です。というわけでまずは一皿を購入しました。



席はこんな感じ。さすがに一番乗りなのでまだお客さんがいませんが、すでに炭火は各テーブルで熾されていました。



お茶や冷水で焼き牡蠣というのはいかがなものかと考えたTakemaはノンアルコールビールでせめて気分だけでも味わおうというわけです。ちなみに焼き方については各テーブルに右上画像のような説明書きがあるので問題なく焼くことが出来ます。

この「かき小屋」は震災前からここ仙台港にあったものではなく、石巻渡波同様震災後に新たな需要創出を目指して作られたわけです。ただし三陸全体としてみれば、たとえば三陸山田あたりでは以前からシーズンに食べ放題システムのかき小屋を運営していたようですし、いわゆる海鮮BBQとしては各所で行われていました。Takemaが2010/10に三陸中部を回ったときにもすでにありましたしね。詳しくはこちら

なお生食用の牡蠣は販売しておらず焼き牡蠣だけです。というのも、かの津波でやられたのは養殖牡蠣棚のみならず港湾設備や加工工場全てにわたっており、さらには日ごろ殻剥き作業に従事されていた方々も避難していることから、復興牡蠣が水揚げされてもそのあとの手が足りなかったわけです。

ならば、殻剥きの作業をお客さん自身にやってもらえる「焼き牡蠣」でいけばいいじゃないかというのが上記斎藤社長さんの当時の判断であり、そしてそうと決めたら行動が早い!(株)アイリンクさん関係のサイトは震災後頻繁にチェックしていましたが、もう本当にどんどん動いておられました。もともと全国各地の牡蠣を販売なさってきた会社ですから牡蠣に詳しいのはあたりまえなのですが、「詳しいのといざというときに動けるのとは全く別問題」ですからね。

拙サイトの2011/8月旅行記では、「気仙沼大島へのカーフェリー損壊を受けて広島県江田島市がフェリーを貸与」したことについてスバラシイ云々」と書きましたが(詳しくはこちら)、江田島市と気仙沼市、震災前のつながりといえば「どちらも牡蠣の産地」だったのかなと思うんです(いやそれ自体は全然問題ないんですけれど)。ということは、これからは再び牡蠣をめぐっての商売仇という関係に戻るわけであり、それも無傷な生産地と手負いの生産地とが「ハッケヨイノコッタ!」となるわけですよね‥。

斎藤社長さんはそのことを見越したのか「三陸に新たな養殖方式=フランス式養殖」を導入しようとすでに動いておられるようです。これもまた「スピードの賜物」であり、牡蠣の形状が揃うというこのプロジェクトをわたしも応援していきたいと思うのです。


(だからといって「何で奈良帰省時になぜ?」とツッコまないで下さいね)

そんなわけでダラダラと思いを書いていると、なかなか牡蠣が焼けませーん!(大苦笑)。ではでは話を進めましょう焼きましょう!

ザルから炭火台に牡蠣を載せます。で、左上画像に見えてますがここで蓋をかぶせるんです。というのも炭火で焼くと殻がはぜるんです。上の方に書きましたが、もうこれくらいでイイかなと「コトを急くと」ろくなことはありません。そのため各テーブルには「5分計測用砂時計」がセットされています。

なお生食用ではないと書きましたが、そもそも生食用か否かというのは育て方の違いではなく「海水の基準クリア海域での水揚げ、または殺菌処理(紫外線)がなされたか否か」ということのようです。そして普通であれば成長するまでに少なくとも2年から3年はかかるはずの牡蠣が、震災から1年で大きくなっているという事実

「津波が起きたあとは陸の養分が一気に海に流れ出る&海底に沈んでいた養分もかき回されるので、海が豊潤状態になり魚介類の生育が促進される」という話はたぶん間違いないことでしょう(その逆がいわゆる「海焼け」(=針葉樹の植林等により海に栄養分が流れ出ない)。普通であれば出荷まで3年はかかるという三陸産牡蠣をこの日この時に食べることが出来たのもその恩恵にあずかってのことなのだろうと思います。

さてさて牡蠣が焼けたようです‥(右上画像マウスオン)。が、焼きすぎて水分というか美味しいエキスが蒸発してしまったのか、「殻は大きいがカキが小さいぞ」と感じたのが正直なところ(苦笑)。まぁ今出ているのは1年物なのでしょうから、来年にはもっと大きくなってくれることを期待しましょう!

さすがに1皿では足りずに追加注文。上画像には写っていませんが、この頃になると他のお客さんも入り始め「あーでもないこーでもない」と和気あいあい系で焼き始めていてほのぼのしました(笑)。

というわけで早めの昼食を終了して駐車場まで出てきました。このあたりには一切雪など残ってもいないのですが、ふと見るとわがフォレスターの屋根には相変わらず雪が載っています。「どうせ溶けちゃうんなら今のうちに」とおしんこどんが思ったのかどうなのか、さっそく雪だるまを作ってボンネット上へ。

しかしこのまま走行すると道路交通法上の重篤な違反にあたりそうなので(うそ)、どうしようかなーと考えたあげく、こちらかき小屋仙台港の「超期間限定非公認マスコット」として働いてもらうことにしました。どういうことかというと‥右上画像にマウスオンしてもらうとわかります(笑)。

さーて腹も膨れたあとは「今回の旅最大の目的」の完遂に向けてストレプト邁進しなければなりません(意味不明の人はスルーね)。そう、この旅行最大かつ本来的には唯一の目的、それは何度もいいますが「奈良県への帰省」なのでありますよ!

でも勘の鋭い方はすでにお気づきでしょう。「Takema、さては自力走行ではなく他力本願系に走るな?」というそのお見通し大正解!かき小屋からちょちょいと進んだその先には‥



そんなわけでここから名古屋までは「飛び道具」じゃなくて「海道具」にての大移動となります。乗り込んだが最後、いきなり「お酒を嗜みつつの優雅な帰省旅行開始」となることはいうまでもありません。だってさ、仙台から名古屋まで高速道路で移動なんてやってられないし

この日(2012/12/28)は仕事納めということもありまだそんなに混んではいない感じでしたが、さすがにスイート客室は満室とのこと。ま、われわれとしては問題ありませんというか最初からout of 眼中ですからどうでもいいんです。もし万が一いつかということがあるならば、仙台からじゃなくて始発の苫小牧から乗りたいとは思いますが、ええっと夏の最盛期だと1人69,000円なのだそうであわわのわ(笑)。

ま、そんな絵空事はともかくとして、チェックインのためにカウンターへ行き、そのあとまだ時間があったので出発ロビーに行ってみたら「東日本大震災パネル展」なる掲示がありました。

ここ仙台港ももちろん津波による甚大な被害を受けた被災港なのですが、その気配は少なくともわれわれのような一般旅行者が見る限りではほぼ払拭されています。でも‥

フェリーのデッキから眺めた仙台港周辺にはまだまだ震災瓦礫の集積が見られ、それこそついさっきまでいた「かき小屋」だって津波の塩水に洗われたエリアです。そして言うまでもなくこのフェリーターミナルも!

上記パネル展は2013/1/20までの限定展示だそうですが、結構見ごたえ読みごたえがありました。あ、でもわざわざ見に行かなくても国土交通省管理のページにPDFファイルがありましたんでご覧下さい。特に見てもらいたいのは震災時仙台港にいたフェリーきたかみが津波を乗りこえる画像です。スゴイ!そしてこの日あたりまえのように利用していたフェリーターミナルも‥。

ではでは、それぞれの画像をご覧下さい(以下の各ロゴをクリック)。
 
 (必見)
 


船首側に駐車していたのですが、かなーり待たされたあげく誘導されたのは船尾側でした。そのかわり出るのは早いかな?(両上画像にマウスオンしていただくと何となくわかってもらえるかなと)。

そんなわけで今回の東北うろうろは約630kmの走行でした。これに名古屋までの海路を合わせるとどんな感じなのかなー?




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