![]() − その12 小清水峠からちょこちょこ寄り道で瀬戸瀬温泉、そして滝ノ上まで− ![]() 笹の海の向こうに雲海、そしてその下に屈斜路湖。風もなく爽やか、ようやくお天気の北の大地がやってきた! |
川湯温泉からまずは小清水峠を目指します。斜里に抜ける国道よりもじぇったいこっちの道道のほうが気持ちよさ数倍だと思うんですよね。まずはこれまで立ち寄ったことのなかった駐車公園(だっけ?)へ。少し上に「ハイランド小清水725」があるのでね。でもこちらも「何にもないけれどそれがいい」感じでありました。 |
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ここにいたのは我々だけでしたが、やがて関西からのソロライダーがやって来たので一談義。今後Takemaが北海道にバイクでやって来るとしたらたぶんソロです。パニアケース装備がないのでタンデムだと荷物積めないんでねぇ。でもこの道はまた走りたいしねぇ。 |
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こちらにはレストハウスもあるので雨の時も大丈夫ですし、ハウス内からの展望もご覧のとおり。でも飲食系の提供がそばうどんとカレーくらいなのはちょっと残念。「ここでがっつり食べる!」ことを目指してくる人はいないでしょうが、せめてハイシーズンはソフトクリーム以外にもよくコンビニや高速のPAなどにあるような軽食を提供しても元は取れるんじゃないかなぁと。藻琴山を目指すハイカーも多いことだし、東藻琴の酪農産品を使ったメンチコロッケとか、ハイシーズンなら売れると思いますよ。いざとなれば「注文が入ってから揚げる」というやり方だって場所柄ありかと思いますし。 |
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さて、レストハウス脇の階段を下りて(以前はこのあたりでエゾシマリスの餌づけもやりましたっけ=こちら)風情ある道を進んでいきますと‥ |
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ここがいいのはいわゆる「展望台的設備は一切なくて自然そのまま」というところです。レストハウスからは100mも歩いてきていないと思うのに「やって来たぞ感」を感じます(笑)。というわけで我々も記念写真‥ |
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![]() ![]() ま、いつもの感じですねスミマセン。でも天気が良くて気温もそこそこ、「これぞ北海道の夏!」気分を満喫しました。 |
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このあとは駐車場脇の水場で顔を洗ったり飲んだりしながらで爽やかにクールダウン、いよいよ網走サイドへと下りていきます。でもねぇ、やっぱりここの現状確認だけはしておかなくちゃ。 |
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そう、ここはかつての「藻琴山高原温泉」。屋外には足湯と階上展望露天風呂があったわけなのですが、かつてのオーナーが売却したとかで‥。 |
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さてここからは「わかっていたけれど残念」の連発です。まずは藻琴山温泉芝桜の湯。営業は13:00からだということではなから外観を見るだけのつもりでしたが、石油臭のあるかけ流しらしいんですよね。その昔に前の施設である「末広荘」の湯に入ったときには「何のインパクトもないお湯だなぁ」とがっかりしましたが(確かその年をもって閉鎖されたか?)、ここはいつか入ってみたいです! |
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続いてはくすめ温泉。まだ十分に営業していかれそうな外観ですが、おそらくは後継者云々の話なのでしょう、2013年11月に廃業ということになっていました。自分は2012夏に入っておいてヨカッタ!(その時のページはこちら)。熱めでいいお湯だったんだけれどなぁ‥残念です。 |
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いまは「大空町」の一地区とはいえかつては東藻琴村という独立した行政地区だったわけで、その頃から売り出していた「東藻琴」のネームバリューを生かした施設です。それにしても「大空町」というネーミングはどんなものかと考えてwikiってみたら、「平成の町村合併」の中でこのエリアでも結構波瀾万丈系の「腹の探りあい」があったようなのですね。以下wikipediaから引用です。 |
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女満別町、東藻琴村はどちらも網走市が主導する枠組み(網走市・女満別町・東藻琴村・小清水町・清里町・斜里町)での合併と、美幌町が主導する枠組み(美幌町・津別町・女満別町・東藻琴村)の2パターンでの合併を求められた。どちらのパターンとも署名数は多かった。 |
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すごいですね女満別&東藻琴のゴーイングマイウェイ。それぞれの側から秋波を送られながらも「いやそうじゃないっしょもっと広域で」と返し、その案が通らなかったので志を同じくする同士でくっつき、途中で心変わりした美幌の途中参加希望までもソデにするとは‥まぁたぶん実際には文面から推し量ることので機内さまざまな権謀術数があったのだとは思いますがその辺についてはまぁいいや。 |
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![]() ![]() ハイ、チーズソフトクリームももちろん美味しくいただきましたよ。 |
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この日の目的地は西興部村なのでここから内陸をわらわらと北上していくのですが、各町の中心部を避けるようなルート取りだったもんで食堂がないっ!と、佐呂間町の若佐地区に入ったところで「街の駅わかさ」を発見!とりあえずここでお昼ごはんということに。 |
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味は‥まぁ普通ということで。それよりもびっくりしたのがここ若佐地区は平成18年11月に起きた竜巻のピンポイント被災地だったのです。この竜巻のニュースは自分も覚えていましたが、ここだったのか‥。 |
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というわけで今回はそのリベンジというわけです(その時の様子はこちら)。というか、早いとこ行っておかないと休廃業のニュースに泣きの涙ともなりかねません。このあたりでも多くの温泉がなくなっていますからねぇ。 |
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とはいえちゃんと手は入れられており走行には支障ありません。でも深砂利の区間もあってオンロードバイクだと‥絶対に通りたくないなぁ(そもそも自分がヘタレ系ですから)。そんなわけで峠を越えて下りた先には‥ |
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そんなこんなで瀬戸瀬温泉。よかったやっていた。入口のガラスには高級感ならぬ庶民感が溢れていて「これならTakemaも入って大丈夫でしょ♪」という感じです(何のこっちゃ)。入浴料をお支払いし、休憩エリア(右上画像)経由でいざお風呂へ。 |
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最初は先客さんがおられましたが出て行かれて以降はずっと貸し切りで、この日の泊まりはキャンプということもありしっかり全身を洗い清めました。クセのないアル単温泉は飲用にも適しているようで自分もゴクゴクしながらタンノーしまくりました。 |
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山の奥にある湯ですが町営バスが運行されています。「『鉄』の血の濃い関係の方々人」であっても遠軽駅からここまでは来られるというわけですね(列車時刻との連携については不明)。ところでこの時刻表を見る限り温泉定休日の水曜も運行しているようなのですが??途中の集落の方々の利便を図っているのでしょうがどんなものなんだろうかと。コストは削減しないとね。 |
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このあとは鴻之舞へ。1990年代、ここ鴻之舞は取り残された地域であり南側の瀬戸瀬や丸瀬布側からは延々とダート路を進むしかなく、オンロードバイクだったTakemaは訪問を断念していたのでしたが、、今や道道305号が金八トンネルで結ばれ全面舗装の快走路となっているのですから嬉しいですねぇ。でも、ほとんど誰も住まなくなってから道路が開通したというのは皮肉ですが‥。 |
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もっともかつては金山として13,000人が住んだというすごい場所、生活インフラが整い(しかも無料か格安)かつてものすごく賑わっていたことは、旧上藻別駅逓所を利用した資料館を見学すればわかります(無料です)。 |
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何だか日本の地方エリアで「いろんな『タイマー』が時間切れになってしまう直前段階」にさしかかっているように思います。それを「時代の流れだからしょうがない」と簡単に扱ってはいけないと思うのですよ。先の戦争もそうでした、もっともっともっと「元兵士方々が経験した事実と当時の思いを」伺っておくべきでした。それを「平和主義」とやらの錦の御旗のもとで聞くこと知ることを忌避してしまい、結果として我々日本人は「歴史から学ぶ」貴重な機会を自ら放棄してしまった気がします。だから絵空事系の主張が大手を振ってまかり通っているわけで‥。 |
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もちろん鴻之舞鉱山と戦争とは直接関係ありませんが、とにかく「まだ行ったことがない方はすぐにでも!」のご訪問をお勧めいたします。 |
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このあとはさらに進んで道の駅滝ノ上へ。やっぱりこのあたりは交通量極少ですね。ところで道の駅では清掃員の女性の方が「今夏はこれが大発生しているんですよ」とわざわざ説明して下さいました(右上画像マウスオン)。 |
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