こちらの長栄丸さん、2017/9より遊漁船の営業を再開しています。詳しくはこちらから。

(2017年9月10日 その1)

昨年(2016)秋、SNSに「楢葉町の木戸川『合わせ網漁』を見学したい方はいませんか?」というツイートが発せられ、当時すぐさま飛びついたTakemaでありました(その時のページはこちら)。

で、その方とのご縁で今回、「うみラボ(いわき海洋調べ隊)」による海洋調査に参加してきました。活動の内容についてはリンク先を見ていただければわかると思いますが、要は「福島第一原発沖の魚の残留放射線量はどうなっているのか、魚の数はどうなのか」を定期的に調べるという活動で、大きく分けてうみラボ=福島第一原発沖で調査サンプルとなる魚を釣る」、そして調べラボ=いわき市内にある水族館『アクアマリンふくしま』の協力のもと放射線量値の継続調査、いわきの魚ごとの詳しい説明、そしてそのおこぼれというべきなのか『試食会』も開催」という2つのイベントを冬季をのぞく毎月行っており、今回で28回目となったようです。

で、「9/10、9時久之浜港出船です」ということで5時前に千葉の自宅を出発。



なぜか常磐道を北上するときはほぼ間違いなく立ち寄るのが日立中央PAです。自分でもなぜだかわかりませんが、ここに来るとほっとするんですよ。マイパワースポットなのか?(笑)。ちなみにこの日の常磐道沿道の最大放射線線量値は3.5μSv/hでした。前回(8月中旬)は2.8μSvでしたからやはり日々の変動があるのですね。しかし開通直後に比べればはるかに低減しています。



四倉の下りPAにも売店および食事処ができていました。以前は右端のトイレしかなかったのに、いつの間にか上り線同様立派になりましたね。で、いわき四倉ICで高速を下りてとりあえず右上画像の久ノ浜駅へ。何だか懐かしい駅舎です。あ、そういえば和菓子の梅月に寄ればよかった‥現在の場所での再開店直後に訪問して以来行ってなかったんです。この時間なら作りたての柏餅にありつけたろうに‥



さて久之浜港の方に進んでいくと、やはり津波で被災し仮社殿(左上画像)となっていた星廻宮神社の本殿工事が目を惹きます。わたしが震災後久之浜を訪問したのは2012/3/11でしたが(この時です。なお当時の状況を思い出したくない方はもちろんご覧になる必要はありません)、その後現地を訪問するたびにこちらの仮社にはほぼ必ずお詣りしてきました。「ここに故郷あり」の幟旗はもうなくなっていましたね。神社も、久之浜の地域そのものも、それぞれ次のステージに向かって進みだしたということなのでしょう。



そのすぐ手前には復興商店街「浜風きらら」が。さすがにまだ早朝なのでどこも営業時間前でしたが、もしかしたら昼ごはんに立ち寄るかな?(しかしこのあと帰着が14:30になるということを聞いたので結局はセブンのおにぎりで済ませてしまいましたが)。



このあたりは津波およびそれにより起こった火災によりすっかり破壊されてしまいましたが、防潮堤を高くした上で(さしてかさ上げはせず)再度住宅地として整備するようです。すでに区画整理は終了しており、あちらこちらに「宅地分譲中」の幟旗がはためき、そしてすでに再建を果たした住宅もいくつか見られます。震災1年後の訪問時にはある意味想像もできなかった風景が今ここにあります。人は強い。



そんなわけで集合場所の久之浜港へ。港の奥の方まで来たことはなかったのですが、遠目に「もう再建 or 再整備されたんだな」と思い込んでいた港の事務所は被災した姿のままでした(1Fの窓は津波で破られたまま)。この建物は今後どうなるんでしょう。補修か解体か、あるいは震災遺構としてこのままなのか?

場所柄遺構とするには邪魔すぎる場所にありますし、補修にしろ解体にしろ多くの資金が必要になりますから、本格的な漁業再開の目途が立つまではとりあえずこのままということなのかもしれません。

いっぽうで港には造船所もあるようで、2隻の船が建造中のようでした。やはりここでも「前に進む」勢いを感じます。さてそして‥







上でも書きましたが、こちらの「長栄丸」さん、震災前は遊漁船としてかなり有名だったのだそうです(海釣りをしない自分が存じていなかったのは仕方ないですが)。そして被災後6年半が経った2017/9に再び遊漁船として復活したわけで、ここに至るまでのご苦労はいかばかりかと存じますが、それはともかくとして、今後日曜日開催「うみラボ」との兼ね合いはどうなるんだろうなと?今回のように「うみラボ」調査船として船を出す場合、わたしがお支払いしたのも「油代」としての小額だけでしたし。

まぁそのことは関係者諸氏がお考えになることであり、一介の一般参加者たるTakemaが心配することではありません。さてそれでは船を見てみましょう。



通路には等間隔に小イワシの入ったバケツが置かれています。もちろんご覧のとおりの生き餌で、この海域で獲ったものだとか。「冷凍ものも使うけれど、今回はこの生き餌を使い、今日余ったぶんは冷凍する」とどなたかがおっしゃっていました(どなたでしたっけ?)。



さてこの日、所謂自分のような「一般の参加者」は3人だけで、あとの乗船者は(うみラボ関係者以外には)皆さん報道関係の方々でした(地元の民放局ほか)。というわけで船上には右上画像のようなプロ仕様のカメラやマイク、またさらには「ドローン」も積み込まれており、われわれのような「一般参加者」はこの方々からみれば「撮影対象者」になっているのかなと。はいバンバン撮られましたよユーテレビ福島さんに(笑)。まぁもっともこのサイトで顔をさらけ出しているTakemaゆえ全然気にしませんが。



ということで出港です。浜通りの海岸線を海から見る機会といえば北海道往復のフェリー上からしかありませんでしたが、大型船がわざわざ沿岸を走ってくれるわけでもないですから遠くからぼんやりと見たことしかありません。今回はご覧のようにばっちり海岸沿いを進んでくれたので様子がよくわかりました。

「うみラボ」のKさんによると、いわきの四倉に海水浴場があるが、そこから北側はほとんどが右上画像のように山が海に切れ落ちる形状で、港に適した場所もほとんどないとのこと(右上画像のように緑がない崖の部分は地震や津波による崩落ではなくもともとこうだったそうです)。また背後に阿武隈山地が迫り平地も少なかったことから農業にも適しているとはいえない、そういう中で地域を興していくには‥そういう前提があった上での「原発誘致」があったのでしょうということでした。

確かに、延々と続く海蝕崖、観光客の目からすれば壮観の一語ですが、住む人にとってはなぁと納得。。







最初に見えてきたのは東京電力広野火力発電所。震災時には1-5号機全機が被災し発電不能になりつつも、2011/6-7にかけて全機が修復されて運転を再開。実際のところはわかりませんが、個人的には2011年の夏に東電管内で「電気が足りた」のはここ広野火力が頑張ってくれたからだと思っています。

そして2013年には6号機が運転を開始し、さらに2017現在「石炭ガス化発電」設備が2021年の稼働を目指して計画進行中とのこと。そういえば谷地鉱泉田村屋旅館さんに長期滞在しておられたお客さんは6号機の建設に携わっておられたと聞きました。宿の方は「もう、家族ですね」っておっしゃっていましたっけ。

山の方に目を移せば、送電線の鉄塔が林立しています(左上画像マウスオンで別画像に変わります)。これが「関東に電気を運ぶ道」というわけです。今となっては複雑な思いで眺めざるを得ませんが‥。



さらに進んでいくと、海蝕崖の上に建物が見えてきました。間違いなく天神岬の界隈でしょう。ここの温泉「しおかぜ荘」にも何度か入ってはいるんですが、新源泉利用に移行してからはごぶさたなんです。お湯はツル感もあってなかなかなので、塩素臭が弱そうな(利用者が少ない)平日を狙っていってみようかな。

で、右上画像には崖から真っ直ぐ流れ落ちる滝が見えています。この滝は天気が続くと消えてしまう?のだそうですが、背後の阿武隈山地から供給される水の豊富さを物語っています。そして、その水の豊富さは表層水のみならず伏流する地下水にもいえるわけで、現在福島第一原発が「凍土壁」に腐心しているのもこの地下水対策にほかなりません(後述)。



何だかすごい大きさの海蝕洞がありましたが、ここまで大きく奥行きもありそうだと観光資源にもなりそうな‥あ、福島第二原発至近なのと、そもそもこの洞穴へのアクセス、地上からでは無理ですね(苦笑)。そして、いよいよ近づいてきましたよ。





こうして見ると「何事もなかったかのように」見える第二原発ですが、津波襲来時にはやはり相当の被害を受け、それでも外部電源が1回線だけ生きていたこと、非常用電源も一部が生き残っていたことにより最悪の事態を免れました。しかしwikiによるソースなので正しいかどうかわかりませんが、所長の話として「福島第一原発と同じ炉心溶融事故になるまでに紙一重のところだった」という談話があげられています。あぶないところだったと、今は改めて放心するしかありません。

しかし気になったのが(これまたwikiソースで恐縮ですが)以下の記載です。



という記載です。そうなの?ということはもし週末だったら第二もアウトってことだったの?そしてこの「土日は当直のみ」ってどうなんでしょう、まさか今でも労働条件云々ってことで今も継続しているんでしょうか?(頼むよまさかね)。

自分の仕事はインフラ関係ではありませんが、シフト制によって月−土まで回しています(今年からですが)。原発の場合「いつ何があっても対応できるように」全日とも一定程度の人数を配置しておくべき、いや置いてもらわねばならんと思うのですが‥。現在はそうなっている‥のかな?(後述)。



このあとは富岡町沖へと進んでいきます。減容化施設等が旧富岡駅の海側に設置されていて、最初にこれを駅側から見たときはびっくりしました。でもこういう関係施設はどこかに造らなければならないわけで、「津波で被災したにしろ広い平地を確保できる&第一原発からある程度近い」この場所が選ばれた所以なのでしょう。

2017/11にはここ富岡駅まで常磐線が再開通することが決定しています。新富岡駅は旧駅よりやや北側(となると広く開けた方かな)にすでに駅舎も完成しているようです(2017/9現在試運転列車が運行しています)。

現在のところ楢葉町や富岡町など、避難指示の解除時期が遅かった地域ほど帰還率が低いという「あまりにもわかりやすいデータ」が出ています。そりゃそうですよ避難指示解除までの時間が長いほど避難されている方々の「避難先における生活基盤」は盤石化されていきます。そうしなければ生活できないわけですから当然です。

しかし、だからといって現在の「避難指示」が発出されている地域を放置していいはずもありません。否、この避難指示の解消は東電ではなく「国策」として各電力会社に様々な融通(法的にも補助金的にも)を行ってきた「国」(というか政権与党としての自由民主党)が今後の国策として行い続けるべきであると考えます。

通り過ぎた過去を詮索しても何も変わりません。安倍首相が頻繁に福島県を訪問しているのはその意味で一つの救いなのかもしれません(原発事故当時の首相はそんなこともなく遠吠えしているだけのようですし、その前の首相はもっと脳天気なようですし)。いかん、話が政治的方面に寄りすぎましたんで路線修正。

右上画像の茶色の建物、やや高台にありますがあの2階まで津波が押し寄せたとのこと。ということは海に架かる高架橋は当時完全に津波に呑まれたというわけですね。となると‥頼むから震災瓦礫の処理が終わるまで減容化施設に大きな津波がやってくることのないよう切に祈るばかりです。うーむ。



さて、このあと小良ヶ浜灯台を通過します(緯度的には夜ノ森の並木道あたりと同じです)。ということはここから先しばらくの陸地は立ち入りが制限されているエリアということになります。しかし、海からであればまったく問題なく安全なのです(理由は後述)。

というわけでさらに北上する長栄丸、いよいよ「東京電力福島第一原子力発電所」の沖合1.5kmまでやってきました!続きは次ページにて。

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