- その25 お昼ごはんもキャンプも「昔の学校」。このあと一気に苫小牧方面へ -



いよいよこの旅行も終盤戦となりました。この道道1038は好きな道です。

(2018年7-8月 その25)

さて足寄界隈まで来たところでそろそろお昼です。どこかないかなーと検索してみると、あれすぐ近く、国道から少し入ったところに1軒あるみたい。何系の料理屋さんだかわかりませんがいってみることに。





でもそういうのは嫌いじゃないので(笑)、ずかずかと靴を脱いで入っていきます。さすがに余所者は自分しかいないようでしたが。



やっぱりそうですね。仙美里(せんびり)中学校、ホワイトボード記載の内容から察するに2014年3月に閉校となったようです。ちょっと調べてみたら最終年度の在籍生徒数は19人だったようで、本別中に統合されて67年の歴史に幕を閉じたのだとか。しかし校舎は鉄筋コンクリートの立派なもので、その再利用として「仙美里プロジェクト」が立ち上げられたようです。食堂はその一環のようですね。



「食堂」視聴覚室および放送室の向かいにありました。ということは立地的にもともとは「職員室」だったのかなという感じです(たぶんそうでしょう)。で、この日はお盆のイベントにむけて人の出入りが多く立て込んでいるタイミングだったので、食事を注文しても「少し時間がかかりますが」ということでしたが問題ありません。というかそれならばということでちょこっと校内を見学させてもらうことに。



広くて立派な体育館、卓球台にビリヤード台、そして驚いたことにボルダリングウォールまで設置されていました。もちろん利用は有料ですが、地域住民の皆さんにとっても冬場の運動不足解消にもってこいなのでは?個人的にはザイルでの確保ができるクライミングウォールだったりしたらもっとよかったのにとも思いますが(あ、どうでもいいことかなと)。



さて食堂へ。ちょうどこのタイミングにはお客さんが誰もいなかったのですが、このあと「盆踊りほかお祭りの設営隊」とおぼしき皆さんでほぼ満席となりました。みなさんには「カレー弁当」が準備されていたようです(その準備?もあって厨房が混んでいたというわけです)。

自分が頼んだのは味噌ラーメン。はい、美味しくいただきました(右上画像マウスオン)。ちなみに食堂内にレジはなく、よくわかりませんが食べ終わった食器トレーごと厨房(もちろん元「理科室」または「調理室」のようでした)に返却しに行ってそこでお金をお支払いしました。こちらはこういうシステム?いや、こういうシステムならば大好きなんですが(笑)。



さてそんなわけで表に出ると、校庭には盆踊りのやぐらが組まれていますが‥何やら見学なさっている方々が多数。何を見学?と思って行ってみると‥





しかし今夜だとすると‥失礼ながらまだ全然慣れたバチさばきとはいえない感じでありました。間に合うかな?(まぁ大丈夫でしょう)。こんな時おしんこどんがいれば(笑)。

さてこの日は何とキャンプなので、現地に向かう前にお風呂に入るというか身体を洗っておきましょう。以前であれば足寄温泉も考えたはずですが、残念ながら昨年(2017)の10月で閉館しちゃったんですよね(2016訪問時のページはこちら)。というわけでこちらもまだ未湯だった本別温泉へ。



こちらは宿泊施設であることから日帰り入浴の入口は別になります。お、さすがお盆シフトというか、夕方以降の混雑防止のためお盆期間だけ日帰り入浴時間が短縮されてます(左上画像マウスオン)。この日は8/11なので該当日ですが、まだ午後も早い時間だったので混んでおらずラッキー。



脱衣カゴから見るに先客さんは1名だけ。しかもここには露天風呂もあるというわけで、まずはかけ湯をし、身体洗い中の先客さんをよそに一気に露天風呂へ。陶器風呂ほか露天風呂の湯画像は確保しました(右上画像マウスオン)。なお加温湯ですが塩素臭はなし。

内風呂には源泉浴槽と加温湯浴槽があります。どちらもオーバーフローしていてかけ流し。それほど特徴のある湯ではありませんがツル感のある気持ちのいい湯ざわりです。ずいぶん昔に「本別温泉、悪くないよ」と聞いたことがありましたが確かに。

さてそれでは白糠のAコープで夕朝食を買い込んだ上で今宵の宿というかキャンプ地へと参りましょう。この界隈でキャンプ‥もうおわかりですね。







というわけで、この長旅中に一度も登場することのなかった「テント」が姿を現しました!(笑)。だってさー、ついつい(言い訳無用)。まぁもっとも運の尽きということか、しっかりこの夜から朝まで雨降りだったんですけれどね。そしてこの翌日はフェリーに乗り込んだので、テントを乾かせたのは本州中西部の関西地区に戻ってからとなりました(意味深)。



マッキーくんの眠る場にて手を合わせ‥お、ライダーさんがお隣に。



こちらの私営キャンプ場にはもう20年くらいお世話になっていますが、このところは母屋(ツーリストハウス)内の部屋に泊まることも多かったんで使用ルールが頭の中でごちゃごちゃになってまして、ゆえに「キャンパーはハウスでの食事は駄目ですよ!」としっかり注意されました。(といいながらここで飲んじゃった)。

それでも宮代さんご夫妻とのお話は楽しく、やっぱりこのキャンプ場はいいよなぁとしみじみ実感。こうして道内最後の夜は更けていきました。



このあとテント内で寝落ちしたのはここだけのヒミツです(笑)。




明けて翌朝、いよいよ道内最終日です。夜半にはテントに落ちる雨の音がはっきりと聞こえていましたが天気は回復傾向なのか弱い雨に変わりました(でも降ってたんで乾かせぬまま撤収)。宮代さんにお礼を申し上げた上で出発です。



道東道延長開通後音別-浦幌(R38)の車両通行量は相当減ったそうですが、だからといって国道を進むのではあまりに芸がないので、いつもの道道海沿いから昆布刈石展望台へ。それにしても、この展望台「だけ」はなぜかいまだにダート路なのが謎です。あー、以前はブラックバードでもこの坂上がってきたよなぁ(この時とか。画像はありませんが強気だなぁ)。

そのあとは内陸へ。ええっとほとんど展望がないんですが十勝太遺跡?すぐ上に東屋が見えたので登ってみましたが、刈り払いはされていても利用されている気配はありませんね(なぜ作ったんだろう?=右上画像マウスオン)。

十勝川を渡ってから右岸(河口から見て左側)に延びる道道911-320号線を進みます。久々に「何もない観光地」へと向かうためです。それは‥





そのむかーし昔に来たことはあったんですが(1990年代前半)、当時の自分にはまったくインパクトがなくて「だから何なの?」という印象しか持たなかったのですが、さすがにこの世に生を受けて半世紀を何年も越えると少しは印象も変わるかなと(笑)。

曇り空のように見えますが太陽の方向は雲が切れていて日差しが出ています。堤防上の駐車場から下りていき、歩きながら撮影をしているときにそれはいきなりやってきたのです。コンパクトデジカメからの魔メッセージが!



まさか出てくるはずがないと思っていたメッセージに特に考えることもなく「OK」を押して0.5秒後「ち、ちょっと待て!」というわけで電源強制オフ!うわーどうなったんだ?

とにかくSDカードを取り出し、こんな出先では確認もろくにできないのでとりあえず封印し、別のカードを挿入して動作を確かめます。どうやらそのカードは正常に認識したみたいでとりあえず事なきを得ましたが、帰宅後修復アプリで復活を試みたところ、静止画はほぼ完全にデータを読み込めましたが、動画のほとんどはご臨終となってしまいました。頼むよ○ニータイマー、こんなところで起動しないでおくれ!



こちらのハルニレの木々。双樹というか連理枝というか、とにかく2本の木が繋がって1本の木となっているようにも見えます。そういうこともあって人気になったのかなぁ。でも樹齢約150年ということで木の勢いが弱っていて、いろいろ手が入れられているようでした。そうかぁ、ずっとずっとそこにあり続けると思えてしまう樹木にも寿命はあるというわけですね。は!



そよ吹く風の中、何だかしみじみした訪問でしたね(苦笑)。ま、とりあえずまだ大丈夫っと(父の享年まではあと22年だなぁ)。



ネット上の古い画像に比べてずいぶんと葉数が少ないのは確かです。頑張ろうね!



このあとは池田清見温泉にふられ、それじゃお昼ごはんというわけで池田駅までやって来ました。



池田駅に来たのは初めてですが、ワイン城、相当昔に行ったよなぁ。



というわけで駅前のよねくらさんへ。あとから知ったのですが、こちらのお店はバナナ饅頭販売の本家本元なんですね(1905年から販売しているということなのでついついおみやげに買いました)。それと「ステーキ弁当」、そうそう、池田駅の名物駅弁がそれだったと記憶しています。昔から頑張っているお店なんですね。

で、お店の売りもステーキなのですが、さすがに地元のいけだ牛ステーキだと税込みで4000円を超えてしまうので手が出ません。牛サガリステーキは輸入肉ですがその半額なのでそちらにしました。それでもお肉は美味しかった!ただご飯のお皿は別にしてほしい!(ワンプレートだとご飯がソースや肉汁、さらにはドレッシングと渾然一体となってぐちゃぐちゃになってしまうのですよ)。

このあとは高速利用のワープ航法で一気に苫小牧方面を目指します。



札幌方面からの下り線はずらりずらりと大名行列状態。上りは基本ガラガラです。

さてしかし、このまま漫々と道東道を走り続けても面白くないですし苫小牧にも早く着き過ぎちゃうので(フェリーの出航時刻は19:00)、ここはどうするか系熟慮の結果、十勝清水ICで高速を下りました。それはつまり、



というわけなのです。道東道が夕張と十勝を結んでからというもの通行車両数は激減したといいます(というかこの区間こそ先に開通させるべきだったわけですし)。それだけでなく2016年8月末の豪雨によりR274は道路への土砂流入や路面崩壊、さらには落橋がそれこそあちこちで起き、復旧再開通には1年と少しかかったわけなのです。

以前は札幌と帯広を結ぶメインルートだったこのR274は今どんな感じなのか?ちょっと楽しみな感じです。というわけで十勝清水ICから上がっていくんですが‥









かつての混雑はどこへやら強者どもが夢の跡という感じです。もちろんかつてはあったコンビニも今は無し。でも、登坂車線もしっかり整備されていることから峠の頂上にかけては大名行列もなく快適に走れます。カーブの線形もずいぶん手が入れられて緩やかになり走りやすくなりました。お天気が良く暖かければ(これ重要条件)、道東道よりもこっちの方が楽しいですね。

しかしこのあと、日高町側に入るとまだ災害の爪痕が残っておりました。



あちらこちらで工事中。片側通行区間こそありませんでしたが仮設道路があちこちに出現。



そう、2016/8にこの地域を襲った台風による集中豪雨でこの区間は甚大なる被害を受けました。橋梁や路盤の流出が各所に及び、2017/10に全線再開通するまで1年以上の時間がかかったようです。そして現在に至るまで復旧工事は続いているというわけです。ただでさえ観光客数の減少に直面していた日高町の観光にとっては踏んだり蹴ったりだったのかと。

というわけで日高町の道の駅「樹海ロード」にてひと休み。以前だったらこんなお盆の午後などは完全にキャパシティオーバーだったはずですが、駐車場には空きがありするっと入れました。館内には被災時のR274の状況を撮影したパネルコーナーがあり、そこそこ多くの人々が見入っていましたが‥

このあとひと月も経たないうちにやって来たのがあの「北海道胆振東部地震」でありました。かのブラックアウトは全国的に報道され地震自体は全国区の知名度となりましたが、そのこともありこの日勝峠の災害は基本的にローカル。年とともに災害の記憶が風化していくのが懸念されます。ただ、人的被害が(この地域では)なかったようなのでそのことだけは幸いでしたが。

さてここからはむかわ穂別ICから道東道に乗って先を急ぎます。せっかくなのであそこに寄ってから船に乗り込もうと思うのです!

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