その4 共林温泉経由でいつもの観音湯へ。



横手からのちょーうかぁいさぁん♪

(2022年5月1日-6日 その4)

さて、ここ角館郊外からはいつもの「みずほの里ロード」「雄平フルーツライン」(ともに農免農道)経由で一気に湯沢市稲川地区(稲庭うどんエリア直近)へと向かいます。全区間二車線で信号はほぼ皆無(ないわけではない)ゆえ、角館から横手や湯沢への移動は間違っても平地のR13経由にしてはなりません(笑)。



とにかく雄物川沿いの平地を眼下にしながら山の裾野を進む道ですが、そこそこカーブや上り下りはあります。だから楽しいともいいますが。やっぱりこの日は「平日」だったからかな、これまでのGWに比べても通行車両数は少なかったな(いやコロナ自粛の絡みもありそうでしたが、このGWからは自粛に関する制限が全て解除されていましたし)。



左上画像のように、「いろんな事情で」カクカクと右左折を繰り返す箇所や、地域の事情を鑑みたのか農免農道(メインルート)側に「止まれ」指定がなされている場所もあれば、もちろん信号も(稲川地区到着までに)数箇所ありますのでご注意あれ。でも、いまグーグルで検索したところ‥



さてしかし、まだ時間に余裕はありますんで(ゆったり)、これまで一度も行ったことがなかった「共林温泉」に立ち寄ることに。お湯はいいっていう話を聞いていたのですが、横手の中心部から近い(たぶんGWは混んでる)ということからこれまで訪問を躊躇していた温泉なのです。でもこの日は「平日」だし?



最初は手前のデイケア施設に進んでしまい、駐車場のがら空き度に「よっしゃーっ!」と糠喜びの勘違い(笑)。でも一段上の本家共林荘駐車場も車両数はさほどではない感じでしたのでまぁいいかなというところです。



手指消毒&検温という「入館の儀」を終え(もう慣れましたけれど)いざお風呂へ。新館の大浴場と本館の中浴場があるとのことですが(それぞれ別源泉)、本館の元湯中浴場入口にはスリッパが複数見えたので、まずは新館大浴場に期待を込めていざ!



公式サイトより画像をお借りしています。
残念、わずかに1名とはいえ先客さんがおられたので自前の湯画像はなしです(上下の浴槽画像は公式サイトのものをお借りし、画像サイズのみ変更して掲載しています)。

訪問時にジャグジーは稼働しておらずよしよし。泉質的には単純温泉だと思うのですが(確認するのを忘れました)、湯ざわりはツル感がありなかなかヨロシイです。この外側にある露天風呂には白っぽい湯花がたくさん沈殿&舞っており、これもなかなかでした。

ただ、ここであまり長湯をすると中浴場でへたってしまうので、再び着衣の上で本館へと移動します。先客さんは3人の様子。


こちらも公式サイトより画像をお借りしています。

浴室の扉を開けると明快なる硫黄臭が。いや実は脱衣場に入った時点ですでに臭っていたんですけれど(笑)。で、こちら中浴場の湯は日によって色が変わるらしいんですが、残念、この日は公式画像の通り透明で湯花もありませんでした。湯ざわりは‥普通かな。湯口の上にコップが置かれていたので口にしてみましたが、苦味があり身体に効きそうです(根拠はありません)。

というわけで2つの湯を急ぎ足でめぐってみましたが、自分としては最初の単純泉、しかも湯花が舞っていた露天風呂が一番好みだった気がします。共林温泉は近隣に観光地もなく、地元の方々の利用(日帰り温泉だけでなくちょっとした集いとか宴会とか)が多いのかなと思いますが、事前に聞き知っていた通りのお宿のようでした。空いている時期に泊まってみるのもいいかなぁ。



湯上がりにロビーで汗を拭き拭きおしんこどんを待ちます(腰掛けられる畳スペースあり)。おしんこどんが出てきたので外へ。気持ちいい風が吹いておりクールダウンには絶好というわけで、駐車場界隈を少しうろうろと。



ちょうど桜が満開で善哉。それにしてもなぜ七福神が?(しかも2体のみ)。

さぁってここからは一気に今宵の宴会宿たる「ほほえみの郷 観音湯」へと向かいます。何度も通っていますから「勝手知ったる道」と豪語したいところですが、以前慣れているはずなのに道を間違えたこともあり(&3年ぶりということもあり)、周辺の道路配置を確認しながら慎重に進み、無事稲川地区までやってきました。そしてそこには‥





初めてこちらの「よねや 稲川店」を訪問したのは21世紀初頭(たぶん2001~2002年くらい)でありました。長年のGWキャンプ地をここ湯沢の「木地山キャンプ場」(現在は閉鎖)、そしてその後「じゅんさい沼キャンプ場」に移動しても、「そこそこ近い&馴染み」ゆえ、これまで毎年のように利用してきたわけです(あ、もちろん「バザール」とかも使ってましたよ=湯沢市民にしかわからないと思いますが(笑))。

ただ、この「よねや」を運営するよねや商事(横手市)は、2023年3月を以て山形に拠点を持つ「ヤマザワ」の子会社となるようなのです。いますぐ店舗がなくなるわけではないとはいえ、地方で市場規模が縮小する中ではそういうこともやむを得ないのかな‥。

とタイプしたところでふと思い出したことがありました。それは自分がワーキングホリデーで滞在していた1989-1990当時のニュージーランドのことです。

当時のNZはとにかく不況で、クライストチャーチのメインロードたるコロンボストリートさえ「For Lease(貸店舗)」のスペースが立ち並ぶ有様でした。そんな中で当時のNZ政府が日本の消費税にあたるGST【Goods and Services Tax】をそれまでの10%から12.5%に上げたことには、2022年現在の日本と同じニオイを感じざるにはいられません。正直「ズブズブの沼」でしたよ当時のNZは。

で、そんな当時にNZの地方を走りまくると‥「個人商店がもはや皆無に近い状態」だったのです。そもそも人口そのものも少ないNZ南島西海岸では、人口が数百人の町ともなると数少ないチェーン店の規模も‥


(確かそのチェーンの名前は「4-Square」。)

それでも日本では「過疎地域の強い味方=生協の宅配」があるわけですが、当時のNZではそれに類するサービスはなかったと思います(バンクス半島で数ヶ月、何軒か居候していましたんで)。

となると(少なくとも)当時のNZでは「ローカルで車を運転できなくなったら生活できない=町に移住せざるを得ない」という感じだったのでしょう。というか、2011年末に訪問した時は、お世話になったロンさんもクライストチャーチに近い町に引っ越していて、かつてのロンさん家族の家には別のご夫婦がお住まいでした(その時のページはこちら)。

さて話がそれたので日本のお話に戻します。これまでの日本では新聞も郵便も、そしてもちろん宅配便も生協も、それぞれの業者による「個配」が当たり前でした。しかし、これからの人口減少社会ではそれが立ちゆかなくなることでしょう。そもそも業者ごとに人手が必要になるわけですし、非効率性が顕著になってくるはずです。

今や物流の世界でも「混載(人と荷物)」は新幹線でも地方の長距離バス路線でも当たり前になりつつあります。それは今後「ラストワンマイル」の世界においても進められていくのだと思います。

たとえば、ゆうパックの車両が郵便はもちろんのことクロネコヤマトの荷物も、もしかしたら新聞も配達することだってあるのかも知れません(配送の主体がどこになるのかはともかくとして、ここでは郵便法に基づく「信書の配達」という制約があるがゆえにゆうパックを主体として例示しました)。思い起こせばNZのバンクス半島では始発バスの運転手が新聞の朝刊を配達していましたっけ。

ただそうなると、「朝食時に新聞が届いていない」という利便性のダウンにもつながります。しかし考えてみるに、今や情報メディアとしての新聞に「速達性」は誰も期待していないわけです。「利便性」といいますが、「便利」であることと「必要」であるということは実は全く別の話で、自分がNZの田舎の農場に滞在していたときにベルリンの壁が崩壊したわけですが、その事実自体は(ネットはまだありませんでしたが)TVで即放映されていたわけで、翌日の新聞では「どういう経緯だったか」を詳しく書いていた新聞を読むことにより「なるほど今のところはそういうことなのか」と理解することで事足りたというわけです。

便利であることと必要であることとはイコールでないわけです。地方のみならず人口が集中する都市圏においても、このことは今後念頭に置いていかなければならないでしょう。コンビニの一律24h営業にも同じことがいえるのではと思います(もう一部では動き出しているようですが)。

さて話を一気によねやさんに戻します。ここでこの日ご一緒する皆さんとたまたま出会ったわけですが、なかでも○らさんの第一声は‥



という何とも失礼なものでした(大笑)。いや、でもそのご発言からも「いつもは暗くなる頃にならないと到着しない」われわれの行動パターンがおわかりになると思います(苦笑)。ま、さすがに移動距離が短かったですので‥。



さてスーパーから「稲庭うどん」の故郷たる湯沢市稲川町稲庭地区にやってきました。奥に見える奥羽山脈の脊梁稜線はまだ雪をかぶっていますが、里山はすでに新緑の趣です。おお、久々に「稲川城」を見た気がします。

あの城まではスロープカーが運行されているんですよね。ずいぶん前に乗りましたが、ケーブルカーではなく自力で移動することからモノレールなのかなと思っていたら、日本の法律上は「エレベーター」に分類されているのだとか。何でだろう?

いずれにせよ出発時に「おたぁーちぃ!」というアナウンスが独特でした。そのあと身延山でも乗ったなぁ(その時のページはこちら)。

ちなみに本日の目的地まではこの道を通るよりもっと近い道があるのですが、ちょっと立ち寄りたいお店がありました。それは‥ヤマザキショップ(笑)。いや、もともとは酒屋さんからスタートしたお店だと思うのですが、ずっと以前、こちらでお酒を買った際に店番のお婆さまと何だか話が盛り上がり、なぜだか秋田の酒「爛漫」のボックスティッシュをいただいたことを思い出したのです。ゆえに、いいお酒があったら買おうかなと思いまして。

お店はしっかり営業中、店内に入ると息子さんとおぼしき方が出て来られました。以前の話を申し上げると、やはりあれからずいぶんと月日が経ち、お婆さまはもう鬼籍に入られてしまったとのこと。で、店主お勧めのお酒を購入したわけですが、お会計時に‥



と、市販のボックスティッシュを1箱差し出して下さるではありませんか!え、いや、これってご自宅用ではないのですか?しかしこういう時に「いやいや‥」と辞退するのは好きではないので、「え、いや、そんなつもりでは‥でも、よろしいんですか、ありがとうございます!」としっかりいただいたわれわれでありました。また来ます!



というわけで「ほほえみの郷 観音湯」へと向かいます。ええ、今回はキャンプではなくこちらのお宿に素泊まりでというわけです。

われわれも知り合ってからもう随分年月を経て(お○うとはもうすぐ四半世紀、の○さんや番○さんとも20年くらい)、それぞれに稀寿やアラ還となりつつありますからねぇ。というか、バイクでやってきているお○うは、「この2泊だけのためにテント*2(うち1つは宴会用)や炊事用具その他」を積むことを避けたかったということのようで、その気持ちはよぉっくわかります(積載の重いバイクはとにかくキツイのです@参考はこちら)。





以前は「山の湯っこ」という宿名で、そもそもこの温泉は「下の岱温泉」と呼ばれており、隣接地には公共目的の施設もあり(今や廃墟になっていますが)、またここから少し上がった場所にはキャンプ場施設?に付随する東屋ふうのお風呂施設もあったのです(今や倒壊していると思われます)。

ただ現在はこの1軒のみでの営業で、しかも資本は別事業者に変わったのでしょうか?でも以前と同様にお婆さんやお兄さんが実務に就いているようです。



入口にはホワイトボードに丁寧な字で料金案内が掲示されています。実は連泊する場合はここには書かれていない「不思議な料金」が加算されることになっていることをこの時はまだ誰も知りません(笑)。ただ、われわれ夫婦はもともと1泊の予定だったのでその対象外だったのですけれど。



館内には冷蔵庫と電子レンジがあり自由に利用できますが、自炊施設はありません。われわれの部屋は「まつたけ」で、「Takema」の三字全てを含み、しかも高級感溢れる名称ですからねぇ(意味不明)。

さて、でも一方で残りのお三方はなぜか相部屋です。混んでいるのかと思いきやこの棟にはわれわれだけで、別棟には2食付きで宿泊の1組2人が泊まっているだけでした。これはどういうことなのか?謎です(まぁ部屋の手入れが行き届かずということもあるのかも知れませんが)。

さて、落ち着いたらとにかくお風呂です!





ツルヌルとヌルの中間ベース(というかほぼヌルのかけ流し湯はいつもながらに気持ちがいい!もうすっかり慣れちゃいましたが、ここの湯の湯ざわりはいつもながらかなりのものなのです。



宿の上方に源泉井があり(画像は翌朝に撮影したもの)、この案配だと造成泉なのかなと思っていましたが実際は掘削自噴だとのことです(もちろん源泉は90度超えの高温ですから加水は行われています)。

ただ基本的には「熱め設定」のはずなのですが‥



小さい方(左上画像)は時に「苦難の入浴(45度以上)」を強いられることもあるのに、「これならママも何とかオッケーさ♪」レベルの湯温でしたし、大きい方はまさに万人向きの湯温でした。雨が降っていた関係で加水量が増えていたからかな?(両上画像ともマウスオーバーで湯温計測画像に変わります)。



湯上がりには玄関外のテーブル席でクールダウン(喫煙所だし)。すぐ下にある(あった)施設はご覧のとおり豪雪で痛々しい姿に(確か福祉関係の施設だったように記憶しています)。雰囲気的には一番右側が浴室だったのかな。湯沢市もお金がないし(「まるごと売る課」という部署があるくらいです)、そういえばじゅんさい沼キャンプ場ももともとは湯沢市営だったんだっけ。



ふと気づくとニャンが玄関前にやってきていました。飼い猫なのかな?確かに近くにはごはん皿らしきものがあったし。しかしこれは困ったな、ニャンは間違いなく中に入りたそうだし、自分もそろそろ中に入りたいんですが入れてはイカンのかも知れないし‥

というわけでそうっと玄関の扉を開けましたが、入ろうとする意志はないみたいでした。案外痩せているし、もしかして基本は野良なのかな?



ちなみに館内には源泉利用の温熱パイプが通っており、GWとはいえまだ周辺には雪が残る状態でしたが(キャンプはいつも寒かったよ@じゅんさい沼)、館内はほどよく暖房が効いていました。あれ、室内にも配管が走っていたっけ?(記憶曖昧ですがたぶんそのはず)。





ええっと、感染対策としてアレをこれしてね(ムニュムニュ)。ま、その後ひと月を過ぎても誰も感染しているようではないので。考えてみれば皆さんとお会いするのも3年ぶりでしたし。



どうも旅行中は普段にもまして積極的に早起きしちゃうんです。朝6時のお天気は‥あーあクソ雨モード。しかしこのあと天気は一気に回復し、結局このあと5日間はずっと好天に恵まれました。バイクであれば気持ちよかっただろうなぁ(○とうは唯一バイクでしたっけ)。











ちなみに朝湯の湯温はさらに下がっており、ともに41度台でした。とはいえ源泉の投入口はなかなかとてつもない湯温でしたが73.8度@右上画像マウスオーバー)。

さて、われわれはこちらを1泊でおいとましたわけですが、ほかの皆さんは連泊とのことでちょいと料金体系についてのトラブルがあったようです。というのもこちらのお宿ですが、



確かにほとんど聞いたことがありません(海外ではあったような‥)。というわけで連泊の皆さんは「ちょっと待てよそんなの(予約時に)聞いてないぞ!」ということでトラブったそうです。

そんなわけで「もう観音湯は(次回以降の宿泊を)やめよう」という意見も出たのですが(この2日後に再度全員集合したので)、自分としては「宿の宿泊であればキャンプに比べ撤収の労力もほぼないわけだし、GWど真ん中なのにここは空いているし(1人1室にしてくれないのはナニですが)、お湯は前述の通りだし、個人的には来年も使いたいなぁ。少なくとも『連泊』しなければいいわけだし」という思いでいます。ま、各人の思いもあるはずなのであまり強く申し上げるつもりはありませんが(あ、番○さんは同じような発言をなさっていたような?)

で、一応来年GWの「宿」を探しているわけですが、やっぱり仙台から近いと駄目なんですよ(混むし高い)。かといって青森は遠すぎる。そういう意味で、「微妙に秋田、でも秋田側ゆえ案外人出が少ない」あのエリア(最初は木地山キャンプ場でした)を21世紀初頭に見定めた自分の目は間違っていなかったと思います。ただ、あの界隈における秋の宮温泉にしてももうかなりの宿が廃業してしまいましたが‥。

というわけで観音湯から出発です。でもすぐに見えてくるのは‥



峠のあたりで「休業(廃業?)」して久しい「秋田いこいの村」の大きな建物が見えてきます。ここも売り手が見つからずなんですよね。かつて木地山キャンプ場を利用していた際はたまにこちらの浴場で身体を洗いにきていたのですが(木地山は浸かるだけの温泉だったので)、いい感じの施設だった記憶があります。でもあれから随分と月日が経ち老朽化が進んでいるでしょうから、見かけはともかくこの施設の再利用はもう無理でしょうね。残念無念。

で、久々に木地山キャンプ場跡地に行ってみようと思ったのですが、近道はまだ通行止めでした。キャンプ場が運営されていた頃は除雪もされていた気もしますが、最後の方ではされなかったこともあったかな?

そんなわけでぐるっと回ってメインゲート側から「元キャンプ場」へ(そもそもゲートなどはありませんでしたが)。




(この場合の「強者」が誰を指すのか定かではありませんが)

管理棟やバンガローなどの建物は全て解体されて跡形もありません。唯一トイレ棟だけが現存していますが、開放されているんだろうか?(電気は来ているはず)。今調べてみたら、桁倉沼は近年冬期にワカサギの釣り場として賑わってきているようで、もしかしたら開けられているのかもしれません。ただ、もうキャンプ自体は禁止なんでしょうが‥(ただ、その旨を記した看板等はありませんでした)。

ここはおしんこどんと結婚した翌年(2001年)からGWにずっと利用してきた(元)キャンプ場なので、自分としても思い入れが強いのです。ちなみに閉鎖の理由の1つに「併設している温泉施設の掘削源泉井にスケール(温泉成分が凝固したもの)が詰まった」というのがあります。あとは維持経費の問題だったかと。

上でも書いた通り湯沢市(ここは旧皆瀬村)はお金がないですから‥。閉鎖前の管理棟には「除去した凝固Caスケール」の現物があり、興味津々で手にしていたら「もしよければ差し上げますよ」というわけでいただいちゃいました。

なおそのスケールですが、現在わが家玄関前に設置してある「宅配ボックス」の蓋の重しとして絶賛活躍中です(笑)。



この奥にかつての男女別露天風呂群があったわけですが、現在はご覧のようにゲートで閉鎖されています。かつては露天風呂のさらなる奥に源泉施設があったわけですが(湯気も出ていました)、現在のところ湯気は見えません。それでもエネルギー会社が管理しているということは‥



まだボーリング調査の前段階もしれませんが、いずれこの奥にも地熱発電所ができるのかもしれません。その建設が始まる頃、このキャンプ場跡地には工事事務所や宿舎が建ち並ぶようになるのかなぁ。ここでキャンプをしていた頃には想像すらしていませんでしたが。

さて、この日は脊梁山脈の峠を挟んで反対側(宮城県)の駒の湯温泉を目指しますので、この続きは次ページにて。

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