でも大都市やお祭りなどの人ごみにはほぼ近寄らずでした。

その13 釧路川下りのあとは宴会、そして晩成まで



キミはどうしてこっちに興味津々なの?

さて同時刻出発の方々からは遅れましたが、われわれ2人+1人のガイドさんでの移動なのですから特に問題はないようです。船着き場の小屋でライフジャケットをお借りして乗り込みます。



心配なのはお天気ですね。実際ここ塘路に来るまでにも(特に峠越えではそこそこ大粒の)雨が降っていましたし、カヌーに乗ったら傘を差すわけにもいきません(もちろん雨具は持ってきています)。でも「最初から着るのも縁起が悪い?」というわけで、まずは不着用で乗り込みます。

あと、曇天というわけで絵的には映えないということについてはもう最初から諦めていました。だって、泥炭地を流れる川ですから澄んでいるわけもなく、青空と太陽の助けがなければ「濁り川」としてしか映らないでしょうし。

また、「鳥や動物を見るなら朝イチが一番」という情報もいただいておりましたが、実はそこまでこの川下りについてがっついてはいませんでした。タンチョウも冬ならず夏にもあちこちで見てきましたし、え、ヒグマ?いやそれはあんまり出てほしくないし(ま、3人で全力で漕げば逃げられそうですが)。というわけでゆったりと塘路湖からスタートです。



最初は塘路湖と釧路川を結ぶ運河を進みます。R391現橋、そして左上画像のオレンジの橋は旧橋(今は歩行者用なのかな?)、そして奥にはJR釧網本線の橋が見えており、まずはこのあたりをじわじわと進んでいきます(流れがないので)。それにしてもTakemaの背中が丸いですねぇ(苦笑)。



ここもまだ運河。あ、別のカヌーが戻ってきました。



さてようやく釧路川本流へ。ここからは流れがあるので漕ぎを手抜き?



あ、鳥がと思いましたが、どう見てもタンチョウではありません。アオサギだとのこと。で、エゾシカはそこそこあちこちで見られました(そもそも生息数が多いですからね)。ちなみに途中で小雨(通り雨)も降りましたが、大して降られずにラッキーでした。



と、列車の音が聞こえてきました。釧網本線を走るノロッコ号です。この列車は釧路川の見晴らしのいい場所でしばし停車し、どうやらお昼出発のカヌーもちょうどその時間にその場所を通過し「お互いがお互いの被写体になる」というWinWinの関係になるはずだったのですが‥ええっと、われわれは出発が遅かったせいもあり間に合いませんでした(チラ見のみ)。うーむ残念。



でもきちんと漕いだせいか、ゴールの細岡到着直前には定時出発だった2艘に追いついちゃいました。何だかわれわれって、「楽しむべきところで妙に健気に先を急ぐ」習い性でもあるんでしょうか。そういえばカナダにオーロラを見に行ったときも昼間のスノーモービルで、お宿のオーナー氏から「戻ってくるの早すぎ!」と言われましたっけ(その時のページはこちら)。

まぁおかげで先発の皆さんを待たせることなくすみました(ただし先発隊がいることは特に気に掛けていなかったんですが)。というわけで、この一連のカヌー移動を動画にて。




塘路湖に戻ってきたあとは釧路駅を目指すだけです。というのも駅前のホテルで「おとう」と再び合流し(「一羽のすずめ」以来)、共通のお知り合いのお宅で「夕食のご相伴にあずかる」というトキメキわくわくテクマクマヤコン系の予定があるわけなのですから!

ところでここ釧路に至るまでの旅行中にびっくりしたことがありました。それは、



となれば、「最高気温が25度を超えると死に絶えてしまう」といわれていた釧路市民の皆さんがいったいどのようにして、



を乗り切ったのか、これも是非伺ってみたいところだったのです(完全にネタです念のため)。



というわけで釧路駅前のホテルにチェックイン。16:00くらいの到着でしたがおとうはもう到着済みでした(予想通り)。ちなみに数日前の暑さ(33.5度)が嘘のように、この日8月3日の釧路の最高気温は20.8度。こちらのホテルはクーラーも完備しているのですが(ないホテルも多い)、使うことはなかったなぁ(残念というかそれでよしというか)。18:00にご主人が車で迎えに来て下さいました。いつもながら感謝です。





ご夫妻とおとう、それにわれわれ2人でのご自宅宴会が始まりました。おぉーツブ貝、大きい!そしてシマエビも大小織り交ぜて食べ放題のボリュームです!奥さま曰く「和商市場で買ってきた」とのことで、いわゆる「勝手丼」で「観光客目当ての値付けで高い」とか、一時期さんざんライダーから不評だった和商ですが、やはり地元の人が利用する市場なんですね(そりゃそうだ観光だけでやっていかれるはずもないし)。



そして奥さまの手料理もぱくぱく。手羽先の味付けウマーでございました。

なおかの灼熱地獄についてある意味ワクワクて伺ったところ「うーん、ここは海が近いからそんなでもなかったよ。計測値は内陸側だからそんな気温になったのだろうけれど」と、ある意味こちらの期待とは100%正反対のお言葉が。

そう、釧路の夏ってそうなのです。暖気と寒気がせめぎ合う場所。夏の晴れた日にバイクで弟子屈方面から釧路に向かったことがある人であれば経験なさっているかも知れません。「突然ぶるっとくる」あの感覚を(車だと窓を開けていない限りわからないだろうなと思います)。

大概はそれこそ標茶の南部や塘路湖近くにその境がありますが、その暑かった日は内陸の暖気が市内の計測点まで大きく張り出したということだったのでしょう、とはいえさすがに海岸部まで張り出すだけの勢力はなかったということなのかと。
というわけで「釧路市民かく戦へり」系のお話は聞けませんでした(ちょっと残念)。

さてお腹もお酒も落ち着いたところでいつもの?歴史タイム。前回はかるたのお話でしたが(その時のページはこちら)、今回は「古文書」です。お宅にはご先祖が残された古い資料がそこそこあるのだそうで、そのごく一部を見せていただきました。

しかしこれはご自宅に秘蔵しておく資料ではないですよね?もう今を生きるわれわれの権利損得とは関係ないと思いますから、しかるべき場所に出して歴史資料として保存してもらったほうがいいのでは?(とお話し申し上げたと思います@ヨッパー気味だったのでイマイチ不安)。田中一村‥ええっとどういうご関係でしたっけ?(大汗)。



というわけで帰りは当然タクシーで戻ってきました。そうか、駅前だって標高的には高くないんだから津波は来る可能性がありますよね(なおご夫妻が住まわれているエリアは海に近いが標高は高いため津波は大丈夫かと思われます)。

で、ホテルエントランスの自動体温計測ですが‥夏なのにこの掲示!さすが釧路という感じです。ちなみに自分もタバコを吸いに行ったあとに戻ると「Low」と検知されていましたっけ。

さて翌朝、おとうと朝ごはんを一緒に食べたあと、われわれは一気に西に向かいます。そろそろ北の大地からは帰り道です(謎笑)。



まだ道東道が阿寒ICまでしかつながっていませんし(どうやら2024に開通予定?)、道東道で内陸を進むのも困るので地道にR38を進みます。

それにしても道東道の恩恵はすごいというか、帯広までは無料区間なので長距離トラックはみんなあっちに流れたのか、市街地を除けばとにかく車が少なくてびっくりでした。そういえばカムイミンタラの管理人さんも「高速ができてから、R38のスピード取り締まりも(ほとんど)いなくなっちゃったねぇ」とおっしゃっていたっけ。あ、念のため申し上げれば、



いや自分はそれでどうこうというのはありませんでしたが、「お控えなさっている」くるくるパンダさんは複数回目撃しましたので。出口の一般道が国道ではなく道道でもお気を付けください(あ、今回の自分とかぶった(苦笑))。

話を戻しますが左上画像は白糠です。いつもただ国道を通過するばかりだったのでちょこっと寄り道して展望エリアへ。白糠の町は河口沿いに開けた平坦地に広がっているので、車でも上がれるこの場所は津波の際の避難所として設定されているようです。この撮影場所はともかくとして、ここから下った「ある意味すぐに避難できる高台」には「岬の森総合案内センター」があり、かなり広い駐車場が設置されていることからもそのことが推察されます。

このセンターは訪問時無人のようでしたが、たぶん備蓄資材とかも保管されているのでしょうね。もちろんそれらが「活用」される日が来ないことを祈るばかりですが、「備えあれば憂いなし」であることも事実ですので。



さてこのあたりのR38は海岸近くの丘を上ったり下ったりの繰り返しが続きます。非常時(大地震による津波襲来時)には車両は丘陵区間に逃げれば何とかなりそうですが、そうであっても海岸沿いの市町村を結ぶ重要な動脈たるR38は低地で分断されてしまいますから、道東自動車道釧路線の開通はこの地域にとって間違いなく「災害時の命の綱」となるはず。東日本大震災における「櫛の歯作戦」のような整備をすでに整えているというわけですから。



「パーキングがあるな、トイレも(こっちが主目的)」と思って立ち寄った場所には「M7.8パネル館」なる展示施設がありました。1993年1月に発生した釧路沖地震の被害を示すパネルが展示されています。

しかし、だいぶくたびれ始めていますね。そもそもオープン方式の無人施設として建てられたようですが(壁やドアを造ってしまうと宿泊する輩がいるはずなのでその発想はわかります)、それでも「森の木々」をイメージした(=お金をかけた)造りであることは一目瞭然です(特に屋外に連なる「木々」などは)。

建設当時には当時ならではの「価値観」があり、それに基づいて建てられた施設なのですから、それを「現在の価値観」でああだこうだと言うつもりはありません。おそらく当時は復興関連で国からもジャボジャボと予算が下りていたのでしょうし、地元自治体の思いからすれば「わが地を襲った大地震を長く訪問者に知ってほしい、そのためには‥」という気概もあったのだと思います。ただ‥



そんなふうに悲観的に考えてしまうTakemaです。だって自分の例を挙げれば、50年近く住んできたところに(標高は1.5mくらいだけれど海からは3kmくらいあるし=もっとも海岸沿いは埋め立て地ですが)津波はともかく高潮だって来たことがないし、「まさか自分の自宅まで津波の水なんか(!)来ないだろう」と思ってしまうわけです。

そういう発想を繰り返さないための内外へのアピールとして建てられたこの施設なのでしょうが、この草臥れ(くたびれ)つつある様相と、人々の意識とがリンクしていないことを願うばかりです。

さて音別市街を通り抜けたあとはR38から別れる道道1038号線へ。この道の何がいいかって、




(いや、それこそ巨大地震時には通っちゃいけない道ですが)

ただご覧のとおり沿道(の海岸部)には民家は一切ありませんので、いざという時も人的被害はなさそうです。ただ‥





ただし現在のJR北海道に「災害時の対策をせよ」とは道庁も国も言えるはず(権限)はありませんし、そもそも財政的に火の車のJR北にそんな余力があるはずもありません(路盤整備費用節約のため特急の最高速度を下げざるを得ないような状況なのですし)。

何だかなぁ、今となって思えば分割民営化における「三島会社」(JR北海道、四国、九州)の設立および独立採算制(経営維持基金の賦与はあったにせよ)はどうだったのかなと思うところもありますし、コロナ禍による経営状況の悪化は抜きにして考えても、そろそろ「枠組みの変更」や「国によるサポート(補助金)」を考えなければならない時期にさしかかっているように思います。以上個人的な思いです。



このあとはいつものように?昆布刈石展望台にやってきました。相変わらずこの道はダート路ですが、この場所にCBR1100XXの過積載タンデムで上がってきていたのですねぇ。拙サイトに残された正式記録によるとここに来たのは1999年(またはそれより以前)だったようで、たぶん「それより以前」だった気がするのでもう四半世紀も前のことになるのですねぇ。

この日もこのあとソロライダー(オンロードバイク)が到着していましたし「一定の需要(というか走行車両数)」はあるはずなのに、あくまでこの区間を舗装しようとしない浦幌町の意図はどういうところにあるんでしょうかね?ここを観光ポイントとして認識していることは看板を建てたことからすれば明らかなのですが(昔はこんな立派なものはおろか看板すらなかったように記憶しています)。

さてこのあとは十勝の海岸沿いを結ぶR336を西に向かいます。その昔は十勝川に橋が架かっておらず分断されていて、旅行者としてはまったく使い道がなかったのですが、十勝河口橋が架けられてからは(1992)釧路から十勝沿岸部へのアクセスが格段によくなりました。当時ツーリングライダーとして毎年のように北海道入りしていた自分にとってルート取りの選択肢が増えたわけです。

90年代後半には東京-釧路便の近海郵船フェリーが十勝(広尾)港に(上り便のみ)寄港していました。とはいえ、もうそれを知る人も少なくなっているのではないかなぁ(1997-1999)。わたしは複数回利用しましたが、1999年に航路廃止というわけで残念なことになりました。今も十勝港にはその当時整備された(小さな平屋建ての)「フェリーターミナル」が残されているということです(現在は港湾部ゆえ立ち入り禁止らしい)。

おっと、まだ旅行記的には広尾に辿りついてもいないのに話が先走りました(広尾を通過するのは次ページに入ってからなのです)。昆布刈石からはR336、道道881号線を経由して‥





十勝から襟裳にかけての沿岸部には心惹かれる温泉が少ない中で(というかほとんど温泉施設がないしましてや野湯もない)、ここ晩成温泉は沸かしとはいえヨード含有の泉質を誇るなかなかの温泉ゆえ、過去何度か訪問しています(今回で4度目かな)。

周辺に人家はなく、宿泊棟とキャンプ場のみですが、太平洋の真ん前ゆえ実に開放感があります。



駐車場の向かいの宿泊棟、これって昔からそういう施設でしたっけ?

よく見るとエントランス部には幟を含めて3つの掲示で「営業中」を強く主張しておられます(笑)。建物自体は初訪の1990年代から変わっていませんが、内外部ともずいぶん手が入れられているのか「古びた」感は特に感じませんでした。



あれ、ここは『温泉むすめ』ではなく『銀河連邦内タイキ(大樹)共和国のヒーロー カムイリオレ』がキャラクターになっているのですね。わが道を行く大樹町。でもそのスタンス、きらいじゃありません(笑)。

さて先客さん多数のためお風呂画像はありませんが(撮禁掲示はなかったと思いますが脱衣カゴを見た瞬間にあっさり断念しました)、モール泉に似た濃い茶系の湯は塩化物泉ということもありかなりぬくまりの湯です。大きな適温浴槽の他に熱めの浴槽もあり、湯に浸かった後はマッパーのまま太平洋を望むテラスでクールダウンすることもできます。このテラスはポイントが高いよなぁ。

ちなみにおしんこどんが向かった女湯ですが、誰だか知りませんが大きい浴槽で垢をこすったのか、それとも洗い場での流し方が不完全だったのか、とにかくそれ系のムワムワが浮いていたそうで、結果として熱め湯のほうだけに浸かっていたのだとか。まぁ場所柄、真っ昼間に入りに来る人々の平均年齢は高そうですし、そしてわれわれも「いつか行く道(老齢)」ですからねぇ。



このあと広尾(食べ物屋多数)に行くまでに寄り道をすることもあり、ここでお昼ごはんを食べることにしました。それにしても、ここのキャンプ場泊まりは温泉入浴料込みで700円だし、夕食はラストオーダー19:15ながら21:00まで休憩室も利用できるし、なかなかいいかもしれません(ただし海沿いの吹きっさらしなので荒天時は大変かも)。

ちょうどお昼時でそこそこ利用者は多いようでしたが、観光客然としたお客はあまり見受けられず、地元のリタイヤグループがのんびりと‥という感じでした。夕方になるとまた利用者層も変わるのでしょうが。

Takemaは生姜焼き定食、おしんこどんは冷やし中華を注文。生姜焼きで最近気になるのが「タレをフライパンに投入して絡ませず、焼き終えて皿に盛りつけたあと上からタレをかける」という手順を取るお店が多いんですよね。こちらもそうだったと記憶していますが、これだと「表面側しかタレがかかっていない」わけで、自分としては不満です(はるか昔の学生時代にコック見習いのような立場にいたので)。左上画像でも、お肉の上面にもかかわらずタレがかかっていない部分がありますよね、そういうことです。フライパンの中で焼き上げた肉に直接からませて下さいタレをソースを!(懇願)。

ええっと、おしんこどんの冷やし中華はどうだったんだっけ?(完全記憶消失)。

というわけでこのあとは、案外知られていないのか、自分が知らなかっただけなのか系の「戦時中の遺物」を見に行きます。


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