その3 まさかの湧出減少にびっくり、翌日は羽黒山へ



よーしビッグサイズのお風呂‥え、え゛、え゛え゛ーっ!!

(2023年3月23-27日 その3)

さてさて、そろそろ今宵のお宿である「湯の瀬温泉」に到着です。こちらは毎分800Lもの湧出量を誇る一軒宿で、大きな露天風呂が売りなのです。この日は平日なのでお宿も空いているはずだしお出かけ初日だしで湯っくりしようという算段でした。



というわけで早めの時間にチェックイン。夕朝食の時間確認はいつものこととして、山形県の地域クーポン(\2000*2人分)の手続きをし、最後に館内の案内説明となったところで、女将さんから驚きのご発言が!





ぷ、プールのような露天風呂、そのお風呂を楽しみにやってきたのに!こちらのお宿は電話で予約したのですが、その時にはそんな説明はなかったし!入浴は基本的に1階の内風呂でお願いしたいとのことでした。

とりあえず「見学だけでもできませんか」と申し上げると、それはまったく構わないとのこと。また露天風呂の手前に内風呂があるのですが、ぬるくても構わなければそちらに入っても構わないとの承諾をいただきました。ただし女将さんいわく、



うーむ挑戦的なぬる湯チャレンジですね(笑)。なお露天風呂の話を聞いたときは勿論ショックでしたが、温泉は生きものですからね。ふと思い出したのは、その昔新潟県小千谷市の「えこじの湯」で今は亡きご主人がおっしゃった名言、それは、


(その時のページはこちら

使わなくても出し続けておかないと湯脈が細ってしまうのでとにかく出しているんだ、それでも逃げるときは逃げてしまうがとご主人は力説していました。ただし力説は温泉方面に留まらず、下ネタ方面にもかなり走りまくっていましたが(笑)。

なおちょっと話がそれますが「えこじの湯」のその後についてです。われわれが訪問したのは2010/8でしたが、その後2013年に奥さま、そしてご主人が相次いで亡くなり温泉施設そのものは廃業となりました。

それからもう10年になるこの2023年4月段階で現地はどうなっているのかと思いストリートビューで確認してみると、エントランス部や浴室に続く通路部分は早々と倒壊したのか片付けられて更地となっているようです。でも、ご主人が「結婚式も出来るようにしたんだ」とおっしゃっていた敷地後部の建物部分は今も残っていることがわかりました。

敷地の相続&整備云々についてはわたしごときが口を挟む資格もありませんが、ストリートビューに写し出される「県道沿いに今も置かれたタンクや、今もそこから流れ出ている水」にちょっとしみじみしたと同時に、いまあらためて申し上げます。「ご夫妻、あの時はありがとうございました」と。

というわけで湯の瀬温泉に話を戻しましょう。とにかく「入りたかった巨大露天風呂の『見学』です!」。この先画像の時系列はバラバラになっていますがご了承下さい。



階段を上がっていくと「清掃中」の看板というかお知らせ板が置かれていました。でも許可はいただいているのでさらに進んでいきます。ところで細かなことですしお宿とは何の関係もないのですが、このお知らせ板の英語‥


(単に「Cleaning」または「Under Cleaning」でいいのかと?)

アラ還ならではの難癖を付けつつ先へ進みます(苦笑)。



実はこの浴室入口の暖簾界隈、照明は消灯されていました(左上画像は夜になってから撮ったものなので自分が点灯させました)。で、まずは露天風呂手前にある内風呂部分へ。この時は撮影だけと思ったのでタオルは持参せずでしたが、湯に手を入れて体感的温度測定‥



というわけでにんまりした次第です。ため湯状態というわけではなく少量ながらオーバーフローしていることも確認しました。これは「長い夜」になりそうだ(笑)。

続いては露天風呂「見学」ですが、ページトップ画像の通り‥




(ちなみに湯温も30度あるかないかくらいだったかと)

というわけで、「あとでこちらの内湯に入る気満々」の意志を持ちつつ、とりあえず「この滞在時における唯一の公式内湯」に向かいます(露天風呂手前の内湯は「一応閉鎖」という建前でしたので)。







湯口周りの白い析出物髭に比べて、目がとっても小さな湯口ライオン。

ただ、如何せんそれほど広くもない浴槽なので、週末とかだとそこそこ大変なことにもなりそうです。実際この画像を撮ったあと身体を拭いて上がったところで5-6人のグループ(泊まりではなく夕食宴会だったようです)がどやどやとやってきました。自分としては実にラッキーなタイミングでしたが、部屋に戻る途中で浴衣を着た男性客1名がお風呂へ向かう‥ああ、今は駄目です!(と心の中で叫びました=ダメじゃん)。



湯上がりにロビーでこの日の新聞(朝刊)を手に取りました。そう出発前日の3/22はWBCの決勝、日本 vs アメリカ戦だったのです。あ、その日は朝から家にいたのでリアルで全部見ましたが(墓参りは朝一番で行くので、7時過ぎにはもう自宅に戻ってました)、翌日の山形新聞でも一面トップだったのでついついパチリというわけです。

そして夕ごはん。ここは山形、そして鶴岡市内ということで富士酒造の「庄内誉」がラインアップにあるではありませんか!

ええっと実は今から30年以上前、自分の「家飲み酒」はいつも庄内誉(吟醸酒)だったのです。まだ20代後半の頃「栄光富士」のキレキレのお酒に出会い、時には「古酒屋のひとりよがり」(お値段高し)を背伸びして飲んでタンノーしておりました。

ゆえにおしんこどんとの結婚式ではケーキカットの代わりとして(やりたくなかったのですよケーキカットって)、鏡開きとして樽の蓋を割りたい、その樽はといえばやっぱりハレの日ならば「栄光富士」でしょ!と思っていたわけです。しかしここ鶴岡の酒蔵ゆえ東京にベースがあるわけでもなくやむなく諦めたわけですが(鏡開き自体は諏訪の「真澄」でやりました)、それだけ「富士酒造」には思い入れがあったわけです。

実は最近の「家酒」はもっぱら芋焼酎となり、日本酒を飲むのはこういうお出かけの時ばかりとなってしまったわけですが、それにしても相変わらず旨かったなぁ、庄内誉!



夕食は「品数少なめ」プランを選択していたためご覧のとおりです。最近はこのようなプランを導入しているお宿も増えてきて喜ばしい限りなのですが、この場合宿泊料金も普通プランより安くなってしまい、自分としては申し訳ない気持ちもあります。

そこで、可能であればの話なのですが「品数は同じだけれどそれぞれ量を減らす、でも料金は同じ」というプランって出来ないものでしょうかね?上画像でいえば「各刺身を1枚ずつ減らし、魚の切り身の数も減らし、サザエは1個、天麩羅(ゴロンとしているのは牡蠣です)も減らす毛ガニも大きい足1本だけでいい、その代わり品数は普通プランのまま(鍋とか焼肉とかが追加される場合はその総量(肉とか野菜とか)も減らす」というような感じです。

ただし調理に掛ける手間等は普通プランと変わらないので料金はそのままで、



まぁ、なかなか難しいとは思うのですけれどね、もし検討可能であればご考慮いただければ幸いです。しつこいようですが、お値段は普通プランと同じでいいですから!

さてそんなわけで夕ごはんも終了し、お部屋でくつろいだところで、よーし行ってみますか「不感温度の内風呂」へ!



てなわけでやってきました。雰囲気的に「どなたも入浴した気配がない」感じです。チェックイン時に「階上の露天風呂には湯がなく入れません」と告げられ、しかも途中には「清掃中」の抑止掲示、さらに浴場入口の電気も夜になると消されているとなれば、普通のお客さんがわざわざやってくることもないのでしょう。しかし温泉ファンは違います!(笑)(上でも書きましたがちゃんと入浴許可は得ていますので念のため)。

かけ湯をして(「ぬるいな」と思いつつ)いざ浸かってみてしばし、「うん、これなら大丈夫♪」。でも浴槽に湯口があるわけではないので、これは真ん中の浴槽底からの投入に違いない!というわけでその上に身体を移動、浴槽内で体育座りのようにして静かに身体を沈めます。



湯っくりしているとじんわりじわじわとしてきます。自分が普段おじゃま(お手伝い)している駒の湯温泉よりもさらに低い湯温だと思いますが、下からの湯が何とも気持ちいい感じです。じっくり長湯のあと部屋に戻っても汗が引きませんでした。結局こちらの内湯には3回浸かりました(メイン内湯も3回だったので計6回)。



しばらくして寝る前にもう1回、メイン内湯にも浸かりました。



明けて翌朝、まずはしゃっきりとメイン内湯へ。お湯は右上画像の排出口でとぐろを巻いている通り、この浴槽サイズであれば十二分のかけ流し量です。でも逆に「この湯量ではあの巨大露天風呂に湯をためられない」のも現実であるわけです。

と、ここで(まさにこのページをタイプしている2023/4/22に)湯の瀬旅館さんに電話を入れました。というのも、女将さんが「4/3に源泉再掘削工事を予定しています。ポンプをさらに下げて湯量の回復をと考えています」とおっしゃっていたからです。公式ウェブサイトには一切記載がないので(そもそも湯量が減ったことも書かれていません)、直接うかがうしかなかったわけです。そしてその電話の内容はといえば‥(女将さん談を要約)、

「残念ながら再掘削工事ではいい結果を得られませんでした。これからオンシーズンに入るということ、そしてわたしどもの宿にお越しいただくお客さまの多くが『露天風呂』を目当てにしていることを考え、『今出ている湯』を何とか露天風呂に回せないか、具体的には1F内風呂の24時間入浴可能にしている湯を夜間に停止して、朝までにせめて半分程度まで露天風呂に湯をためられないかと検討中です。」


電話口で自分は「現在の露天風呂の広さだと湯量不足で温度も下がるでしょうし、ならばとりあえずは「半分に仕切ってはどうでしょうか」と申し上げました。「巨大」ではなくなりますが、かつて(&いずれ)はこれだけの広さに湯が満たされていたのですと見せることで、それこそ次回の掘削に繋げられるアピールとなるのかなと思ったものですから。

ただいっぽうで、このところ日本各地の温泉地で「湯温や湯量の低下」がみられています。青森の嶽温泉がその代表的な例ですが、他でもいくつもの温泉地でそんな話を聞いています。嶽温泉などは活火山たる岩木山(「休火山」という分類はなくなりました)のまさに麓であるのにそんなことになっているわけで(その一方でそれより離れた弘前盆地界隈の温泉に湯温低下や湯枯れの話が出てこないのが不思議です)、ここ湯の瀬温泉は直近の活火山といえば‥月山かぁ。でも月山周辺ってそもそも温泉が少ないんですよね。というかそもそもの湯脈はあつみ温泉などのように海岸沿い由来なのかもしれません。

湯の瀬温泉、湯が枯れたわけではありませんが湯量の減少により頭を抱えている現状です。今回われわれはその事情も知らずに宿泊したわけですが、是非とも応援したくなりますね。いや駒の湯温泉のようなお手伝い系ではもちろんなく、お話し好きの女将さんのお宿に「また泊まりに行く」形で。



話が長くなりましたが朝ごはんです(まだそこかい!)。質素に見えると思いますがこれで十分です(普段は卵かけご飯のみ、時に納豆プラスのTakema)。

さてクーポン券2000*2で4000円をいただきました。この日の泊まりは宮城県なので、これは間違いなく使える鶴岡市内でバンバンしてしまいましょう(しました)。



夕方から夜半には雨も降っていましたし、そもそも雪融けの時期ですから川は増水し濁り水を流していました。そしてそこから少し坂を登ると‥まだたんまりと雪が残り、温度差の関係か白くガスったエリアもあったりしてなかなかの風情です。

この界隈には湯田川温泉もあったりするのですが今回はパス(湯欲ないな-、正面湯さえまだ未湯なのに@田の湯のみ)。いやホント、やっぱり疲れちゃうのでアラ還となると(そのあと車を運転するからなおさら)。



このあと、道の駅ではないようですがほぼ同様な施設の「庄内観光物産館」にてクーポン券の利用を図りましたが、どうもついつい買い過ぎちゃうんですよね、クーポン+数千円を買い込みました(苦笑)。

こういうの、自分としてはそこそこある感じなのです。コロナ禍初期に「1人10万円支給」ってあったじゃないですか、あの時に自分は確か30万円くらい使いましたよ、PCほかいろいろと。乗せられやすいタイプなのでしょう。

でこの後は鶴岡市内のど真ん中を通過していきます。右上画像は致道博物館なのですが、いつものように下調べゼロによりそのまま通過しました。こんな機会は滅多にないんだし行っておけばよかったなぁと大後悔時代でしたが時すでに遅しで、







少し標高が上がると一気に残雪の量が増えるというのもこの地域ならではなのでしょう(それにしても今年(2023)の雪解けは早いと思いますが)。さてそんなわけで羽黒山への有料道路へ。明らかに神社の敷地内に入っていくわけですが、道路の運営は庄内交通です。湯殿山の道路も確か庄内交通だったはずで、そのあたりはいろいろあるのかなとは思いますがまぁどうでもいいでしょう、料金を支払って山の上へと上がっていきます。



駐車場から上はご覧のとおりガス&小雨でしたので傘を差しての参拝です。



羽黒山には二度来たことがあるはずで、はるか30年くらい前と2005年です(2005年の訪問はこちら)。この時は今回と同じように有料道路経由で上に上がったわけですが、ちゃんと五重塔まで下りていったのですね。今回はこの雪でもありますしジジイ化していることもあり、三神合祭殿のみの参拝ということにいたしました。







館内に入ると、何だか可愛らしい幕が正面に張られていました。



神殿に続く通路からは、神殿の前部に足場が組まれシートが全面に張られている様子がみえました。しかしさすがですね、足場シートも特注品のマーク入りだとは。

さて内部は撮影禁止ですし、撮影するつもりもありませんでしたが、丁度団体祈祷が行われている最中でした。ただほぼ終わりのタイミングだったようで、ご祈祷の様子を見ることが出来なかったのは残念。でもまぁ、そもそも祈祷とは「見学するものではない」わけですからね。

と、ここまで書いたところで、1998に訪問したネパールのカトマンズ市内、そのヒンズー教寺院の裏手で丁度火葬が行われていて、その様子をずっと見ていたことを思い出しました。亡くなった方が炎に包まれている間、近くにおられた親族とおぼしき方々が暗い様子ではなかった(会話の中で笑ったりもしていた)ことを覚えていますが、あれもまた本来は「見学」するべきものではなかったのだなぁと。だからさすがに当時の旅行記(このページ群)でもこの火葬については一切触れていないわけですが(20年以上前の自分もそのあたりは弁えていたようです)。

このあとは新庄方面へと向かいますが、何だか川がすごいことになっています。




(中流域だとこれが普通なのかもしれませんが)。

この続きは次ページにて。新庄でお昼ごはん‥といえば、当然われわれ定番の「あれ」ですね(笑)。

[もくじページへ] [次へ]