その6 南三陸から福島浜通り、最後は国宝や炭砿遺産見学も 夜ノ森駅はツツジの季節。でもね、ちょっと(後述)。 |
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さて鳴子からは一気に南三陸へ。まぁわれわれにとっては定番のルートです。そしていつもの松原さんへ。今回は事前に連絡していませんでしたし、経営者のご夫妻から「GWは来るものじゃないよぉ(激混みなので)」と言われてもいましたが、この日は雨でしたし開店と同時に入店であればいいかなということでおじゃました次第です。 |
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というわけで、海鮮丼と刺身定食を注文、さらにはここで名物の有頭海老フライ単品も登場!(右上画像マウスオーバー。3月の訪問時にもいただきました@この時です)。もちろん今回も美味しく完食いたしました。 |
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このあとはさんさん商店街に移動してお買い物ですが、これまで商店街東側に設置されていた「真正純正」のモアイ像、このGW明けには別の場所に移設されるようです。となればわれわれにとってはここで見る最後のお姿ですね。いっぽう、右上画像のモニュメントは移動されません(「三三」なのでここになければ意味なし芳一)。 |
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新北上大橋から雄勝へ。どうやら登米や柳津のあたりの三陸道が渋滞しているようだったので、その区間を避けて桃生津山ICから高速に乗り、一気に常磐道で南へと向かいます。片側2車線区間が増えたこともあり鳥の海PAあたりまでは順調でした。そのあとは確かに「大名行列」にもなりましたが、まぁ浪江ICで下りましたのでね。 |
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震災と原発事故から12年。あの直後の2011にも福島に何度かやってきましたが、あの頃は「常磐富岡ICから北の高速区間はもう工事もされないんだろうな」と悲観的に思っていました。それが、今や普通に一般道のR6も通れますし、大熊町でも米の栽培も始まっています(早かったのはイチゴですね)。さすがに右上画像の農業用サイロが稼働するまでにはもう少し時間がかかるかも知れませんが‥でも、期待しております! |
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大熊町は旧大野村と旧熊町村が合併してできた自治体で、R6はその旧熊町村の中心部を抜けていくわけですが、このエリアはR6の一般利用が可能となってからも重苦しい区間でありました。沿道に立ち並ぶ家並みの前にはもれなくフェンスとバリケードが並んでいたわけですから。 |
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さてそんなわけで、3月下旬に引き続き夜ノ森駅へとやってきました(3月末の訪問ページはこちら)。東口のみならず西口駅前にも駐車場ができているので車での訪問にも便利です。で、夜ノ森駅というと、右上画像の絵にもあるように「桜とツツジが売り」のようなんです。桜についてはもう何度も見に来ていますが「そういやツツジは見てないぞ」というわけでの訪問です。 |
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さて、どんなものになっているのか‥。 |
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ちなみに時期的には「終わり時期の始まり」という感じだったので、満開時にはもう少し‥だったのかも知れませんが、それぞれの株の間にはまだ隙間が見えています。各株にはもう少し大きく枝を伸ばすスペースがあるというわけですよね。 |
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このあとは夜ノ森桜並木へ。ええっと、GW(最終日の前日)なのに見事なまでに誰もいません(車も少なかった)。これが夜ノ森地区における日常の現実なのだと思ってしまいますし、桜の時期も沿道の生活感は同じようなものでしたっけ。ただ駅西口前の美容院さんは「居住制限区域」時代から週2回くらい(だったか)、避難先から通いで店を開けていたはず。この訪問時には普通にお住まいのようでした! |
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もう何度も書いてきたことですが谷地温泉には2軒のお宿があり、最初(2009)には石川屋さんに立ち寄り入浴したわけですが(この時です)、かの震災後は田村屋さんに2011/6、初めて日帰り入浴をさせていただきました(残念ながら2023現在も石川屋さんは工事関係の皆さんの専用宿舎となっています)。 |
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お部屋は広々の二間続きピカピカですし、 お風呂は沸かしとはいえpH10超えのツルツル湯@源泉足し放題。 |
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ただこれまで泊まったのは12月、3月、5月GWのみ。6月にはホタルも出るというのでその時期にも来てみたいなぁ。 |
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そして朝ごはんは和食ですが、豆腐ではなくしっかり湯葉が提供されていますし、焼き鮭もいい部位の立派なサイズです。もちろん美味しくいただきました。いつもながら本当にお世話になってます。またおじゃまします! |
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(手前の平橋はそろそろ朱塗りの手を入れたほうが‥)。 |
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「白水(しらみず)阿弥陀堂」。あまり詳しく書くのもアレなのでボカしますが、まさか奥州藤原氏(の血縁者)による建立だったのだとは思いも知りませんでした。従って建立時期は12世紀半ば(1160年)であり、東北地方でこの時期に建てられ、かつ現在に至るまできちんと維持管理がなされた建造物であるとなれば確かに国宝かも。しかも今もちゃんとお堂に上がれる‥。 |
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この日は訪問時間が早めだったのとお天気がやや小雨模様だったこともあり、何と先客さんなしという僥倖。もちろん見学開始時間後でしたので、神妙にお堂内部へ。お堂内部は撮影禁止なのでもちろん画像はありませんが、ちょっとびっくりしたのが「解説は録音音声ではなく待機している係員さんの肉声で」ということでした。 |
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背景にある小山も「借景として意図」された立地だったのでしょうか。 |
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さてこのあとは、受付でいただいた地図によると‥何だか神社があるぞというわけで歩いていってみることに。幟も設置されていましたし。 |
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白水阿弥陀堂を建立した徳尼御前を祀った神社だそうですが、なぜパワースポットなのかは不明です。でも説明板に「パワースポット」と記載されているのでそうなのでしょう。多くの幟が立てられており、規模の割に「やる気」が感じられます。 |
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川を渡っていくわけにもいかないので対岸から手を合わせ、以上でこの界隈の散策は終了で‥はなく、最後の見学地へと移動します。前から気になっていたその見学地とは‥。 |
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ここを曲がり、坂を上った先にある‥ |
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1989年に先代の管理人さんが開館した炭鉱関係の私設資料館で、内部には数多くの炭鉱関係の機材や物資、資料が展示されています。2020年に管理人さんが逝去、今後はどうなるのだろうと気になっていたのですが、先代の息子さんが千葉から戻って新管理人となっておられます(千葉といわきの二重生活だそうですが)。 |
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この入口周りは炭鉱坑道の支保工をデザインした感じでなかなか手が込んでいます。管理人さんとしばらくお話ししているうちに(先客さんと一緒に)、「ではカンテラを点けてみましょう」ということになりました。 |
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野球のユニフォームなども展示されていました。ふと思い出したのが北海道紋別市の内陸にある鴻之舞鉱山跡にある鉱山資料館。あちらの資料館(旧上藻別駅逓所)にも鴻之舞チームのユニフォームが展示されていましたからね(そのページはこちら)。 |
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資料館全景と、かつて使われていたトロッコです。 |
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その後ろには長屋形式の旧炭住(炭鉱住宅)、脇には坑道入口を模した場所もあり、その内部正面の地層をよく見ると(右上画像マウスオーバー)‥おお、確かに石炭の層が。 |
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左上画像、今は完全に閉めてしまった二階屋ですが、2階の両脇には「温泉内湯」と大書されており、かつては旅館だったと思われる建物もあったりします。この湯本界隈、炭鉱時代の賑わいは相当なものだったことでしょう。そう思いつつ、湯本をあとにして家路についたTakema&おしんこどんでありました。 |
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(経済活性、何よりですねぇ。くっそぉ)。 |
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というわけで2023GW東北編、以上で終了です。走行距離は1200kmほど、まぁまぁかな(笑)。 |
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