[2023夏北海道編もくじへ]



- その11 北の大地から奈良へ帰省、その後帰宅 -



2024/3末で廃線となる東鹿越-新得区間。根室「本線」なのに。



(2023年7月28日-8月16日 その20 北海道編その11)

というわけでいよいよ苫小牧を目指して走り出しました‥が、鹿追町には国道沿いに陸自の駐屯地もある関係か、ふと左上画像の建物に目がいきました。看板には「隊外休養所」とありましたがネット上で調べてみてもよくわかりませんでしたね。ま、わからなくてもいいか。

道の駅でちょいと休んだ後は峠越えです。



峠越えの道はガラガラでありました。







峠の展望台近くにはハンググライダーのテイクオフポイントがありました。十勝側からいい風が吹いていて、難なくスッと離陸成功です。気持ちよさそうですが、高高度フライトとなると相当の練習(と費用)が必要なんだろうなぁ。

あ、自分もその昔々(35年以上昔)パラグライダーのスクールに通っていまして、高高度を飛んだこともあります(磯根崎とか)。もっとも当時は就職直後でお金もなかったのでマイ機体を買うお金もなく、やがてNZワーキングホリデーに出てしまったことでまったく縁はなくなってしまったわけですが。

さて峠を越えてR38を西へ向かい南富良野町へ。2024/3に根室本線の富良野-新得間が路線廃止となります。ただし東鹿越-新得間は水害により2016年以来列車が走ることがないままでの廃止です。町は「道の駅南ふらの」を町の中心スポットとして再整備済みで、廃止後の準備はできているとはいっても、やっぱり120年以上の歴史がある区間の廃止は残念です。というわけで、実は初めての幾寅駅訪問です。



皆さんご存じのように、ここ幾寅駅は高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台となった駅で、映画の中では「幌舞駅」として登場します。駅長の定年退職とともに幌舞駅も路線とともに廃止という設定でしたが、まさか映画の通りに路線廃止とは‥

駅前には映画の撮影に使われた食堂やキハ40形の先頭部が展示されています。もう20年以上前の映画ではありますが、夏休み期間中ということもあり入れ代わり立ち替わり見学のお客さんが来ていました(われわれもその一員です)。



高倉健さんも鬼籍に入られた今ですが、駅舎内には映画の中のワンシーンだと思われる写真が「遺影」として設置され、生花が添えられておりました。記念館として整備された駅舎内には撮影当時の様々なアイテムも展示されています。



待合室も実にきれいに維持管理されています。



ホーム側には「ようこそ幌舞駅へ」の掲示が。さすがに駅名標は「本名」でしたが。

南富良野町の方々があの映画を、そしてこの駅を大切に思っていることがよくわかります。ただ、現状ではこの記念館で「町にお金が入る」仕組みは皆無であるように拝見しました。ここはただ見学するだけの場所であり、夏休みゆえそこそこの数の見学者がいただけにちょっと勿体ないかな?お買い物がしたければ道の駅へということなのでしょうが‥。

この後は道の駅へは寄らず、根室本線沿いに延びる道道を進みます。市街地の外れで旧踏切を渡るわけですが‥





線路こそ撤去されてはいませんが、いや何ていうかもう‥。仕方がないんでしょうけれど、残念です。

この後は道道を進み、現在の「暫定終点駅」となっている東鹿越駅へ。とはいえこの駅も約7ヶ月後には廃止されてしまうんですけれどね。



というわけで駅舎へ。周辺に人家はないように見えましたが、封印された壁と、その下の出っ張りから、ここには窓口があった=有人駅だったことがわかります。こんな山の中の駅がなぜ有人だったのか?とも思いましたが、あとでグーグルマップで確認してみて合点がいきました。





実は駅のすぐ上には複数の鉱山関係の事業所が現在も存在し、どうやら石灰を産出しているようです。以前は鉄道で出荷していたわけですね。しかしマップで見る限り積み込み施設もないようですしホッパ貨車も皆無だし、事業所としてはもはや鉄道がなくなっても支障なしということなのでしょう。

そもそも北海道の鉄道は石炭をはじめとした鉱業とともに路線を延ばしてきたわけですし、鉱業従事者が鉱山周辺に数多く住んでいたことで「貨物も旅客も」ということでペイしていたわけです。となると「閉山」は一気にその路線の採算性を下げることになったわけですが、今後はトラック輸送も人手不足で簡単にはいかなくなるでしょうし、かといって廃止した鉄路の再開は不可能だし、どうなっていくんでしょうか(悲観)。

そして、そもそもすぐ脇にある金山ダムが構築される前には旧根室本線は水没地域を走っており、川沿いの沿線には多くの人々が住んでいたのだとか。現駅周辺に集落があったわけではないのですね。なるほど。



2024/3までは代行バスも列車としっかり接続して運行しているようです。それよりも気になるのが右上画像の除雪パートスタッフ募集のポスターで、路線廃止になるこの駅にこのポスターを貼る意味についてはともかくとして(JR北海道管内の各駅に貼られているでしょうし)、気になるのは時給換算の安さだったりします。まぁとやかくは言えませんが‥。

さて鹿越大橋を渡ってかなやま湖の対岸へ。こちら側には設備の整ったキャンプ場がありファミリーキャンパーなどで賑わっているはず‥なのですが、何だか全然テントが見えない‥と思ったら‥





道道沿いの駐車場は閉鎖されていましたし、湖岸は町の施設ではないからということなのでしょうが、首肯はしがたい気もします。ま、各自ご安全にというしかないですね。



というわけで金山ダムへ。こちらは石狩川水系(空知川)にあるダムで、中空重力式という北海道唯一の(そしてもうあまり造られることもないだろうと思われる)形式のダムです。コロナ禍のなか多くのダムが(PR館を含め)見学中止となっていましたが、2023/8現在、こちらのダムは見学可能でした。ただ堤体内の見学は不定期に(またはツアー向けに)開催されているだけのようです。



ダムカードは各自で取る方式で、展示室内にはイトウの持ち上げダミーもありましたが、本物を持ち上げる機会などはまずないでしょうなぁ(というかアングラーでさえそもそも持ち上げないように思うのですが)。



堤頂部は通行可能とはいえ1車線ゆえ、先行車優先です。嗚呼、ここにも阿呆は出没するのね。そういう馬鹿な行為が多発すると施設内立ち入り禁止になっちゃうからやめなさいって。

で、特に不法行為に及ぶつもりもないわれわれが堤頂部の道を歩き、ダム湖内をのぞいてみると‥





ちなみにかなやま湖に生息している魚はニジマス、アメマス、コイ、ウグイ、イトウ、オショロコマ、ワカサギなどだそうで、左上画像はコイっぽいですが、右上画像で列を成しているのは明らかにその2個体より大きいですね。も、もしかしてイトウか?(群れを成す生態なのかは存じませんが=たぶん違う)。

このあとは道の駅占冠へ。とにかくこの日も暑くてたまらなかったのでソッコーでこちらを購入。



館内にはエアコンが設置されていてそこそこ快適なのですが、それでもどんどん溶けるよ溶ける♪というわけで、分け分けしながらいただいた次第です。とにかく2023夏の北海道は暑かった!これがこの年だけの異常気象であればいいのですが‥。



だって、道東道の山越え区間ですら32度ですから。



山越えを終えて由仁PAへ。ここに夕張メロンの直売所があるのですが、本地夕張に比べてもあまり高くないと思っているので(白箱だし)、今回もここでお土産を買いました。なお「冷たい」というのはこの場で食べるカットメロンのことで、お持ち帰りの玉については冷やされてはいません。でもこれだけ暑いと熟すペースも早まるのでは?

このあとはそのまま高速道路で苫小牧‥を通過して、数日前に泊まった白老へ。いやお風呂じゃなくって夕ご飯です。さすがに暗くなってきました。



白老牛を扱うファームレストラン「UEMURA」さんですが、お店の佇まいは完全に高級レストランです。なぜだか先客さんがおらずこの日はガラガラでしたが、北の大地最後の夕ご飯ですから少しくらいリッチにでもいいですよね。



うわーい、高級店だぞ(笑)。



まずは白老牛の寿司とスープ、そしてハンバーグです(Takema注文)。



そしておしんこどんは当然白老牛のステーキ!

いや全然羨ましいとかはなく、自分としてはとにかく「お腹いっぱいになりたくない」のが現状の本音なのです。そうなると頭も回らなくなるしそもそも不機嫌になる自分なのです。あ、この日はこの後フェリーターミナルまでの運転もありますから眠くなってもいけないですし。

あ、お肉の話を全然していませんでしたが実に美味しかったです(お値段相応の価値あり)。たまにはこんな贅沢もいいですなぁ。



このあとは以前宿泊した「ほくよう」で最後の汗を流し、いざ進んだのは苫小牧東港。ええ、ここからは敦賀行きのフェリーに乗り込みおしんこどん実家の奈良へと向かうわけです(なかなか帰らないのはいつものこと)。



お盆前の8/11でしたが、早めに北海道ツーリングを終えたライダー各氏の列が長い!自分が最後にバイクで北海道を走ったのは‥2009年かぁ(この時です)。このあとは車になっちゃったのでもう14年も前なのですね。ちなみに北海道バイクツーリング自体は1993年からほぼ毎年行ってました。一番はじけていたのは2002年の過積載タンデムツーリングで(この時です)、当時の「2ちゃんねる」にも「こんなお馬鹿が」と晒されていましたっけ。笑ってしまうのが「過積載 バイク 北海道」でグーグルの画像検索をすると、トップにはいまだにわれわれの画像が出てきたこと。もう22年も前なんですけれど‥。



部屋はもちろん個室なんですが、退職したらそうもいかないのかな。まぁ今はフェリーも1人ベッドが当たり前になっていますからそれでもいいのかな。なお海外に行く際、ビジネスクラスは率先して予約はしないだろうなぁ。せいぜいエアアジアのフラットベッドくらいで(この時に利用しました)。



ちなみにこの個室エリア専用の喫煙室があり、どうやらこの日の運航では個室エリアにおける喫煙者は自分だけだったようで、いつ行っても自分だけでした(そもそも自分の吸い殻しかなかった)。TVもあって快適でした。



天候はさほど悪くなかったと思いますが、屋外デッキへの立ち入りは不可となっていました。ま、われわれの部屋には専用デッキがありますし、そうでなくともこの新日本海フェリー「すいせん」には「露天風呂」もあるんですけれどね(撮禁につき画像なし)。



明けて翌朝はそこそこいい天気でしたが、敦賀到着は夜20:30なので何ともはや。ただそれだけに朝ビールくらいはいけちゃいますね(笑)。

ところで本州と北海道を結ぶ長距離フェリーはそもそも旅客よりも貨物輸送がメインのはずで、そうなるとトラックの運用効率性に合わせたタイミングでの発着になります。大洗発着さんふらわあの深夜便などは観光客のことなど知ったこっちゃないぞダイヤです(その代わりモノクラスで安い)。

今回利用した苫小牧東-敦賀(直行)便も「23:30発-20:30着」というわけで、日中は船内に居るしかありません(当然)。しかも到着後は車を運転ですから先ほどの「朝ビー」以降は飲めませんし。思い起こせばかつての近海郵船フェリーの、東京港(有明)23:58発(仕事帰りでも間に合う)-釧路7:30着(和商市場)で朝ごはんバッチリ、そして初日からバリバリ行動可能というのはある意味「神」でしたね。最後の頃は広尾港からも帰れましたし。



お昼ごはんは船内でハンバーグとトンカツのランチ。

それにしてもここ30年でフェリーのレストランが提供するごはんはとてつもなく質が上がりましたね。1990年台前半、自分が北海道にバイクで行きだした頃の大洗便などは(現在とは別会社ではありますが)かなりC/Pが低いものでした。だから多くのライダーは乗船前に最初の食事だけは買い込んでいましたっけ(節約氏は2食目3食目も?)。船内自販機のビールも高かったし。

当時に比べれば、今は実に満足できます。ただ、その一方でフェリー会社側のコストは上昇しているはずですからいろいろと考えさせられます(自分としてはレストランの利用料金よりも乗船料金の上乗せのほうが現実的かと思いますが)。







さて敦賀港到着です。敦賀便を利用するのは初めてで地図はまるで頭に入っていないので、カーナビ様の指示に100%従います。グーグルマップのナビだと変なところに連れ込まれたりするので(昼間ならそれも一興ではありますが)。さ、奈良へと帰省です。

お盆期間なので夜でも比較的交通量は多めでしたが、まずは順調に(午前様にならずに)帰省完了。



で、突然ですが上画像。ええっと、おしんこどん実家の玄関から30mくらい先で撮ったものです。ものすごく自然豊か!に思うでしょ、でもそんなわけでもないんですけれどね。ちなみに爽やかに見えますがこの日も無茶苦茶暑かったです(苦笑)。



翌日はモーニングを食べに行ったり、



まったく季節感のない看板や猿回しを見たり。




この夏はおしんこどん母とともに温泉行脚の企画はなく、庭の草抜きなどで静かに過ごしました。さて3泊ほどしたあとの8/16に千葉に向けての帰路につきます。しかしこの日は奈良も一日雨模様、さらに東海地方ではかなりどしゃ降りの雨となっている様子です。まぁ帰り着ければいいので出発しました。

名阪国道、東名阪、伊勢湾岸と順調に進んで新東名へ。この先のSAもPAも混んでいるようなので、「いつもの」道の駅もっくる新城(しんしろ)へ。最近はIC近くの道の駅にも追加料金なしで立ち寄れるところが増えているので嬉しい限りです。



食べたのはフランクのホットドッグだけでしたが、美味しかった!

さてしかし、ここからが大問題です。というのも‥





日本の大動脈たる2本の高速道路が完全に駄目とは!となると残されているのは「国道1号線」(及び生活道路)のみとなるわけです。しかしそれではあまりに非力であるわけで、この先はぐっちゃんぐっちゃんの道路状況になっていること必定でしょう。

新東名で新清水JCTまで進んでしまうと何だかその先がカオスになっていそうなので1つ手前の新静岡ICで高速を下り、とにかく海沿いを目指しましたが、やはり清水の市街地で地獄絵図モードにハマりました。そこで地元の皆さまにはご迷惑でしょうがここで隠密裏道行動開始!正解っぽかったりそうでもなかったりといろいろでしたが、たぶんそのままR1を進んだよりはマシだったことでしょう。

そして予想通り由比のあたりもかなり厳しかったのではありますが、市街地に比べて信号がないからか、じわじわとは進みました。清水は進まない時間のほうが圧倒的に長かったしなぁ。

結局新静岡ICから新富士ICまで約3時間ほどかけて再び高速へ復帰しました。不通区間エリアの雨は全然大したことがなくて、この通行止めは「予防措置」だったのかなとも思いましたが、その判断については何も不平不満はございません。安全第一!



で、駿河湾沼津SAにて夕ご飯。自分は「お腹いっぱい=危険、眠くなる」なのでさっぱり系醤油ラーメンを。おしんこどんはがっつり海鮮系ですが、この海鮮丼、最後は「濃厚魚介出汁」をかけてスルスルという優れものでありましたね。



いよいよ最後の休憩は港北PA。この後自宅までを含めての総走行距離は約4200km、通った都道府県は18となりました。サラリーマンの夏休みとは思えません(大笑)。というわけで、ここまでの旅行記にお付き合いいただきありがとうございました。

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