- その7 五所川原うろうろ、津軽〆湯のあと小坂経由で南下! -
この画像から「あそこだ」と場所が特定できるあなた、「通」ですね。
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(2024年3月27-31日 その7)
さてこの日の朝は寒気が入ったのかそこそこ冷えておりまして(平年並みの気温かな)お空も曇天。ただし天候は回復傾向にあり、午後は風が強まるという予報が出ていました(結果的にドンピシャ正解予報)。
さて津軽を去るにあたりとりあえず温泉‥いや今さっき入ったばかりだしそれもなぁというわけで、この日最初のイベントは「五所川原市内の見学」といたしました。ってどこを?いやぁ、ここに行けば「五所川原に行った」証明にもなるでしょう、
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ところで、このお出かけ直近の大相撲三月場所で、新入幕ながらまさかまさかと勝ち進んで幕内最高優勝を成し遂げた尊富士は五所川原市金木出身。太宰治と同じ出身地なんですね。金木は旧金木町ですが現在は五所川原市なので、五所川原をあげてのお祝いムードとなっていました(貼り紙だけですが@右上像マウスーオーバーで別画像に変わります)。
なお、2024 5/1には故郷入りした尊富士への市民栄誉賞授与と金木地区&五所川原中心部で凱旋パレードが行われることになっているようで、特に五所川原地区パレードのスタート地点はこの「立佞武多の館」、その時には左上画像の建物内に格納(展示)されている「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の山車が表に出されるのだとか(さすがに山車の巡行はなし)。楽しみですね、天気に恵まれるといいなぁ。
さてそんなわけで「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」と合わせて3台の山車が格納されている内部を見学しましょう。
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(高さ23m。上画像マウスオーバーで拡大画像に変わります)
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館内は立佞武多3台の山車が展示されていて、まずは上画像のように下から眺め、その上でエレベーターで最上階まで上がり細部を見学、そこからは周回スロープをゆっくり下りながら3台のそれぞれの部分を見学するという趣向になっています。また定期的にビデオ上映もありますので一度は見ておきましょう。
なお、どの山車にも最下部には「漢雲」の文字が。これは右読みで「うんかん」と読み、「天の川」を意味しているのだそうです。ねぷたやねぶた(呼称に違いはあれど元は同義)がそもそも「七夕祭り」にその発祥の由来があるからだとされているようです。
2024/3の訪問時、館内には『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』のほか『暫(しばらく)』『かぐや』の3台があり、最近は2年に1台が新たに築造されているようです。ということは『かぐや』は今夏(2024)が最後の披露となるのかな?
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『暫』の背面の絵柄です。細かいなぁ。
『かぐや』には牛車も描かれており、よく見ると餅つき兎も。
こんな小物ねぷたも。古い時代のねぷた像も。
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ちなみにこの立佞武多の館は立佞武多の保存のみならず新作の製作場としての役割もあり、天井部をよく見ると移動クレーンなどの設備も見えていました。そうしていざ山車を出す時には、この周回通路の一部エリアが跳ね上げられて全開となり、ここから1年に1度山車が表に出るわけですね(2024は2度か?@上記事情により)。
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さてページトップのこの画像を再掲です。この絵は昭和10年頃のねぷた山車に描かれていた絵の現物だそうで、保存状態がよかったのか赤い衣の色合いもよく保たれています(約90年前に描かれたものですよ!)。
ここに描かれているのは平安時代、藤原道長に仕えていた「藤原保昌」です。あまり有名な人物ではありませんが、歌人である和泉式部の「最後の夫」でもあります。その和泉式部は当時においては珍しいことに生涯で4人と明確な恋人関係を結んだ女性で、当時の「同時代常識人」である同僚の紫式部は「彼女は素行がねぇ()」とついつい日記に書き残していたようです。ただし和泉式部は「一妻多夫」状態だったのではなく、あくまでそれぞれの夫(恋人)との離別や死別を続けた上で最終的に保昌と結ばれたわけですが。
ただこの藤原保昌は武勇の誉れも高かったようで、伝説にはなりますが鬼だったか何だったかの討伐にも関わっていたような記憶があります。
その「武勇に秀でた貴種」であることからねぷた絵に描かれることとなったのでしょうが、皆さんはこの人物についてご存じだったでしょうか?自分はたまたま聞き知っていましたが(文学部出身)、多くの人にとってはマイナーな人物でしょう。特に政治の表舞台に立った人物でもありませんし。
そんな保昌を、今よりもっと情報の入手が困難だった昭和10年頃に「ねぷた像の絵に描く人物としてこの貴種が最適だ!」と選び出した教養人がこの地におられたわけで、これはすごいことです。近隣には1876年創立の弘前大学がありましたから、その方面の学識をお借りしたのかも知れませんが。
さてTakemaひとりで「へぇー」とびっくらこいておりましたが、せっかくなので尊富士にあやかりましょう。
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実はこの前夜、地元のTV番組で「尊富士の優勝を祝って、立佞武多の館では地元名物のしょうが味噌(こんにゃく)おでんを割引販売しています!」と紹介されていたのです。というわけで1Fの喫茶コーナーでいただくことといたしました。左上画像マウスオーバーで別画像に変わりますが、割引価格は「30円」でした。まぁそれぞれに思いはあるでしょうが感謝感謝ということで。ちなみにそこそこ美味しかったのですが、やっぱりしょうが味噌おでんなら銅像茶屋(八甲田)の味の印象が一番強いかな?
さてこの日の最終目的地は宮城北部の駒の湯温泉なのでそろそろ出発しなければです。でも「1湯くらいは立ち寄ってもいいよね」というわけで、これまで何度かおじゃましたこちらの温泉へ。
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記録によると「2017に再々訪」とありますから(この時です)今回で4回目の訪問ということになります。無人の共同湯ですがなかなか人気があります。ただこの日は平日の10時半過ぎという、農事始めのこの時期においては皆さんいろいろお忙しいはずですよね。先客さんの車は1台だけ。さてどうだろう?
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(実は入れ替わりだったんですが)
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振り返れば初訪の2006年には独泉貸し切りでした。ただその後の2回は先客さんありだった記憶があります。久々の貸し切り入浴だぁ。というわけでまずは「紙に名前を書いてその上に湯銭を置く」というお支払いタイムです。地元の方々の利用がほとんどでしょうから、名前と実際の浴室の面々を首実検すれば「あれ、あいつ払ってないぞ」ということが一目瞭然となるがゆえの支払いシステムなのでしょう。
自分は「Takema」と書いて代金を載せましたが、あとで回収時に「誰だこれ?まぁ余所もんが入りに来たんだろ」としか思われなかったかも知れません。さてそんなわけでお風呂お風呂♪
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(ネット死語絵文字)
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実はこれまで真上を見たことがなかったのかまったく記憶がありませんでしたが、この湯小屋、かなり本格的な造りだったんですね。湯気抜き部も含めてかなり重厚さを感じます。
そして説明書きも初訪時と同じものが掲示されています。ただ、後半の「民宿梅沢温泉に申し込みをしてから」というのは、すでに初訪時に現在の支払いシステムに移行していましたが(当時常連さんに聞いたのだから間違いない)。
というわけで入浴です。
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というわけで津軽の〆湯に入浴完了です。なお掲示物の中には「梅沢温泉の気概を示す」貼り紙もありましたよ。
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まぁ当該課がどんな思いでいるかはわかりませんが、2024年現在、これまで安い安いと思って利用させていただいてきた津軽地方各施設の日帰り料金もずいぶん上がりましたよね。そんな中「200円」を貫く梅沢温泉さん、さすがです(でももう100円くらいは上げてもいいような気はしますが)。
地域の共同湯らしく、エントランス部には常連さんのお風呂セットが満艦飾のごとく並べられておりました。ただ気になったのが、一部のセットはもうしばらく使われていないようで埃を被ったものもあったこと。何だか切ない想像をしてしまいましたよ‥。
さてこのあとは宮城北端の栗駒に位置する駒の湯温泉を目指します。
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津軽道から東北道へ。一気に南下するか?いや。
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そういやお昼食べてないゾ的大問題がわれわれの前に立ちはだかりました(笑)。いや、いざとなればSAPAの食堂レストランでもいいんだけれどさ、東北道もこの北部エリアとなるとその選択肢も少なくて、うーん花輪SAとかでも「松屋」一択だしねぇ(普段から時々食べているのでやや躊躇)。
それじゃ高速の料金的には割高になるけれど途中のICで下りるかということになりました。時間的なこと及びICと周辺の繁栄度を考えれば鹿角八幡平か小坂の二択です。鹿角なら「幸楽」か「花千鳥」、小坂なら同じく「幸楽」支店かホテル併設のレストラン(他にもありましたがあまり気乗りしなかったのでパス)。
最初は「花千鳥」でいいかとも思ったのですが、運転を続けるうちになぜか「自分で焼くのは面倒くさい」という無精なる思いがワラワラと湧き出し(苦笑)、「いいや、あの名前は忘れたけれど場所はわかる円形建物のレストランで」ということにいたしました。というわけで小坂ICで高速を下りました。
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到着。なるほど、レストラン名は「青銅館」だったのね。
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注文した品はこの2品。「何だよ、これくらいならPAでも何とか頼めそうじゃん?」と言われそうですが、カツは地元小坂町産の「桃豚」を使用しており地元ならでは系地産地消のメニューなのでこれはこれでよし。コーヒーも無料だったし問題なしです。
で、この小坂エリアには以前も何度か来ており「ブルートレインあけぼの」に泊まったこともあります(この時とか)。特に2回目の宿泊(この時)には「人情芝居観劇後ブルートレインの寝台上で『平成から令和』への年越しをした」わけで、なかなか印象深い1夜となった記憶があります。
その後のコロナ禍ほかの事情で「あけぼの宿泊」は休止されていましたが、2024シーズン(春-秋)は営業するようですので是非泊まってみてはいかがでしょうか?(ちなみにA寝台個室は人気で予約は取りづらいです)。なお3月のこの時期はまだ冬期閉鎖中でしたので外からの画像も撮れませんでしたが。
なおこの小坂中心部エリアには他にも見どころがありますよ。
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小坂は鉱山の町として早くから栄えた町で、秋田県で「電気」が初めて通じたのもここ小坂だったといいます(県都秋田よりも早かった)。その繁栄を示すが如く鉱山事務所やこの芝居小屋は西洋的な意匠の建築で、ともに国の重要文化財に指定されていますが、どちらも「現役」であるところがすごいです(冬期は休業)。
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また人情芝居を観ながらお酒を飲みたいなぁ(面白いですよ是非!)と思いつつ、過去の宿泊に思いを馳せたTakemaでありました。
さて、再び高速に乗り今度こそ駒の湯を目指しますが、このあとの区間はかなりの強風が吹き荒れており油断ならない状況です。普段の高速道路ではしばしば片手でナメた運転をするTakemaですが、さすがにこの時は「10時10分」のハンドルキープでした。もっともこういう時にフルタイム四駆のフォレスターは安定性が高いはずなのですが、それでも中には軽貨物のワゴンがすごいスピードで追い抜いていくこともありました。「上手い」のか「無謀」なのか‥たぶん後者ですけれどね。
だいぶ南下して岩手山SA手前までやってきました。おおー、何だかいいぞ。
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岩手山を北東部側から見ているはずですが、北側斜面よりも東側の焼走り側のほうが圧倒的に雪が残っていました。頂上の北西側はやや急峻な地形となっているので雪が留まりにくいのはわかりますが、真北の斜面の斜度は東側とそう変わらないはず‥あ、そうか植生か。北側は東側に比べて樹林帯が上部まで上がっているのですね。
なおまったく関係もないのですが、ここまで北東北たる津軽の近隣2箇所で宿泊しているにもかかわらず、そのあと一気に駒の湯まで南下するという移動計画に「え?」と思った方もおられるのではないでしょうか?実はこのお出かけに関する最初の計画では駒の湯に至るまでに「あと2泊」するつもりだったのです。
しかし計画立案、予約完了後に「研修」がズドンと入り旅程を短くする必要に迫られ、「2泊カット、また駒の湯の滞在時間も半分にせざるを得なくなった」というわけです。実は初日の南三陸松原さんも最終日に行くつもりだったので一度は訪問をキャンセルしたのですが、旅程を組み替えるうちに「おお、初日の一番なら行かれる!」というわけで訪問できたというわけなのでありました。以上雑件まで。
さて若柳金成ICで高速を下り、すぐ脇にあるGSでマソリンガンタン。明日は駒の湯お手伝いのあと一気に帰るので余計な手間は今のうちの終わらせておきます。ちなみに駒の湯から千葉のわが家までは450kmほどなので、自分の車だと無給油にてさっさと帰ってこられます。時に「怒涛の移動」をするがゆえに、自分はじぇったいEV車を買うことはないでしょう。
というわけでこの続きは次ページにて。
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