- その2 「草津」で朝風呂、約40年ぶりにあの単純硫黄泉にも -



モミジだって湯浴みしたかったのでしょうかね?

(2024年11月1日-4日 その2)

まずは首都高&中央道経由で甲斐の国を目指します。とはいえこの日は平日だったのでラッシュ時の渋滞を避けるため当然早出ということで朝5:30に出発。首都高7号小松川線の両国JCTや箱崎JCTの渋滞を無事に回避するとあとはすいすい、もはや名物ともいえる4号新宿線から中央道に伸びる朝の大渋滞を横目にしつつ順調に走り(性格悪)、最初の休憩はすでに甲府盆地の一角に入った釈迦堂PAでありました。



前方には南アルプスの連山が。北岳も見えています。

ただし残念なことにお天気の具合は「この日からしばらく天気は雨模様が続き、特に北陸方面では大雨」という予報の通り、すでに低い雲が出始めています。この時の甲府盆地あたりはまだそれほど影響もないようですが‥。

さてしかし、出発が早かったこともありこの時点でまだ時刻は8時前。朝ごはんもそうですが朝風呂にしましょうそうしましょうということで、





朝6時から営業というスタンスは変わっていませんし、平日の始業直前というのにリタイア組とも思えない働き盛り系の方々も含めてどんどんお客さんがやってきます。湯画像はハナから諦めていましたのでそれはいいのですが、この人気と熱い湯は相変わらずだなぁと実感しました。



泉質はナトリウム-塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩泉で源泉温度は47.7度。熱め浴槽の湯は加水なしでそのまま注がれていると思われます(夏はさすがに少し加水するかな?)。17年前は熱め湯への耐性が低かったので主浴槽をメイン利用でしたが、今回は熱め浴槽メインで楽しみました。前夜はシャワーも浴びていなかったので、こちらで頭も身体もゴシゴシして徹底的にさっぱりさせました。ふぅ。

このあとは急いで高速を使う必要もないので(早く着きすぎる!)、R20経由で諏訪方面を目指すことに。R20の山梨/長野県境区間って交通量も少ないし快走路なので結構好きなんです(ただし取り締まりもやっているのでスピードは控えめに)。で、道の駅はくしゅうにやってきたので‥





「白州の美味しい水」ですが、ほんの僅か塩素を入れていると記載されています。ただしこれまでそれ系の味もにおいも感知したことはありませんでしたし、そもそも湧水ではあっても土壌特有の混入成分がないとはいえませんし(特に有機物だと問題があるかも)。いつものようにありがたく汲ませていただきました。

で、おしんこどんがとある地域農産品(花豆)が売られていないかと道の駅内を探しましたがお目当ての品はなし。同じ敷地内に地場スーパーがあるのでそちらにも行ってみたわけですが、そこで「なかなかの逸品」を見つけました。





はい、ソッコーで購入した次第です。ところで昨今の高温で米どころによっては品質の低下が云々という話を聞いたことがあります。ものは考えようで、そうなると標高が高めで(平地より気温低め)寒暖差の大きいこのエリア(ちなみに富士見町産でした)のお米がかえって美味しくなっているのではないかと思ったりするのです。実際のところもきっちり美味しかったですし。

このあとは延々と車を走らせ長野県へ。諏訪湖が近くなってきたところで左折してやってきたのは‥





下社(秋宮)は何度も参拝しているんですけれどねぇ(この時など)。やっぱりあちらは温泉が近いからと思われます。手水も温泉だったりするし。



こちらは正面側の入り口ではないようですが、しっかり屋根掛けのされた参道(長廊)であり立派です。入り口の御門は1829年建立ということですからもうすぐ200年ですね。



70m弱の長さの長廊(布橋)を歩いて行く途中には大国主命を祀る社殿などがあり、苔むした石灯籠などとともに風情を感じます。まだ早めの時間だったこともありあまり人が多くなかったことも善き哉でした。







こちらが正面です。まぁ長廊(布橋)経由で参拝することが非礼にあたるわけではないので‥。参道沿いに植えられたモミジはようやく紅葉が始まったところという感じで、あと数十年もすれば樹勢も立派になるだろうと思われます(今はまだひょろひょろ)。

この時点ではまだ10時台、ここらで早めにお昼ごはんとしたいところで、場所柄やはりお蕎麦だろうと考えましたがまだビミョーに早すぎてお店が開いていません(11:30~)。そこで、近隣のお店も見てみましたが、1軒目は電灯すら点いていないのでこの日はお休みっぽくて断念。そこで、ちょっと商売っ気のありそうな(広告看板あり)お店「やまさや」さんへ。



開店まで少し待ちましたが無事入店。民芸的な雰囲気のお店で、さて何をというわけでメニューを見ると、こちらではうなぎの扱いも豊富で、メニューの順番も「うなぎ、そば‥」の順でした。「やまさや御膳」という、うなぎもそばも刺身も天ぷらもフルーツも全部付けちゃう系の「大物」もありましたが‥





どうせシェアしつつ食べるのだから両方頼めばバラエティ度が増しますね。自分はうな丼メイン、おしんこどんはそばメインで食べ進めます。





さすがにこればかりはシェアできませんでした(当然)。早起き、お散歩(参拝)、お昼ごはんたっぷり+ビールときたら、このあとのおしんこどんは寝‥ませんでしたねあまり。

このあとは諏訪ICから松本ICまで高速でワープし、その昔は北アルプス登山でさんざん(何十回となく)通ったR158を上高地方面へと向かいます。



くわー、やっぱり長野県はガソリンが高いなとぞわぞわしつつ(同時期Takema地元では167円/レギュラー1L)、ガソリンはまだ入れないことにしてそのまま進み、稲核集落の渡辺そば店が盛業中であることを確認したりしつつ沢渡からさらに先へと進みます。



このあたりから少しずつ色づいてきました。

計画時のプランでは下道のR20経由で諏訪大社に寄る予定はなく、普通に高速で松本ICへ、そして沢渡に車を駐めて久々に上高地にでも行ってみるかというつもりだったのですが、天気はこの日からしっかり雨という予報だったので諦めた次第です。でも、元プランでもこちらには立ち寄るつもりでありました。それは‥





何といっても、以前に入浴したのは大学生時代でしたからね。「冬の上高地でキャンプしちゃれ」ということで、当時は沢渡ゲート(茶嵐ドライブイン)から先は冬季閉鎖だったことから、あそこから上高地までえっちらおっちら歩いたというわけです(坂巻・中の湯温泉関係者のみ通行可能)。その帰り道に坂巻温泉の湯に浸かり冬キャンプの汗を流したわけですが、それ以来だもんなぁ、時も流れたわけだ(遠い目)。



館内はモダンな造り。当然建て替えられているでしょう。

入浴料をお支払いしいざお風呂へ。当時のお風呂そのものの記憶はほとんど思い出せません。露天風呂が気持ちよかったことくらいかな。というわけでまずは内風呂から!







加水はしていますが、硫黄臭香るやわらかなお湯です。

続いては露天風呂へ。どんな感じかなぁ‥むむ、こちらも先客なしで完全貸し切りっ!







入浴をお願いした際、宿の方が「露天風呂はちょっと熱いかも知れないです。湯温調整の関係で‥」とおっしゃっていましたがさにあらず、適温そのものでした(逆に内風呂は若干ぬるめだったかも)。始まり出した紅葉を眺めつつの湯浴みはなかなかのものです。

そういえば画像こそありませんが、露天風呂では坂巻独特の、大きめ繊維状の湯花を多く目にしました。うむ記憶が甦ってきたぞ、確か40年近く前も「湯花が多いな」と思ったような気がする!当時は温泉ファンではありませんでしたが、幼少期に某温泉付き施設(祖父の別荘)によく行っていたこともあり、湯花そのものについての知識はありましたので。

なおおしんこどんは女湯で湯口の湯を打たせ湯的に浴びようとしたそうですが、そりゃ無理でしょ無謀チャレンジャー!(笑)。



ふぅ、良きかな善き哉。

結局男女とも先客なしで湯をタンノーしました。この日は平日の金曜日でしたが、この翌日から月曜日までは三連休となったので、こんなに湯ったりとは出来なかったことでしょう。

さて、坂巻温泉から上高地へは当然入れないので(通年マイカー規制)もう安房トンネルを抜けるしかないのですが‥いや!



紅葉も期待できそうだしこれはいいかもというわけで、早速右折して旧道へと入りましたが、「もしかして、中の湯温泉から先はもう冬期通行止めかも?」という不安もありました(下調べなし)。でもまぁその場合はすぐ上の中の湯で止められる(ゲート閉鎖)だろうからそのまま戻ればいいし‥

というわけで進んでいきましたが、中の湯先のゲートは開いていました。あとで調べたところ、この年旧安房峠の冬期閉鎖は11/5、つまり三連休の翌日からだったようです。ぎりぎりセーフでありました。

さてしかし紅葉は‥曇り空で色が映えないということを差し引いても「えぇーっ(嘆息)」という感じでありました(後述)。峠の付近はもうとっくに終わっていましたし。

というわけで安房峠へ。以前茶屋的な建物があった場所あたりに車を駐めて穂高連峰方面を見やりますが‥





とはいえこの日のお天気、「この時間までよく持ちこたえてくれた!」という感じでもありました。もっと早くから降り出す予報でしたので。

それにしても、もう知る人も少なくなりつつあるような気もしますが、この旧道は現在の安房トンネルが開通する前は奥飛騨と松本を結ぶメインルートでありました。しかし通ったことのある人ならおわかりでしょうが、当然道幅は狭く峠越えのワインディングで(特に長野側の線形や道幅は舗装林道レベル)、それでも唯一の通行路であったため夏のシーズンなどには通行車両集中により大渋滞となるのが常でした。

おまけにわたしが現役の山屋だった1980年代当時は沢渡から上高地分岐に至る国道もまだ整備前で旧道は道幅が狭く、バス同士の行き違いも困難な状態。ここがボトルネックとなってしまえば安房峠を通って松本側に下りようとする車はもはや身動きも出来ず「にっちもさっちも!」という感じになったのです(特に午後が酷かった)。

当時のわれわれはそのことを知っていましたから、たとえば双六小屋から新穂高温泉に下りるときはとにかく早出をして午前の早い時間に新穂高に下り、タクシーで松本まで出ることにしていました。新穂高待機のタクシーさんも「午後の松本行きは勘弁してもらっているよ、(まっとうな時間には)帰ってこられないから」というようなことを話してくださったような記憶があります。wikiにも「(繁忙期には)通過に5時間以上(かかった)」というような記載もありますが、これは事実でしょう。

なお当時の松本電鉄バス(現アルピコ交通バス)のドライバー氏はプロ魂の賜物的な運転テクを有していましたが、それでも当時は車掌さんも乗務していました(新島々-上高地線)。その主な業務は「車両の誘導」だったのです。バスそのものの誘導だけでなく「他車を動かす」ことも重要な業務で、多くの場合「行き詰まる」のは道に慣れない観光バスだったので、ずいぶんその誘導シーンも目にした記憶があります。今となっては信じられないかも知れませんが、真面目な話かつて自分も夏山で「新穂高に下りたらそのまま高山に出て名古屋経由で帰った方が家に着くのは早いんじゃないか?」と考えたりもしましたっけ(交通費がとてつもなく高くなるので実行はしませんでしたが)。

というわけで長い昔話、終了です(苦笑)。



下ってくると、わずかに樹上に葉を残す落葉松、そして完全落葉後のダケカンバ(白樺の高山仕様樹)。あーあ、高いところの紅葉は終わっちゃったのね。となると、ここより低い上高地の落葉松は比較的見ごろだったのかも?でもまぁいいや。



さらに平湯側に下っていくと落葉樹の林になりました。でもねぇ‥。平湯からは新穂高方面に進み、今宵の宿は中尾の別荘地内にあるお宿なのですが‥ここで総括!



というわけで今宵のお宿へと向かいましょう。

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