- その5 瀬見温泉 喜至楼の滞在をタンノー♪ -



ハイ、喜至楼名物の「ローマ式千人風呂」でございます。

(2025年3月24日-28日 その5)

瀬見温泉 旅館「喜至楼」。現存する温泉営業施設としては山形県内最古で、明治・大正・昭和と3つの時代の建物が併存する温泉宿。ちなみに本館は明治初期、別館は大正から昭和初期の建築だといいます。

歴史ある重厚な外観や内部の造作(特に本館)はレトロファンにはたまりませんし、温泉はもちろんのことかけ流しで(加水あり)、上画像のような美しい(タイルのはがれ等はありますが)浴室も複数あるわけです。

いっぽうで経年劣化による設備の古さは否めず、もちろんきちんと手を入れてはおられますが、若い女性などは「うそ、ここに泊まるの?」とのけぞってしまいそうな鄙び感オーラを発している喜至楼さん。いわば「泊まる人を選ぶ」というか「選んだ人だけが泊まる」という感じのお宿です(もっとも今回は諸般の事情により「他の選択肢なしでここに長期宿泊している」方々も多かったのですが=後述)。

これまで旧共同浴場にしか入浴したことのなかった瀬見温泉ですが、今回は「満を持して」お泊まりでバンバンしてみることにしたわけです。でははじまり始まり。



非バリアフリーとはいえきれいにしつらえられた「別館入口」。



エントランスでは等身大?の狸の親子がお出迎えです。大きさだけでなく、エントランス部の照明は明るいわけでもないので、暗くなってから到着の方は一瞬どきっとするかもしれません。

玄関正面にフロントですが、もうすっかり昭和の趣です。市松模様の床タイルは当然リフォームによるものでしょうが、市松模様タイルの流行り自体がもう相当昔のことであるような気が‥。

近くでテーブル脚の修理をなさっていたのが女将さんでした。ネット予約をしていたのですが、こちらが名を名乗るより前に「部屋は『須磨』になりますね。ご夕食は18:00から、朝食は‥」と話がどんどん進んでいきます。本人確認もしないでいいのかなぁ?(この謎は翌朝明らかになります)。最後に「須磨」の間への行き方が説明されてチェックイン手続き終了となりました(部屋までの案内はされません)。



この廊下を「味わい深い」「風情がある」と捉えるか、「暗くて怖い」「古くさい」と取るかは人によるでしょう。でも年季が入っているとはいえ、廊下床や階段踏み段などのギシ音は最小限ですし、きちんと手が入れられています。

また右上画像の「須磨」「明石」「蓬生(よもぎう)」などは源氏物語のそれぞれの巻名ですし、他にも源氏物語の巻名由来の部屋はざっくり21部屋、登場人物由来と思われる部屋が5部屋ありました。「藤壷」「花の里(花散里?)」など。この客室棟が竣工して各部屋に名付けをした方々の博識がうかがわれますし、自分が感心したのは上画像の「蓬生」なんですが、



ローマ字の発音が「よもぎゅう or よもぎゅー」となっているのですが、これは現在の表記である「よもぎう」を字面のままそのまま四字で読むよりも(古文を読み下す際の)実際の発音に近い表記です。かなりのこだわりを感じましたよ(廊下天井に雨漏りによると思われる浸みなどがあるのは気にしないキニシナイ)。



さてわれわれにあてがわれたのは「須磨」の間です。確か「源氏物語」では光源氏が「とある大きな粗相を犯したこと」が発覚し、罪人として流罪に処せられる前に自ら身を引いて京都から兵庫の須磨に退去して失意の日々を過ごすという内容の巻です。まさに「貴種流離譚」そのものの巻であり、となるとこの部屋をあてがわれたお客は「やむを得ず身を引いての隠遁でここ瀬見に来た」とみなされたってこと?(違う違う)。

せっかくだったらお隣の「明石」の間がよかったのになぁ(明石の巻の内容には新たな未来への展開があるので)。

ただこのページをご覧になっている多くの方はそんなこだわりはないと思うので(自分は源氏物語好きなので=その昔日本文学科卒業)これ系の話はこれくらいにしておいて‥

このページをタイプするにあたり、先人のブログ等で確認したんですが、結構高い確率でこの「須磨」に泊まっておられるんです。いっぽうでそれ以外の「源氏物語関係部屋」に泊まった記録はごくごく少ない‥。


(たぶん間違いなくそうでしょう)

館内図で確認してみたところ、室名(葵とか富士とか102などの番号とか)が付けられている部屋だけで50室以上ありました。ただその数には明治最初期に建てられた本館の部屋も含まれますし、「本館の部屋に泊まれた」という記録もありはしますが、かなりのレアケースかも。入り組んだ造りになっているので本館と別館の区分は微妙です。そしてわれわれが泊まった「須磨」は、区分によれば「新館3階」に位置するようでした。



こちらの館内見取り図を参考にして数えました。

まぁ、これだけの規模のお宿ですし年季も入っていますから、そもそも「全館を完璧に維持」などということはどだい無理な話です。となれば「あるエリアの部屋を重点的に整備して云々」という話になってくるのは当然の助動詞べしのはずです。

本館の玄関近くの1.2Fはおそらく襖だけで区切られた昔ながらのお宿部屋でしょう(覚えている人は少ないと思いますが、TV「水戸黄門」で黄門さまが身をやつして泊まる宿の部屋は、隣部屋との仕切りは襖だけの場合が多かったんです)。今はさすがにこのエリアの部屋(部屋名なし)は宿泊に供してはいないでしょうし、千人風呂上部の部屋ももうほとんどお客を入れていないんじゃないかなぁ。

ちなみに自分はこちらのお宿を予約サイト経由で予約しましたが、「部屋は別館縛り」でした。本館こだわりの人は直電しかないでしょう。それでもOKが出るかどうかは不明ですが、2023/年末に106号室(千人風呂直上角部屋)に泊まったという記録もあるのでトライする価値はあるかも?

さて、この時点で館内にはほかのお客さんの姿は見えませんでしたし、こちらのお風呂群の白眉ともいえる千人風呂は15:00-19:00までは女性専用となっているので(ちょっと珍しいパターンかも)、Takemaはこの館内図に従いつつお風呂以外をいろいろと見て回ることにいたしました。

まずは当然「本館入口」からですよね当然です。





椅子やストーブが置かれてはいますが、これは往時の雰囲気を醸し出すための意匠的な設置だと思われます。この石油ストーブはもうたぶん館内のどこにも使われていないでしょうし、この時も当然火は入っていませんでした。=火が点いていた先人撮影画像もありました!うわぉ!

天井部の梁(はり)としての鉄骨がむき出しなのはご愛敬として(このエントランス部は明治元年の創建なので梁は後年に補強設置されたものかと)、この両サイドにある装飾が素晴らしいです。絵ではなくみな彫刻に絵付けされたものですからねぇ。



明かり障子彫刻?古さを感じないのは手入れの賜物かと。

ただ、今になって思うのはもっとちゃんといろいろ撮っておけばよかったなということ。入口からみて左右にはちゃんと意味のある別の造形物があったようで、たとえば左上画像で鶴とともに手をついている女性ですが、自分は単純に「ようこそお越し下さいました」だなと思って撮ったのですが、反対側の女性&亀画像と対になっていたようです。すなわちこちらは「ありがとうございました」のほうだったというわけですね。「テキトーに撮っておけば雰囲気が伝わるだろう」の失敗版です。

なお右上画像は松ですが、反対側は竹だったんです。ということは‥



調べてみたらやっぱりこの両側障子の後部に梅があり、しかも障子の取っ手のところにわざわざ「うめ」と彫られていたらしい。全然気づきませんでした。

なお唯一気づいたのが上中央画像で、左は(打出の小槌を持っているから)大黒天さま、右は釣り竿こそ手にしていないもののすぐ下に鯛があることから恵比寿さまであることがわかります。で、大黒天さまの上にある黒い枝のようなものはいったい何だろうと思ってよく見てみると‥





ただこれにはちょっとした疑問もあって、この本館入口部の建築竣工は明治元年だということですから、まだその段階では「円」はなかったはずです(「円」は明治四年の「新貨条例」で初めて登場する通貨単位)。

ましてやその当時の「一円」の価値たるや現在のものとは比較にならないほど高価であり、一説によると(AIの力を借りました)明治初期における1円=現在の20,000円ほどだったということです。

となると、もし万が一明治初期に大黒天さまが振り上げて空にはためいた「千億円」の価値は‥



ええっと、彫刻に舞う枝葉の1枚1枚が二千兆円!大黒天さますごい大盤振る舞い!でもそれはわが国のみならず全世界の経済をとてつもない勢いでぶっ壊しますよ、トランプ大統領が自信ありげに大統領令を発布&ソッコーで朝令暮改している(2025/4)のよりもはるかにソッコーに。だって「何気なく1枚拾ったら\2,000,000,000,000,000持ちの大金持ちになる」わけですからね。

今や大黒天さまもそうそう軽々しく富をばらまいてはいけないわけですが、ふと冷静になって考えれば、この装飾が設置されたのはいつ頃の時期なのか?という問題が浮かび上がってきます。明治初期の段階で一般人がイメージする額としては大きすぎる単位ですよね。よって、



ただいずれにせよ上画像のお札彫刻をみればその精緻な彫り出しにはやはり感銘のひと言です。おそらくは戦後の製作なのでしょうが、これはこれである意味嬉しかったです。

そうそう、すぐ上で「非日常な桁数のかけ算」をしましたが、そのことで思い出しましたよ2008年夏に訪問した「超通貨危機でデノミ真っ最中だったジンバブエ」のことを!こちらをクリックすると当時のジンバブエドル現金画像に、こちらをクリックで当時の旅行記に進めますので念のため。

さて続いてはお風呂編に進んでみましょー。あ、館内のお風呂についてですが、



別館にあった家族風呂2ヶ所はどちらも封鎖されていました。さらには新館のわれわれの部屋には部屋風呂が付いていたはずですが、うっかり失念し存在を確認することもありませんでした。ネット情報によるとちゃんと温泉が出るそうなのですが、でもねぇ知っていても利用はしなかっただろうからまぁいいです(無理矢理納得)。







さて明るい時間は女性専用となっているローマ式千人風呂、とりあえずおしんこどんが撮ってくれたのがこの画像で、長野上諏訪温泉の片倉館「千人風呂」と同じく、千人は無理だとしても20-30人は同時に入れる広さを誇っています。

内部の造作等についてのレポートは自分の入浴時に回すとして、その他2ヶ所のお風呂に行きましょう。まずは千人風呂の手前にあるあたたまり湯(男女別)に入ります。



瀬見温泉の泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉でpHは7.6、源泉温度は68度で、加水されていることもあり、とにかくあっさりとした浴感です。毎日使いの湯に最適という感じですね。



「あたたまり湯」の名の通り、ここが一番熱めでした。

続いては別館のオランダ風呂に行ってみたのですが‥





これはどうしたのだろうと思いましたが、このあと女将さんと話をしたところ、「温泉の配管不良によってオランダ風呂に供給できる湯量が減ってしまい申し訳ありません。修理を頼んでいるのですが、年度末ということもあり公共工事がいろいろ入っているようで『工事の順番待ち』なんですよ」とおっしゃっていました。確かに夜に入ったら(シャワー湯供給は止まっていました)ぬるま湯状態になっていましたっけ。

ちなみにわれわれがチェックアウトをしていた際に、入れ替わるような形で工事関係の方々が到着しました。しまった1日早かったか(笑)。



ところで、千人風呂とあたたまり湯(男女)の脱衣棚の上にはそれぞれ置物が設置されていました。左上は花咲かじいさんと「ここ掘れワンワン」のシロでしょうか。中央画像はあたたまり湯(男)で、金太郎と熊が温泉をめぐって押し合いへし合い、女湯では同じく金太郎とキューピーでしょうかね。おそらくどれも相当な年代物なんでしょう。



そのほかにも館内には何やらいろいろな造作や展示物が。

その他ふかし湯などもありましたが蒸気が来ていないようでした。オランダ風呂の影響かな?岩風呂は閉鎖ですし、喜至楼さんは千人風呂とオランダ風呂、あたたまり湯の三本立てでやっていくことに決めたようです。



湯上がりの火照りを冷ますためにちょっと表へ出てみました。まずは本館入り口を外から見てみます。明治初期に建てられた本館はやはり重厚な造りです。築150年以上とは思えません。



それにしても150年以上手を入れていないとは考えられませんから、建物や施設の維持のためいろいろなところに手を入れてきたのでしょうね。この飾り格子にしても後付けの意匠なのかもしれません。

ところで右上画像の通り、日帰り入浴は不可となっています。コロナ禍の影響かと思っていましたが、2025/3でもまだ駄目ということは、もう日帰り客の受け入れは完全に止めたのかもしれません。それもあって今回は「満を持しての宿泊」にしたわけですし。



ちょうど千人風呂の隣にあたる位置には温泉神社(湯前神社)があり、おそらく源泉そのままの湯が手水代わりに流されています(熱くてほとんど触れない)。確かずっと以前はこの源泉手水の場所にも小さな屋根掛けがあったような気がするのですが、雪でやられちゃったのかな?

いっぽうで、せみの湯共同浴場駐車場の裏というか小国川の河原には野湯としての「薬研湯」がありますが、ここが適温だったことが一度もありません。この時期は雪融けの増水で冷水になっているし、渇水期は湯をうめる水がまったく入らないため激熱になるし‥。今回も見るだけにとどめました。

そうこうしているうちに夕ごはんタイムとなりました。食事は別室(厨房近くの一室)にていただくことになります。

 

お酒は「山と水と、」。最上町限定流通とありますが、最上町産の出羽燦々を酒米として使い、これまた最上町内の伏流水を用いて醸された「最上(もがみ)の酒」です。こちらは火入れされた純米吟醸酒で、美味しかったですよ(生酒も飲んでみたいなぁ)。



 「お手軽プラン2食付き」で予約しており、要はビジネス&湯治プランですから夕食は品数少なめですがそれでよいのさ。焼肉にお鍋(ダシ用の蟹入り)にあとは小鉢4品と汁とご飯。かなり徹底的に湯治食だなぁと思っていたら、焼きたての岩魚塩焼きが登場しました。アツアツで良き哉旨し。









さて夕ごはんを食べたあとはTakemaもローマ式千人風呂へ行ってきます。それにしても全く先客さんに出くわさないというか、どのお風呂に行っても常に貸し切り状態なんですよね。これはもしや‥。

でも、脱衣場のマット部分を観察していると誰かが入っているなと思われるので、さすがに「全館貸し切り」ではなさそうです。それどころか朝になってわかったのですが、この夜は十数人が宿泊しておりました。この種明かしは翌朝の朝食時に判明したわけで。

 

さてこの千人風呂ですが、浴槽内の模様に見えるのはタイルが剥がれた跡でして、その幾何学的な模様がいい味を出しています。が、中央の柱あたりはもう相当に草臥れている感じで、ここだけは湯に隠れず丸見えなので張り直したほうがいいような気もします。ん?下部のオレンジタオルはまさに「過去の補修跡」だったのかな?

ちなみにこの部分から流し込まれているのは温泉水ではなく加水用の水でした。しかし浴槽からは常時オーバーフローしているし?と思ったら、この柱の下部浴槽底から源泉が投入されており、「下から湯、上から水」で浴槽内湯温を一定に維持しているという、何だかマジック的な方式を採っていたのでありました。浴槽に流し込む前に湯と水を合流させて適温にし、それを流し込むほうが簡単だと思うのですが、「あえて源泉と水を別々に投入」という修羅の道的管理をしているところが不思議というか面白いなぁと。

 

左上画像は「ローマ式」たる所以の?タイルモザイク絵ですね。ギリシャ神話の「パンとシュリンクス」の逸話を描いたものだそうです。説明書きによると、半人半獣の牧神パンが、水浴びをする精霊シュリンクスを見て恋に落ち、困ったシュリンクスが女神に頼んで自身を葦に変えてもらいますが、パンはその葦を使って笛を作り、それを吹いて鬱々とした気持ちを紛らわす‥というようなお話らしいのです。

ただ、これって今でいえば「ストーカー男に困り果てた女」のお話であり、さらに「せっかくメタモルフォーゼしたのに、結局は男の支配下に置かれてしまう」お話でもありますよね(苦笑)。ま、ギリシャ神話にしろ日本書紀や源氏物語などにしろ、現代の価値観をあてはめてしまうと「アウトォ、いっぱぁつ!」(あの有名コマーシャルのフレーズで読んでね)系の内容ばかりなんで、よい子の皆さんはいちいちイチャモンを付けたりしないようにしましょう。

なのに‥欧米の意識高い系の人たちがずっと昔に建てられた銅像に対して「こいつは奴隷売買に携わってたんだぞ、ひどい奴だ撤去セヨぶっ倒せ!」などとやっているのは嘆かわしいことですねぇ。日本でも昔の小説や漫画に対して言葉狩りや出版中止運動をしたりしてますし‥。

ハイ話がそれましたね。右上画像は昔は打たせ湯だったと思われますが、この日細々と出ていたのは冷水でしたよ(いきなり話を変える)。





と、この時初めて「先客さん(複数)」に遭遇しましたよ。しかも大学生風のまだ若い方々に。彼らは何者?温泉ファンにも見えないし(だとしたら何度も風呂に入りたがるのでこれまでにも遭遇しているはず)。そのお答えは朝食会場であまりにもはっきりと示されたのでありました。朝食は7:30からなので時間ぴったりに会場に行ってみると‥

 



なるほどそれならお風呂がガラガラだった理由もわかります。そもそも温泉が目的でないのだからお風呂は1日1回入れば十分だし、長い滞在になるからお風呂だって飽きちゃうだろうしねぇ。

自分は都内の教習所に通ったのでこのような合宿とは縁がありませんでしたが、仮に今から合宿で免許を取りに行くとすれば‥どこがいいかなといろいろ考え調べまくりそうです。そういえば似たようなことは2018夏にもあったな。仕事上の研修(複数)があって、首都圏でも当然受けられるんだけれどあえて北海道の会場でそれぞれ(別会場で)受講することにして、その合間に旅行&湯めぐりしたというようなお話が(この時です)。懐かしい。

 

早めに食事会場入りしたのでパチパチ撮ってしまいましたが、合宿滞在の皆さんの朝ごはんはわれわれとは異なっており、やはり若者向けということで「ウィンナーの炒めもの、マカロニサラダ、沢庵、卵」でした(温玉だったかな?)。もちろんこれに汁とご飯が付きますが、さすが若者揃いということでおひつジャーはすっからかんに。最後の最後で補充されましたが。



いっぽうわれわれの朝食メニューは‥嗚呼、何だか「年配者の朝ごはん」感が出てますねぇ(笑)。ちなみにこの朝食会場でわかったのは、合宿参加者以外の宿泊客はわれわれを含めて3人だけだったということです。つまりわれわれ以外にはソロ客がお1人だけだったということ。まぁ年度末の平日ですしね。

このあと女将さんと話していて、「春と夏に合宿免許の指定宿になるけれど、特に春(3月)は閑散期なので、合宿の宿舎の話が持ち込まれてずいぶん助かっています」とのことでした。当然単価は安いのでしょうが、ほぼ2週間もの長期滞在客を10-20人キープできるというのはお宿としてもありがたいですよね。たぶんリネンの交換も毎日ではないでしょうから経費節減にもなりますし。

8時過ぎには教習所のマイクロバスが待機していました。教習生たちは8:30発のバスで教習所に向かい、9:00からの講習や教習に臨むのでしょう。しかし丸一日それらがあるわけではない(確か教習は1日2コマまでだったっけ)‥空き時間は新庄市内で遊んだり買い物したりするのかなぁ?確か駅前はあまり栄えていなかった記憶があるけれど?



そんなわけでバスを見送ったあと再びローマを満喫してチェックアウト。脊柱管狭窄症の自分には階段の上り下りもそこそこ堪えましたが(基本的に右足で一歩を踏み出すだけで鈍痛。まぁ薬が効いているとかなりマシです。なお「湯治療法」は全く効きません(笑))、前日の高瀬温泉に引き続きほぼ貸し切り気分でのんびりできました。ではこのあとはいつもの栗駒駒の湯に向け、寄り道を含めてレッツらGO!です。

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