- 2017夏 キルギス旅行編 その21 赤茶けた大地のスカスカをうろうろと -



途中の景勝地「スカスカ」。この画像はスカじゃなくてカスですが、朝一番ゆえ人もなくなかなかよいところでした。

この日はタムガと同じくイシククル湖南岸のボコンバエバまでなので移動距離は全然大したこともありません。なんたって往路は湖北岸を半日で通過しちゃったわけですから(笑)。

そんなわけでまずはスカスカへと向かいます。距離的にはさして遠くもなく、せいぜい15kmくらいかなと。



パトカーの先導のもと自転車ツアーの人々が。レースではなさそうだし、どういうイベントだったのでしょうね?



イシククル湖の対岸背後にはしっかり4000m級の山々の繋がりが確認できます。この日もいいお天気。




イシククル湖南岸を結ぶA363号線沿いに看板があるのでスカスカ(Sukazka)への分岐はすぐにわかります。入域料を支払うゲートがありますが、早朝ゆえまだ係員の方が来ておらずスルーでした。時間外はゲート開放という姿勢は素晴らしいです。写真家の方などは朝夕の光のページェントこそが勝負なのでしょうし。まぁもっとも、ゲートから歩いたところで大した距離ではありませんけれど。

で、そういうの(写真の出来映え)にさしてこだわりのないわれわれは、しっかり通常タイムの朝ごはん後に出発してきたんでしたっけ(笑)。



道路終点にはユルタがあり、到着時にはまだ無人でしたが入口の幕は開けられたままでした(貴重品など無いということなのかな?)。日中は飲み物や簡単なおみやげなどを売ったりするんでしょうか?で、ここから歩き始めます。



ちなみにここスカスカですが、「順路」というか「歩道」は全く定められていません。どこも立ち入り禁止にはなっておらず自由に歩き回ることが出来ます。実際には「歩きやすい谷底を歩く」ことがほとんどなんですが、いざとなれば上画像の稜線にも上がっちゃっていいのかな?(もちろん自己責任で)。

しかしそれは同時に「この脆い地形の破壊につながりかねない」わけで、日本人的には「少しは規制した方がいいんじゃないの?」とも思いますが、現状においては旅行者そのものが少ないからかまだ特に荒れてはいません。そして「事前に想定して規制する」or「問題が起きたらその時点で対処する」というそれぞれのやり方考え方、今の日本は明らかに前者であり、たとえば中国は後者であるからこそ今まさに(特に都市部において)革新的なイノベーションが次々と起こっているのでしょう(と同時に問題も、ですが)。

そしてキルギスもおそらく後者の発想で動いているのだろうなと考えればここスカスカの行動制限なしも納得がいきます。

ただし後者の場合「気がついたときにはとんでもない事態に陥ってしまっている」という危険性をはらんでいます。西洋では産業革命以降の乱開発や乱獲により多くの貴重な動植魚類が絶滅し、また環境も汚染されてさまざまな影響がわれわれに襲いかかりました。日本における多くの公害、中国やインドにおける大気汚染などもその一例です。

それらに直接対峙した人々は「対策」を講じます。そして今後その二の舞とならないように「今後についての新たな規制」の必要性を意識し、そしてそれを実行に移します。その結果、(その規制を是として推し進めてきた人々の集団=国家が存在し続ける限り)さまざまな規制を増加させ、それが今度はイノベーションの活力を削いでいくという二律背反の状況を生み出すのかなとも思います。以上私見まで。



右上画像のように「谷」にあたる場所をどんどん進んでいきます。奥の方にはシンデレラ城のようなシャトーが見えています。Footpathは右上画像マウスオンで表示される場所まで続いていまして、そこから見た景色はといえば‥





ふとここで思ったのが、あのシャトー頂上まで登ったクライマーはいるのだろうかということでありました。あ、でも‥




(この時のページはこちら。2001年のことだからもうとんでもなく古い記録ですが)

彼らクライマーははどこでも行くんですよ、登れるかもしれんと思えばトライする。その志や立派と思いきや、そのためには貴重な地形にもどんどんハーケンを打ち込んでしまうから地域の人からの受けはよくありません。今や日本のいろんな岩場で「ハーケン禁止」になりましたよね。2015の三宅島でもそんな掲示が張られているのを見たっけ(その時のページはこちら)。

なお、ここスカスカの岩質は脆く通常のハーケンが「利く」とは思いにくいのですが、それでも‥「たぶん登った人はいるんだろうな」と思います。通常のハーケンではない特別の器具もいくらでもありますし。もしかしたらフリーで登った人もいるかもしれません。

あーここで無意味に昔々の自分のことを思い出したぞ(笑)。自分は中学2年生の時に初めて沢登りに行ったのですが、今でも忘れられないことに、中3の丹沢水無川本谷F1では脇を巻くルート途中でがしっと手を掛けた人の顔ほどの岩がすっぽ抜けて落下し、自分も下で待機している先輩も死ぬんじゃないかと超ビビったことや、25歳のNZアーサーズパス単独行(Waimakariri Col越え)では、草付きで「よしこいつを足場にして上がるぞと思って体重を掛けた瞬間その大岩がすっぽ抜けた」ことでこれまたオシマイかと思ったこともありました。懐かしいなぁ。

(NZの件はこちらのページ、その日の日記(その時の記述あり)はこちらのページ1月9日の記載になります。このページ制作時点で27年も前の記録を記したページですが、今見直してみると読み物としても面白い。やっぱりちゃんと記録は残しておくべきだなとあらためて思います。それも情報メモだけじゃなくてちゃんと日記形式で)。



左上画像が尾根上で撮ったもの。まだ8時過ぎということもあり結局他の観光客の姿は最初から最後まで見ることがありませんでした。ここがB級だから?でも楽しかったですよ。



あそこのピークなら何とか行かれそうに思います(もちろん行きませんでしたが)。



この浸食地形が出来上がるまでにどのくらいの時間が必要だったのでしょう?



日本ならほぼ間違いなく「背中側から見る赤熊」とかの名前が付与されそうな大岩。



こちらはどうネーミングすればいいだろう、「ふとふり返ったヒトコブラクダ」という感じでしょうか。。




トータルで45分ほどの滞在でしたがそこそこ楽しめました。メインロードからすぐの場所にあるので、イシククル湖南岸を通る際は是非ともお立ち寄り下さいませ。



A363を西進していくと、山の上に巨大なおっちゃんの像があるのを目にしました(左上画像マウスオンで拡大)。道路を挟んだイシククル湖側には宿泊施設、いや正しくは「元宿泊施設だった廃墟」が。これはいったい?キルギスが独立したあと、リゾートブームをあてこんで造られた施設なのでしょうか?ちなみにこのあたりには他にも似たような廃墟系施設を目にしました。もったいない‥。



ガソリン?を積んだタンクローリー軍団。なぜ隊列を組んでいるのかは謎です。右上画像の彼はお散歩中かな?



そんなわけでボコンバエバまでやってきました。区分単位としては「村」らしいのですが、メインロードはバイパスで湖側を通過しますし、左上画像のように村内にはラウンドアバウトもあるしということでそこそこの賑わいをみせています。人口は在キルギス日本大使館の情報によれば12,700人ということですからかなり多いですね。まぁもっともラウンドアバウトを直進すると右上画像のようにダートになっちゃうんですが(笑)。

それにしても背後に氷河を戴く山があるというのはなかなかいいです。それなのに夏のこの時期は誰もが半袖という(笑)。山の上方面をズームすれば何とも立派な氷河が見えています(右上画像マウスオン)。



さてここボコンバエバで初めて「他のツアー客」の車と合流です。このあと山のほうに向かい、そこで「コクボル」とやらを観戦(!)するのですが、どうやらどちらかの車のドライバーが場所について不案内らしく「一緒に行く」ということのようです。ちなみにわれわれの車が後続でしたから不案内だったのはザックさんだったのかなと。

そんなわけで「コクボル」ほかについては次ページにて。

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