- 2017夏 キルギス旅行編 その28 キルギス最終日、市内見学のあと美味しい地元ランチ!- うおおー、ドライフルーツほかの食材パッチワーク模様が綺麗だことっ! |
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さてキルギス最終日の午前中は市内観光。市場(オシュ・バザール)がメインです。朝ごはんは左上画像のようにシンプルですがわれわれ的には必要かつ十分条件も満たしておりました。というわけで宿を出てザックさんの車で移動、市場近くで降りてジャミラさんと一緒に歩き回ることに。 |
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パン屋さんはこんな感じ(右上画像マウスオンで拡大画像に)。いずれにせよ堅めのパンなのかなと。 美味しそうだけれど、大量に買っても食べきれないので見るだけです(たぶんカザフ入国検疫は問題ないのでしょうが)。 で、結局はドライフルーツに行き着くわけです。これなら日本の検疫も大丈夫なはず(例:生アンズはダメでもドライはOK)。 |
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そんなわけでここはおしんこどんの出番です。結局なつめ(70ソム)、アンズ(300ソム)、クルミ(300ソム)、アーモンド(400ソム)とそれぞれ爆買い(笑)。さ、あとは各売り場(売り物ごとに場所が別れています)を見て回りましょう。ドライフルーツ売り場に隣接しているのは穀物やチーズの売り場です。 |
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左のお店はかなり整然と並べてます。何だかこぼれ落ちそうで不安になりますが‥。 |
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ちなみに右上画像マウスオンで出てくる「石」。何で石を売っているのかとも思いましたが、これもチーズの一種なのだそうです。そりゃそうだよなぁ。それにしても見るからに固そう。 |
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さて続いては肉加工品(ソーセージ類)のエリアへ。それほど広くはありませんが「かなり濃い感じの軍団」が並んでおります。見た感じ常温でも大丈夫に見えます。買ってみたかったけれどさすがにこれは成田の検疫に引っかかりそうなのでパスしました。 |
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調べてみたところ大阪府内にあるスーパーなんだと思いますが、それにしても「なぜそそのプラスチックバッグがここに?」。かなり謎です(営業停止したとかならまだわかりますが、今も営業中のようだし)。このプラ袋を使わなくなった(在庫的に余った)ということなのかな? |
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続いては「お肉」エリアへ(場所柄「豚肉」はなかったと思います)。新鮮なお肉だとは思いますがここは常温エリアですので傷みも早いだろうと思うと気になります。「購入したお客さんはきちんと煮るか焼くだろうから大丈夫」との経験則による販売風景なのでしょうが、やっぱりそろそろ冷蔵保管設備は必要なのかなとも思います。 |
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左上画像のお兄さんは斧で肉を解体していました。あれ右上画像の‥ノンムスリムが前夜飲み過ぎ?(笑)。 |
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肉エリアの続きは乳製品(生)エリア。左側画像のペットボトルに詰められているのは乳清とかなのでしょうか。そして右上画像の女性が移しているモノは「かなーりトロリ」系ですね。さすがに買えないので見学するにとどめましたがかなり気になりました。 |
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やっぱりここでもグレイシャーミルク(氷河が重力で下方に流れるときに岩を削ることでその細かな破片が混じるため川の水が白くなる)が流れているということなのでしょう。市内郊外(山側上流部)でも同じ色でしたから、生活用水で白く汚れたということは考えられませんし。 |
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この自転車屋さん、今から店開けなんでしょうね。ホウキは買いたかったですが検疫上どうなんだろう? このあたり、もっと人がわんさか出ていました。あー、桃もぶどうも食べたかったなぁ。 |
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さて続いては「国家事業による構築物」の見学です。戦勝公園広場へ向かいます。第二次世界大戦において勝利したこと(キルギスの場合は旧ソビエト連邦がナチスドイツとの戦いに勝利したこと)を記念し戦没者を追悼する広場なのですが、北方領土云々絡みを知っている日本人にとっては微妙に複雑です。まぁ北方領土そのものについても自分としては個人的な思いはありますが、ここでは省略します(苦笑)。 |
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でもここまで巡ってきて、キルギスの方々に「(元)戦勝国としての上から目線」を感じたことは一切ありませんでしたし、それこそ前の方で書いたような親日的な国なのです。それをすでに知っているからこそ普通に見られました。というか、そもそもロシアのカムチャッカでもその手の雰囲気は感じませんでしたし。 |
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戦場が厳しい環境なのはいずこも同じ、そして戻ってきたお父さんを喜ぶ子どもの姿も普遍的なものでしょう。 |
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もちろんそんな事態(戦争)に陥らないように万全を尽くすのが一番大切です。そのためには憲法の平和条項を死守することに固執することよりも「われわれは必ずや過ちを犯しかねない存在なのだ」と各自が常に自覚し続けることが大切なのだと思います。第一次大戦で酷い思いをしたヨーロッパ、その思いをした人々がまだまだ現役存命のうちに第二次大戦が起こったことを忘れてはいけません。 |
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話を戻しましょう。この戦勝公園広場近く、左上画像に見えている建物はサーカス劇場です。ジャミラさんいわく「サーカスはこの時期催行されていません」ということで残念。自分は本格的なサーカスをまだ目にしたことがないのです。ある意味本場のサーカスを見たかったなぁ。自分の中では旧ソビエト諸国のサーカスこそ「本場」だと思っているのですから。 |
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さらに歩いていきます。左上画像はソビエト時代からあるツム(デパート)だそうです(たぶんCIS諸国には今も各地にありそう)。品揃えはそれなり。おみやげ屋さんもありました。お酒はそこそこの品揃え。 |
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市内のあちこちに露店のドリンクショップがあります。茶色いほうがマキシム(大麦ベースに塩味をつけた発酵ドリンク)で、そこそこドロドロした味わい&もちろん酸味ありです。白いのはチャラップ(ヨーグルトドリンクに塩味添加)で、こちらもさっぱり系。日本人的にはチャラップの方が飲みやすいかなと思いますが、ドロドロのマキシムは飲み慣れると癖になるかも。 |
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そのままずんずんと歩いていくと両替所がありました。ここビシュケク(首都)は言うに及ばず、キルギスの主な(観光客が行くような)場所には店を構えた両替所があります。レートはビシュケク市内であればさほど変わりません(当然のこととして地方都市ではレートが下がります。あ、US$の話です。日本円の両替は無理)。そしてここキルギスではUS$への逆両替も問題なくでき、いわゆる「闇レート」がありません。 |
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その近くには絵画市場がありました。こういう市場が成り立っていることからもキルギスの安定度がわかります。 |
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ま、買いませんというか買えませんでしたが(大判過ぎる)。畳めないものはおみやげとしてはねぇ。ちなみにかつてパプアニューギニアで「ストーリーボード」を購入したときも(この時です)難渋したなぁ(機内持ち込みで何とかしましたが)。 |
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幅約1mのPNGストーリーボード、今もわが家のリビングで楽しげです。 |
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さてここからは中央広場へ(正式名称じゃないです)。と、そこに歩いて向かう途中、何ともいえない造形をハケーン! |
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というか、そもそもの親木にいったい何が起こったのでしょう?一本だけならともかくとしてご覧のように軒並みですからね。そしてしっかり期待に応えて立派に育った接ぎ木もこれまたすごいです。植物は宿命的に「移動できない」という大きなディスアドバンテージを背負っていますが、一方でそれ故に環境への対応力は動物のそれをはるかに凌ぐということを聞いたことがあります。それにしてもすごいなこれ‥。 |
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そんなわけで広場エリアへ。マナス王の像が鎮座しており、この周辺には博物館などもあるようでしたが、マクロ視線の博物館には興味がなかったのでリクエストせず、よってこの日は見学時間も取られておりませんでした。ちなみにネット先人の訪問レポートによると、やはり英語説明はないのだとか。そのあたりは何とかしてほしいところです。 |
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しっかりドリンクバーも盛業中。おまわりさんは暇そうに見えていますが、このあと何やらとっ捕まえました。 |
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このあとはお昼ごはん♪車で移動するわけですが、ん?おお! |
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どこから来たんだろう?というかもしかしたら周辺国を含めた国際ツーリングなのかな?自分は海外で何日にもわたるツーリングってNZでしかしたことがないので(その時のページはこちら。各国内での日帰りツーリングはタイやネパールとかでもやってますが)、国を越えてのツーリングは未体験です。ちょっと憧れるよなぁ。 |
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考えてみればビシュケク市内のローカル食堂でランチというのはこれが最初(そして今回の旅では最後)なのです。お店に入ってみるとお昼時ゆえそこそこ混んでおり、でもたまたまテーブルが空いていたので着席。 |
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この麺料理にビラシュという揚げ物一品料理とカンポットジュースを2人前頼んで170ソムでした。1ソム=1.6円で計算して280円弱。地元の定食屋さんという感じでかなり満足いたしました。 |
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こちらの食堂を出たところでウームルザックさん、ジャミラさんとそれぞれ記念写真。このあとカザフスタンとの国境まで移動し、そこでザックさんとはお別れなのですが、国境付近だとセキュリティの関係で写真が撮れない可能性があるのでここで、というわけです。 |
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さていよいよキルギスともお別れです。ビシュケク市内で看板をパチリ。アルマトイまでは240kmですかそうですか。ここからイシククル湖に行くより60kmも遠いのね。 |
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さすがにそんな質問は想定外だったおしんこどん(というか自分でもこんな質問にはたまげますって)、「ええっと400年前、いや200年前までかな」と答えたそうです。でも江戸時代までとしても150年前までだよねと彼女の日記メモには綴られていたわけですが‥ |
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でもそんな話をしたら余計に時間がかかったことでしょう。というかイミグレ職員もただヒマだっただけでしょうが(自分も独身時代どこかのイミグレでドラえもんについて質問されたことがありました=思い出したベトナム陸路出国時だ)そんなわけで国境を通過し、再びカザフスタン側の広場へ。そこに待っていたのは‥ |
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というわけで、この日とこの翌日のカザフスタン(アルマトイ)観光は何とベンツで!ということになったわけです(笑)。しかしわれわれの荷物はバックパックですからね、何だか落ち着かないぞ(苦笑)。 |
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