「あの日」から1年ゆえ、いわきに出かけてきました。

− その1 お食事&入浴編 −



いきなり沖縄の「エイサー」に迎えられたのにはたまげましたが(笑)。

(2012年3月11日)

あの日から1年。366日が過ぎました(今年は閏年なので)。昭和30年代の最後に生まれたTakemaは、物心ついたころにオイルショック、プラザ合意、バブル景気、そしてその崩壊、失われた10年等々、さまざまな経済変動の中をへらへらと生きてきたわけです。

しかしそれでも一貫していたのは「日本は安定した国であり非常時を意識することなどこれっぱかりもなかった」という社会状況でありまして、そんな状況の中で生まれた「あたりまえ」の認識が木っ端微塵に打ち砕かれたこの1年は、これまでの自分がいかに甘っちょろいぬるま湯の中で生きてきたかということを初めて理解した1年でもありました。

しかし認識とか理解とか、そんなアタマん中のことはどうでもヨロシイ。現実問題として1年前のこの日を境に生活の激変に見舞われた皆さんは真の意味でこれからの数年間が正念場になっています。中でも福島の皆さんに対しては、われわれがこれからいっそうお手伝いをしていかなければなりません。しかし一方で世間の片隅では阿呆な方々がいまだに「これまでいい思いをしてきた人たち云々」と勝手なことを言っていますが、ならばその人たちにこう聞きたい。「では福島の方々は因果応報ということで切り捨てていいというのですね?」と。

無責任でいたいのならそれでいいから黙っていてくれればいいのに、「口は出すが手は出さない」とはいわゆる「総論賛成各論反対」と同じ卑怯そのものの手口です。ここからは皆さん、被災者の皆さんの生活再建、そして被災地域の経済復興のためにできることをやりましょうよ!

というわけで、わたしにすぐにでもできることといえば「現地に赴いて少しでもお金を遣ってくること」「そしてその様子を拙サイトで公開して、あわよくば『じゃ、わたしも行ってみようかな』という思いを1人でも多くの人に抱いてもらうこと」なのであります(ギックラーなので腰をかがめた作業が恐いんです)。もちろんサイトにはアップしていないお手伝い作業にも複数かかわっておりますがその辺についてはここでは書きません。

さてそんなこんなでいわきに日帰りで出かけてきたわけですが、実はお出かけを決めたのは前日の夜でした(笑)。おしんこどんも当日には特に予定がないということがわかり、じゃ、2人して行ってこようかと決めたわけです。なんだ結局行き当たりばったりだったのね(苦笑)。

当日家を出たのは「やる気あるのか?」と思われても仕方ない9時過ぎ。いや8:40くらいまで2人してグースカ寝ていたのでゴメンナサイ。でもこのタイミングだといわき湯本に到着するのが11:30ころでお昼ご飯にちょうどいいというわけです。もっとも「それって結果オーライ系でしょ?」と突っ込まれたらそれまでですが(大笑)。

さて、常磐道の南部平野部は、相次ぐ余震のためか何だか一時よりも段差が増えたような気がします。最近やや大きな余震が頻発している茨城県北部界隈は山を削って作られた区間が多いですが、逆に平野部は盛り土区間が多いからでしょうかね。わが家の近くにも「しばらく前まで田んぼ跡地だった低地」に土を入れて、その上に住宅を建てている場所がありますが大丈夫かなぁ。

そんなわけでいわき湯本駅前近くに11:30ころ到着。すると‥あれ?

あれま、駅前商店街の道路は通行止めになってます。なになに、「復興じゃんがらエイサー2012」のため通行止めですって。ではしょうがないということで別のコインパーキングに車を入れ、いつもの「ささき鮮魚店」、いや違った海鮮食堂の「海幸」さんの前まで歩いて行くと‥うはぁのれんが掛かってない!

しかし海幸さんの場合ランチのスタートが遅めであるというのは過去にも経験済みですから、「12:00になればいきなり開くかも知れない」という淡い期待を胸に、ではでは見に行ってみましょじゃんがらエイサー!

この時は「なぜいわき湯本に沖縄のエイサーが?」とよくわからなかったのですが、さっき調べてみたらほぼ公式のブログには次のように説明されておりました。
「いわき、東京、沖縄の絆」

400年程前にいわきの僧・袋中上人が、琉球王国へ伝えた念仏が琉球芸能と融合しエイサーとなった縁により、大震災から1年の節目を迎え、東京・沖縄のエイサー有志がいわきに集結。念仏踊りの兄弟でもある、じゃんがらとエイサーが力を合わせ、犠牲となった方々への鎮魂や商店街振興、いわきの安全性アピール等を行い復興へ向けて、いわき各地でじゃんがらとエイサーの演舞・奉納が行われます。
なるほどそういうことでしたか。ちなみにこういう場合、しばしば「舞い手は現地から来ているが、音楽その他はテープ」ということが多いのですよね。でも今回は生演奏生唄いの完全現地バージョンでこれはビックリ驚いた!沖縄からお越しの皆さん、この日は雨こそ降りませんでしたが気温も低く、全員裸足の舞い手の皆さんは大変だったでしょうにありがとうございます!(右上画像マウスオンで演奏&唄い手さん画像に変わります)。 ではでは、ちらりとその時の動画をご覧下さいませ。
【沖縄のエイサー、いわきとの絆】
さて見学後は「海幸」さんへ。ほぼ正午をわずかに過ぎたタイミングだったと思いますがしっかり開店してました(やっぱり)。このあと混むことを見越した店員さんによりカウンターに案内されましたが(結構狭いんです)、その段階では空いていたテーブル席*3も、12:10には埋まり完全満席。このお店は開店と同時に入るのが正解ですね(笑)。客足はすっかり戻ってきているようですが、おしんこどんによると、

「隣に座っていた男性2人組はTV関係の人だったみたいだよ。」

とのこと。取材で現地に来ていたマスコミの方だったのでしょうかね。ただ話を察知している限り他の方々は観光系の方々だったように思えます。ということは、それだけ観光客が増えてきているということ。ハワイアンズも通常営業に戻ったし、2011GWに来たときの「あの閉塞感」はすっかりなくなっていて一安心です。

さてこの日の注文は2人ともこれまで通り「海幸刺身定食」(1600円)だったのでありますが、食べ終わって店を出てしばしの会話で衆議一決。それは‥

「われわれ夫婦は、『海幸刺身定食*2』の注文パターンから卒業します!」

もう何度も来ているのでいつまでも同じ注文もないだろうということと、刺身の量がわれわれには多すぎてちょっと食べ飽きちゃうというのがその理由。誤解しないでほしいのは「海幸」さんの料理に飽きたのではなくて「定食はいくつもあるのにいつも同じ注文をするのに飽きた」ということです。お隣のカップルはちゃんと別々の定食を頼んでいたしそれが正解だって。今度は煮魚焼き魚も‥いや、一度は泊まりで来てお酒と合わせてのんびりしたいのですよ(ホント)。

ちなみにこの日の海幸刺身定食ですが、画像の撮り方がへたくそで全然そのボリュームをお伝えできませんので画像掲載はパス。見たい方は過去のこのページまたは震災後再訪編のこちらをご覧下さい(ボリュームは同じです。ただし今回は桶じゃなくて平盛の皿でした)。

ところで突然関係ない話で恐縮ですが、今回の画像はご覧の通り16:9設定で全ての画像を撮影してみました。しかし、慣れていないせいかものすごく撮りにくかった!ゆえに次回撮影時からは動画も含め全て4:3比率に戻そうかなと思います。以上業務報告終了でさらに北へと向かいます!。

お昼ご飯満腹後は再び高速に乗っていわき北部へ。距離的には大したこともないのですがいわき市内を抜けるのに時間がかかるのと、この当時は東北エリアの高速道が無料通行でしたのでね(-2012/3。今後どうなるのやら)。

そんなわけでやって来たのは谷地鉱泉。実は前回(2011/6)訪問後ちょこっとありまして「こっち方面に来たらとにかくおじゃましよう」と考えていたのですが、いかんせん昨日の今日でこっちに来たわけですから湯本のコインパーキングにて「ええっと、これからお風呂、大丈夫ですか?」と連絡しての訪問でありました(いきなりでゴメンナサイ)。

「こんにちわぁ」と田村屋さん玄関でご挨拶するやいなや、前回と同じく宿の皆さんが迎え入れてくださいました。ちなみにこちらのお宿の方々は拙サイトの前回訪問ページをご覧下さっており、さっそく前回レポートのTakema勘違いにもツッコミを入れて下さいましたっけ(笑)。ここ谷地温泉の皆さんは本当に明るくて、ここに来るだけでほのぼのしちゃいます。しみじみ嬉しいです。

この日は法事の団体さんがおられましたが、お食事タイムということでお風呂は貸し切りでした。しかし冷鉱泉の沸かし湯とあなどるなかれ!




(あ、でもよい子の皆さんはきちんとかけ湯&大切なところを洗ってから入りましょうね)

さてこちらの湯は最初のニュル感ももちろん素晴らしいのですが、シャワーで(これまたニュル湯なんですが)身体をぜーんぶ洗い清めた上で再度湯船に浸かってみたら、

「ニュルがさらに『ヌル』に進化したとはダーウィンもビックリ驚いたっ!(笑)。」
(この場合ダーウィン氏には何の関係もありませんが念のためね)。

もちろんきっちりと石鹸及びシャンプー分を流し落とした上での所行ですよ(そりゃそうだ)。とにかくこれはいったい南京玉すだれ的にたまげウレシイっ!(意味不明の表現陳謝)。

ちなみに平成16年の源泉検査によればこちら田村屋さんの源泉は18.0度、そしてPH10.1という強アルカリ泉です。昔よりもアルカリ度を増しているのだとか。またカラン等の水は同じ源泉ではなく別の場所の井戸から供給しているのだそうですが、それでも近い浴感に思えたことについては「基本的な水脈が近いのでやはり混ざっているのでしょうね」とのことでなるほど納得。

また今でこそ源泉を動力で揚げているそうですが、その昔は自噴する源泉を標高差を利用して浴槽に流し込んでいたとのこと(どの段階で加温していたかについては聞き忘れました)。そもそも田村屋さんの創業が江戸時代末期だというのですからおそれいります。

そこそこのんびり入浴のあとは玄関隣のロビーで休憩です。ちょうど法事の方々のお食事タイム終了と重なり、女将さんや息子さんもこちらに気を遣って下さる雰囲気ありありでしたが、われわれはどうでもいいですからねー(笑)。

しかしそう思っていた間にも(正しくは「Takemaが表でタバコを吸っていた間にも」ですが)何とロビーには!

「どう味わってもインスタントではないコーヒー(これ重要)、 そして嬉しすぎるお茶請け×2が登場!(笑)。」

前回訪問時のことを思い出すと赤面恐怖モードに陥りそうです(苦笑)。実は2011/6の訪問時、湯上がりのTakemaに息子さんが「よろしければアイスコーヒーでも‥」とおっしゃって下さったのに、「今から作ってもらうのも申し訳ないし、しかもこのロビーにはフリーで飲めるインスタントコーヒーもあるし、それなら自販機の飲み物を頂こう」と考えてしまったわけですね。もちろんあの時、息子さんはちゃんとドリップで淹れたアイスコーヒーをお出しするつもりだったそうです。そして本日この日を迎えたとなれば‥「美味しいコーヒー、ありがたくいただきます!」ということになります(笑)。

しっかりおかわりしたコーヒーとかしわ餅、そして軽く練乳のかけられたイチゴっ!こ、これじゃ「入浴料のモトを取っちゃったも同然」じゃないですか!申し訳ないです!ちなみにこのかしわ餅は「震災当日に洋和菓子店を津波で流された」高齢のオーナーが、震災前に奥様も息子さんも失っていたにもかかわらず再起し、震災1年後のまさに今日再オープンなさった記念のものなのだそうで‥。御年80代半ばにして‥生きる力がすごいです(驚愕)。そして、「そんな貴重なお菓子、いただいちゃっていいんですか?」。

でもとにかく、ここ谷地温泉の田村屋さんも石川屋さんも接客姿勢のデフォルトレベルがものすごく高い!それぞれのお宿にに思いあたることばかりなので(笑)。どちらも本当に泊まりに来たいお宿です。しかし、そこにはこのエリアの現状からくる大きな壁があるのも事実なのです。

2012/3現在、少なくとも平日は原発復旧作業に従事なさっておられる方々がお泊まりになっているので、一般客の宿泊はもちろん日帰り入浴もなかなか難しいこともあるようです(なお復旧作業に携わる方々の多くは現在警戒区域に指定されている地域にお住まいだったそうです)。ただ週末は事前に確認してOKをもらえば日帰り入浴できるかも。ツルニュルヌル感の強い湯を試したい方は是非!(田村屋旅館さん=0246-82-3355)。そして同時に石川屋旅館さん(=0246-82-2951)もお忘れなく。ただし石川屋さんはまだ日帰り入浴を再開していないかも知れません(未確認)。

でも思うのです。このエリアは原発事故後の数ヶ月は「緊急時避難準備区域」だった場所です。そして今でも原発復旧の皆さんが平日には日々寝起きしている場所でもあります。久之浜温泉たきた館だって同じ状況だそうです。となればこそ‥

「事故前の、あの本当に長閑だったこの地域をまた同じように見てみたい!」

と心から願うのです。今回は車で来ましたが(まだ寒いですし)、春以降はバイクで来ることもできるでしょう。でも一過性系の旅行者とその地に住む方々とは全く違う思考根拠があるわけですし、それをわたしごときが学者めいてとやかく言えるはずもありません。この地域でも避難している世帯はそこそこあるようですし(走行中の家々を見て確認)、この北側の広野町ではさらにぐっと少ないはず(役場組織が町内に戻ったことから今後は少し増えるかも知れませんが)。

ちなみに広野町から谷地鉱泉にかけてのエリアでは昨年度米の作付けを自粛していました。でも放射線量としては実は他の半径地域より低かった(もちろん全面的にというわけではないでしょうが)ことがわかっています。2011/11末にこのあたりを訪問したとき、広野ICから谷地鉱泉に至る道沿いの田圃ではトラクターで時ならぬ「田起こし作業」をなさっておられる方がおられました。その時抱いた思い、それは今も変わっていません。それは、

「ここで収穫したお米を食べたい!いや、自分は食べなくちゃ!」

という感じだったのです。もちろん線量検査を経て「食べて問題ない」という判断が出たお米に限定しますが、2011も川俣町までお米を買いに来た自分ですから「売ってくだされば買いますよ食べますよ!」。ぜひ買いに来させてください!これまで福島、そして東北全体にさまざまな恩を受けてきた者として!

すっかり話がそれてしまいましたが、そんなわけで田村屋さんをあとにしたわけです。このあとは当然先ほどお話しを伺った「久之浜に本日オープンした洋和菓子店」‥あ、そりゃそうですねオープン初日ゆえさっそく売り切れて本日閉店でした(少し上の右側画像がそれです)。

で、国道6号の交差点に久之浜駅の看板があるところで、そちらとは反対側に曲がりました、すると‥嗚呼そこは。
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