− 2013/11、鳴子肘折ミニ湯めぐり その1 東京出発、最初の湯は川渡温泉へ −



やっぱり秋は日の出が遅くなりますね、6:00前だとまだ暗い東京駅周辺なのでありました(上画像マウスオンで先月の同じ列車画像に変わります)。

(2013年11月23.24日)

先月の石巻&鳴子行きと同じくまたもや「鉄」で出発です。前回の二の轍を踏まぬよう今回はしっかり起きました(苦笑)。ちなみにおしんこどんは「人生に疲れた‥」じゃなくて「ちょっと疲れがたまったんで」ということでお留守番。このことについて約1名の方から「傷心旅行?」との深読み発言をいただきましたがそんなことは全然ないのでご安心めされよ(笑)。

そんなわけで6:04発、東北新幹線始発のやまびこに乗り込みます。Takemaの秋はお仕事の書き入れ時ということもあり以前のようにお出かけどんどんということも出来なくなっているので(+中年ゆえのお疲れモードね(笑))、最近は「ギリギリまで行かれるかどうかわからない」パターンです。

ゆえに、前日までしか発売していない左上画像の週末パスもこの前日の仕事退勤後に買いに行った次第。今回も鉄道での移動なので温泉も数を稼ぐことは無理。ゆえに「駅近の湯でまったり、泊まりの肘折温泉でさらにまったり」という心づもりでありました(謎笑)。

さて新幹線ホームには発車の約15分弱前に到着したわけですが、すでにドアは開いていて4号車にはそこそこのお客さんが座っていました(この日は1-4号車が自由席)。「やばっ!窓際席は結構埋まってるぞ!」と思ったのですが2号車まで進んでみたらガラガラで一安心。朝ごはんのお弁当とビールを買い込みまずは安泰の着席となりました(嬉)。さすがに紅葉も終わっているし土日連休とはいえオフシーズンの華麗なるスタートというわけです。

やがて発車した列車、読書とともに朝ごはん&飲みスタートというわけです。もちろん東北新幹線といえば大宮駅までの富士山遠望は欠かせません。しかし手前に建物が多いのが玉に瑕ではあります。

勢いに乗ってもう一本ね(まだ朝7時過ぎなのに)。お、ふと目をやれば吾妻小富士と吾妻山塊。うっすらと雪が付いてますが、これから真っ白になるんですよねしかもながーく。福島盆地側はそれでもまだましでしょうが脊梁山地は大変なんだなと、2012/12の大荒れ時に思いましたよ。

東北人ならぬ「生まれも育ちもほぼ雪なし千葉人」のTakemaにとって、「ひと冬」をすごすご苦労は計り知れないものがあります。北国の雪かき一つとってみても、「昨日2時間かけて掻いたのに1晩で振り出しに戻った」というのはよくあるあたりまえのことなんですよね‥でもそれを経験するからこそその地にお住まいの方々に辛抱強さや粘り腰という気風が生じるのでしょう。ちなみにTakemaは2013/1の某日軽いギックリを発症し、その数日後に凍結系の雪掻きをやってしまったことからその後約1ヶ月弱ものあいだ文字通り「腰が引けて」おりました(苦笑)。治ってきたかと思ったタイミングでまたギクッとの繰り返し(大笑海岸)。

さて今回は古川までやって来ました。ホームには「温泉の横綱 みやぎ大崎」と、堂々たるポスターが貼られておりました。そりゃ確かに名湯鳴子温泉郷を有する大崎市ですから、このキャッチコピーに異を唱える方はそうそういないと思われますが、町村合併前は鳴子温泉は旧鳴子町に属してたんで旧古川市は全然関係なかったんだよなとふと心の中で小さく呟いてしまいました(性格悪)。

それはともかくとして、横綱白鵬と大崎市長が並んで鬼首の湯に浸かってるって構図はなかなかどうして気に入りました(右上画像マウスオン)。こういう絵では朝青龍より白鵬の笑顔の方が似合っている気がします(あくまで主観ね)。あ、でもわたくしTakemaが吹上の峯雲閣をいまだに未湯で残しちゃってるという事実はここだけのヒミツです(笑)。



駅構内には地元の高校生が製作した「釜神さま」の展示が行われていました。知らなかったんですがそうなのね(詳しくはこちら)。

陸羽東線の発車までには時間があるのでしばし駅前をうろうろしてみると、うはぁ吉野作造って高校時代に習ったというか覚えたぞ、確か「民本主義」を唱えた人だ!その主義主張の中身はいまだに全く知らないけれど古川(というか大崎市)の人だったんだ‥。

さてここで、このあとの展開の必要上タイムラインを東京駅発車直後に戻しますね。席を余裕で確保し、お弁当とビールをスタンバイさせたTakemaがおもむろにガラケーを取り出してみると、そこには新着メールありのお知らせが。誰だろう何だろうと開いてみると‥

どひゃー!某師匠からの「参戦可能たる明確な意思表示」を頂いちゃってました(大笑)。しかしこの時点ではまだ朝が早いので「新幹線を降りてから連絡しよう」と考えたわけです(ちなみにこういう時に「とりあえず返信メールを」という発想が希薄だったりするところに「実はとってもアナロギニスト」であるTakemaの真骨頂が発揮されるのであります。その昔、もう亡くなられたかつての上司が「この2枚の一覧表、FAXで送るからその前にコピー取っておいて」とおっしゃったのを聞いて「へ?」とビックリしたことがありますが、いまの自分も「時代の常識」について行かれていないのでありますよ(苦笑)。

さてそんなわけで「師匠」=わかっている方々にはもうバレバレでしょうが)に連絡を入れると「ハイハイ行かれますよ、それじゃ某所にて待ち合わせということで」ということになりました。師匠は当然車でお越しになるので、あれま、「鉄移動による限られた湯めぐり」が突如として「助手席キーパーというか昼から飲んじゃいながらの王様待遇湯めぐり」へと二階級くらい特進しちゃったのであります!(嬉しいけれど何だか申し訳ない=口だけ)。



そんなわけで某所待ち合わせ&道の駅にも立ち寄ったりしつつ、目指すは鳴子の湯であります!

師匠「最初はどこに行きますか?」。うーん、予定では(列車で移動の予定だったので)「鳴子じゃなくて中山平の湯を目指そうか」というところだったのですが、いまや文明の利器たる助手席住まいなのですから何だって有馬温泉なのです!(ちなみに助手席=文明の利器という意味付け自体がすでにオカシイことくらいはわたしでも認識していますが、ネタの流れを中断させたくないのでいつものスルーでお願いします)。

そんなわけでこれまであまりにも足を延ばしてこなかった川渡温泉に寄っていただくことに。実は川渡温泉の湯って激熱系の共同浴場にしか入ったことがなかったのです(その時のページはこちら。この頃は46度の湯温でもビクビクしていたんですね(苦笑))。そんなわけで案内されたのは「板垣旅館」さんでありました。母屋は右上画像の通り懐かしき風情を漂わせる感じでよしよしというところ。というか最近はいよいよこういう風情のお宿が減ってきてますよね。でも師匠はTakemaの温泉絡みの好みを「熟知」なさっていますから(笑)任せて安心なのであります。個人的にはここで日帰り休憩して半日過ごすのもありかな?(あ、でもそのあと移動となるとお酒が飲めないからたぶん無理)。



さて肝心のお風呂=大浴場は渡り廊下を抜けた別館にあります。浴室の引き戸を開けてみると‥




(あまり意味はないかもしれませんが、上画像マウスオンで撮影角度の違う画像に変わります)。

川渡のお湯の感覚は「熱い」というイメージしかなかったのですが、今回はやや熱め適温で湯ったり。さわやか適度な硫黄臭が香り、朝日が差し込むなか湯浴みをタンノーする気分は最高です。先月の旅行記にも書きましたが本当に「新幹線を使えば鳴子の湯は近い」んですね。C/Pはこの際考えないことにしています(笑)。

湯ざわりはスベスベ感ありという感じで特筆すべきレベルではなかったと思いますが、湯治生活をタンノーするにはこの浴感が最適なのかも知れません。ちなみにネット情報では「こちらの宿の湯に加水したら濁り湯になった」という記載もありましたし、やっぱり湯の成分にははかり知れないパワーが秘められているということなのでしょう。この日の湯花は白でしたが(右上画像マウスオン)そこに黒が混じる日もあるという話だし‥。

さてそんなわけで「温泉の王道街道」を進みましょう!ちなみに最近アップした各ページが「あまりにも長め」だったので、このコンテンツは実験的に「短めで勝負」してみます(ま、それでも十分に長いですが)。

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