初めて訪問した旧喰丸小学校。内部は見学も可能です。

(2021年2月27.28日 その2)

塩原元湯をあとにして、向かうは尾頭峠を越えての会津方面。お天気もバッチリで、いいドライブ日和となりそうです。もちろん「密」になりそうなところには近寄るつもりもありませんし。



R121の山王峠区間も路面は乾燥状態で何の問題もありません。あ、この区間はR121以外にもR352、R400が重複しているんですよね。でもこの重複が解消される(=各国道独自の新道が開削される)ことは未来永劫にわたりたぶんないかなと。



南会津町に入り、まずは田島を目指します。ん?この町はアルメニアのホストタウンなのね。まぁこの先どうなるかはわかりませんが、選手団が南会津入りすることを期待して待つことにいたしましょう。お国はアゼルバイジャンとの争いで大変だったでしょうが。

で、コメリでなぜか「園芸用土」を何袋か購入することに。ただ問題は用土は屋外陳列なので品物自体がバリバリに凍り付いていることですね(笑)。さすがにこの時期(2月下旬)、地元の人はまだ土など買わないでしょうから‥。で、ついつい除雪用具に目がいきますが(右上画像マウスオーバーで画像が変わります)、さすがに千葉県市川市在住者の雪対策物品としてはオーバースペックなので見るだけにしておきました(というかすでにプラのスノーダンプは持ってるし)。



さてここからはR400を北上し只見川方面を目指します。おお、さすがに峠越えの一部路面には雪が残っております。まだ2月ですからね。このまま進んでいくと‥ん?あの小学校ってここだったのねということで急遽寄り道することに。





「はにまる」と読みたくなりますが正しくは「くいまる」です(笑)。上画像にも見えているように、敷地内には複数のイチョウの木があり、秋の黄葉や落葉時の黄色の絨毯などは実に見ごたえがあるようです。この時期はご覧のとおりですが、これはこれで何だかキリッとした感じがあって悪くもありません。青空が背景だからだと思いますが。



内部は見学もできるようなので行ってみましょう。



校舎内には観光協会ほかの事務所があり(たぶん旧職員室なのかと)、記名及び検温の上で入館が許可されるのはこのご時世のデフォルトです。階段を上って2Fへと向かいます(右上画像マウスオーバー)。上がってすぐの教室は‥





もっとも、よく見ると天井からの吊り下げ照明灯などがあるのがわかります。この部屋はイベントホールとして利用されているのでしょう。隅に置かれた石炭ストーブがいい味を出しています。そういえば自分も小学校低学年の時は教室の暖房が石炭ストーブだったよなぁ。石炭当番とかがあったことを数十年ぶりに思い出しました。石炭ガラも捨てに行ったっけなぁ。指示して下さる用務員さんが当時は恐かった。今から思えば小さな子どもの挙動ですから「きちんと指示」なさっていたんでしょうけれどね。



ちなみにこの喰丸小学校の廃校は1980年とかなり古く、それでありながらのこの維持状況は素晴らしい限りです。昭和村には(失礼ながら)これといって大きな観光資源もありませんが、山村の風景はなかなかなので、それを如何に売り出すか。観光協会さんの手腕が期待されるところです。電動アシスト自転車のレンタルもあるようですが、あまりテーマをしぼらないごった煮系お勧めコースの提示があるともっといいのかなと(個人的見解です)。なお標高差100mは電動アシストとはいえそこそこキツイのでご了承下さい>各位(2021/3に宮城県の網地島で体験済)。



教室の一室は郷土博物館となっていました。アシダカ、なるほどねぇ。



今度は雪のない時期にも来てみたいな。というわけで集落内のやや狭い道を進みます。

やがて長いスノーシェッドを通り抜けるとお隣の金山町へ。町の一番端っこというか、昭和村からだと最初に出てくる施設があの「玉梨とうふ茶屋」です。



この道を通るときにはほぼ100%の確率でおからドーナツ(正式名称は「雪花菜ドーナツ」)を購入しているわれわれです。今回はTakema母へのお土産を含めて「6個かなぁ(3人×2個)」と思っていたTakemaですが、おしんこどんいわく‥



との豪気なる発言が!(笑)。おまけでいただいたものもおしんこどんがしっかりパクパクしておりましたよ。



このあとは玉梨温泉のせせらぎ荘へ。日曜日ということもあり結構混んでいました。こちらには初めての訪問でしたが、確かに炭酸泉浴槽(大黒湯)はじんわり長湯するのにいいですね。しかし大黒湯浴槽がやや「密」だったので、トータルの時間的にはもう1つの「玉梨温泉」に浸かっていた方が長かったかも。ここは平日に訪問してのんびりするのがいいかも。2021年度は木曜日がお休みできるのでねぇ。しかし春から秋は木曜日に接続する祝日がほとんどなく無念。またこの時期かなと。



R400の終点である会津川口からはR252を只見方面に向かって西進します。本名ダムの手前からはトンネルほかの工事が行われており、トンネル自体は2019/10に貫通しています。あとは取り付け道路やダム湖を横断する橋梁その他の工事をというところでしょう。新道開通後、現道はダムの管理道路(一般車通行止め)になってしまうのかと思われますが、せめてダムサイトへの歩行者見学路は確保してほしいところです。現状では歩行しての見学は道幅が狭く歩行者用通路もないため困難というか通行車両の迷惑になるばかりですから‥。

おっとそうそう、工事をしているのはR252の新道だけではありません。2022年度の再開通を目指して橋梁ほかの工事に邁進しているJR只見線、その「第6只見川橋梁」も絶賛工事進捗中でありました!







上記画像はJR東日本のニュースサイトから引用しています。こちらのページです。

すっかり東日本大震災の陰に隠れてしまっていますが、2011/7末の豪雨により新潟県中下越および福島県会津地方では甚大な被害が生じました。JR只見線が被災後10年を経過した今なお(2021年)不通であることからもその被害の大きさがわかります。そのことを如実に物語るのが当時の金山町広報トップページの画像です(画像をクリックすると金山町公式サイトのウィンドウが開きます)。


ダムからの緊急放流によるまさに「荒れ狂う奔流」。この画像撮影時点では持ちこたえていた第6橋梁ですが、このあとあえなく落橋。おそらくは橋脚の根元がえぐり取られて崩落したのでしょう。実はこの日、自分たちも会津に宿泊していたのですが(この日です)、まさか数十km離れた奥会津方面でこんなことが起こりつつあるとは当時思いもよりませんでした(当然)。



その後に訪問した2012年の5月にはまだ全く手つかずというか、河原にトラス橋の一部が放置されたままになっていました(両上画像です)。この頃には「この区間はこのまま廃線必至」という話も出ていましたし、自分も「さもありなん」と思っていたわけですが、「上下分離」ということで地元自治体とJR東との間で話し合いが決着し(上=JRが運行や運用を担当、下=設備インフラを地方自治体を主とするセクターが担当)、2022年に運転再開予定となっているわけです。

正直なところJR時代の只見線は「商売っ気がない」感じで、ある意味宝の持ち腐れという気もしていました(現在の飯山線や米坂線ほかあちこちにも同じことを思うのですが)。現状の利用者数をもとに運行本数をどんどん削減し、あとは週末を中心に特別列車(風っこ号とか)を運行してお茶を濁すばかり。しかしそれとて各地域の要望(お客を呼びたい=時間を取ってほしい)を汲んだものではなかったように思います。

以前会津川口までSLが運行していたとき、駅では地元関係者により「からむし方面の方(昭和村)はこちらのバスです!」との誘導が行われていた記憶があります(こちらのページ)。もちろんSL運行というイベントがあってのことだったとは思いますが、たとえば早戸温泉、大塩温泉(炭酸井戸含む)を結ぶミニバス(2h後に出る次の列車に接続)、会津中川駅&道の駅とゆうゆう館(こちらは徒歩で回れるはず)、さらには会津宮下駅界隈も「次の列車までの周遊タイムおよびコース」は組めると思うのです。

運行ダイヤを組むのはJR東日本ではあっても、「上下」とも利用促進を図りたいのは当然でですから、関係自治体はそれぞれの計画を出し合いつつ観光にシフトしたダイヤ(特に土日祝)のアイデアを出してほしいと思います。そして各町村が下車客への「おもてなしミニツアー」を実施することにより集客を競うこと。やってみる価値はあると思うのです。

震災よりはるかに前ですが(この時です。2004/1)、東京からやってきたわれわれは小出駅で「2両編成」の只見線車両に猛ダッシュし幸い席をゲットしたわけでしたが、結局座れなかった方もいたわけです。週末に増結するという発想力がJRにないのであれば、そこは「下」を有するという一定の発言力を持つ自治体側から「ここはこうして、そこはどうこうしてほしい」とアイデアを発しつつ「ベストとはいかないまでもベター、そして試行錯誤の上でよりよい方策」を組んでいただきたいと思います。

特別列車はあってもなくてもいいです。とにかく「途中下車して何かを楽しめ、そしてそのあとに接続する列車の運転を」と切に願う次第です。奥会津に限らず新潟県側各市町村ともうまく折衝すべき懸案だとは思います。ただ上下分離は会津側だけなので、ある意味只見から東側はフリーハンドで動けるのかもしれません。

以上、長くなりましたが個人的な思いです。実際どうなるのかはわかりませんが(なかなか簡単に決められることでもないでしょうし)、でもある意味では「離島的な割り切り」(どんなに綿密に企画し集客数を予測しても、フェリーが欠航すればお客が来られずすべておじゃんとなる)も含めて考慮することも必要なのだろうなと思います。それでも離島ではイベントを企画していますし、「ダメもとなんのその、やってみてナンボ」こそが大切なのかなと。その意味で、只見線の再開通とは‥


(各町村の生き残り対策、そしてJRとの折衝も含めて)。



さて会津横田駅界隈にやってきました。ここには金山町地域でたぶん唯一のスーパーがあるのです。2011/10には「現地でお金を使いたいが旅行者ゆえ特に何も買えない‥いや、タバコだ!」ということでセブンスターを1カートン買いましたっけ(この時です)。

ここは只見川本流が細くなっているエリアでもあり、2011夏の奔流はこのすぐ先に架かっていた二本木橋をあっさりと押し流しました(恐)。右上画像の中央にかつての二本木橋岸側躯体の一部が見えています。



このあとやってきたのは大塩温泉のたつみ荘さん。こちらにご縁のある方であればご存じの通り、ご主人は2019年2月にご逝去なさいました。しかし以前とは勤務シフトが変わり、週末の土日連休が取れなくなった関係で遠出がしにくくなった自分は、これまでご主人に手を合わせに来ることができず、そのことをずっと気にしていたわけです。

今回は宿泊が塩原ということでしたので「万難を排して」のつもりでたつみ荘さんまでやってきたわけです。しかしここで大問題が!


(いや、事前に連絡しておかなかった自分がそもそもダメダメなのですが)。

こりゃまいったと思いつつ、「そういえば週末はお隣の共同浴場の番台当番に出ることもあったはず」と思い出し、大塩温泉に行ってみますが番台は無人(あとで聞いたところオフシーズンは週末も無人なのだとか)。あちゃーこれは困ったなぁ。

せめてお香典だけでもポストにと思いましたが‥あ、右上画像をご覧いただければおわかりの通りたつみ荘のエントランスにはポスト自体がありません!万策尽き、お香典袋の裏にメッセージを書いて玄関引き戸の格子部分に差し込むしかないなということでメッセージを書いていたところ‥



聞けば親族の岩崎屋さんに行かれていたそうで、野菜(白菜)も岩崎屋さんからの頂き物だそうな。というわけで上がらせていただき、おしんこどんと2人でようやくご主人に手を合わせることが出来た次第です。よかった‥(しみじみ)。

ご主人の遺影は実に素晴らしい笑顔で、お亡くなりになる少し前に偶然お撮りになったとは思えませんでした。2年もご挨拶に伺えず申しわけありませんでしたが、もうおられないんだなぁと思うと‥いやいや!

このあと女将さんと1時間半近くお話をさせていただいたんですが、生前のご主人の様々なエピソードを伺うにつけて思ったこと。それは、



詳しくは書けませんが、われわれ夫婦は確かにそう思いましたよ。

いろいろなお話で長居をしてしまいました。しかし15:30近くになったところでさすがに辞去申し上げることに。お宿は以前とは違う形でこれまでのお客さん中心に営業なさるとのこと(もう内輪関係ではやっているのかも知れませんが未確認)。またおじゃまします!



帰路に就く前に大塩炭酸泉に立ち寄りました。ここも何年か前に悲しい出来事がありましたが(詳しくはゴニョゴニョ)、脇に水汲み場が出来ていて問題なしです。昔は実に開放的でしたが、これも仕方がないことなのかなと(右上画像マウスオーバー)。



炭酸水は「道の駅奥会津かねやま」で購入しました(地元貢献)。女将さんが「この冬の雪はとんでもなかった、前年が少なくて楽だったぶんの帳尻合わせみたいにひどかった!」とおっしゃっていましたが、このあと晩春のドカ雪はなかったようですし、この日(2/28)のお山もすでにこんな感じなので雪解けは早そうですね。



坂下(ばんげ)方面に進むにつれて雪の量はどんどん減っていきました。



道の駅柳津にて小休止。というか結局この日のわれわれは「お昼ご飯難民」でありまして、ここならもしかしてと思って立ち寄ったわけですが、予想通りランチ営業のみ。あーあというわけで、もう高速に乗っちゃえ!







で、この先の磐梯山SAにて昼食兼夜食といたしました。お腹が減っていたので美味しかった。ただこのところ味噌ラーメンは何だか重く感じ始めたTakemaです。今後はあっさり醤油味に戻るかも知れません(未定)。

千葉の自宅に到着したのは20:30過ぎでした。こんなに遅い帰着はめったにないのですが、でも女将さんともじっくりお話が出来ましたしこれはこれでよかったかな。

あ゛‥



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