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【その2 深夜特急で早朝の石巻、その後網地島ラインにて】



日和山から眺める景色はここ10年で大きく変わりました。震災前の景色は存じないのですが。

【2021年3月22日~27日 その2】

さて3/22の未明に千葉県市川市を出発しました。長距離だけに高速料金の節約(深夜割引)を狙ったというのもありますが、それだけでなく「朝からいろいろ予定が詰まっていて」というのも理由の一つでありました。

出発前に仮眠をしておいたこともあり、深夜の常磐道運転ながら眠くなることは全くなく、仮眠したいと思うこともありませんでした。関本PA、鳥の海PA、そして矢本PAでタバコ休憩だったかな。

そんなわけで朝一番に立ち寄ったのは日和山。北側の急坂を上りましたが、わが愛車フォレスターなら余裕ですが軽自動車だとかなりキツイだろうなぁ。



山の頂上部こそ平らですが、この傾斜路ですからね(山上部で撮影)。

ちなみに「一般国道で」一番傾斜がキツイのは大阪と奈良の府県境を結ぶR308の「暗(くらがり)峠」の大阪側だそうで、その傾斜路は37%だそうな。なお誤解のないようにいえば、実際に30%とか37%とかの「傾斜角度」があるのではなく(それじゃマジに登れないし)、この表示はあくまで「水平距離100mあたり」のパーセンテージです。つまりここ日和山北側の坂は「水平距離100mにつき30m登る」ということになります。

なお現在では一般道路における最大勾配は「12%」と規定されています。もちろんこの坂道はそれ以前から存在していたはずですから問題はないわけですが、それにしてもかなりの斜路であることはいうまでもありません。



駐車場に車を駐めてまずは神社に参拝です。そういえば以前、同じように深夜走行で「たぶん途中で仮眠するし」と思っていたのに、気がつけば眠くなることもなく夜明け前にここまで来てしまい、この駐車場で仮眠したこともあったなぁ(この時です。なおエンジンは切って寝ましたよ)。



園地から門脇側を望みます。以前石巻市立病院があった辺りには復興住宅とおぼしきマンションが建っていました。かさ上げと防潮堤とで大丈夫ということなのでしょうが、何だかちょっと心配な気持ちにもなります。なお以下に2011/8訪問時の画像を載せておきます(この訪問時ページはこちら)。





この市立病院も震災直後は孤立して大変だったのだとか。

幸い市内内陸部には日赤が運営する総合病院があり、石巻ではそちらが自衛隊ほかも常駐する拠点となったと記憶しています。ゆえに、市立病院の方々の無念はいかばかりだったかとも思うわけですが‥。福島第一原発もそうですが、そもそも非常電源は階上に設置すべきだったのですね。現在の各施設は改善されていると思いますが。

このあと朝食に‥と思ったのですが!朝6:30からやっているはずの食堂がっ!




(コロナ関係による時間変更かも知れませんが)

というわけで一気に「朝ごはん難民」と化したわれわれです(笑)。ま、切羽詰まっているわけでもないのですが、このあとの行動予定もあり、とりあえずは旧門脇小学校方面へ。



門脇地区全体に工事車両が多く入っていました。数年後はまた違う景色になるのかな。



で、渡波あたりのコンビニでおにぎりと飲み物を購入して朝食です。もともと朝ごはんは少量なのでこれで十分です(おしんこどんは無理には食べない派だし)。

時間が余っているともあり、このあとは女川に足を延ばしました。まだ時間が早いこともありほぼ全てのお店は準備中でしたが、掃除設定日なのか、各店舗の皆さんが駐車場やエリア内の清掃をなさっておられました。植え込み内等、普通の清掃なら目立たない場所まで皆さんがしっかり清掃の手を入れていることにびっくり。いいお仕事ぶりでした。

もっとも今回はこちらで買い物をすることもなくトイレだけを利用させていただいたわけですが(苦笑)、2021/4から正式に道の駅としての登録も受けたわけですからご容赦下さい(そもそも訪問時にはまだほとんどのお店が開店準備中でしたし)。

このあとは往路を再び戻り、「サン・ファン館」へと向かいます。というのも、2021/3末日を以ていったん閉館、サン・ファン・バウティスタ号も老朽化のため解体という話を聞いていたわけで、以前上部から眺めたことはありましたが(この時です)、閉じてしまうとなれば行かずばなるまいということで訪問したわけです。

ただし、2021/4現在の公式発表では「設計業務が進む中で、復元船本体の工事スケジュールが明確になりましたことから、「東京オリンピック・パラリンピック」の開催時期までは、エスカレーター棟中段「野外広場」からの観覧が継続できることとなりました」とあり、少なくとも2021/7-8月までは開場され続けると思われます。また現在の施設が閉鎖されるわけではなく、ミニ復元船を展示する博物館であり続けると同時に、イベント等のスペースとしても活用されるということのようです。



エントランス脇には「サン・ファン・バウティスタ号」公開終了についての掲示がありました。ただ、以前は船内見学も可能であった同号ですが、2011/3の津波による被災(係留されていたので流出はしませんでしたが、船はおよそ8mも浮き上がっていたそうです)、そしてその翌月の強風によるマスト折損、さらには築造30年となることにもよる船体そのものの劣化により、残念ながらの解体となるようなのです(2021/4現在、解体に反対する団体もあるようですが、どうかなぁ)。



話を戻してサン・ファン館です。展示室の見学はあとにしてまずは復元船‥うわ、このエスカレーターは長い!この施設は1996年の開館ですが、企画段階で設計書をご覧になった石巻市の関係者さんはさぞびっくりなさったことでしょう。おそらくは当時東北最長級のエスカレーターだったと思われますから。





震災以前は下段デッキまで降りることができ、船内見学も可能だったそうですが、現在はここまで。船内見学はともかく、下段デッキまでも閉鎖しているのはなぜなのでしょう。謎です。まぁそのためか入場料金は半額になっているわけなのですが。



ハイ、ただの記念写真です。



下段デッキも整備はきちんとなされているようですのに。

確かに津波に翻弄された復元船ですが(右上画像マウスオーバーで津波襲来時の画像に変わります。下段デッキの屋根まで津波が到達していることがわかります)、津波は日々襲来するわけでもありませんし、職員各氏による地震が起きてからの行動計画を練り訓練を徹底しておくことにより、非常時の避難誘導は可能なのではと思った次第です。下段デッキまで降りてみたかったなぁ。

ところで話は変わりますが、この「サン・ファン・バウティスタ号」、太平洋を横断してメキシコのアカプルコへ。ここから理頃で大西洋側に出てスペインを目指します(当時はパナマ海峡が存在しませんでした)。ただ、途中荒天のため当時スペイン領だったキューバのハバナに立ち寄ってもいたのです。

われわれも2015年にキューバを旅していたのですが(その時のページはこちら)、ハバナにも支倉常長像があり、当時は「なぜ?」と思いつつタクシーの車窓から写真も撮らずに(「あぁあれだ=小さかった」と確認しただけで)通過しただけだったのです。でもよくよく考えたら‥



残念ながら所期の目的(通商)は果たせずじまいだったようですし、帰国後は江戸幕府による禁教令違反の咎に処されたようでもありますが、それにしてもすごいことです。黒船(ペリー)がやってきたのは1863年ですから、それより250年も前に「こちらからローマを目指した」とは!というわけで‥







あ、またもただの記念写真です(Takemaも普段はマスク着用ですので念のため)。



海のすぐ脇まで山が迫るリアス式海岸エリアながらも、ここには平場のイベントスペースや駐車場施設(普通車300台!)が整備されているのですから、いろいろな会場としての利用もできますし、今後の活用方法について知恵を絞ってほしいところです。屋外イベントの実施可能性を高める為の雨対策は必要だと思いますが、半屋根式等、知恵を絞って「せっかくのスペースや既存施設を生かしてほしい。実際に、こんなイベントも開催されましたしねぇ(2013年10月 三陸オイスターフェスティバル)。



顔はめパネルを見つけると、取り憑かれたかのように顔を出すおしんこどん。

さてこのあとはまだ時間があるし、ゆっくりブランチでもと思っていたのです。おしんこどんのリクエストにお応えして牛タンを食べに行こうと車を走らせていたところで、時間を間違えていた=そんなに余裕がないということに気づき、急ぎ旧北上川方面へと戻り、とりあえず「いしのまき元気市場」2Fのフードコートでさくっと食べることに。



おしんこどんは「あら~麺」(アラで出汁を取った塩ラーメン+大かき揚げ)、自分は「石巻焼きそば」を注文です。今宵は海沿いの民宿に泊まりますから夕食は間違いなく海幸系だろうと思われ、あえて海幸系メニューからは距離を置いたわれわれでした(そして予想通り正解)。



さて、このあとは船でへと渡ります。上で「時間を間違えていた」と書きましたが、自分はいつの間にか「船の出航は13:30頃だったよな」と思い込んでいたのでした。しかしそれは田代島への着時間で、石巻出航は12:30だったわけです。アブナカッタ‥(正しい時刻を記憶していたおしんこどんは「Takemaはどうしてそんなに時間の余裕があるというのだろう?」と不思議に思っていたそうです)。

それだけでなく、この日は朝からビクビクしていました。というのも、この前日(3/21)は天気が悪く海も大荒れで、この「網地島ライン」は全便欠航だったのです。それだけでなくこの日(3/22)も午前便は石巻~仁斗田(田代島)間が波浪のため欠航との情報が入っており、状況によっては「田代・網地(あじ)島に渡れない」可能性もあったわけです。そのため朝早くからビクビクしながら逐一公式サイトで運航情報の更新をチェックしていたのです。

この日は「まずお昼の便で田代島に上陸して観光(ネコとたわむれ)、そして次の便で網地島に渡ってそのまま宿泊」という計画を組んでいました。しかし発着所のお姉さんにその旨を申し上げると、次のようなお答えが返ってきました。



:うわー困った(笑)。せっかくならこの日のうちに田代島に上陸しておき、翌日は網地島から一気に石巻に戻りたいところなのですが‥まぁ、いざとなればこの翌日に田代島に寄るということも可能なので(そのかわり翌日の宿泊地到着がそこそこ遅くなるわけですが)、とりあえず船に乗り込んだ次第です。

お天気自体はご覧のように着実な回復傾向にあり、この翌日は「バッチリ晴れるでしょう」という予報が出ていましたが、海のうねりは天候回復よりも遅くなることも多いですから、ここは無理に博打を打つ必要もありません。というか、12:30発の便の乗員の皆さんが「次の便の運航(寄港)可能性」を判断なさるわけで、網地島ラインとしても「まずはマーメイドⅡで様子を確認し、その上で以降の便の運航の可否や寄港地を判断しよう」ということだったのでしょう。



というわけで乗り込みましょう。この船が網地港に寄港することは確定しています。



左上画像の通り石巻と鮎川を結ぶこの網地島ラインは、田代島で2港(大泊と仁斗田)、網地島でも2港(網地(あじ)と長渡(ふたわたし)に寄港するというダイヤが組まれています。ただ、大泊港はあまり使い勝手がよくないらしく抜港(通過)することが多いようです(海が荒れなくても水深の関係で干潮の度合いにより欠航ということも)。また長渡港も抜港することがあり(集落の規模としては網地よりこちらの方が大きいのですが)、


(個人の見解です(笑))。



さて話を戻しましょう、いよいよ出港です。ちなみに発着事務所は右上画像の建物、堤防に設けられた階段前の1Fにあるのですが、その建物自体は災害公営住宅とおぼしき中層ビルとなっています。一帯はかさ上げされ、住宅は2F以上にあるようですね(隣のマンションも同様かと)。

以前、この対岸沿いの道(やや上流側)を走ったことがありましたが、堤防は低く「確かにこれでは(ひどくやられる)なぁ」と感じた記憶があります。あのエリアが今どうなっているのかは確認していませんが、やはり一定の対策が施されているのは間違いないことかと。



さて旧北上川を下っていきます。まだ川エリアですしスピードも出ていないので船の揺れは全くありません。と、何やら見えてきましたよ大型構造物が!





旧北上川には河口側から順に「日和大橋」、R398の「西内海橋」(最近新橋が完成して道路も移行しました)、そして牧山道路の「石巻大橋」がそれぞれ架けられているわけですが(それより上流は省略)、いかんせん市内中心部には西内海橋しかなく、平日の昼間でもそこそこ渋滞のネックとなっています(今回実感)。

いっぽうでその渋滞緩和(特に大型車)を目的として建設された日和大橋は1979年に開通しましたが、当時は有料道路だったこともあって云々(石巻大橋も同様)。でも2000年に無料化されてからはそれぞれ石巻市内のバイパス路として本領を発揮していたということです。

ところで、各都道府県市町村において「道路公社」が設立されあちこちで有料道路が設置されましたが、今はそのほとんどが無料化されています。しかし、その多くが無料化の理由として「償還の完了」ではなく「社会情勢に鑑みて」を掲げていたのは不思議なことです。あれこそ利権の絡みだったんだろうなぁ。保土ヶ谷バイパスのように「最初から無料」だったところはごく一部で、自分の住む市川市にもありましたよ「100円橋」とやらが(ここは確か償還完了による無料化)。でもそのあとの管理費用は自治体負担となるわけで、やっぱり何だかなぁと。

しかし市内中心部と牡鹿や女川を結ぶ道路インフラとして「日和大橋」だけでは不十分であり、(残念ながら)門脇地区が震災により壊滅したことで、「再開発とともにそこに新たな道路(橋)を通そう」という判断に至ったのではないかと思います。自分の記載に間違いがあればご指摘いただければ幸いです(よそ者の想像に過ぎませんので)。



このあと船は旧北上川河口近くの門脇港にて再接岸。ここには関係者の詰め所=事務所がなく航行の最新情報を仕入れるのには不適ですが、ただしこちらには乗船客のための無料駐車場があります。出港地である「中央港」周辺の有料駐車場は高いので、今考えれば「中央港で最新情報を入手してから門脇港まで車で移動」してもよかったかなと。というかそれが間違いなく正解でした。

乗船券は船内でも買うことが出来ます。というか石巻(中央港)と鮎川港以外から乗船の場合は船内で買うしかありません(各島の待合所は無人)。われわれは係員の女性に「船内で買ってください」と言われていたのですが、出港直後においてはまだ次の便の各港着岸可否もわからないので「石巻(中央)-網地港」のチケットを購入しました。



さーて、いよいよ海に出ましたよっ!切符は何だか懐かしい補助券的な感じ。



船内はご覧のとおりガラガラ。平日(月曜日)ですし、右上画像のような状況でしたしね。






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