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【その7 気仙沼から陸前高田経由で駒の湯へ(お手伝い前編)】



そしてこの翌日は定番の「駒の湯お手伝い」でありました。

【2021年3月22日~27日 その7】

さてどこかにお蕎麦屋さんはないかなと調べてみたら、「招き庵」なるお店がそこそこ近くにあるということでさっそく向かいました。旧「不動の沢」駅(現BRT駅)のすぐ近くです。



うん、昔からあるお店のようです。市内を流れる大川から近い場所なので、津波による浸水被害はなかったのかなということが気になりました。あとで調べてみたところこのお店のある場所は津波による浸水域のほぼ境目にあたり、おそらくは水が付いたとしても特に深くはなかったと思われます。周辺の家々も震災以前からある風情で、このあたりは津波による被害を免れたんだなぁと。

そういえば職場の後輩が神戸出身で、あの阪神大震災の際、地元はとんでもないことになってしまったのに(彼の家族や自宅は無事だったそうですが)、それから電車で数駅移動したら「普通の生活」が営まれていてびっくりしたと話していたことを思い出しました。「仕方ないことだけれど羨ましかった」という言葉とともに。被害を免れた気仙沼市内地域の方々も、当時は複雑な思いを抱かれたのではないかと思います。

いや、そんなことはどうでもいいから食べましょたべましょ。



おしんこどんは左上の天ざる、自分は右上のおろしそばを注文。うん、美味しい♪二八だと思いますが歯ごたえもいいし風味もあります。蕎麦つゆもキリっとしていてなかなかです。以前別の店で食べた時には「ベチャ麺、甘ツユ」であちゃまーと思いましたが、こちらはいろいろしっかりしています。こちらのお店にして正解!あ、個人的には「薬味ネギ多め」も嬉しいです。蕎麦湯を飲む時にネギが残っているとウフフなので。

われわれが入店したのは13:30を回っていたので店内はもう1組「(たぶん)お母さんじゃない女性と未就学児」だけだったのですが、お店の方は子どもが食べ終わると(途中で「もういい」と言うよくあるパターン)、「でもこれはまだ食べられるんじゃないかな?」とミニアイスバーを(女性の許可のうえで)出していました。何だかほのぼの。なお「われわれへの提供はなかった」ことを申し添えます(笑)。

この後はもう少し北上して陸前高田を目指します。国道沿いに新たな施設もできたということなので行ってみました。が、個人的な印象としては‥




(高田松原があったエリアなのに松じゃなくて広葉樹を植樹したのはなぜ?)。

「道の駅 高田松原」は、道の駅としての施設に隣接する形(屋根続き)で津波伝承館を併設しているのですが、そもそも規模が大きすぎます。端から端まではかなり「歩き甲斐」があります(伝承館から道の駅の端にある喫煙所まで歩いた時の実感)。

そして「道の駅売店」エリアはまさに高速道路SAのそれとみまごうばかり。何を言いたいかというと「顔」がないのです。女川にしろ南三陸にしろ、それぞれの商店街は「個人商店の集合体」です。しかし、SA方式のこちらは陳列商品数は多くても「どの商品についての説明を誰に聞いていいのか」がわかりません。つまりは「買い物の面白味に決定的に欠けている」と思うわけです。

それだけではありません。道の駅施設と伝承館はそれぞれかなりの賑わいをみせていました。それなのに、その接続部分(上画像)から「海を見にいこう」とする人がほぼ皆無に近かったのです。上画像でも3人しか見えていませんし(右側におられるのは工事関係者の方々)。

いや、海を見にいくという必然性はなくてもいいですが、「一本松」に人を誘導しようという雰囲気(掲示等の)も正直感じられませんでした。われわれは何度か来ていますから「あっちに進めば行かれるはず」との見当が付きますが、始めて訪問するお客さんはどうでしょう?「奇跡の一本松?え、どこにあったの?」という感じでここから出発していくのではないでしょうか?

女川、そして南三陸も「震災遺構」をすぐそばに見られる形で商店街を再興しました。でも陸前高田は残念ながらそうではない方向に舵を切ったようです。「実物を見て感じ取るインパクトは実に大きい」ものだと思っている自分としてはどうにも残念でした。だってたとえば「原爆ドームなしの広島市内観光」って、初訪者にとってぐっとモチベーションが下がるでしょう?。



とにかく大きく作りすぎた感はぬぐえません。左上画像の奥には津波で被災した三角屋根の旧道の駅「高田松原タピック45」(震災遺構)が見えていますが、それこそこの施設はタピック45の真横に作るか、またはより南側の「一本松」に一番近い場所に隣接させるべきだったのではないでしょうか。

自分も含めた「観光客」って、その多くは「数百メートルの距離や時間を惜しむ」ものだと思うのですよ。しかもそういう人たちこそが実は一番「お金を落とす」集団であり、だからこそ「その集団が実物を見てインパクトを感じる」ような震災遺構を集客施設に隣接させるべきだったと思うのです。もう遅いですけれど。



津波伝承館内ではそこそこ多くの人たちが展示に見入っていました。しかしこれも、あと10年もすればさらに津波被災の風化がすすみ、被災地以外の人々の記憶からは(残念ながら)忘れ去られていきます。つまりは外部からの観光客が減るということです。その時これらの施設が市の財政のお荷物にならなければいいのですが。



話を変えます。ここ陸前高田市の旧市街地浸水域は全体に「約10mのかさ上げ」が行われました。当時は山を切り崩した土砂を川を渡る巨大なベルトコンベアで運び、それを鉱山用ともおぼしき大型ダンプで運搬した上で地ならししたわけで(その時のページはこちら)、現在両上画像の場所も旧市街地のはずですが「そもそもの旧市街は地下10mにある」というわけで、かつてのかさ上げ工事中にそのことを語り部さんに質問したところ「私たちの時計はあの時から止まっていますからね」というお返事をいただいたことを思い出します(2014)。

かさ上げ工事そのものについては早々に手を付けた陸前高田市ですが、その後の土地利用については(事前に予想されていた通り)うまく進んでいないようです。かさ上げについては「復興特例措置」により地権者の同意なしで進められましたが、実際の土地利用となるとさすがにねぇ(もともと地権の入り組んでいた市街地ですし、そこに「現在の権利者自体が不明 or 権利者の連絡先不明」案件もあったりするでしょう)。

ちなみに陸前高田市の土地利用計画を見ると、津波被災以前のエリアにこだわりたいという印象を受けます。でもいっぽうで、「イオンスーパーセンター」はR45号沿いの大船渡寄りにあり、現在の市街地とはまったく別の場所(周辺には住宅が少ないエリア)なのです。これもどうなのかなぁ。いっぽうでグーグルマップで確認したところでは住宅の多いエリアには広い駐車場を備えたスーパーがないようで、どうもちぐはぐな感じが否めません。地元の商業施設が個人商店ばかりでは集客力にも限界があります。

そんなわけで、陸前高田市の方向性に不思議な思いを抱きつつこの場をあとにしました。あ、小さな胡桃を割るのによさそうな器材は道の駅で買いましたよ。

ここからはR343経由で内陸へ向かいます。このルート上にはループ橋があり、以前知らずに通った時には「おお、これはスゴイ!」とびっくりしたので今回もというわけでしたが、動画で撮るとループか何かもよくわからないのね。というわけであまり意味の無い動画です。




このあとは一関経由でいつもの駒の湯へと向かいます。本当は(この日は時間的に余裕があったため)猊鼻渓の舟もいいなぁと思っていたのですが、事前に調べたところ「コロナ禍ゆえ云々(平日は運航せず)」ということで断念し、そのため陸前高田まで北上していたというわけです(=時間調整ともいう)。

それでもここまであちこちで時間をかけてきたこともあり、




(ま、暗くなる前じゃなくてよかったですが)。



耕英地区まで上がってきたところで、まずは湯守ご夫妻のご自宅に、さんさん商店街雄信堂さんのケーキと豆大福などを「宅配」。発泡スチロールに保冷剤入りで運んできたので傷んではいないはずです。

で、いつもは「くりこま荘」に宿をとるわれわれですが、事前に電話したところ何と「この日は休業日」なのだそうです(冬期あるある)。となればあとはあそこしかない‥そう、





駒の湯にはそれこそ何度も何度も足を運んできたわれわれですが、ハイルザームに宿泊するのは初めてです。というか、入館したのもおしんこどんは初めてで、自分とてその昔の年末に「タバコが切れていたので雪の中無理矢理買いに行った」時に入館しただけでした。

いっぽうで、湯守ご夫妻からは「ハイルザームという大規模施設がこの地域のいざという時を支えている部分もある」ということもうかがっていました。ならば一度は泊まってみるのもいいかなというわけです(お湯は循環だということも聞いていましたが)。







しかし、駐車場にはわれわれの車1台のみ‥まさか?そのまさかで、この日の宿泊客はわれわれだけだったのでありました。この大規模施設なのに何とも申し訳なくなりますが、宿泊客がいなくても管理者は常駐しているわけで、まぁいいのかなと思うことにしました。というわけで夕食の前にお風呂に行っておきましょう。



ここハイルザームには内風呂と露天風呂のほか、暖簾に書かれているように「温泉プール」もあるようです。しかし冬期はプールはもちろんのこと、露天風呂も閉鎖されています。残念ですが仕方ないですね。それよりも、山の上にスキー場等のレジャー施設もなく、冬期は「どん詰まり」(ここからいわかがみ平までは冬季閉鎖)のこの場所でこれだけの施設が通年営業を行っているのは、ここ耕英地区の住民の方々にとっては心強いでしょう。湯守ご夫妻が「いざという時」とおっしゃっていたのもわかる気がします。

ヘリポートもここにあります(いわかがみ平にもありますが。なお、耕英地区には実はもう一ヶ所緊急時のヘリポートとして指定されている場所があるのですがご存じでしょうか?それは‥「新湯くりこま荘の駐車場」なのです。宿の規模に比べて駐車場が広いのは、もともと震災前は隣がキャンプ場だったので広い駐車場が必要であったのと、さらには緊急時のヘリポート用地として造成されたからなのだそうです。



話がすっかりそれたところで温泉です。ハイルザームの湯は駒の湯とは全く泉質が違い、ナトリウム-硫酸塩泉(旧泉質名:芒硝泉)の透明湯なのですが、宿は標高650mにありながら泉源はそれより80m低い標高570mにあるようです(揚湯にお金がかかるだろうなぁ)。そして、源泉温度が81.5度もあるというのに(湧出量は不明ですがたぶん動力揚湯でしょう)、湯使いは「循環・かけ流し併用、加水はないが湯温低下の際は加温、塩素消毒あり」という残念なことになっています。

この日はほとんど塩素臭はしませんでしたが、そもそも宿泊客がわれわれだけということで薬剤投入も必要最低限だったとは思われます。しかしやはり源泉かけ流し浴槽はほしいものです。「湯温が低下」というのは「タンクに溜めているうちに」ということでしょうし、そもそも春から秋にかけては温泉プールなど湯を大量に消費する施設が稼働するので、限られた湯量を有効にということなのでしょう。でもね、



そもそも浴槽とプールとでは目的や用途が違うわけで、どちらに優先して新鮮湯を供給するかは言わずもがなでしょう。ここは一つ湯使いを考えてほしいなぁと切に思うわけであります。湯使いを「循環からかけ流しに変更」した施設は幾つもありますしね。

ちなみにかけ流しも併用ということですが、投入される湯量に比べてオーバーフローは僅かなものでした。お湯はさっぱりとしていて(なお硫化水素成分の含有はほぼないようです)、これはこれで悪くもないのであとは湯使いを!(しつこいかな?)。

さて、お風呂の後は夕食といたしましょう。



はい、何というか予想通りの夕ごはんでした。奇をてらうでもなくオーソドックス。でも量もほどよいし、しっかり美味しかったです。当然ですが揚げ物とかも揚げたてで提供されました(われわれだけなので)。というかわれわれのために厨房のコックさん(そして配膳の係員さんも)しっかり調理&サーブして下さりありがとうございます。最後にフルーツが供されましたが、こちらはお部屋でということで持ち帰りました。



明けて翌朝は薄めの高曇りながらまぁまぁのお天気となりました。この日は朝食後駒の湯に移動してお手伝いをしたあと、午後3時頃に鳴子方面への移動予定です。ま、そのあとは推して知るべしですね(笑)。



施設の裏側には雪上車が。これらも「冬の耕英地区を支える」柱なのでしょう。



朝湯です。この怒涛の投入量とオーバーフロー量の差が‥。



ま、消毒臭はなかったのでよしとしましょう。せめて露天風呂には入りたかった‥。



朝ごはんはシンプルで、われわれとしてはありがたい感じ。朝から火を付けての焼き物や鍋とかは不要です。ごちそうさまでした。そんなわけでチェックアウトとし、湯守ご夫妻の自宅へと向かいます。半年ぶりの再会です(前回のお手伝いページはこちら)。

それにしても昨年は完全休業とせざるを得なかった駒の湯ですが、今年(2021年)も今のところこのご時世ゆえ再開の目途は全く立っていないようで、再開するにしてもこれまでのような不特定多数対象の日帰り温泉スタイルではなく、ご夫妻は「完全予約による貸し切り営業しかないか」とお考えのようです。GW以降は「毎週1,000万回接種分」のワクチンが(怒涛のごとく)入ってくるということですが、コロナ禍が落ち着いてくればまた変わるのかもしれません。ま、早くても秋以降でしょうけれど‥。



というわけで午前中は薪割りです。もちろん「来年の分」。割って乾燥させねば。



湯守所有の電動油圧薪割り機はパワフルかつ安全だと思っているのですが(その昔NZの農場居候中@この時に主人のロンさんが途中で購入した薪カッターはモーターソー方式だったので、当時は「こりゃ油断したら指が吹っ飛ぶぞ」と思っていました=30年以上前ですが)、湯守としては油圧に不満があるらしく、「もう少しパワフルなのが欲しいんだよね」とおっしゃっていました。そしてこのあと、さらなるハイパワー機を導入したと聞いています。そういえばロンさんのところでも、最初は地道に斧で割っていたんだっけ。薪カッターを購入した時は嬉しそうだったなぁ(懐)。湯守とロンさん、話が合いそうだなぁ(自分の勝手な思い込みです)。

この日は3月末にもかかわらず暖かくて風もなく、「10時のおやつ」も外でいただきました(コーヒーは飲んだ後の画像ですみません)。で、休憩タイム中にちょっと周辺をうろうろしてみると‥



今年は雪が少ない!3月下旬の耕英地区ですよ。とはいっても同じ場所の比較画像がないので全然説得力がないのですが、とにかく雪が少なくてびっくりでした。とはいえ湯小屋のあるエリアはまだまだ雪がたっぷりだったのですが。

休憩後はご自宅から温泉に移動して「源泉パイプ掃除」と「浴槽清掃」のタスクだということです。よっしゃーっ(笑)。





今年は例年に比べて雪が少ないとはいえ、地形的に雪が積もりやすく溶けにくい(南側に山が迫っている)場所ゆえ、こちらは湯守いわく「取り付け道路のあたりはまだ1.5mくらい積もっている」とのことでした。



というわけで歩いていきます。雪は締まっており足がはまることはありません。



そんなわけで半年ぶりにやってきました湯小屋群。雪は残っていますが、それでも前回同時期に比べればやはりぐっと少ないです(前回同時期=2018/3訪問時のページはこちら)。

さてまずは源泉パイプ内のお掃除お手伝い‥とはいっても、湯守が源泉地からパイプ内にお掃除たわし(何と100円ショップで売られているそれがパイプの口径とジャストフィットなのだそうです)を時間をおきつつ3つほど投入するので、自分はそれをプラかごで受け止めるのみ。どなたでも出来る簡単なお仕事です(笑)。



透明な湯が排出されていますが、排水溝の水はしっかり乳白色。




と、ここでランチタイム。今年はすでに水道が開通しており、湯小屋のキッチンやトイレが使えます(冬期間は凍結防止のため水を落としています)。ガス(プロパン)はまだ再設置されていないのでカセットガスコンロを使いますが、でも水が使えるのは大きいなぁ。



この日いただいたのはなめこ入りのひっつみ汁&お漬け物でありました。これがまた美味しいんです。ただ、「よしひっつみを買おう!」と思っても、鳴子や岩出山道の駅では売っていないんです。そもそもが岩手から青森にかけての郷土料理のようなので。でも麺の平べったさは山梨のほうとうにも似ているよなぁ。

というわけでごちそうさまでした。さてお昼ごはんの後はお風呂掃除となりますが、長くなってきたので続きは次ページにて。

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