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- その7 ぼくたちはじめてのかむいみさき。 -



仲良しぶり?を見せつけてますがアラ還夫婦です(笑)。

(2021年7月-8月 その7)

というわけでタイトルの通り「かむいみさき」=神威岬@観光地にやってきました。もくじページにも書きましたが、今回の旅行では人が集まりそうな場所には極力行かず、行く場合は「時差訪問」(混まない時間に行く)を心がけておりました。今回、この神威岬にやってきたのは8:00AMちょっと前。そもそも神威岬自体、安全上の理由から(コロナとは関係なし)遊歩道の通行は朝8時からとされていますのでこの時間はベストタイミングでした。

本日2つめの「岬の灯台訪問」となりますが、朝食のウニ丼屋さんの早朝営業といい、フェリーが朝4:30に到着するという時間的メリットをとことん有効利用できていて何よりです。ただ、この到着日が悪天だったら岬灯台への訪問も躊躇したでしょうし、ウニ丼屋さんも船が出せず入荷がなくて休業を余儀なくされたはず。われらが強運に感謝するほかありません(実は強運はこのあとも連続したのです=後述)。



左上画像の下部に書かれている「風に吹かれてしゃこたんブルー」のキャッチコピーがいい味を出しています。ここから舗装された坂を登っていきますが、簡易舗装らしくてこりゃあと数年後にはひどいことになりそうです。ちゃんとやれば長保ちするのになぁ。



坂を上がった先にはご覧のとおり「女人禁制の地 神威岬」とありますが、今はもちろん禁制も何もありません。ちょうどこのページをタイプしているタイミングで「千葉県警が制作委託した動画が『胸が揺れている=セクハラ!』だというわけのわからんフェミニスト議員連盟のいちゃもん」が一部で話題となっています(議員連盟側が炎上していますが)。でもね、だったら、



いや個人的には直す必要もないと思うんですが、彼女らは「自分たちに『利』のありそうなところに群がって攻撃する」わけですから、ここ神威岬にああだこうだ言っても「利はない」ということでしょう。というか、そんな人たちを議員にしておくのはどうなのよと思ったりもするわけで。いや個人的な思いに過ぎませんが。

さていよいよ神威岬の突端に進んでいきます。いや、特にコレハ!というものはないのですが、いやぁ、とにかく展望の良さは折り紙付き&強風悪天時には進みたくないぞ(そういう時は閉鎖されます)。



初めて来たのですが、かなり力づくのルート取りです(関係各位へのほめ言葉)。

思いおこせば自分が北海道ツーリングに来るようになった1990年台前半には、積丹半島を周回するこのR229も未開通だったんだよなぁ。だからショートカット路の道道998を何度も通っていたんですが、その道中にある(あった)「神恵内温泉998」にはいつもタイミングが合わず20年以上ずっと未浴で、ようやく2018に入れたと思ったら(この時ですが湯画像はありません)2020年に閉館(源泉井の破損だとか)。あ、全然関係ない話ですね失礼しました。







徐々に岬の先端が近づいてきました。と、真下の海を見ると‥「積丹ブルー」真っ盛りではないですか!ええ、この旅行記の背景画像に使っているのもここで撮影したブルーです。とにかくお天気が良かったものなぁ(そして暑かった)。



ようやく神威岬の突端までやってきましたが、このあたりの地質は砂岩系でかなり脆い感じなのかな?というわけで灯台を通り過ぎて一番先っぽまで。







というわけでおしんこどんはいつものY字バランス。すぐ上でも書きましたが砂岩ベースに火山岩が埋もれているようで、それが長年の浸食によりなかなか不思議な造形を見せてくれています。しかし手前の石は早晩崩れ落ちてしまいそうです。



いやぁ、たぶん1年に何日もないはずの「夏の神威岬」だったと思います。

あ、そうそう、往路にはよくわからなかった「念仏トンネル」の場所もわかりました。天長節(天皇誕生日)のお祝いの品を買いに行った灯台守の家族が波に足をさらわれて死亡し、そのような無念を繰り返さないように掘られたトンネル(もちろん素掘り)が大正7年に開通したそうです。



おお、あれですね(右上画像)。確かに海側は絶壁で、あそこを灯台守やその家族が行き来していたと思うとまさに「命がけの業務&生活」だったのだろうなと思います。

日本では有人(管理者常駐)の灯台は2006年になくなりましたが、ここ積丹半島の突端、しかも道路すら平成になってようやく開通したこのエリアに、明治時代すでに灯台が設置されていて常駐の家族がおられたわけです。何だかすごい話というか、自分の中での「明治のイメージ」をしっかり補整する必要がありますね。亡祖父母はいずれも明治晩年の生まれでしたが、その時代ってすでに「日清日露の戦争を越えて」当時の日本が工業化を推し進めていた頃なのです。

だからこそ海運及び軍事上の重要施設として優先的に整備されたに違いないのが灯台です。ゆえにこのトンネルも「灯台を守るための必然」として穿たれたのかなぁとそういえば2015年のキューバではまだ灯台を「準軍事施設」として立ち入り禁止にしていたなぁ(その時のページはこちら)。さすがにもうその必然性は薄れているとは当時も思いましたが。



駐車場に戻る途中、「別の丘の上に何かがあるな」と思いあえて遠回りルートへ。おしんこどんは「昔の展望台か何かじゃないの?」と言っていましたが、いざ行ってみると‥



日本海に突き出たここ神威岬は「軍事上の要衝」だったわけです。しかも建設の発端は明治30年代に遡ることがわかります。ウラジオ艦隊、このあたりをうろうろしていたわけですね。ちなみに明治37-38年とはまさに「日露戦争」の真っ最中です。一触即発の状況でしたから「とにかく早く早く!」という感じで造られたのでしょう。

というわけで駐車場まで戻ってきましたが、とにかくあっつい!休憩所もあるのでとにかく冷たいものでも(ソフトとか)と思いましたが、時間が早すぎてまだ開店していません。自販機は複数ありましたが何だか気が乗らずスルーすることに。



というわけでやってきたのは「道の駅 オスコイ!かもえない(神恵内)」。北海道の道の駅は規模が小さく「トイレとミニミニ売店のみ」なんてところもあったりするのですが、こちらも小さいとはいえちゃんと有人施設でしておみやげ品の販売もあります。何よりエアコンをバンバンに効かせてくれていたのが何よりのご馳走です(笑)。

館内外には、海岸に流れ着いた流木を用いたオブジェが飾られており、ご当地らしさが感じられます。



みんな揃ってマスクをしていますね。



さすがに先ほどウニ丼を食べたばかりなので買いませんでしたが、間違いなくこの日の朝入荷したものでしょう。買いたい気持ちもありましたが、冷蔵庫を積んでいるわけでもないのでむざむざ悪くしてしまいそうな気がして断念。



その他にも新鮮系海産物が。焼き台とかがあればなぁと思いつつソフトで我慢。



神恵内村の街灯には龍のオブジェが鎮座しておりました。この時間になると少し雲が出てきましたが、もうすでにすっかり暑くなっていたので雲の恩恵はほとんどありません。



さてこのあとは「鰊御殿とまりを訪問したわけですが、いざ来てみると「何ともいえない既視感」が。それもそのはず、調べてみたら2012夏にしっかり来てました(その時のページはこちら)。というか、2012のルート取りは今回と実によく似ておりまして、さすが同一人物(自分)が計画を立てるとそっくりさんになってしまうもんだなぁと苦笑しました。




ま、忘れていたぐらいですから新鮮に見学できましたけれどね(負け惜しみ)。



時間的には余裕があったのでゆっくりできました。管理人さんは「染め仕事」中。

さて、さすがにお昼が近くなってきましたんでどこかで‥とはいえ、このあたりには大きな町が‥いや、岩内がありますなということでそちらを目指します。海鮮じゃないほうがいいし、とはいえラーメンというわけでもないなぁ。



それが上でふれた2012年の時だったわけですが、自サイトで再確認はせず記憶のまま探してみることに。たしか道の駅の近くというか裏手だったよなぁ。







玉子サンドとピザ、飲み物(温&冷コーヒー)、それにおしんこどんはパフェまで注文しておりました。



オーナーの奥さまと少々話す機会があり、「千葉からですが、ずっと前にもこちらのお店を利用させていただき久々の再訪です」と申し上げると、お店の来歴ほかいろいろと聞かせていただきました。最初は室蘭にお店を出し、学生の利用が多く見込まれたことからお店のネーミングは「さぼ~る」に。奥さまは最初「えー、そんな名前?」と思ったそうですが、それから数十年、今ではいたく気に入っておられるのだとか。

また、当時の「学生」さんたちが今でも忘れずに来てくれて、「ずっとやっていてよかった」と思うのだとか。ちなみに今もひっきりなしに常連さんが入店してくる地元の名店のようです。またおじゃまさせていただきます!

さて、お腹も満ちたところで‥あ、そうだ、北の大地に上陸したのにまだ温泉に入っていない‥というわけで、



というわけで山の上のほうへ進んでいき、目指す湯までやってきたのですが‥



ハイそうなるとあっちですね。そう、前回も入った「おかえりなさい」です(日帰り入浴800円ゆえやや空いていると思ったので)。



少ないとはいえ先客さんがおられたので湯画像はなしですが、前回と変わらぬ透明湯のかけ流しに満足満足。湯っくりしたところでさらに先へと進みましょう。



続いてはミニ立ち寄りとして旧岩内線幌似駅訪問です。駅舎やホーム、車両がそのまま保存されていて鉄道公園になっています。きちんと管理されていますが無人の施設。案外立ち寄る人が多くてちょっとびっくりしました。



塗装もしっかり施されていて、管理が行き届いていました。



昔はそれこそ縦横無尽に鉄路が延びていた北海道。乗りたかったなぁ。



駅舎には最後の列車のヘッドマークが飾られています。

このあとはニセコ界隈を目指して山道を上がっていきます。ちょっと寄り道というか下見です。



そう、この翌朝は久々にちょっと山歩きでもしようかということでこの鏡沼に目を付けていたのです。駐車スペースの確認はもちろんですが、もしかして「コロナ禍につき登山禁止」のお達しでも出ていないかをチェックしたかったのです。

しかしそのようなお知らせ掲示はなく安心しました。ええ、この時は鏡沼に行く気満々でした。ええ、「この時は」ね(大笑)。もう一箇所、廃墟のあたりに湯が出ていないかと林道を遡ったりしましたが収穫はなし(下調べを全然してなかったので)。というわけでまだ早いですがさっさとお宿へ入っちゃいますか。

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