思い立ってお出かけ‥飯舘、飯坂、鳴子、肘折編

- その1 飯舘村で獅子舞見学 -



3匹の獅子(鹿)が舞い踊ります。中の人は‥。

(2023年9月17日-19日 その1)

夏の大お出かけも終わり、「はぁ、静かな秋がやってくるなぁ(繁忙期なので秋はお出かけが少ない)」と思っていた8月末日、SNS上に「何とも魅惑的な」お知らせを見つけてしまいました!

https://www.vill.iitate.fukushima.jp/soshiki/10/9833.html

飯舘村の村内、しかも自分が通ったことのない比曽地区をめぐるツアーですと!



飯舘村。初めて訪問(通過)したのは2013のGWでしたが(その時のページはこちら)、その時見た限りでは県道沿いに人の営みらしき気配はほぼ皆無で、まるで「打ち棄てられた村」のようでした。

しかし徐々に除染も進み、その後は通るたびに生活感が戻ってきているのを感じるようになりました。そして最後まで帰還困難区域に指定されていた長泥地区も2023/5に避難指示が解除されましたし、村の東西を結ぶ県道沿いには道の駅までい館も整備されました(この道を通るときには必ず立ち寄って何かしらを購入するようにしてきました)。

ただ、その道の駅を除けば村に「旅行者が立ち寄りやすい施設」は特になく、物見遊山的に部外者が立ち入るのもどうかと思っていたことから、これまで村を訪問目的地にしたことはなかったのでありました。が、しかぁし!そんな飯舘村をめぐるツアーですと!

日時は9/17(日)。土日祝の三連休の中日ですが、わたしは「日月火」の三連休シフトだったので連休の初日にあたります。こ、これは万難を排して行かなくては!

そんなわけでソッコーで申し込んだというわけです。よっしゃあ行くぞぉ!(なおおしんこどんは用事があったのでTakema1人での参加となりました)。



日曜の朝6時前に家を出て、まずは東京駅へ。7:12発のやまびこ号に乗れば福島到着は8:44。福島駅西口の集合時間は9:30ですから余裕を持って間に合うというわけです。



車内で駅弁朝ごはん。「かきめし」率は比較的高めです。

いつもならここで「朝プシュ」もセットとなるはずですが、福島からのツアーを考えるとほろ酔い参加はいかがなものかと考えて我慢我慢。どうせツアー後はがしがしと飲み続けるはずですから(笑)。



というわけで列車は定刻に福島駅到着。改札を出たところに案内の方がおられたので、なるほどそちらですねと理解した上で途中離脱して喫煙所へ。時間的に余裕があるので必須の行動です。



というわけでツアーバスへ。バスは中型で、座席表が掲示されていました。関係者以外の参加者は‥10人くらいかな(確かにちょっとさびしいかも)。



ネームプレートやこの日の訪問先にまつわる資料が渡され、まずはお勉強をということですね。

この日のメイン訪問地である比曽地区は飯舘村の南西部に位置しており、村で最後まで避難指示が出ていた長泥地区の西側にあります。放射線量値もやや高かったからか、農地が除染されて農家に引き渡されたのは2018年の秋だったのだとか。

ネット上でのデータによると、震災前に85戸あった戸数は2023/5現在20戸にまで減り(人数的には10%程度)、そのほとんどが高齢者世帯なのだそうで、そもそも飯舘村自体が全国の市町村でもっとも高齢化率が高い村となってしまっているそうです。若い人が戻っていないんですね。



バスは川俣町経由で比曽地区へと進んでいきます。思い起こせば2011のGWに川俣町を通った際、原発事故の直後だったにもかかわらず、農家の皆さんが田植えに向けての準備作業にいそしんでおられたのを目にしました(その時のページはこちら)。

そのお姿を拝見した当時の自分は「よし、秋には福島のお米を買いに来よう!」と心に決め、もちろん秋には川俣町の直売所まで買いに来たのでありましたっけ(その時のページはこちら)。

しかし飯舘村に入り比曽地区までやってくると、田んぼだったはずの場所はまだ再生に至っていませんでした。稲が植えられていたのは地区で2枚だけだったように思います。ただしこれには別の理由があり、ここ比曽の田畑では刈り払いや除染等は行われたものの、長期間放置状態にあった灌漑設備を再整備しないと水を回せないのだそうです。「もう数年かかるかも」と現地で伺いました。

さてちょっと湿っぽい話になってしまいましたのでここからは明るい話をば。



震災前は地区の里山である葉山(「端山」とも)山頂にあった羽山神社を麓に遷宮して今年(2023)新しい社殿が完成、以前は山頂神社で舞われていた地区の伝統芸能である獅子舞もこちらで舞うことができるようになったというわけです。

このいきさつについては地元紙である福島民報の記事を公式サイトで読むことができますが(ここをクリックすると当該ページが開きます。2022/5/31の記事)、ネット上の記事は遅かれ早かれ消えてしまうことが多いので(東日本大震災直後の各社記事にリンクだけを張ったため元記事が消えてしまい煮え湯を飲まされたという経験から)、一部のみ以下に引用させてもらいます。

【戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―】第6部 文化(46) 神社を麓に移築へ よりどころ取り戻す
2022/05/31 09:37 福島民報

 飯舘村比曽地区の葉山山頂にある羽山神社は住民の信仰を集め、民俗芸能「比曽の三匹獅子」が奉納されていた。しかし、東京電力福島第一原発事故で居住制限区域となり、人の出入りが途絶えた。今は規制は解除されたが、参道には雑草が生い茂り、雑木が伸びている。社殿も一部が崩れるなどして荒れ果てている。住民は信仰の社を取り戻そうと、社殿を麓に移すために動き出した。

 神社総代の菅野民雄さん(76)が二〇一七(平成二十九)年に地区の総会で提案した。「神社をこのままにしてはおけない」。集まった住民約六十人の意見が一致した。

 三年前から地区内で新たな社殿を建てる場所を探していた。二〇二一(令和三)年、参道入り口の土地を所有する別の神社と相談を重ね、使用できるようになった。今後は土地使用の手続きを経て、造成工事や社殿の建築に入り、来春の完成を目指す。その後山頂にある社殿からご神体の木札などを移す神事を行う。

(以下省略)


そしてこの日は新社殿の遷宮祭にあたることから獅子舞が奉納されるとのことでした。なるほどそれでこの日にツアーを企画したというわけですね。しかし遷宮祭そのものは延期になったそうで、でも三匹獅子舞はやってくださるとのことでありがたやでございます。しかもその前座として「こども三匹」も!

で、ここだけの話ですが(笑)、「もしかしたら前座が本命かも」という話も聞き及んでおりました。さぁてどうなることやらです。



まずは「こども三匹」の入場です。おお、見習いの四匹も。







今回ツアーガイドをして下さった飯舘村交流センターの方によると「赤い靴を履いた獅子の舞いがキレッキレだった」ということでした。なるほど‥とはいっても静止画ではわかりませんよね。というわけで動画もご覧下さい。でも自分としてはみんなキレキレだと思うのです。






続いては本来の(大人による)三匹獅子舞です。ただ実はこのあと昼食時に真実を知ってしまいまして(笑)。この獅子の中の人のお一人は中学生時代にもちろん習ってはいたものの、今回は事前に1回合わせたのみのある意味ぶっつけ本番だったのだとか(ご本人から直接うかがったので間違いありません)。

今回は「縮小ダイジェスト版」だったとのことですが、途中で獅子がうずくまる場面では「肩で息をする獅子」もいましたし(このあとの昼食時にはその話で盛り上がりました)、そもそも比曽地区の現状を考えれば舞い手の皆さんが事前練習に明け暮れられる状況でもありません。それでも精一杯の奉納舞をご披露いただいたわけで、ただ見学するだけのわれわれとしては感謝するばかりです。それでは三匹獅子舞(大人版)の動画です。






獅子舞終了後には、ささらの枝が配られました。縁起物だそうですから粗末にはできませんが、自分はこの日を含めて2泊した上で全行程鉄道で帰る予定なので、この枝(長さ約1m)はなかなか持ち運びに苦労しそう。いろいろ考えた末、半分に折らせていただき自宅まで持ち帰りました。ご利益も半分になっちゃったかもしれませんがご勘弁下さいませ。



そうそう、鳥居の脇には獅子面が置かれていましたがなぜ四面?聞けば少なくとも一つの面はこども舞用の面で、造りも軽くしてあるのだとか。あぁしまった、何でちょっとだけでも被らせてもらわなかったんだろう?そんな機会は今後もほぼないはずなのに、残念後悔無念失念。

さてこのあとは比曽地域の神社をめぐったわけですが、この続きは次ページにて。

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