- その2 のみ不可温泉のあとはお山へ寄り道、帰省完了 -



スキあらば雪ちゃんを作るおしんこどん、ここにも。

(2023年12月26日-2024年1月2日 その2)

飯田からは休憩1回で一気に高速で移動してきて、この日のお宿はこちらでありました。





い、いやあのですね、実は割烹料理を期待云々というわけではないのです(お宿には失礼な言い方ですが)。こちらのお宿、「あの施設」が廃業した今となっては‥


(「のみ不可」=入浴のみ不可の隠語です)

というわけで宿泊予約していたわけでした。「あの施設」って?と思われる方々、まぁまぁ先を急がずに。

決して観光地ではないこの場所に料理旅館をスタートさせた理由はどうしてだったのかというのが不思議なところ。確かに近年は湾岸エリアに工場地帯や物流エリアも整備されつつはありますが、お宿はそれよりもはるかに前に建てられているようですし、それに今もお宿周辺はほぼ田畑しかありませんし?(宿の方はいろいろ話して下さったのにこの件については聞かなかったので残念。オーナーは地主さんなのかなぁ?)。



さて、部屋に入ったはいいのですが、暗くなる前にお風呂に行かねば感満開ゆえソッコーで移動です。ほかのお客さんが‥という思いもあったのですが、結局この日は3組だけの宿泊だったようです(しかもひと組はかなり遅い到着だったみたい)。われわれが最初の到着だったようなので結果的に焦る必要はなかったようです(苦笑)。まぁこういうのはあとからわかることなのですが。





実は以前はもっと植物を繁茂させていたようなのですが(女風呂にはまだその一部が見えています)、少なくとも男風呂からは全て撤去されています。暗くなっちゃうからかな?

成分分析による分類は単純温泉なのですが、そこそこのツル感あり。これは本家を凌ぐか?浴槽が大きくもないので湯が新鮮だからかも。で、その「本家」はといえば‥









最低限の手入れは、やってると思いますが、何とも言いがたい部分も見受けられるのですけど、これは、これで良いだろうとも、思えます。施設の年季も、主な客層と同様、競馬で言うと最終コーナーを廻って、ゴールまでの最後の直線に入った様な感じが致しますが、どうか「せめて、連には絡みたい」とか、思わないで、着順なんてどうでも良いので、ゆっくり行ってくれみたいな、そんな「草臥れたおやっさん」の疲れを、少し拭ってくれる施設であり続けてくれればと感じました。

「ニフティ温泉」サイト投稿過去記事からの引用です)

自分は2018夏に入浴しましたが(その時のページはこちら)、その後ほどなくして閉館してしまい、現在は所有者も代わっているそうです。しかし、この施設内にあった源泉はまだ生きており、持ち主が変わっても源泉供給の契約はいまだ有効ということか、こちらの「料理旅館 庄助」さんでは木曽岬温泉の湯に浸かれる!というわけなのです。

こちらの湯は近隣の住宅などにも供給されているということですがそちらに入れるわけもなし、また庄助さんは「のみ不可」の宿泊施設ですから、「だったら堂々とお泊まりでタンノーしちゃれ!」という判断に至ったわけです。





というか浴室内、洗い場の湯が流れている場所や浴槽内はかなり滑りやすいことになっていて、自分は今のところ足腰は無事に動くのですが、浴槽に入る際は手すりを頼ったほどです。個人的には清掃の問題ではなく湯の素性所以だと思います。同じように感じたのは津軽の新岡温泉だよなぁ(あっちの方がもっと滑る=わかる人にしかわからない)。



左上画像、「周辺の家庭にも配湯」とありますが、宿の方にうかがったところ、「こちらは(源泉地から)すぐですからもちろん加温もせずにそのまま出せていますが、近隣の個人宅までは距離もありますし、そうなると湯温も下がるし成分もそのままというわけにもいかず、そちら方面では冬になると茶色に色付いたぬる湯の供給となってしまう」のだとか。

たしかに直近に住宅はありませんからそこそこの距離を送湯するので湯温が下がるのは仕方ないとして(直近の検査では源泉49.2度)、色付きとは?成分分析表によると鉄系の成分は検出されていないようですが?成分総計でも430.8mg/Kgと、濃い湯ではないわけですし。

ところで松田教授、こちらにもしっかりお越しになっていたようですね。お目にかかったこともありませんが那智勝浦のお宿「一の滝」ではこの方についてオーナーとお話をしたことがきっかけとなり「温泉宿VIP見学」をさせていただいたことを思い出します(その時のページはこちら)。

さてこのあとは夕ごはんなのですが‥






(あ、大杉さんはかつてヤクルトの四番打者ね)

牛肉が「焼き」「すき焼き」のダブルというだけでもうノックアウト打法でありました(すき焼き肉の下にある野菜がまた難敵でもありました)。ま、以前のような「出された料理は完食必至、メシの一粒血の一滴!」というような金科玉条を引っ提げることは止めましたので、美味しいところメインでいただきました。ただお酒は四合瓶より小さい冷酒ボトルが欲しいところでした(それでも持ち帰って奈良実家帰省後に飲み干したんですけれどね)。

というわけでデザートのメロンは部屋に持ち帰りました。オイシカッタ(右上画像マウスオーバーでメロン画像に変わります)。



さて翌朝も朝風呂からスタートです(両上画像は女湯をおしんこどんに撮ってもらったもの)。しゃっきりした上で朝ごはん。



朝ごはんは品数も量も案外少なくてほっとしました。ごはんはセルフでよそうシステムなのでやたらに少ないですが念のため。「焼き物が小さい」ことについて問題視する方もいるかも知れませんが、わたしはかえって「朝から大きすぎる問題」を提起したくなる側の人間なので突っ込まないで下さい(笑)。

さて朝食後はもう一度湯に浸かり、その火照り解消を兼ねてお宿の周り=旧木曽岬温泉周辺を散策することに。









とはいえこれも一概に喜ぶべき状況ではなく、工事は半ば止まっているような感じでした(年末だからと願いたい)。いちおう職人さんの車は1台止まっていましたが(始業前待機中)、フロント部分の造り替えられた窓に貼られた掲示はすっかり色褪せ、そのサイドの出入口はシートで塞がれてはいましたがいとも簡単に入れそうな感じでもありました。

現状の詳細については庄助の関係諸氏からもお聞きしましたがここには書きません。ただ「何だか面倒な感じだなぁ」というのが個人的な感想です。当時&今回の「平穏な木曽岬温泉」に入っておいてよかったなと。なお木曽岬温泉の源泉供給は今後も長く続くと思われます。

このあとは東名阪道を南西方面‥いやちょっと待てその前に!





お天気もよく、しかもまだ早い時間なので混んでもいないだろうと考えたわけです。以前湯の山温泉に宿泊した際も(この時です)翌日御在所岳訪問を計画していたのですが、あの時は雨模様で断念したんでしたっけ。



案の定、まだ駐車場はガラガラでしたしお客さんもパラパラ程度。お天気もいいし、楽しめそうです。



足元シースルーはわかっていてもやっぱり恐い(笑)。





ちょっと調べてみると、この6号支柱は高さ61m、その構造は東京タワーと同じ「リベット接合」ということです。もちろん古い建築方式なのですが、東京タワーと同じく現在も問題なく運用されています。ふと思い出したのがミャンマーのゴッティ鉄橋で、あちらも間違いなく同じリベットによる建設なのだろうなぁと。あちらは開通から120年ほど経っていますが現在も列車が渡っています(2016訪問時のページはこちらです。渡橋動画あり)。しばらくは再訪できないことでしょうが。



というわけでロープウェイの頂上駅に到着です。気温は6度ゆえ寒くもなし。ここからは無精をこいてリフトに乗ってさらにてっぺんを目指します(元山岳部員)。



撮影画像が傾いでいるのはご愛敬。







とはいえ、あちこちに「頂上」を示す掲示板あり。



望湖台(琵琶湖を望む)から琵琶湖は見えているのかいないのか、ビミョーなかすみ方です。きっと雪ちゃんには見えていたのでしょう(目は入れませんでしたが心眼でね)。

とりあえず頂上部は制覇したので、少し下の「富士見岩」まで行ってみることにしました。



12月も末なのに、この日は実に穏やかで風もなし。








展望よし。右上画像の場所にも行かれるみたい(行けばヨカッタ)。





さてこのあとはお昼ごはんですが、この山頂駅のレストランでいただくことにしました。下界に降りてから探すのも面倒だったわけなので。



実は予想外に?美味しかった山上ランチでありました。




さていよいよ下に降りますが‥なぜここに世界記録が主張されているのかは謎です(笑)。下りロープウェイでは搬器の影がきれいに映っていたので何となくパチリ。



菰野ICから新名神に乗り、すぐ先の亀山西JCTでぐるりっと反転するような形で東名阪へ、さらに亀山JCTから名阪国道へ。あとは勝手知ったる道を進み、針テラスでせんとくんをパチリの上でおしんこどん実家に到着です。今回は十津川界隈の温泉宿に行ったりすることもないのでのんびりと年末を過ごし‥





と相成りました。今回はおしんこどん母とわれわれ夫婦の3人だけなので、おせち料理がオーバースペックであるようにも見えますが、一部はしっかりお持ち帰りいたしました。

帰りはいつもの通り1/1の夜に出発し、深夜の新東名経由で1/2の明け方、無事に千葉の自宅に戻りました。というわけで2023/2024の年末年始帰省の顛末は以上です。

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