- その5 最後の夜に「ドドンパ」、やっちゃいました -



さぁって旅も終盤戦‥のはずでしたが、無事には済まず。

(2024年5月2-6日 その5)

温湯温泉まで下りてきて、このまま鳴子を目指したいところではありますがそうもいきません。サッポロ黒ラベルの樽を返しに栗駒岩ヶ崎まで寄り道往復です。昔はガラス瓶のコーラ空き瓶とかを1本5円とかで引き取ってもらえたのですが、今はもう(少なくとも一般ユーザー向けには)そういうシステム自体なくなっちゃったのかも知れません。

でも生ビールの樽代金には今も10L樽の場合1000円の保証金が含まれており、返却することによって現金が戻ってきます。これって購入したお店でなくとも可能なようですが(以前のTakemaオフキャンプでは北海道から輸送してもらった樽を群馬県嬬恋村の酒屋に返却していましたし)、でも見知らぬイチゲン客からの樽返却というのもナニですからねぇ(嬬恋村の酒屋さんでも黒ラベル樽生を10L購入していました=1樽購入、3樽返却という感じで)。

そういや瓶の保証金で思い出しました(ここからしばし昔話)。今を去ること40数年前の中高生時代、山岳部員(の下っ端)全員で学校内のあちこちに放置されていたコーラやミリンダとかファンタとかの空き瓶を徹底回収し、生徒御用達のお店に大量に持ち込んで1000円以上の「利益」を稼ぎ出しました。

ここまでなら「校内清掃の美談」なのか「当時の中高生のマナーの悪さを象徴する話」などで終わってしまうのですが、ここで我々はその「利益」を、当時存在した「コカコーラ2Lガラス瓶仕様」にぶちこみ、もちろん何本もの新品冷え冷えコカコーラを入手したというわけです。そして学校の教室に戻っておっぱじめたのが‥



当時は学年による上下関係がはなはだ明確で、対決するのは自分たち下っ端で、上級生はわれわれが苦しみもがくサマを笑って見ていたわけでしたが、当時はそれが当然だったので別に不満はありませんでした。

「いっせぇーの、せ!」で飲み始めます。しかし炭酸飲料ですからね、最初のうちはよくても飲み進めるにしたがってお腹がパンパンになってきます。「く、苦しい‥」のは自分のみならず同級生下級生も同様です。しかし周りの状況を見つつ「うむ、自分がリードしているぞ」と自覚し、いよいよあと100-150mLとなった時だったでしょうか、


(下世話な話でごめんなさい)


教室の机と床をコーラまみれにしてしまいました(大苦笑)。一応掃除はしましたが(うんぺと雑巾で拭きました@うんぺ=トイレットペーパーの山岳部隠語)、水分がコーラだけに、たぶん翌日あの机や椅子はベトついていたのではないかと推察‥ハイ、以上で40数年前の述懐終了!



この日は気温も高くだいぶ霞んでいましたが、水を張り代掻きも終えていた(もしかして田植えも?)田んぼ越しの栗駒山を望むことが出来ました。今回はまさに栗駒の山懐で2泊し、この日ぐるりと一周する感じでしたね。

そしてこの日のお宿は高友旅館。N氏のご尽力により湯治棟2Fを1人1部屋で確保できたわけで感謝千万(Cさんだけは長駆東京にバイクで帰りましたが、渋滞は大変だったのではないかなぁ?)。なお、湯治棟の設備等については言いっこなしということで(笑)。ま、自分たち夫婦も以前湯治棟に泊まったことがあり状況はわかっていましたので無問題。





お部屋はご覧のとおり。綺麗に見えますが年季はかなり。



ただTakema部屋の真正面は藤の花。もみじ風呂は推定50度(苦笑)。



結局、高友名物?の黒湯には入らずじまいとなりましたよ(苦笑)。

ただ部屋が「2F」であったことが、この夜「ドドンパ!」の引き金を引いてしまったことは言うまでもないことかと(後述)。

さてこの日もかの焼肉店は予約で一杯ということで、開店(17時)頃に行くことで少しでも時間差注文をというわけです(18時とかだと一気にお客が来店するので注文殺到)高友からは歩いても至近なのでのんびりと出発です。ただしB氏は部屋でぐっすりお休みのようで、電話を入れても部屋をノックしてもまったく反応なし。とある情報によると「11時過ぎにはすでに千○で飲んでいたことが目撃されていた」ようなので(笑)すっかりゴキゲン爆睡モードだったのでしょう(あとから合流しました)。







まずはお野菜も食べましょね。1人増えて再び乾杯!



お肉♪お肉♫お肉のミートランド!



焼いて妬いて灼きまくれぇ!



最後は冷麺で〆て今この夜の八兆宴は終了となりました。しかも皆さん着実にジジイ化が進行したということか、宿から八兆に向かうときなどは「17時過ぎに行って飲み始めれば、まぁ21時くらいには帰ってこられるから良いよね」などと言っていたのですが‥



もう長くも飲んでいられない年齢になりつつあるようです。とはいえお宿に戻ってからみんなでさらに飲みましたが‥



はい、ここから事態は風雲急を告げることになったのでありました。二次会も終わり、Takemaはひょうたん風呂へと向かい、焼き肉臭の精進落としを完了。そして、この時に撮った湯足画像が、「元気な左足」くんの最後のお姿となったのでありました(いや絶賛治療中ですが)。





詳細は省きますが(よく覚えていないともいう)、このあと階段で段を踏み外して転倒しました。左足をくじいてしまいましたが、まだアルコール麻酔効果が効いていたためか極端に痛いわけではなく「あちゃー、捻挫やっちゃったなぁ」という感じでした。このあと部屋に戻って就寝サンダーライガー。

朝、左足首の強い痛みで目が覚めました。麻酔効果がなくなったことで「本来の痛み」がやってきたようです!足を見てみると‥





いや、「すでにパンパン」というのは語弊がありまして、この数日後にはさらにもっと、上画像の1.5倍くらいの「パパンのパンパン!」になったのでありましたが、この時はまだそんな衝撃の未来予想図を想像していなかったTakemaでありました。

もっとも、酔っていたせいで「下手にもがくような動きをしなかった(できなかった)」せいなのか、左足首以外はほぼ無傷で痛みもなし、唯一、右脇腹の後ろ辺りを軽く擦っていたようでしたが、血が出るほどでもなくほぼ無事でありました。

さてしかし部屋は2階です。とりあえず階下に降りてみることに(喫煙所は玄関外=この期に及んでタバコかい!=喫煙者の意地)。



もっとも脂汗がにじみ出るほどの痛みではなく(以前のギックリ腰ではホントに脂汗が出た)、じわじわながら階段を降りていくと、朝風呂戻りのBさんと遭遇!Bさんもびっくりしたらしく(そりゃ当然)、結局自分はこのあと部屋に戻ることなくチェックアウトとなりました(部屋の荷物や冷蔵庫の中身などは皆さんに全部持ってきてもらいました。感謝)。

宿の斜め向かいに駐めておいた車も玄関先まで移動してもらいました。さ、これからみんなで朝ごはんを食べに行きます!が??



ハイ結論です。「問題なく運転可能でした」。上画像にもあるように今回やらかしたのは左足で、わがフォレスターはオートマ車、ゆえに運転中に左足を動かすことは全くなく所定の位置に「安置」しておくなのだけですから。もしマニュアル車だったらと思うと‥くわばらクワバラ(死語)。

なおこれまで、旅先でもいろいろとやらかしてきたTakemaです。骨折は初めてですが、強い捻挫系ではスコットランドのルイス島でセルフタイマーで写真を撮ろうとして岩ごろごろのところを走った時に「グリ!」(1997、この時です。捻挫に関する記載はないですが、たぶん見栄を張ってあえて記載しなかったのかと思われます)。

ギックリ腰も複数回ありますねぇ。南部アフリカのナミビア旅行中、ナミブ砂漠のDune45を登っていた途中で無理な姿勢を取ろうとした瞬間に「ギックリ」でしたっけ(2001、この時です)。

さらには、これは国内ですが(群馬県)「バイク de 野湯」というゼータクなソロツーリング中、杉林の中でこんこんと湧き続ける湯を携帯湯船(笑)に溜め終えてマッパーで腰をかがめたところで‥



なんてのもありましたっけ(2008、この時です)。

ちなみにスコットランドの時はは今回と同じく左足だったので、借りていたレンタカー(オートマ指定で予約していた)に乗ってしまえば今回と同じく普通に走れましたし、ナミビアでも「車に乗ってしまえば運転席シートがギックリの腰をジャストフィットホールド」してくれました(その代わり乗り降りの際はかなり鬼的状況でしたが)。

問題はバイクの3例目でした。「大型のCBR1100XXブラックバードをギックリライダーが運転できるものなのか?」。それがまた、自分でも信じられないことに「できちゃった」のだからびっくりでしたっけ(詳細はリンク先ページに載せています)。

というわけで「菅原分店765(なるご)」に到着です。駐車場は平らですが砂利なので、店に行くまでが大変‥というわけで動画で当時の状況を振り返ってみましょう(笑)。




思うのですが、この時点で当然骨折していたはずなのに曲がりなりにも歩いています。我ながらすごいなぁ。



というわけで朝ごはんはおにぎり定食です。量はほどよしでありがたいことです。

なおオーナーのカンアヤさんが「それ、冷やしたほうがいいですよ」と湿布を提供して下さいました。で、よくよく見てみると‥





お仲間の皆さんは「これ、すぐ病院に行った方がいいよ」とアドバイスして下さいましたが、この日はGW最終日で診療先が圧倒的に限られているのと(救急系の当番病院しかやっていませんよね)、この日が連休最終日なので「診てもらうなら地元で」と考えたこと、またまがりなりにも歩けるのだからそんなに大ごとな状態ではないのではないかという「淡い期待」のもと、とにかく「このまま千葉に帰る」ことを決断した次第です。



N氏お勧めのしそ巻きも購入。なおここ大崎市にも「小町伝説」が。

さて高速に乗って南下開始です。上述した通り運転中は痛みもあまり感じずまったく普段の運転と同じなのですが、トイレ休憩でPAに止まるとなると別です。車から下りてくるのは上の動画にあったようなヘナヘナ歩きのTakemaなのですから。

なお連休最終日ですからまだPA利用者は多く、最初に休憩したPAでは「優先ブース」(身障者用ブーストは別の、高齢者や妊婦の方がいる場合に利用できるブース)に車を駐めたのですが、「止めた瞬間、こちらを一瞥する人々のツメタイ視線を感じました。いや、でもねというわけで車から降りて歩き始めたTakemaの姿を確認した皆さん、「平常モード」に変わっていった感じでした(笑)。そう、この日のTakemaは無法者ではなくある意味「社会的弱者」だったのですよ。






というわけで渋滞なし、夕方近くに千葉の自宅まで戻ってきました。今回の走行距離は1247.6km。ま、駒の湯お手伝いの日とかはそもそもほとんど走っていませんしこんなものでしょう。ガソリンは前日に栗駒岩ヶ崎のGSで満タンにしておきましたがメーターではちょうど半分(ということは半分以上減っているはずですが)。たぶん前日と合わせた走行距離は450kmくらいで、無給油でこれだけ余裕で走れる安心感はEVにはないだろうなぁ。

おしんこどん(屋上農作業中)に怪我の旨を伝え、とりあえず再撮影。うーん、足首のくびれあたりは右足の1.5倍くらいになっていませんか?ちなみにこの数日後はさらに膨れ、内出血部分もドバァと広がって悲惨な感じになりましたが、写真は撮らなかったのでネタ的には大失敗でした(公序良俗的にはOK)。

で、この翌日「満を持しての整形外科」受診となりました。



診察後、会計前に撮った画像です。「左足は地面に付けないでくださいね」と言われましたが、もうこれまでさんざん歩いてきたんですが(苦笑)。骨折は人生初めてで今後の流れがよくわからぬまま一縷の望みを抱き先生にこう質問しました。



医師判断のもとあっけなく却下されました(そりゃそうです)。骨がとりあえずくっつくまで4-6週間なのだそうで、うーん確かに。というわけで、





あーあ、「Final」と銘打っていたのに、これで来年は「Final of Final!」となるわけか。何だかどこかの衣料品店のような「閉店セール」みたいにならないといいなぁ(何のこっちゃ)。

なおこの時の(最初の)診断では今回の骨折部位が多少なりともずれていたら「即手術」だったのだそうですがそれはないかという感じでした。しかし、数日後に再度レントゲン撮影の上での診断結果は‥



幸い、近隣の総合病院でも「今すぐ手術をする必要はない」という診断結果を得られました(驚かさないでぇ!)。手術をしなくても(自然癒着で)大丈夫でしょうとのことでした。金属とかを入れたくはなかったので何よりです(そのぶん長引きますが)。




(念のためボカシを入れました)

ちなみにこのページをタイプしているのは5/23。そう、本当なら「明後日5/25がTakemaオフキャンプ」というタイミングだったのですが、こりゃ絶対に無理でしたね。だってまだ真っ直ぐ歩けないどころか、職場では今も車椅子モードでの勤務です(車椅子は地元の社会福祉協議会から無料レンタル、ありがたやの海苔)。しばらく内出血で紫色に染まっていた足はだいぶ本来の色に戻りましたが腫れはまだ残っていて、実は明日が定例の?通院日なのですが、まだ車椅子を下りていいような許可は出そうにありません。というわけで、



という教訓をしこたま得た次第です。6月中旬の旅行予定もキャンセルしましたし(GW前にほぼ予約完了済みでした)、夏の計画も現状では立てられないしなぁ。

そんなわけで2024GWはオシマイに後顧の憂いを残すダサダサ旅行となりましたとさ。どっとわらい。

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