- その5 最後の夜に「ドドンパ」、やっちゃいました - さぁって旅も終盤戦‥のはずでしたが、無事には済まず。 |
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(2024年5月2-6日 その5) |
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当時は学年による上下関係がはなはだ明確で、対決するのは自分たち下っ端で、上級生はわれわれが苦しみもがくサマを笑って見ていたわけでしたが、当時はそれが当然だったので別に不満はありませんでした。 |
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(下世話な話でごめんなさい) |
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教室の机と床をコーラまみれにしてしまいました(大苦笑)。一応掃除はしましたが(うんぺと雑巾で拭きました@うんぺ=トイレットペーパーの山岳部隠語)、水分がコーラだけに、たぶん翌日あの机や椅子はベトついていたのではないかと推察‥ハイ、以上で40数年前の述懐終了! |
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この日は気温も高くだいぶ霞んでいましたが、水を張り代掻きも終えていた(もしかして田植えも?)田んぼ越しの栗駒山を望むことが出来ました。今回はまさに栗駒の山懐で2泊し、この日ぐるりと一周する感じでしたね。 |
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お部屋はご覧のとおり。綺麗に見えますが年季はかなり。 ただTakema部屋の真正面は藤の花。もみじ風呂は推定50度(苦笑)。 結局、高友名物?の黒湯には入らずじまいとなりましたよ(苦笑)。 |
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ただ部屋が「2F」であったことが、この夜「ドドンパ!」の引き金を引いてしまったことは言うまでもないことかと(後述)。 |
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まずはお野菜も食べましょね。1人増えて再び乾杯! お肉♪お肉♫お肉のミートランド! 焼いて妬いて灼きまくれぇ! |
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最後は冷麺で〆て今この夜の八兆宴は終了となりました。しかも皆さん着実にジジイ化が進行したということか、宿から八兆に向かうときなどは「17時過ぎに行って飲み始めれば、まぁ21時くらいには帰ってこられるから良いよね」などと言っていたのですが‥ |
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もう長くも飲んでいられない年齢になりつつあるようです。とはいえお宿に戻ってからみんなでさらに飲みましたが‥ |
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はい、ここから事態は風雲急を告げることになったのでありました。二次会も終わり、Takemaはひょうたん風呂へと向かい、焼き肉臭の精進落としを完了。そして、この時に撮った湯足画像が、「元気な左足」くんの最後のお姿となったのでありました(いや絶賛治療中ですが)。 |
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詳細は省きますが(よく覚えていないともいう)、このあと階段で段を踏み外して転倒しました。左足をくじいてしまいましたが、まだアルコール麻酔効果が効いていたためか極端に痛いわけではなく「あちゃー、捻挫やっちゃったなぁ」という感じでした。このあと部屋に戻って就寝サンダーライガー。 |
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いや、「すでにパンパン」というのは語弊がありまして、この数日後にはさらにもっと、上画像の1.5倍くらいの「パパンのパンパン!」になったのでありましたが、この時はまだそんな衝撃の未来予想図を想像していなかったTakemaでありました。 |
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もっとも脂汗がにじみ出るほどの痛みではなく(以前のギックリ腰ではホントに脂汗が出た)、じわじわながら階段を降りていくと、朝風呂戻りのBさんと遭遇!Bさんもびっくりしたらしく(そりゃ当然)、結局自分はこのあと部屋に戻ることなくチェックアウトとなりました(部屋の荷物や冷蔵庫の中身などは皆さんに全部持ってきてもらいました。感謝)。 |
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ハイ結論です。「問題なく運転可能でした」。上画像にもあるように今回やらかしたのは左足で、わがフォレスターはオートマ車、ゆえに運転中に左足を動かすことは全くなく所定の位置に「安置」しておくなのだけですから。もしマニュアル車だったらと思うと‥くわばらクワバラ(死語)。 |
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なんてのもありましたっけ(2008、この時です)。 |
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思うのですが、この時点で当然骨折していたはずなのに曲がりなりにも歩いています。我ながらすごいなぁ。 |
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というわけで朝ごはんはおにぎり定食です。量はほどよしでありがたいことです。 |
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お仲間の皆さんは「これ、すぐ病院に行った方がいいよ」とアドバイスして下さいましたが、この日はGW最終日で診療先が圧倒的に限られているのと(救急系の当番病院しかやっていませんよね)、この日が連休最終日なので「診てもらうなら地元で」と考えたこと、またまがりなりにも歩けるのだからそんなに大ごとな状態ではないのではないかという「淡い期待」のもと、とにかく「このまま千葉に帰る」ことを決断した次第です。 |
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N氏お勧めのしそ巻きも購入。なおここ大崎市にも「小町伝説」が。 |
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さて高速に乗って南下開始です。上述した通り運転中は痛みもあまり感じずまったく普段の運転と同じなのですが、トイレ休憩でPAに止まるとなると別です。車から下りてくるのは上の動画にあったようなヘナヘナ歩きのTakemaなのですから。 |
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というわけで渋滞なし、夕方近くに千葉の自宅まで戻ってきました。今回の走行距離は1247.6km。ま、駒の湯お手伝いの日とかはそもそもほとんど走っていませんしこんなものでしょう。ガソリンは前日に栗駒岩ヶ崎のGSで満タンにしておきましたがメーターではちょうど半分(ということは半分以上減っているはずですが)。たぶん前日と合わせた走行距離は450kmくらいで、無給油でこれだけ余裕で走れる安心感はEVにはないだろうなぁ。 |
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診察後、会計前に撮った画像です。「左足は地面に付けないでくださいね」と言われましたが、もうこれまでさんざん歩いてきたんですが(苦笑)。骨折は人生初めてで今後の流れがよくわからぬまま一縷の望みを抱き先生にこう質問しました。 |
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医師判断のもとあっけなく却下されました(そりゃそうです)。骨がとりあえずくっつくまで4-6週間なのだそうで、うーん確かに。というわけで、 |
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あーあ、「Final」と銘打っていたのに、これで来年は「Final of Final!」となるわけか。何だかどこかの衣料品店のような「閉店セール」みたいにならないといいなぁ(何のこっちゃ)。 |
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幸い、近隣の総合病院でも「今すぐ手術をする必要はない」という診断結果を得られました(驚かさないでぇ!)。手術をしなくても(自然癒着で)大丈夫でしょうとのことでした。金属とかを入れたくはなかったので何よりです(そのぶん長引きますが)。 |
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(念のためボカシを入れました) |
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ちなみにこのページをタイプしているのは5/23。そう、本当なら「明後日5/25がTakemaオフキャンプ」というタイミングだったのですが、こりゃ絶対に無理でしたね。だってまだ真っ直ぐ歩けないどころか、職場では今も車椅子モードでの勤務です(車椅子は地元の社会福祉協議会から無料レンタル、ありがたやの海苔)。しばらく内出血で紫色に染まっていた足はだいぶ本来の色に戻りましたが腫れはまだ残っていて、実は明日が定例の?通院日なのですが、まだ車椅子を下りていいような許可は出そうにありません。というわけで、 |
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という教訓をしこたま得た次第です。6月中旬の旅行予定もキャンセルしましたし(GW前にほぼ予約完了済みでした)、夏の計画も現状では立てられないしなぁ。 |
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